カナザン・ナイト 夜の桜
桜の花が咲く小雨の降る夜。初老の夫婦を乗せたタクシーのフロントガラスに、満開の夜桜が見えた。
通りの向こうに見える川沿いの土手に、ライトアップされた桜の木が見えた。大きな木がいくつ本もつらなって、夜空いっぱいに満開の桜の花を咲かせている。
「やあー、きれいやがいね。なんやったけ。山崎電機やったっけ」
と初老の夫婦の妻が言った。すると夫が、しばらく間があって訂正した。
「山下電機や」
「そうそう。その山下電機の社長さんが地域の人にって、桜の花が咲くと夜にはライトアップしてくれたがいね。この桜を見れば、兼六園に夜桜見物に行かんでも、いいがいね」
と妻が言った。なんともゆったりとした二人の語り口調である。
タクシーから降りるとき、夫が右側のドアを開けて降りようとした。その様子を見て、妻が言った。
「そっちから降りるがやないがいね」
何とも優しい口調の言葉である。
「そうか、そうか」
と、その妻の諌める言葉に、夫は素直に従った。
東京から移り住んだばかりのタクシーの運転手が言った。
「いやー、何とも優しい言葉の響きですね」
「あらーあ、初めて褒められたがいね」
妻が笑いながら言った。夫が優しく笑った。
金沢の桜が、満開の夜だった。