紙の警告
とうとうこの日が来てしまった……。
N博士は苦悶の表情を浮かべ、窓の外を見つめた。
20XX年。人類が滅亡したのだ。
いや、正確に言うと、まだ滅亡はしていない。世界じゅうに……すでに1000人を切っているが……まだ少なからず人々が生き残っている。しかし、絶滅は時間の問題だと思われた。博士の計算だと、今年じゅうには、この地球上から人類は完全に姿を消すことになっていた。
なぜこんなことになってしまったのか?
環境破壊、戦争、飢饉、疫病、食糧問題、エネルギー問題……原因をあげればきりがないだろう。
もしあの時、海にゴミを捨てるのをやめていたら。
もしあの時、A国とB国が仲直りし、戦争をやめていたら。
もしあの時、高層ビルではなく野菜や果物を作っていたら。
もしあの時……。
もしあの時……。
博士は深いため息をついた。今や何もかも、あとのまつりである。全てが後手後手に回り、人類は迎えるべくしてこの日を迎えたのだ。
しかし、しかしだ。
N博士は固くペンを握りしめ、インクの滲む羊皮紙に視線を戻した。
たとえ最後の人類になろうとも、このまま倒れたままで終わるつもりはない。
伝えるのだ。人類が滅んだ後、再び地球を闊歩する、次の知的生命体に。
全てを伝えるのだ。書き記すのだ。人類はなぜ失敗したのか。負の歴史、滅亡の要因、回避すべき危険……それだけじゃない。悪いことばかりじゃない。人間にはこれまで積み上げて来た叡知がある。科学技術の全てを。文化芸術の全てを。輝かしい歴史の全てを。
それでN博士は、残り少ない人生を、未来への手紙を書くことに当てていたのだった。
次こそは、簡単に滅んだりしませんように。
博士が書いていたのは、未来への警告、そして良きアドバイスだった。もしこの手紙を次の知的生命体が解読できれば、きっと素晴らしい財産、善き道しるべになるだろう。博士はそれが、最後の最後まで生き残った、自分の使命だと思っていた。
人類が滅んだ後、地球を支配するのは果たしてどんな生命体だろうか?
猿だろうか? イルカだろうか? それとも、ナメクジだろうか?
イルカ語やナメクジ語は分からないが……しかしこの手紙は、大変役に立つはずだ。大半の書物や電子機器は……ほとんどが破壊されてしまったが……まだ少し、世界じゅうに散らばって残されている。それを解読さえすれば、どんな奇怪な種族にとっても、大いなる遺産になるはずだ。
まだまだ書き足りない。
歴史は膨大だ。二十枚目の羊皮紙を埋め尽くして、博士は目をこすった。窓の外は真っ暗だった。このところ、外は荒れに荒れていて、昼か夜かの判別もつかないほどだ。あれも、これも、伝えなきゃいけないことは山ほどあるが……博士はいつの間にか、ペンを握りしめたまま眠ってしまった。そして何度目かのハリケーンが近くを通り過ぎて、博士は眠ったまま、とうとう帰らぬ人となってしまった。
それから数時間後、最後の人間が生き絶えて、とうとう人類は滅亡した。
……やがて人類に変わって、次の知的生命体が現れた。それは、猿でもイルカでもナメクジでもなく、ロボットだった。人工知能……AIと、金属の体を纏った機械だった。機械たちは工場を立て、自分たちのコピーを複製し、爆発的に地球上に繁殖していった。
だが残念なことに、地球の新たなる支配者……機械生命体には、紙に文字を書くと言う文化がなかった。彼らはインターネットを介し、Wi-Fi通信でコミュニケーションを取っていたのだ。N博士が、人生をかけて綴った未来への手紙は、貴重な人類史は、特に機械たちの興味を示すことなく、ゴミと一緒に燃やされてしまった。
だって、今さら紙だなんて!
ネットには何でもあるじゃないか。ネットにこそ真実があり、現実は嘘で溢れている。それで、機械たちは”紙の警告”を無視し、かつての人類と同じように、自分たちのためだけに自然を破壊し、戦争を映画やドラマか何かのように楽しみ、資源を貪り尽くすだけ貪って、そして最期あっけなく滅んだのだった。




