第十章 『巣窟』 その1
明け方、ふと目を覚ましたダシュンが外を覗くと、森の中から、髪を長く垂らした若い女が一人で歩いて来る。・・まだ辺りは、完全に明け切っていない。
こんな時間に・・誰かと思って良く見ると、その姿からサアラのようだった。
褐色の髪に縁どられた明るい肌に上気したような頬・・煤を被っていない美しいサアラの横顔を初めて見た。
「・・テンドの報告では、明日、『リデンの森』から援軍が村に着くということだ・・それにミタンとハルの許にも伝令が行ってる」
「よかった。そしたら、ペルさまとサアラさんを村に保護してもらうんですね」
「ああ。ペルさまだけだと、サアラさんが承知しないだろうからな・・。その後、護衛を付けてミタンまで送り届けてもらう。俺達だけで無理にペルさまをさらって連れ出しても、どうなるか分からんからな」
「でも、まだ半信半疑のようですね、ペルさまは・・おれらの話を・・」
「そうだな・・」
ペルには用心深く、まだシャールに敵対していることは伏せてある。
「シャールと一緒に行くの・・なんて言ってますからね。シャラは、何かペルさまの頭からごっそり記憶を抜きさって、自分の言うことを聞くようにしたみたいですね・・」
「おれの目から、視力を奪ったみたいにな」
「でも約束通り、サアラさんには何も余計なことは言ってないみたいですね・・」
「うん・・利発さはお変わりになられていない」
カンはその変わらぬ賢さを見て取った事があった。
以前、差し上げた物は今でも、ちゃんと身に付けておられるかと尋ねた時だった。ダシュンの手前、具体的にその名前を出す訳にはいかない。
〝・・何か・・くださったの〟
〝はい・・〟
落ち着いた口調で応えるカンの目を見て、ぺルが言った。
〝・・何のことか・・分からないわ〟
カンは思わず笑い声を漏らした。
〝ふふっ・・〟
それに釣られたように、ペルも小さな笑い声を上げた。
ダシュンのポカンとした顔をよそに、狭い納屋の中で二人の笑い声が共鳴した。
(・・記憶を失ったにも関わらず、肝心な事はしっかりと留めておられる・・)
「・・満月の時しか現れないってことですから、まだ間はありますね」
「ああ、ヤツが気を変えなければな・・。それまでには、足も少しは何とかなっていると思うが・・」
シャラが現れるということは、カンには或る意味チャンスだった。シャラと再びまみえて倒さない限り、突き刺さった『月の欠片』を除くことは出来ない。
些か皮肉なことだが、『癒しの泉』の効力で視力が戻っている間は、再び『月の矢』に撃たれる可能性がある。
ならばいっそ神殿での立ち回りのように、盲目のまま全感覚を研ぎ澄ませて戦えば却って何とかなるかも知れない・・。
しかし、その日の夕刻近くのことだった。
大量に割った薪を積み上げていたダシュンが、ふと薪小屋から外を覗くと、庭先にシャラが姿を現した。そしてそのまま直ぐに家の中に入って行った。
ダシュンは急いで納屋に戻った。
「まずいです、カン様・・」
カンは包帯を締め直すため、木枠を外していたところだった。
「なに・・!我々の計画を嗅ぎつけたのか・・」
「あ・・シャラが、ペルさまと出て来ました」
驚いた事に、まだ来たばかりだと云うのに、シャラはペルを連れて直ぐにも出立するようだ。
「おのれ・・!」
カンは思わず立ち上がって外に出ようとした。が、骨折した足を踏み込み、激痛が走った。
「くっそ・・」
「カン様、おれ、後をつけてみます」
「ああ、すまん、ダシュン・・頼む。だが、気をつけろよ・・」
ずっと探し続けていたぺルとやっと出会えた途端、こうしてまた直ぐに連れ去られようとは。
カンは、近頃の自分の役立たず振りに歯ぎしりしていた。
肝心な時に目が見えないばかりか、動くのさえままならないとは・・。