第三章 Ptolemy
Strings 第三章 「Ptolemy」
ガチャ…カランカラン
男が店の入り口のドアを開けると同時に、鈴のような音が鳴った。
「入れ」
男はナギサとミナミに中に入るように促し、ドアが閉まらないように取っ手を抑えて立っている。
「お邪魔しまーす…」
少し戸惑いつつも、小さな声で会釈しながらミナミは店に入り、ナギサもその後に続く。
店の中は、暖かく、オレンジ色のぼんやりとした光が部屋全体を照らしている。
木の板が敷き詰められた床、上から垂らされた球体型のランプ、丸型のテーブルがいくつか並び、それぞれその周りを囲むように四脚ほどの椅子が置いてある。カウンターの後ろには多くの酒が並び、中にはどこの言語かわからない文字で書かれたパッケージの瓶も置いてあった。部屋を支え、区切るための木製の柱には人工植物が巻きついている。部屋の奥の方には、二階へと通じる階段と、暖炉、トイレ、そのほかにも別も部屋へ通じる通路のようなものが見える。大雑把に言ってしまえば、オシャレなログハウスのような飲食店だった。
「いらっしゃい、遅かったわね」
カウンター席に座っていた一人の客が体をくるりと回転させ、片手にタバコを指で挟みながらミナミたちに話しかけてきた。
「誰?」
突然挨拶をされ、驚くミナミ。店内に客はその一人しかおらず、外見や口調からはおそらく三十代中盤の美しい女性だと伺える。しかし、声や体格にミナミは違和感を覚えた。
「奴はケイティ・スピアーズ。医師免許を剥奪されたヤブ医者だ」
ドアを押さえていた男がロングコートを脱ぎながら客について話した。
「ヤブじゃねえわよ」
ヤブ医者と言われた客が男に突っ込む。
客の外見は、濃いめの化粧に、左右で若干長さの違う金髪のショートヘア。首元には青い石の付いたネックレスをしており、黒いストッキングとスカートの間からは、綺麗な白い肌をのぞかせている。そして何より特徴的だったのは、白衣を着ていることだった。
「ちなみに性別は男だがーーー」
「心は女よ。そこんとこ覚えておいてちょうだいね」
男がさらに客について話そうとするがそれを遮るように、客自らが応えタバコの煙を吹きながらミナミとナギサにウィンクをした。
「あんな小さい車によく二人も乗せてこれたじゃない」
ケイティという客が足を組みながら男に向かって話す。
「ああ、改造しておいて正解だった」
脱いだコートを腕に抱えながら、男はカウンターに向かった。
状況がイマイチ飲み込めず、呆然と立ち尽くすミナミとナギサだったが、ふとミナミが自分の左耳に装着していた通信機に手を伸ばした。
「ねぇ」
酒の並ぶカウンターの作業スペースに入ろうとした男をミナミは呼び止めて、取り外した通信機を見せた。
「はい、コレ返す」
「ああ…」
しかし、それを男は受け取らずにこう続ける。
「それはお前が持っていろ。今後も使うことになる」
それを聞いたミナミは困惑した顔で男に尋ねる。
「…どういうこと?」
どうやら通信機は元々男のもので、それをミナミが借りていたらしい。
「そこのテーブルで待っていてくれ。コーヒーでも淹れてくる」
男は近くにあった丸型のテーブルを指差しながらそう言うと、コートを木製のハンガーラックへかけてカウンターの作業場へ入って行った。
説明を後回しにされつつ、それにはもう慣れたと飽き飽きしたようにミナミはため息をついた。
店内にはコーヒー豆が挽かれる音と、暖炉から聞こえるパチパチという薪が燃える音が微かに響き、静寂をかき消していた。
ケイティは相変わらずカウンター席に座りながらタバコの煙をふかし、ナギサはカウンターの端に設置された水槽の中を食い入るように見ている。ミナミはいまだにそわそわしつつ店内をキョロキョロと見回していた。
Ptolemyの入り口のドアには「closed」の看板が掛けられていた。
「座らないのか?」
木製の丸型テーブルを囲み、椅子に座る男。その隣にはケイティが立ち、腕を組みながらタバコを咥えている。その反対側にはナギサが座っており、ナギサの隣にはミナミが立って腕を組んでいた。テーブルにはコーヒーが三つ置かれており、ケイティの分はなかった。コートを脱ぎ、Yシャツ姿になった男。そのまくられた袖から見える腕の筋肉は発達しており、より一層がたいのよさを引き立たせていた。
「嫌よ、何されるかわからないし。いいから手短に全部説明してちょうだい」
男の厚意を拒み、いまだに警戒心を見せるミナミ。対してナギサは淹れたてのコーヒーを少し啜り、苦い顔をして眉をしかめている。
「もしかして私たちを巨大なロボットに乗せて怪獣か何かと戦えとか言わないわよね?」
「言わん。なぜだ?」
「いいそうな格好してんのよ」
テーブルに肘をつき、手を組み合わせて座るサングラスをかけた男の姿からミナミは何かを連想させたのか、SF映画のようなことを言い始めたが、男は突発的なミナミの発言に内心驚きつつも否定した。
「そもそもアンタ何者なのよ?名前すら聞いてないんだけど」
腕を組み、見下すように男に向かって名前を聞くミナミ。たしかにここまできてミナミは一度も男の名前を呼ばず、本人からも聞かされたことはなかった。
「紹介が遅れてすまなかった。私の名前はクリス・ハイ・ウェスター。元科学者で、今は天文学に携わっている」
「科学者?バーのマスターじゃないんだ」
「それでもある」
科学者ーー
言われてもいまいちピンとこないが、自分の店を持ち、それをマイハウスと呼ぶクリスという男にミナミは疑問を投げかけた。どうやら天文学者ながらバーを掛け持っているということらしい。
「表向きはこの店を経営しているけど、裏では色々と研究をしているってわけ」
クリスの隣でタバコをふかしていたケイティが説明を付け加えた。
「裏で?」
裏と聞くとやはり隠したい、なにか公になると都合が悪いことでもあるのかと言わんばかりにミナミが聞いた。
そして、クリスの口からここに至るまでの経緯が語られる。
「…一ヶ月ほど前、空間転移の実験をしていた時のことだーーー
私のミスによって当時の研究室内にあったあらゆる物が吸い込まれるように転移装置のゲートを越えて、至る所に転移してしまった。
すぐに実験を中止し、装置の動作は止められたものの、ゲートを越えてしまった物の回収まではできなかった」
「…は?」
「ほら、言ったじゃない」
突然笑えない訳のわからないジョークでも言われたかのように呆れるミナミの顔を見て、ケイティはそれ見た事かとクリスに顔を向ける。
「とりあえず聞いてくれ」
こういう反応が返ってくるのは分かってはいたが、と説明を続けようとするクリス。ナギサはというと相変わらず目に生気は宿っておらず、無言のまま話を聞いている。よほど苦いのが嫌だったのか、もうコーヒーには口をつけていないようだ。
「ゲートはありとあらゆる世界に通じており、時間すらも越えることができる。そのゲートを越えた物たちは形を変え、分解し、それぞれの世界に合った形で転移して現れるか、もしくは転移した先の一番近くにあった適性のある物や生物に適合する」
「…?」
相変わらずミナミはクエスチョンマークを浮かべているが、今度は小難しい説明の処理が脳内で追いついていないポカンとした顔で口を半開きにしている。
「その適合したうちの二人がお前たちという訳だ」
「ちょ、ちょっと待って!世界がどうのこうのって何?もっとわかりやすく説明して」
やはり何を言っているのか理解できないミナミはクリスから発せられた言葉をなんとか噛み砕いて飲み込もうと整理しようとした。それに応えるようにクリスも口をひらく。
「この世界は一つだけではなく、ありとあらゆる数だけ存在している。例えば、そのあたりに落ちているホコリの位置が1ミリずれた世界線があるとする」
そう言って、指先を床に向けて話すクリス。刺された指の方向につられて床を見るミナミとナギサだが、床は綺麗に清掃されており、特別目立った汚れやホコリは見当たらなかった。例えか、それほど小さなチリ一つがたった1ミリずれた世界線という意味だろうか。
「たった1ミリ。しかしこの世界とは違う世界。本来あるべき場所から1ミリ違うだけでその世界は今我々のいる世界とは異なると言える。そういった世界が無数に存在するのだ。もちろん、目に見えて明らかに文明レベルで異なる世界も存在している」
それを聞いて呆れ返ったミナミは薄ら笑いを浮かべてクリスを哀れんだ。
「おじさんいい歳して厨二病?引くんですけど」
「どう思われても構わんが、紛れもない事実だ」
サングラスをしていて目元は見えないが、真剣な表情を一切崩さないクリスを見てミナミは笑みを消した。
「だいたいホコリが1ミリって…じゃあ2ミリずれた世界は?」
「存在する」
「3ミリずれた世界は?」
「存在する」
「そんなの無限じゃない!」
「その通りだ。可能性の数だけ世界は存在し、増え続けている」
「…意味わかんない」
意味は伝わっていた。しかし、それを理解し、信じることがミナミにはできないのだろう。それこそSF映画のような話を突然されたのだから無理もない。
「んで、仮にその世界がたくさんあるとして私たちになんの関係があるのよ。どうして寿命が三年なわけ?」
早く実家に帰りたいのか若干イライラし始めたミナミは腕組みをした指先をトントンと弾ませている。
「実験室からゲートを通じて転移した物は人間にも適合する。主に実験道具だが、それらが適合した人間は少なからず何かしらの影響が身体に現れ、変化が起こりうる可能性がある。それがどういった影響を及ぼすかまではわからないが、私は急いで適合した人間の特定と捜索をはじめた」
「…?」
またしてもクリスが何を言っているのか理解できないミナミを見てケイティが要約した。
「つまり実験に使った道具が人間の体の中に混ざり込んじゃったってことよ。どんな影響があるかわからないから、とりあえずその人たちを探して回ってるってわけ」
「待って…それってもしかして…」
ケイティの説明を聞いて何かを察したミナミ。
「その適合者がお前たち二人というわけだ」
ミナミとナギサにそう言い放つクリスは終始姿勢を崩さず、至って真面目な面持ちだった。
しかし、それを聞いたミナミは到底受け入れられないと言った様子でこう言った。
「そんなの信じられるわけないでしょ!わけわかんない…もういい加減家に帰して!」
「ふむ…」
やはりこうなるか、と鼻で唸るクリス。ミナミの反応は無理もなく、クリスの言っていることは現実離れした到底信じ難いものだ。まして、今日初めて出会った人間同士、信頼関係も築けていなければ、話の内容が真実だという証拠がない。
「ならばしかたがない。ケイティ…」
クリスがケイティになにかを促すように顔を向けると、ケイティはそれに応えるようにタバコを持っていないほうの手のひらを上に向け、少し前に突き出した。
「?」
何か物乞いでもしているかのようなケイティのポーズにミナミは困惑している。
するとーーー
前に差し出されたケイティの体から微弱な風が渦を巻くように発生し、手のひらからは金色の光が溢れてきたではないか。
目の前で何が起きているかわからないミナミは目を見開き、ナギサは相変わらずの目ではあるがケイティを見据え、それを見守るクリスは表情を変えないまま腕を組んでいる。
ケイティ自身の白衣や吊るされた店のライトが風に揺れ、テーブルの上のコーヒーがかすかに波打ち、カップがカタカタと音を立てはじめたその時、ケイティの手のひらの光からなにやら鋭利な針のようなものが現れた。それは徐々に引っ張り出されるように姿を見せ、さらに長さを増していく。
「あっ…」
何かを察し、一歩後ずさるミナミ。よく見ると、ケイティの手のひらに現れた針は、先ほどマンションの屋上でクリスがコートのポケットから取り出してみせた針と同じ形をしていた。その時もミナミは何やら針に怯えていたが、これは一体なんなのだろうか。
完全に針を手から顕現させたケイティ。徐々に手のひらの光は消えていき、体から吹き荒れていた風もおさまった。
明らかに人間離れしたイリュージョンを目の前で見せたケイティは、再度タバコを口に加え、手の中の長針を柄の部分をつまんで平然とミナミに見せた。改めて見ると、針というよりも金色の短剣といった方が近い表現かもしれない。
「適合した人間はあんた達二人だけじゃないのよ。アタシも被験者のひとりってわけ」
そう言ったケイティは長針の先端にキスし、もう片方の手の指で柄のあたりを軽く弾いた。高い金属音が響いたかと思うと、その針は金色の微弱な光を帯び始めた。
「あんたアタシに似て美人だから手荒な真似はしたくないけど、言ってもわからない娘には体でわからせるしかないわよね」
ケイティが光の帯びた長針をミナミに向かって構える。それを見たミナミは怯えた表情で今にも逃げ出しそうに苦笑いを浮かべながら、さらに二、三歩後ずさりながら口をひらく。
「い、いやぁ…もう一発くらってるからじゅうぶブフォッ!!」
ケイティがミナミに向かって長針を投げた。
何かを言い切る前に情けない声をあげてうしろに倒れるミナミ。
床に預けられたミナミの体は感電でもしたように微かに痙攣しており、胸には金色の長針が突き刺さっている。
その様子を隣で見ていたナギサはケイティの方へ振り返った。
「大丈夫よ。弱めに調整しておいたから、数秒で痺れはなくなるわ」
そう言ってタバコの煙を吐いたケイティは、若い二人に向かってウィンクをした。