捨てられた女は“都合のいい女”
ライブハウスの前から、男に放り込まれるようにしてタクシーに乗せられた女。走り出した車の中で女は、大声で泣き始めたのだった。
深夜午前1時過ぎ。ライブハウスの前で、男が酔った女を介抱している。“モテル男も大変だな”と思いながらも、タクシードライバーは手を上げた男の方へと車を寄せて行った。女の様子が、ちょっと違う。車を止めてドアを開けた。男が女を抱えるようにして、車に乗せた。男も乗ってくるのだろうと、ドアを閉めるタイミングを計った。しかし、男は車に乗ることなく、「運転手さん、王子まで」といって、ドアを閉めるしぐさをした。男は、乗って来なかった。
ドアを閉めて車を走らせると、女が、ロレツの回らない口で話し始めた。
「わたし今、彼氏に捨てられたんです」
そういうと女は声を抑えることなく、大声で泣き始めた。
「運転手さん、すみません」
といって、平静さを装おうとするが、
「ヴアーン、ヴアーン」
と、再び泣き叫び始める。
「大丈夫! 泣きたいときは、泣いた方がいいんです。車の中だから、聞いてるのは私だけ。好きなだけ、泣きなさい」
といって、運転手は、少し開いていた車の窓を閉めた。
女は涙でしゃくりあげながら、少しづつ話し始めた。
「彼のライブに行ったら、“帰れっ!”ていわれて。私、それで、やけになって、お酒を一気に飲んじゃって」
そういうと女は、再び泣き叫んだ。そしてしばらくすると、また話し出す。
「彼、私のことを、“お前は都合のいい女だ”なんて、いったんですよーっ。ヴアーン」
泣き叫びながら女は後部座席からズリ降りて床に座り込み、ドアにもたれかかっている。外から女の姿は見えない姿勢になった。それでも女は、さらに続けた。
「彼とは、もう4年くらい付き合っていて。いっぱい尽くしてきたんです。なのに、突然、捨てられてヴアーンッ」
「男なんて、6000万人いるんだから、彼女ならすぐいいのが見つかるよ」
運転手は、ありきたりの言葉で慰めてみる。
「そんなことないです」
「彼女なら、大丈夫だって」
「ヴアーンッ」
女を慰めているうちに、車は目的地に着いた。車の床に座り込みながらも、女は料金を支払い、領収書を受け取った。女が車から降りる間際、
「なんかあったら、ここに電話してください。忘れ物でも、なんでも」
運転手は、そういって女に名刺を渡した。女は名刺を受け取ると、駅の方へと歩いて行った。
翌日の昼近く、仕事を終えて家で体を休めていた運転手のところへ、携帯電話が鳴った。電話に出ると、昨夜の女からだった。
「家に帰ったら、携帯の電話番号を書いた名刺があったんですけど。なにか、ご迷惑をおかけしましたでしょうか」
「いや、別になにもないですよ。昨夜は、あれから、ちゃんと帰られたんですか?」
「はい、何とか家にたどりつきました。どうも、ありがとうございました」
「そりゃあ、よかったですね。で、彼とは……」
「ええ、なんとか。今は部屋で寝てます」
「そうですか。そりゃあ、よかったですね。まあ、お二人、仲良く」
「はい、ありがとうございます」
運転手は、一気に脱力感を覚えたのだった。