宮益坂の途中で…… 後編
東南アジアのどこかの街角に似た、この街。三人の男女が飲み込まれていく先に、幸せが見えているのだろうか。深夜の大都会を走るタクシーの中で、男のズルサと女の悲しさが交錯する。
しばらくして、車内は静けさを取り戻した。信号で車が止まったとき、そんな静けさを美保の一言が壊した。
「吐きそう!」
「運転手さん、路肩に車を止めて!」
彩が叫んだ。タクシードライバーは、車を路肩に止めた。明治通りは、深夜だというのに車の往来が激しい。路肩に止まったタクシーから美保は、道路脇の茂みに転がるように近づくと、一気に胃の中の物を吐き出した。しばらく茂みに向かってしゃがんでいた美保が、幾分スッキリした顔でタクシーに戻って来た。背中をさすってい彩が、それに続く。
「いいですか、ドア、閉めますよ」
タクシー・ドライバーが誰にとはなく言った。
「はい」
美保が低い声で答えた。そして、続けた。
「新宿の二丁目のあとは、北千住に向かってください」
「馬鹿言ってんじゃねえよ! 運転手さん、兎に角、2丁目!」
男が激しい口調で言った。
「北千住って?」
彩が、美保に聞いた。
「美保は、三軒茶屋に住んでるんじゃなかったの?」
「うん。本当は私、北千住に住んでるの」
「じゃあ、三軒茶屋は?」
「色々とあって、ねえ! 真治」
「真治」と声をかけられた男は、今までの血気盛んだった様子から一変して、再び静かになった。
「なーんだ、そういうことだったの……」
彩は、これまでのことを全て理解したかのように、うなづいて見せた。
「要するに、真治さんの我がままに美保が怒ったわけね。その我がままの相手としてトバッチリを食ったのが由理ちゃん、というわけ。なーんだ。心配して損しちゃったみたい、私……」
車は明治通りから甲州街道を大きく右折し、トンネルの側道に入った。薄暗くなった通りの、一つ目の信号を通り抜け、暗い路地を左にハンドルを切る。すると、その視界の先には、どこか東南アジアの通りに迷い込んだ様な景色が現れる。若い男同士のカップル。店の軒先からはみ出たテーブルで小瓶のビールをあおる黒人の男、白人の男。二人の間でビールをあおる日本人の女。
タクシーは、時折り車を無視して人が行きかうメインストリートを、奥へとゆっくり進んで行った。
「運転手さん! この辺で止めてください」
メイン・ストリートから靖国通りへと抜ける少し前で、男が言った。男がお金を払って、三人はタクシーから降りた。タクシー・ドライバーは発進させると、ゆっくりと車を走らせた。すると、タクシーを
降りたばかりの美保が、右側の歩道を一人で歩いている。薄暗い車内で気付かなかったが、改めてみる美保は、美人だった。タクシーは彼女の側を、ゆっくりと通り過ぎた。彼女が“北千住”へ向かってくれることを期待して。
歩道を揺れながら歩く美保を、あとから真治が追いかけてきた。そして、真治が美保を抱きかかえるようにして連れて行こうとしたが、美保は強く拒んだ。しかし、酔いが手伝ってか、静かに真治に抱きすくめられ、来た道を2人で戻って行った。
タクシーは信号を左折して、激しく車が行きかう深夜の靖国通りへと飲まれていった。(この回、終わり)