第二章 トウキョー
Strings 第二章 「トウキョー」
「お前の余命は残りあと…三年だ」
余命三年。そう告げる黒人の男と告げられた自殺志願者。
富野渚はその言葉に特別驚きもせず、光を映さない目で、流暢なニホン語を話すその男を見ていた。
「えっ…あなた病気か何かなの?」
ナギサの右後ろで腕を組んで立っていた少女が、男の宣告を聞いて何やら色々と考察し、自分なりに解釈したのか、この数分の出来事の真相を噛み砕いて消化するように口を開いた。
「ごめんなさい。私…知らなーーー」
少女がナギサに対し申し訳ないと思ったのか、謝ろうとする。
「お前もだぞ。ミナミ」
すると少女の言葉を男が遮り、さらに追い打ちをかけるように追加宣告をした。
「ファッ!?」
ミナミと呼ばれた少女が驚きと困惑の声を上げる。
「お前たちの寿命は、およそ残り三年だ」
コートのポケットに手を入れながら男は告げる。
「な、何言ってるのよ。あなた医者じゃないんでしょ!?私今ピンピンよ!」
体を一歩前に出しながら自分の体が健在であることを訴える少女。組んでいた手を解き、気持ち程度、腕を広げてみせた。
「今はまだそうだろうな」
今はまだーーー
その言葉に少女は歯を噛み締める。
現状、身体的な異常は見られないが、のちに変化が現れるということなのだろうか。
「意味わからないこと言わないでよ!大体何の病気だっていうのよ!」
少女の言うことはこの状況からはもっともだった。体は健康。台詞からは病院等で診察したうえでの発言とは聞いて取れず、さらには男は医者ではないという。そしてなにより、自分の死に際を赤の他人に悟られ、そこから救い出された挙句、突然に余命宣告をされたナギサという青年こそ、少女よりも声をあげ困惑すべきシチュエーションなのだが、この青年もまた声を発さず、これといった焦りも見せないまま、少女と男のやりとりを見ているのみであった。
「病気の類ではない。詳しく説明したいところだが、ここでは少々都合が悪い。場所を変えて話すとしよう」
病気ではない。ではいったい何なのか。それを明かすには相応しい場所があると男は言う。
「嫌よ!そうやってまた訳のわからないことを言って誘拐する気でしょ!さっきもそうだった!」
男に従いたくない意志を見せた少女は、どうやら先ほどこの男に誘拐されてここにきたらしい。ではなぜ二人でつるみ、ナギサを助けに来たのか。ますます謎は深まるばかりである。
「ではさっきと同じ手を使うしかあるまい」
そう言って男はコートのポケットの中から何やら一本の針のようなものを取り出して見せた。長さはおよそ15センチほどで、先は鋭く、持ち手には装飾が施されている。うっすらと黄金色に光るそれは、まるで小型のおもちゃの剣のようだった。しかし、いったいこれが何だと言うのだろうか。
「だあああ!ソレ!体痺れて動けなくなったやつ!」
その針を見た少女の顔が一変。もうすでにソレを知っているかのような口ぶりで嫌悪した。少女の発言から、どうやらその針は身体を麻痺させる作用があるらしい。
「もう!わかったわよ!大人しくついていけばいいんでしょ!けどもし変なことしたらすぐ警察に……あれっ?私のスマホは?」
男の見せた針がよほど嫌だったのか、少女は渋々、男について行くことに決めたようだ。しかし、文句を口にしながら自分のポケットに手を入れて、そこに入れておいたのであろうスマートフォンがないことに気がつく。
「私が持っている。事情を説明したあとで返すから安心しろ」
男はそう言って屋上から降る階段へ向けて歩き出した。
「アンタねぇ!自分が何してるか分かってんの?これ立派な犯罪よ!?」
その男の後を追うように少女も足を進めながら、男の行為に苦言を垂れる。
「犯罪に立派も何もないだろう」
「アンタがそれを言う〜!?拉致よ!拉致!不埒な拉致をする気だわ!」
「少し黙っていろ。ここでお前と話していてもラチが開かん」
「きいいいい!むかつくううう!」
そんなやり取りをする二人の背中を相も変わらず、死んだような目で見たまま座り込んでいるナギサに、男は振り向きこう言った。
「…楽に逝きたいならお前もついて来い。こだわりがあるなら話は別だがな」
都内マンションの屋上は、冷たい風と非常口の扉が閉まる音を残した後、静寂な摩天楼の一部と化した。
ーーーブウウウウン
エンジン音とアスファルトを走る音、時折微かにガタンと揺れる車内。その窓からは明かりのついたさらに小さい窓と、それらを囲む灰色のコンクリートの長方形が無数に通り過ぎてゆく。
三人を乗せた車は、首都高速道路を走行していた。
「ここ…トウキョーよね?」
外の景色を眺めながら、少し不安そうな顔で少女は運転席でハンドルを握る男に聞いた。
「ああ」
運転をしながら声だけで返事をする男。
「…ねえ、家ってどこなの?ちゃんと今日中に帰らせてくれるんでしょうね?」
車内という小さい空間。さらにその行き先はハンドルを握る男に委ねられている状況に、マンションの屋上にいた時よりも不安を感じているのか、少女が自分の身の安全を心配し始めた。
「悪いがしばらく実家には帰れないと思ってくれ」
その不安を上乗せするように男が応える。
「はっ!?なんでよ!」
そんなことは聞いていないといった表情で少女が声を上げた。
「こちらの都合だ」
「そんなの嫌に決まってるでしょ!うちの親だって今頃ーーー」
「ご両親とは話をつけてきた」
「ええっ!?」
「お前をつれてくるときにな」
「嘘よ!」
「本当だ」
なんと男は少女のご両親に了承を得た上で、少女をつれてきたのだという。それをなぜ少女自身が知らないのかは謎だが、男の言うことが真実だとすれば、事件性はないのかもしれない。
「ちなみにうちの親はなんて?」
半信半疑で少女は男に尋ねる。
「娘をよろしくお願いします、と言われたな」
「なに勝手に大事な一人娘を他人によろしくお願いしとんじゃあの親どもは!」
「お茶と和菓子もご馳走になった。なかなか美味かったぞ」
「美味かったぞ、じゃないわよ!人を麻痺らせて攫ったくせになにちゃっかりくつろいでんの!ふざけないで!」
この場にはいないどこか遠くの両親と自身を誘拐した男に向かって少女は声を荒げる。その隣で窓に頬杖をつきながら、通り過ぎる夜景をナギサはただ眺めていた。
「スマホ取り返したらタクシーでも捕まえて自力で帰ってやるんだから」
そう言ってジーパンのポケットを漁る少女。しかし、
「あっ!お財布実家にあるんだった!」
どうやら男につれてこられる際、スマホしか持ち合わせていなかったらしい。その心配を今度は拭うように男が言った。
「安心しろ。財布は親御さんから衣類と一緒に預かっている。いまはトランクの中だ」
それを聞いてもはや呆れ返る少女。両親に許可を得た上での誘拐は、果たして誘拐と言えるのかわからないが、本人に何も伝えずにここまで用意周到な環境を作られては何も言い返せないのだろう。
「門出ドッキリ?聞いたことないんだけど」
もはや親ぐるみの大掛かりなドッキリだと願う少女。しかしそんなドッキリは見たことも聞いたこともなく、もしそうならナギサの飛び降りの件は一体なんだったのだと肩を下ろし、もうどうにでもなれとため息をついた。
「はあ…もう……ん?」
さすがに少女の身を案じてか、もしくは単なる好奇心か、後部座席で隣に座る少女を見つめるナギサ。そのナギサの視線を感じ、その意図を汲み取り理解したようにように、ああ、と自分の身の上を話した。
「私もあなたと同じで今日無理矢理つれてこられたのよ。私の家ヤマナシなのに…。説明も全然してくれないみたいだし、どうしよう…」
先ほどの強気な口調とは違い、すこし弱気な声色で話す少女。どうやらヤマナシから男につれてこられ、そのままトウキョーに来てナギサの飛び降りを止めに入ったらしい。しかもご両親の許可を得て。なにも聞かされずに、さぞ不安ではあろうが、この状況が理解できないのはナギサも同じであった。
「名前、ナギサだっけ?同じ名前の知り合いがいるからナギって呼ぶわね。私はミナミ、よろしくね」
場の気まずさ、今後の不安、お互い初対面ということもあり、それを少しでも和らげようとミナミは隣に座るナギサに挨拶をした。少し気恥ずかしいのか、ミナミは自分のシートベルトと、コートをそれぞれ両手で握りしめて愛想笑いを浮かべている。気恥ずかしいのは同じだったのか、それに対し声は出さないものの、窓についていた肘の角度を少しあげ、無造作にうねる癖っ毛を掻きながらナギサは軽く会釈した。
「そろそろ着くぞ」
運転席に座る男がハンドルを握りながら後ろの二人に声をかけた。
ーーーブウウウウン
三人を乗せた車が高速道路のインターチェンジを降り、一般道路に入った。
そのまましばらく走行し続け、車は商業施設の並ぶ大通りへと向かう。地方から来たミナミは窓の外の光景を物珍しそうに眺めていた。時折、車が信号待ちで停止すると、行き交う人々を見ながらその多さに驚いている様子だった。その目には都会の夜景を反射させ、店の明かりや立ち並ぶ電灯、他の車のヘッドライトの光を映していた。
ーーーブウウウウン……キュウ…
「ここで降りろ」
男がゆっくりと車を停止させ、後ろの二人に声をかけると、車道側から降車した。
それに従いシートベルトを外すナギサとミナミ。
「ミナミはトランクから荷物を持っていってくれ」
男がトランクに手をかけながら、後部座席のドアを開けて車から降りるミナミを呼んだ。
「うわぁ…ビルたっか…」
周囲には高層ビルが立ち並び、大通りの車道と歩道を隔てるスペースには並木が植えられている。ミナミは普段見慣れない光景に目を輝かせ、空を仰いだ。
ガチャ
「うわっ、ほんとにあるし…」
開けられたトランクから、紛れもなく自分の荷物の入ったリュックを見たミナミが、男の言っていることの信憑性が高まったことにため息をついた。
「ここだ」
男が停めた車のすぐ近くにあった、イタリアンレストランのような外観の店の前で立ち止まる。店の入り口には樽が一つとなにやらメニューの書かれたスタンド式の小さな黒板が立てて置いてある。建物は赤い煉瓦造りで、横に長く続いており、二階建てのようだ。壁の一部にはツタが伸びており、それがなんともオシャレなカントリーチックな雰囲気を出している。
「ここは…?」
男はこれから食事でも振舞ってくれるというのだろうか。見るからに飲食店の前で佇んでいる男に、ミナミはその意図が読めず聞いた。
「マイホーム兼バーだ」
それを聞いたナギサとミナミが互いの顔を見合わせる。
壁に埋め込まれた洋風のポーチライトが店の入り口のドアをぼんやりと照らし、その上に取り付けられたアーチ上の看板には、「Ptolemy」と書かれていた。