即位30年記念式典 9日目 ~夜明けの攻防~
【 前回までのあらすじ 】
王女様の近衛兵として働き始めたエドヴァルドは、王女様との稽古の中で、王女様を守ることを決意する。しかし、決意したその日に何者かが王宮に攻めてきた。王女と共に王宮から逃げようとするも、北門に待ち構えていたラースに拘束されてしまう。
時間の経過が分からない。
窓もなく空の様子も分からない。耳を澄ませても外から音は漏れ聞こえない。おそらくはまもなく夜が明けるくらいだろう。眠れていない、眠れない。
少しだけ、外の様子が騒がしく感じた。波がよせるように、徐々に大きくなってくる。雑音から、喧騒へ、ハッキリと人が争う音と認識できた頃、足音も近づいてきた。
何かが起きている。
王女様も感じ取ったのか、エナと小声で話すのが聞こえる。こちらに向かっている足音が大きくなる。誰だ、ウルリクか、その部下か?その疑問の答えはすぐに出た。小柄だが、がっしりとした、子供の頃から見慣れた顔。
「ハンス!」
「エド!無事か!」
「ハンス、お前__」
「話は後だ!今助ける!」
裏切られたわけじゃなかったのか?とすれば…
「ハンス!王女様が2つ隣!先に!」
「分かった!」
ハンスはオレの牢の鍵を開けると、王女様を助けに向かった。ハンス、ちょっとでも疑ってすまん。
「あなた!どこの手のものですか!エミーリエ王女様から離れなさい!」
ハンスとエミーリエ王女の前に行くと、エナが侮蔑の目を向け、大声を上げた。信頼はしてもらえていないらしいが、今はそんな暇はない。
「エミーリエ王女様、私はハンスと申します。説明は後ほど。海辺に隠れ家を用意しました。急ぎそちらに向かいましょう。」
エミーリエ王女がちらりとこちらを見た。
「大丈夫です、コイツはオレの同僚のハンスです。」
「そうですか、では、ハンス。お願いします。」
『王女様!そんなに簡単に…』とエナは、まだブツブツ言っていたが、他に選択肢もなく、王女様について逃げることになった。
◇◇◇◇◇
エミーリエ王女、エナ、ハンス、そしてオレの4人は、拘置されていた建物を抜け、海辺に向かって走り出した。
街中は騒然としていた。王宮に向かう兵士たち。海に向かって逃げる商人たち。時折聞こえる剣戟の音。そして時折見かける血にまみれ無残に力尽きた兵士…
走りながら、ハンスに状況を聞いた。ギオルグ第2王子が、自身の親衛隊を使って王宮を攻略、国王陛下とエミーリエ王女を拘束した。その後、ユリウス王子が残った兵を束ね、現在交戦中だそうだ。ハンスは王女様を助けるため、オレがいる牢に来たらしい。単独で来たのは、大勢で来るより一人の方が目立たず助けやすいという理由だった。いや、ちょっと待て、ハンスが王女様を助けに来たということは…?
「そうすると、ハンス、お前__」
「あぁ、俺は第3王子派、ユリウス王子に仕えている。」
あっ、そうだったのか…いや、それより聞くことが、、
「妹は、カーナは?」
「大丈夫、安全な場所にいる。」
「ありがとう。良かった、、本当に。」
「ついでに、国王陛下には別の仲間が向かっている。」
国王陛下は、正直オレにはどちらでもよかった。どちらかというとエミーリエ王女様に説明したのかもしれない。
北門から広場に向かう大通りを避け、狭いわき道を走る。『まったく、今日は走らされてばかりです』と愚痴るエナは無視した。
「エド!止まれ!」
ハンスの言葉に全員が立ち止まった。わき道から少しだけ開けた場所。2人の子分を連れた長身の男はそこにいた。昨晩も、いや数日前から嫌になるほど見た顔、今一番会いたくない顔。やはり表情を変えずに、こちらをやれやれと見おろした。
「またか…エドヴァルド、会いたくは、なかった、、、が今は少し、時間がない。」
子分の一人、いつもオレのところに伝言しに来ていた青年に、ラースは『やれ』とばかり無言で手を差し向けた。
「王女様!」
エナの声が響く。『しまった』と思う間もなく、青年はエミーリエ王女にナイフを突き出した。
上段蹴り。
直後、ナイフが下から下袈裟がけに飛ぶ。
王女は半身で避けるが、相手もナイフの軌道を読みづらくしている。
青年の右手を突くようにナイフを差し出す。王女は手首をつかむと同時に、脛に蹴りが入る。と思った瞬間、青年は肩を掴まれ、地面に組み伏せられた。
ものの数十秒。助けに入る暇もなかった。青年の顔を見るに、恐らく肩を抜かれている。
「しかた、、ない、オレが、やる。」
ラースがこちらに向き合った。王女様を隠すように、オレが前に立つ。今度は、今度こそはオレがやる。
オレは長剣を抜き、ラースに向き合った。それに合わせて、ラースは右手に持っていたファルシオンを両手に持ち替え、正眼の構えを取る。間合いは二人ともまだ届かず、しかし、ジリジリと互いに近づいていった。
踏込み一歩分。
スキを見せれば互いに踏み込める位置。しかし、スキはみえない。全身が硬直する。ジリジリと刹那の時間が長尺に感じる緊張感。
ラースの切っ先が少し下がる。
隙だ!
瞬間。
ファルシオンの摺りあげ。
オレの剣は跳ね上げられた。
次の間に、半身で避けたオレがいた位置に、ラースの剣が振り下ろされた。
「エドヴァルド!」
「エド!」
前腕伸筋群から一筋の血が流れた。
「くっ!」
「惜しかった、な。」
何とか剣を飛ばされずにすんだのは、浅指屈筋と長母指屈筋のおかげだ。ありがとう、マイフレンド。
オレは再び間合いをとった。それにしても危なかった。固い。動きが鈍い。筋肉!どうしたんだ?!…そうか、そうだったのか…みんな、そうみんななのだ!
オレは目に見える仲間にばかり声をかけてきた。オレはもっと陰ながら支えてくれている君たちに、注目すべきだったのではないか?すまなかった。オレの身体の奥で働く深層筋たちよ!!深呼吸を一つ。無駄な力が抜けた。頼むぞ、みんな。
ラースの顔色は全く変わらない。相変わらず表情が読めない。だが、もう怖くはない。オレには……守らなければならないものがあるんだ!
「今度は、攻める、ぞ。」
ラースの剣撃が飛ぶ。
右、左、上下。
だがオレは長剣で柔らかく受け流す。
剣の強度はこちらに分がある。
ラースが間合いを取る。
となれば来る。
突き。
突きを巻きかえしで返す。
ラースが体勢を崩したところに、打ち込んだ。
ラースは最後に顔を苦痛に歪め、こちらを睨んでいた。初めて見た本当の感情かもしれない。
「、、、ウルリク様が、、、天下を、、、」
そのままラースは息絶えた。
◇◇◇◇◇
青年を置いて逃げ出した子分は追わず、オレたちは広場を抜け、海に向かった。空が徐々に白んでくる。まもなく夜明けだ。
用意している隠れ家は海沿いの家だそうだ。状況に応じて、そこから海に逃げ出すことも想定しているとのこと。突然のクーデーターにしていは、ずいぶんと用意周到にも思える。しかし、それは今はいい。とにかく王女様を安全な場所に。そう思い、オレたちは足を進めた。エナが少し遅れがちになっている。そろそろ限界かもしれない。『もうすぐだ』というハンスの言葉を信じよう。
前からの朝日に目を覆った。夜明けだ。目の前には海が広がっている。いつものように穏やかな波。しかし何かが違う。なんだ、なんだろう、この違和感は。
「…はっ、は、はぁれ…」
すでに息を切らして、何を言っているのか分からないエナが、海の先、朝日が昇る先を指さした。朝日を背に何かがこちらに向かってくる。間違いなく船ではあるが、、、あの船は。輸送船?いや、にしては、動きが速い。あれは、櫂船だ。しかも、二段櫂船。少なくとも、この国の船ではない。遠くて数は分からないが、横陣で向かってくる。ということは、どうみても友好的には見えない。
ふと隣をみると、ハンスが頭を抱えて呆然としていた。
「どうした!ハンス!あれは何だ!どこの船だ!」
「…あれは、あれは、北の軍船だ。」
「北?というとヴィヴォルク王国ですか?なぜ?」
ハンスの答えに更に問うてきたのは、エミーリエ王女だった。しかし、言葉を続けたハンスの言葉は、独り言のようだった。
「混乱に乗じて攻めてきやがった…もっと遅いはずだったのに…」
オレたち4人は立ち尽くし、呆然と海を眺め続けていた。