生きて行くって、大変ですよね
タクシーに乗った女が突然、運転手に「生きて行くって大変ですよね」と、こぼした。しかし、タクシーから降りるときには女は、笑顔になって降りていった。車内で、いったいに何があったのだろう。
「なんか、生きていくって大変ですよね」
女は、タクシーに乗り込んでしばらくしたとき、突然、しみじみとした口調で言った。タクシードライバーは、突然の無茶振りに、
「そうですよねー」
と、相槌を打つのが精一杯だった。
「最近、両親が離婚したんです」
「そりゃあ、大変でしたね。できれば、離婚しない方がいいんでしょうけれども」
女は、続けた。
「母親が、姑との関係がうまく行かなくて。私、小さいころから何度も母親に連れられて、無理心中しそうになったことがあるんです。でも、その度に、私が止めて」
「彼女が止めたんですか」
「お兄ちゃんがいるんだけど、全然、役に立たなくて。それに、父親も……」
「そうですか……」
「父親も、ぜんぜん役に立たないくせに、暴力がひどくて。最後は私も、“これじゃあ、離婚した方がいい!”って思いましたから」
「そうですか。やっぱり、男は優しいのに、かぎりますよね」
「よく、“生まれ変わっても、一緒になりたい”って言うじゃないですか。そんなのは嘘ですよね。“永遠の愛”なんて、私、“ない!”と思います」
彼女のその一言に、それまで適当に相槌を打っていたタクシー・ドライバーが、断言するように言った。
「私は、“ある”と思います」
「そうですか?」
タクシー・ドライバーの一言で、彼女のわけのわからない心の緊張が解けていくのを感じた。
「ウチのカミさんは、昨年、ガンで亡くなったんですけど。私は、生まれ変わっても、やっぱりカミさんと、一緒になりたいと思ってますからね」
「運転手さんは、奥さんに惚れてたんですね」
「まあ、そうですね。でも、死なれちゃってはね。カミさんが生きていればこそ、綺麗なものは綺麗に思えるし、美味しい物は美味しく思える。でも、カミさんが死んじゃった今は、私にとっては綺麗も美味しいも、なんの意味も持たないですよ」
「そうですか、素敵ですね。私、最近、彼氏と別れて。その彼って、優しかったのは最初だけで。やっぱり、暴力がだんだんひどくなって」
「男は、優しいのに限りますよ」
「運転手さんみたいな人が、いい!」
「ありがとうございます」
程なくして、目的地についた。彼女が降りるとき、タクシー・ドライバーに最高の笑顔を残して行った。