擬似恋愛
その言葉に、彼女の何かがつまづいた。
彼女は遠慮気味に、面影橋で手を上げた。タクシーが、彼女の前で停車した。パンツ・ルックの彼女は一見すると派手だが、どことなく落ち着きも感じる。
「高田馬場まで、お願いします」
「かしこまりました。ルートは、新目白通りをまっすぐでよろしいでしょうか?」
「うーん……」
考え込む彼女にタクシー・ドライバーは、すぐに代案を提案した。
「明治通りから、早稲田通りのコースで?」
「それで、お願いします」
「かしこまりました」
タクシー・ドライバーは、そう答えると車をスタートさせた。タクシーが、新目白通りから明治通りを左折し、しばらくして馬場口の交差点の右折車線に入った。車の流れが途切れるまでのしばらくの間、空白の時間が、タクシーの車内を流れた。彼女が、携帯電話で話し始めた。
「うん、今、タクシー。渋谷に着くまで、後しばらく。うん、わかった。じゃあ、あとで」
何気なく、タクシードライバーは彼女に話しかけた。
「これから渋谷ですか?」
「ええ。友達が、展示会を開いているので、見に行ってあげるんです」
「絵とか写真とか、イラストとか?」
「洋服です」
「面白そうですね。学生時代のお友達ですか?」
彼女の年齢は、22、3歳くらい。
「バイト先の友達なんです」
「水商売?」
タクシー・ドライバーは、うっかり口にして、後悔した。
「そうじゃないですけど、みたいな」
「そうですか。以前はよく、キャバクラとかで、遊んでたんですけど」
「キャバクラですか……」
タクシーは、信号の矢印に従って早稲田通りを右折して、駅へと向かって走り始めた。
「キャバクラは、擬似恋愛なんですよ」
タクシー・ドライバーの言葉に彼女の何かが、鈍いが確実に反応を示した。
「擬似恋愛?」
「そう。恋愛ごっこ。たとえば、銀座の高級クラブで、“王様ゲーム”をしたこともあります」
「“王様ゲーム”?」
「そう。ゲームをして勝った人の命令を聞くんです。お客の男性が勝つと、“誰々ちゃんが、僕にキス!”とか。銀座だから、高かったろうと思います。私が料金を払ったんじゃないのでわかりませんけど」
彼女は、そんな“王様ゲーム”のことよりも、タクシー・ドライバーの口にした「擬似恋愛」という言葉に、彼女の心の中の何かが、つまづいたようだった。
程なくして、タクシーは、高田馬場の駅に着いた。
「ありがとうございました」
そう言って、タクシー・ドライバーに小さな笑顔を残して駅の改札へと歩いて行った彼女。その彼女の後姿に、そっと「恋せよ乙女……」と、心でつぶやいたタクシー・ドライバーだった。