嫁選びの“極意”
老婆たちは、“結婚の極意”や“子育ての極意”、さらには“人生の極意”までも、さらりと言ってのける。そんな極意の1つ……
平日の午前中は、病院に通う老人たちがタクシーをよく利用する。そんな老人達は、特に老婆達は“結婚の極意”や“子育ての極意”、さらには“人生の極意”を、サラリと言ってのける事がある。
その日もタクシー・ドライバーは、幹線道路で手を上げた老婆の前に車を止めた。ドアを開けると、ゆっくりと、一つ一つの動作を確認しながら次の動作に移っているかのようなスピードで、老婆が乗り込んで来た。タクシー・ドライバーは、老婆が座席に納まるまで、じっと待った。そして、行き先を告げられてからは、今度は急ブレーキや急発進などで、老婆が後部座席でバランスを崩すことのないように、スピードに気を付けてタクシーを発進させた。しばらくすると、彼女が人生で得た“結婚の極意”や“子育ての極意”、さらには“人生の極意”を、ドライバーが聞いているとも、聞かれていないとも関係なく、あれこれと話し始めた。
「私には、息子が3人いましてね。三人に“大学もいいけれども、仕事をしっかり覚えることも大事だ”と言っていたんですよ。おかげで、嫁にも恵まれましてね」
老婆は、楽しそうに話している。タクシー・ドライバーは、聞くとはなしに相槌を打っている。
「そうですか、そりゃあ、よかったですね」
と、ここまでは、よくある自慢話だった。タクシー・ドライバーは、あまた聞く“老婆たちの人生の極意”の中で“これは然り”という“結婚の極意”を、次の話しの中に確信した。
「三人の息子たちに、常日頃言っていたんですよ。“嫁を選ぶときは、一人娘の金持ちの家の娘を選べ!”とね。そしたら、うまく、三人とも、お金持ちの家の一人娘と結婚できましてね」
「そりゃあ、すごいですね」
「三番目の息子は、嫁さんの実家の敷地の中に、家を建ててもらいましたよ」
「願ったり、叶ったりですね」
「長男と次男は“男のコケンにかかわる”とかで、マンション暮らしをしてますがね。でも、やっぱり、嫁さんの親にお金を出してもらって、嫁の実家の近くに住んでますがね」
タクシー・ドライバーは、しばらくは老婆の“結婚の極意”を聞いていたが、そのうち、彼女のサクセス・ストーリーを聞いているとは思えなくなっていた。一見、3人の息子達が幸せな人生を歩んでいることの自慢話をしているかのように聞こえる。しかし、裏を返せば、自分から離れて、嫁達の実家の近くで暮らしている息子達への、老婆の寂しさを、暗に聞かされている様に、タクシードライバーには、思えて来た。
そして、話しは、老婆の身内の多くが「がん」で亡くなっている話にまで及んだ。そのとき、タクシー・ドライバーが、ぽつりと言った。
「私も妻を、一昨年、がんで亡くしましてね」
その一言で老婆が、グスリッと、涙を呑んだ。しばらく、車内に沈黙の時間が流れた。程なくして、何事も無かったかのように、タクシーは目的地に着いた。再び老婆は、1つ1つの動作を確認するかのように、ゆっくりと、しかも、後ろに止まったトラックのクラクションに惑わされることもなく、自分のペースでタクシーを降り、病院の玄関へと進んで行った。