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あぁああああっ!



「……はぁ。今日で何日目だっけ、終バス逃したの」


どっちかっていえばあまり都会っぽくない街で、初めて入社した会社がまさかのブラック寄りで。


サービス残業が日常化しているその場所から、逃げることも出来ず。


ま、あれだ。そんなのブラックじゃないよだの社畜じゃないよだの、言われるくらいに軽度かもしれなけどさ。それって、本人がキツイって思った時点でダメなもんはダメだ。


最近になってやっと、自分が働いている状況は何かがおかしいって気づいたからこんなことが言えるって話。


気づくまでは、どっか感覚がマヒしておかしかったみたいだし。一周も二周も回って、冷静になれたのかもしれない。


俺が住んでいる街はそんなに遅くまでバスはなく、こうなるとたいてい歩きで帰るか自腹でタクるかの二択。歩きだといっそのこと会社に泊まった方がいいかもしれないってレベル。


運がよければ今から行く場所にいる叔母さんの知人あたりが送ってくれたり、店に泊まらせてもらってそのまま出勤。


「もうすぐで誕生日だってのに、こんなんじゃ彼女作ってる場合じゃないし、自分が生きるので精一杯すぎる」


ノロノロと右足だの左足だのを前後に動かしていけば、そのうち叔母さんが経営している深夜食堂にたどり着く。


両親を高校の時に事故で亡くして以降、なにかにつけ気にかけてくれている人だ。


顔は母親と双子だっただけあって、目元は特にそっくり。だから、会うたびに複雑な気持ちになりもする。とはいえ、天涯孤独というわけじゃないのは救いと思っていい気がしてる。


そんな勤務形態で独身の俺だけど、夜の食事面だけはきっと恵まれている。なんせ、結構年齢の割にいつまでも元気な叔母さんが、こんな時間でもやっている食堂においでよと言ってくれているからだ。


『今夜はハンバーグ定食が日替わりよ』


叔母さんから夕方に来ていたメールを見て、夜遅くに食べるカロリーじゃないとはいえ、ハンバーグという文字を見ただけで腹の虫は素直に鳴いていた。


鳴り止まぬ腹の虫をなだめつつ、少しでも早く食べたい気持ちだけでなんとか業務をこなしていたわけで。


(そういう励みとか楽しみでもなきゃ、こんな仕事やってらんないっての)


勤務先は車関係の会社で、いわゆるなんちゃら部品共販とかいう会社だ。


そこの企画業務課なんだけど、前任者からの引継ぎがものすごく中途半端で終わってしまい、聞きたいことが聞けないまま…退社されてしまった。


それじゃあ、上司にあたる誰かに聞こう! と思ってみても、前任者が独自に作ったマニュアルだから、自分たちにはわからないんだよねとしか言わない。


それじゃ仕事になりません! と言い返したものの、毎月決まった時期に決まったデータを出して、営業マンたちの報奨金だのなんだののデータを出さなきゃいけないとか、教えてる余裕なんかないんだよねって冗談だろ? って状況に陥った。


どのファイルからその資料作成のためのデータを? と、前任者が途中まで書いていた引継ぎノートをみながら試行錯誤しつつやってみても、営業マンたちから出るのは労いの言葉なんかじゃなく、叱咤のみ。


挙句の果てに、こんなクズをどうして雇ったんだとか陰で言われる始末。


まともに食堂で飯を食ったのは、入社した直後のみ。コンビニで買ったおにぎり片手に、ずっとパソコンとファイルと向き合ってばかり。


最初は言い返していた俺も、そのうち言葉にするのも嫌になって、そのうち無表情になるのがデフォになった。


専門学校を出て、就職をし、なんだかんだで五年経過。もうすぐで六年だ。


――――にもかかわらず、だ。いまだに、好転していない。


というか、前任者によって途中まで書かれていた引継ぎノートの内容に沿ってやったものすらも間違いが多かったもんで、最初っから作り直すことになった。


そのために、毎月決まった時期に出すデータと資料、そのために必要なデータの照合を自力でいくつもあるファイルから探すことになった。


営業マンたちへの聞き取りや、データ課とのやりとり、上司への協力要請と情報の共有などなど。


それをやっていっても、どこかしら抜けがあっては、営業マンの誰かしらにわざわざ更衣室に呼び出されて文句を垂れ流される。


決まった内容なら、ファイルとデータの紐づけをして、それがすんだら確認作業をすればいいんだと単純に思っていたのに。


なぜか、毎回抜けや参照したファイルが違うという話になる。


……マジで、なんで? って思ってた。


営業マンたちからすれば、臨時収入がいくら乗るか乗らないかの話になるだけに、数値が違っていたら文句も言いたくなるんだろう。わからなくはない。そこは、俺だって必死になると思う。


が、だ。


思わぬ人物から足を引っ張られて、状況は悪化していくばかり。


思ったよりも単純な問題じゃないし、ファイルに出力されたデータをどうこうしてくれるサポートの方が…俺の足を引っ張りたいのか? と疑いたくなるほどに違うところに入れたがる。


なので、最初にファイルとそこに入っているデータが一致しているのかの確認作業に時間を取られてしまう。


仕事をしに来ているのか荒らしに来ているのか? と問い詰めたい気持ちになったのは、一回や二回じゃない。


でも、それは出来ない話で。


(上層部のお孫さんだっけ? 下手なこと言うなよって、上司から釘を刺されまくってるもんな)


市販の胃薬に詳しくなるのも時間の問題だなって感じで、気づけばこんなに経過していた。


今日こそ辞めてやると毎日思いながらも、気づけばそんな話をする時間も取れずに業務時間が淡々と過ごしていく。


月末間近の今日も、かなり遅くなった。


が、ハンバーグ定食のためにもがんばった! 俺!


暖簾をくぐろうと思った。俺の腕には暖簾が触れた。間違いなく触れた、のに?


「……どういうことなんだ」


暖簾の向こう側に行くことも、もちろんのことでハンバーグを食うことも、叔母に挨拶をすることも叶わず。


足元から、目を開けていられないほどの眩しい光。その光は、足元に大きめに広がっていく円形の文様からで。


(これって、まさか…魔方陣ってやつなんじゃ)


その事実を確かめる隙も無く、眩しさに目を閉じた俺が次に目を開いた時に見えた景色を疑った。


「どこなんだよ、ここ」


謎の山の中。そして、入り口が広めの洞窟らしいもの。視線を左へとずらせば、池というか泉というか、とにかくでかい水たまり。湖というほどの大きさではない。


空高く頭上では、鳥の声が響いている。


右へ左へと視線を動かしていき、ふと視線を落とすと違和感しかない自分に気づく。


服が違う。靴が違う。持っていたはずの鞄もない。これは何だとうつむいてその視界に入った自分の手が、思ったよりも小さい。


泉らしきものへと近づき、そっと覗きこんでみる。


「これ、誰だよ」


覗きこんでいるのは自分だとわかるのに、見知った自分の姿には見えない。


アッシュグレーの髪。短髪でも長髪でもなく、なんだっけこれ。ウルフカットだっけ。違うか?


それと、淡い紫色の瞳。ものすごく薄く見えるけど、鏡があったらもうちょっとハッキリ見えるのにな。


俺が知っている自分の姿は、こげ茶の肩までの髪に、メガネ。黒目。その辺にいそうな身なり。


「ガキっぽい顔つきに、髪型。こんな目の色って、見たことねぇ」


覗きこんだ時の格好のままで、へたりこむ。


「ここって…どこなんだよ」


知らない場所。知らない自分。誰かの体なのか? これは。


「もしかしてこれって…よく広告でみかけるゲームや小説みたいな…異世界転移とか転生か?」


そう考えてしまえば、混乱しそうな自分を落ち着けられる気がした。


「ってことは、どっかで聞いた話だと、元の世界での俺は死んで…る?」


まともにその手のものに触れたことがないだけに、不確かではあるけど…そういう設定が多いと聞く。


「叔母さんの店の真ん前で? 車に轢かれたとかそういうんじゃなく、突然死? え? そういうのよくわかんねぇんだけど、体だけは残ってるのか? 魂だけ? 店先に俺の死体? ……冗談だろ?」


想像するだけで、叔母さんに合わせる顔がない状態だ。


「あぁあああああ……。叔母さん、本当に……ごめん。めちゃくちゃ助けてくれてたってのに、恩返しどころかむしろ逆のことしちまった」


地面に突っ伏して、聞こえるはずがないのをわかっていても、叔母さんに向かって何度もごめんと謝る。


驚きすぎて、自分に腹が立ちすぎて、涙なんか出もしないけど。どうか届けとばかりに、叔母さんにむかって謝りつづけた。


そんな時間を過ごし、どれくらい経ったのか。


ここに来た時には晴れていた空に、灰色の雲が増えていく。


散々謝りまくった俺が体を起こすと、さっきまでそこにはなかったものが草の上にあった。


「なんだ、これ。……本? 日記? 鍵っぽいのが付いてるってことは、日記なのか? でも……近くに鍵らしいものはないな」


少し分厚いそれを手に取ると、親指が偶然触れた鍵の部分が淡く光る。と同時に、カチャリと金属音が鳴った。


「え? 鍵、開いた?」


驚きながらその日記のようなものを開こうとした俺の頬に、何かの感触。


「あ! 雨!」


顔にわずかに触れた液体の感覚を察して、空を見上げれば落ちてくる無数の白い糸のような雨粒たち。


日記らしいそれを胸に抱き、さっきまで目の前にあった洞窟の入口へと小走りで逃げていく。


「うわぁ…、濡れた濡れた。……こういう時にタオルってものが手の届く場所にないって、キツくないか?」


着ている服は薄手の長袖。全体的に緑系統でまとめられた普段着っぽいもの。袖で顔についた雨粒を拭って、洞窟の入り口で困ったと思いながら雨が降る光景を眺めていた。


「ま、雨ばっか眺めてても、何がどうなるってわけでもないしなぁ」


後頭部を右手で雑に掻いて、ため息まじりに洞窟の中ほどまで入っていく。


中に入れば入るだけ、外よりはすこしとはいえ寒さを感じない。


洞窟の中には誰かが置き忘れたのか、多少の薪やイス代わりに出来そうな岩とも石ともいえない大きさのものがあったり。


「食い物と水がないのは、この先困るな」


特別サバイバルな生き方をしてきたわけでもなきゃ、そういう知識に興味がなかった俺。


「どうやって生きて行けっていうんだ? 叔母さんのとこで飯が食えていただけ、まだ元の場所の方がマシだったはずなのに。…はあ」


人生、詰んだ。


そんな言葉が脳内に浮かんで、またため息をもらす。


食うものも飲むものもなきゃ、濡れた服を乾かす手段もない。そんな中で俺が出来ること、暇つぶしの方法。


「とりあえずコレは濡らさずにすんだことだしな」


日記っぽいそれを掲げてから、表紙からめくろうとした。


「……え? さっき、こんなこと書いてたか?」


初手から躓く。


表紙らしいものに、さっき見た時には一文字だって書かれていなかった。ところが、だ。


『ようこそ、社畜さん。アナタの心と体を癒す世界へ』


思いきり日本語で、そう書かれているじゃないか。


「は? 社畜さん? 俺? ……いや、まあ。たしかに社畜っぽくはあったけど、どういう?」


眉間にシワを寄せて、表紙をめくる。


「……何語よ、これ」


記号にしか見えないものの羅列。先へ先へとページをめくっても、同じものばっかり。


表紙だけが日本語だった。それに意味は? 文字の分からない世界に連れてこられた理由は?


「それって俺、ここで生きるの辛くね?」


食事云々もだけど、文字の読み書きが出来ないのは結構な致命傷。聞き取りが出来るのかは、現段階では未知数。


ここにい続けてたら、それが可能か不可かの判断すら出来ない。


(いや。それ以前にこの場所が安全か危険かの判断材料すらない。ここを離れていいのかもわからないだろ)


かといって洞窟にずっといるわけにもいかないだろう。


何らかの手段で水と食糧問題を解決しなきゃいけないのは、わかり切った話だ。


両親が亡くなって、高校自体はほぼ無料だったこともあってなんとか卒業出来た。その後の生活だって、使えるものはどんなものでも使いあらゆる手段を使って専門学校に通い、資格を取って、就職をして。


生きるためにどうにかこうにかやってきた。会社がアレだった件だけは運がなかったねってだけの話だろうけど、それ以外は生きていれば何とかなった。


生きるために何とかしてきた。犯罪に手を染めることもなく、こうして生きて……。


「いや、違うか。多分死んだんだから、違うか。…でも、こうやって別な場所でまた生きろってことなら、無駄にはしたくないよな」


日記らしきものの表紙に手をあてて、そこに書かれていた文を読み返す。


「心と体を癒す世界、か」


どこの誰が俺をこの場所に連れて来たのかは知らないが、癒していいと許可してくれてるなら別に甘えても文句も言われまい。


「癒してくれるってんなら、癒せる環境を作れってことなのか? …他力じゃなく、自力でかよ。結局のところ」


とかボヤきながら、もう一度日記らしきものを開く。すると、背表紙側の方から、紙が一枚落ちてくる。


「これって」


いわゆる五十音の表だ。あいうえおの文字の横には、さっき見たような記号らしきものが書かれている。


「これが、あ。これが……い。なんだろ、法則性があるのか? 日本みたいに漢字でまとまる言葉とかないのかな」


雨音を背に、地面に枝で文字の練習をしていく。


最後の『ん』まで書き終え、最初から反復練習を二度ほどした頃か。


日記らしきものが緑色に淡く光りはじめる。


「開くの怖ぇ…」


警戒しつつも、現状…自分の身の回りに何らかの変化があったら、確認していかなきゃ情報は得られない。虎穴に入らずんば虎子を得ずとかなんとかっての、こういう時にも適用? あぁ、わっかんねえけど、開く以外の選択肢はない。


「ふぅ……、よし、開く! 俺は開くぞ!」


誰が聞いてるわけでもないのに、誰かへの宣言のように告げてからもう一度表紙を開いた。


開いた瞬間、俺の手からふわりと日記らしきそれが宙に浮き、最初から最後まで勝手にペラペラとページがめくれていく。


めくれるたびに、淡い光の方へと記号らしきものが吸い込まれていく。


「な…っ、これどういう」


どういう状況? と口をつくところだったはずの俺に、最後のページまでの文字が光に吸い込まれたかと思ったら、その光が俺へと吸い込まれていく。


しかも、頭に向かってぶつかるような勢いで。


「眩しっっ」


眩むような光に目をぎゅっとつぶり、そんなことで防げるはずもないのに手をブンブン振って光への抵抗をする。


光が吸い込まれただろう頭は、ほわっとした何とも言えないあたたかさがあって、ぬるま湯くらいの温度だ。


そのあたたかさがなくなったタイミングで、俺は目を開ける。


光は無くなり、日記らしきそれの中にはさっきまであったはずの記号っぽい羅列も無くなっている。


「さっきのって一体、なんな…」


軽く混乱する俺を、ひどい頭痛が襲う。


「っっ! いってぇ……!!!」


頭を抱えて蹲る。鎮痛剤なんかあるはずもない。来た時に手ぶらだったのは確認済みだ。


頭全体がものすごく熱くなってきた。


「熱い! 痛い! 重い! 苦し…」


辛さを順に叫ぶように口にしていった途中で、意識はぷつんと途切れる。それはまるでテレビをリモコンで消した時みたいなアレだ。


体はひどく寒いのに、頭だけが焼かれたみたいに痛くて熱い。


――――意識を失くしてから、どれくらい経ったんだろう。


いくらか熱さはなくなったけれど、熱を出した後の何ともいえない体の怠さにノロノロと体を起こした。


「……喉、渇いた」


自分から発したはずの声はカスッカスのガラガラ声。


意識を手離す前の記憶があるから、ここには水も食糧もないって知ってる。それでも、愚痴のように吐き出したそれに返しがあった。


「水かい? これでよけりゃ、飲むといいよ」


誰かの気配と、少し高めの子どもみたいな声に、顔を勢いよくあげる。


「…飲まないのかい? 飲まないのなら、消してしまうけど」


宙に水の塊が浮いている。


「あ、あぁ、そっか。入れ物がなきゃ飲みにくいか。それじゃそこにある薪を使おうか」


そして視線の先には、二本足で立っている真っ白い猫。腕には腕章っぽい物をつけている。腕章というか、よく事務方がつけているカバーっぽいやつ。なんていうんだっけ、あれ。


その猫が何かを呟くと、俺の背後にあった薪が一本ふわっと浮いて猫の方へと飛んでいく。


さっきとは違う何かの言葉を猫が呟くと、薪が形を変えて細めのコップになった。


「ほら。これでこう…掬えば、飲めるかい? これならば」


水の塊へコップを突っ込んで、水を掬ったものを俺へと差し出してきたその猫はこう告げた。


「君が今期の決算前の漂流者かな?」


と。


「決算? 漂流者?」


猫が呟いたその言葉に、腕につけている事務方っぽいものを見比べて俺はぽつりともらした。


「どっかの経理か総務なわけ?」


そう漏らしながら、脳内では淡い水色のベストとタイトミニスカートを着ているベタな制服姿の猫を思い浮かべていた。



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