何かご用命でしょうか、お客さま?~三原則はメイドの誓い~
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「ああ、畜生、何で、何でこんな事に……!」
──鬱蒼とした夜の森に響く、混乱し、怯えきった、情けない声。
戦場でさんざん聞いてきた、哀れで惨めな犠牲者の声だ。その声を今、自分自身があげている。
「誰か、誰か応答してくれ!」
何度呼び掛けても、通信機から聞こえるのは砂嵐のようなノイズのみ。共にこの星に降り立った五名の仲間の誰からも応答はない。聞こえるのはざわざわという葉ずれの音と、自分の呼吸音ばかり。
「まさか、全員やられちまったってのか……?」
絶縁スーツの下の肌は冷たい汗にまみれ。
食いしばろうとする歯はこらえきれずにガチガチと鳴る。
畜生、息が苦しい。心臓が痛い。それでも、足を止めるわけにはいかない。奴に追い付かれる訳には……!
──侵略に障害はないはずだった。
辺境で見つかった、豊かな水と生命にあふれた美しい惑星。
酸素と水素を簡単に取り出せる『水』は、宇宙において恐ろしく貴重な資源だ。重力の低い星では簡単に気化してしまい、通常ならば硬い岩盤の下に眠る氷を苦労して採掘しなければ入手できない。
それがここでは、安定した液体の状態で大量に存在する。
環境や生命層も非常に豊か。二酸化炭素濃度こそやや高めだが、様々な利用価値が見込める、まさに宝の山だと喜んでいたのに。
『畜生、こんなはずじゃ……!』
ドローンを介して行った事前調査によれば、『人間』と呼ばれる現地の知的生命体は、恒星間航行技術にさえ手が届いていないような未開種族で、肉体的にも脆弱そのもの。
何より好都合だったのは、ドロイドのような機械化兵力──この星でいうところのロボット工学技術の戦力化が、まったく進んでいなかったことだ。
信じられないことに、この文明のロボット工学は、【三原則】と呼ばれる非常に厳しい制限によって、兵器転用を完全に封じられているのだという。
いわく、
第一条
ロボットは人間に危害を加えてはならない。
また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条
ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。
ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条
ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、
自己をまもらなければならない。
これを聞いた時には、なんともぬるい連中だ、と呆れたものだ。
だが事実、ロボットたちはデータ処理や生産労働、危険環境での作業などに従事するばかりで、軍事利用されている形跡は全く見られなかった。
この星の「人間」の身体機能や反射速度で操縦・操作される程度の兵器であれば、恐れる必要はない。
反射速度や動作精度にまさり、何より使い捨てが効くドロイド部隊を大量に送り込めば侵略は容易、そう思われたのだ。
今回の降下にしても、本格的な侵攻前の先行偵察として『人間』の生体サンプルを何体か捕獲するのが主な目的。危険は無いはずだった。
秘密裏に事がすめばよし、たとえ発見されたとしても力押しでどうとでもなる。
そのはずだったのに……!
『くそッ、誰か居ないのか! 返事してくれッ!』
『──何かご用命でしょうか、お客さま?』
涼やかな声が耳元で響き。ぞわっと全身の血の気が引いた。
瞬時にその場から飛び離れて距離を取りつつ、声の方向に光線銃を振り向ける。
そこに佇んでいたのは、絶対に目にしたくなかった、化け物の姿。
黒と白の二色を基調にした、ひらひらした縁取りのついた衣服を身にまとい。背中まで伸びる銀髪には、これも精緻な装飾の施された髪留めを装着している。
ドローンによる言語・文化の調査報告書の中に記載があったその装束は、現地文明の従者階級職──たしか【メイド】と呼ばれていた──の制服を模したもののはずだ。
ほっそりとした外見は原生知的生命体の雌性個体のものにしか見えないが、この化け物がただの「人間」である訳がない。
『何だ、一体なんなんだテメェはよおッ!』
『何なんだ……と言われましても、お客さま。この通り、どこからどうみても──』
服の布地を両手の指でつまみ、くるりとその場で舞踏のようにターンして、大仰な仕草で深々と頭を下げる。
『──ただのメイドでございます』
『ふざけんなアァッ!!』
スーツにつけられた自動翻訳機は、先程からほとんどタイムラグなしに互いの音声を相手の言語に変換している。俺の言葉も瞬時に現地の言葉に翻訳された。くそッ、高性能すぎて、恐怖に震えた声音まで再現してやがる。
『メイドだかなんだか知らねえが、「人間」の雌性個体が、荷電粒子砲をバリアーで弾いたり、戦闘用ドロイドをバラバラに引き裂いたり出来るわけねえだろが! テメェ、『人間』じゃなく、ロボットだな!』
『はい、左様でございます』
あっさり返ってきた肯定の言葉に動揺はない。
当然だ、ロボットに動揺などあるはずがない。
この、華奢とさえ言える体躯の化け物一体に、実戦慣れした仲間たちと、念のためにと連れてきた八体のドロイドすべてが潰滅させられたのだ。
斥候役の赤目のゲプラ星人から、生体サンプルに手頃そうな雌性個体と幼生体の二体連れを発見し、捕獲作業に入ると連絡があって十数秒後。
爆発音とともにぶつりと連絡が途絶えた。
すぐさま現場に急行したが、あとに残っていたのは赤目の斥候が率いていた二体のドロイドの焼けただれた残骸と、残骸とさえ呼べぬほどに細切れにされた赤目の姿のみ。
次に犠牲になったのは巨岩族のサイボーグだった。
こいつの襲撃から俺たち他のメンバーを逃がすため、三体のドロイドとともに火器を乱射しながら時間稼ぎを買って出て──激しい戦闘の末に華々しく散ったのだ。
……そしてこいつは、巨岩族の遺した通信機の向こうから、冷え冷えとした声で俺たちに話しかけてきた。
『ようこそおいでくださいました、招かれざるお客さま方。──お客さま方ですよね? お坊っちゃまを拐かし、害を加えようとなさったのは』
機械音声とは思えぬほどに滑らかで流暢な発声。ノイズ混じりの通信機と翻訳機を通してなお、その声は俺たち全員の耳にはっきりと届いた。
『お坊っちゃまには既に安全な場所にお移りいただきましたが……主人に手を出されて、そのままお帰りいただく訳にはまいりません。忠実なるメイドとして──お客さま方には、その身をもって贖っていただきます』
指揮官の甲殻人は即時撤退を決めた。だが、転送装置で母船に引き上げてもらうためには、一定時間同じ位置からビーコンを送信し続けるか──この手段は全員一致で却下された──最初に降り立った転送地点まで戻る必要がある。
転送地点を目指しての、絶望的な撤退戦。
すぐ前方にそびえる丘の頂上までの距離が、あまりにも遠かった。
残りのドロイドを囮や捨て石に使いつつ、必死で逃げ延びようとする俺たちだったが、闇夜の襲撃が繰り返されるたびに仲間は散り散りに分断され、繋がらない通信機がひとつまたひとつと増えていく。
どうやらここまで生き延びていたのは俺だけだったようだが……結局、追い付かれてしまったか。
『──申し遅れました。わたくしの正式名称は、FMS・EX系ロボティノイド、『マリア』と申します。短いお付き合いになるかとは存じますが、どうぞマリアとお呼びくださいませ』
ああ、やはりこいつには、俺を生かすつもりがない。
どうやら俺は今日、ここで死ぬ。
だが、俺にはどうしても納得できないことがあった。
この惑星のロボットは、兵器への転用を禁じられていたはずだ。なのになぜ……
『なあ、お前、マリアとかいったな。……軍用ロボットが、何でそんな格好してる? なんで家事ロボット、いや、メイドロボットか……の偽装なんかしてるんだ?』
ロボットはきょとん、と首をかしげた。
妙に生き物くさい……この場合は『人間くさい』仕草だった。
『──わたくしはあくまでメイドロボットで、軍用兵器ではございませんが?』
『……は?』
思わず間抜けな声が漏れた。
何を言っているんだこいつは。
『んな訳あるかッ! メイドとやらの仕事に、ドロイドを吹き飛ばす威力のミサイルやらバリアーやら単分子チェーンソーやら、どう考えても要らねえだろ! なんだその過剰戦力! それで堂々と非軍事用の家事ロボットでございますとか、テメェの開発者は、いったい何考えてやがんだ!』
こんな殲滅兵器、本星の正規軍にだって配備されちゃいまい。
『わたくしの開発者であり、前のご主人さまであり、お坊っちゃまの父親でいらっしゃったアキバ博士は……ロボット工学の天才であると同時に、たぐいまれなる「メイド萌え」でございました』
『……今なんて?』
言ってることがさっぱりわからない。いや、翻訳機はきちんと作動しているのだが、言ってる意味がかけらも理解できない。
『そのアキバ博士のこだわりだったのです。「メイドや執事が弱くていいはずがない。むしろ誰よりも強くなければ、一流のメイドや執事たりえない」ということが』
『いやいやいやいや! ロボット三原則はどうした! この星のロボットは人間を傷つけられないはずだろう! なんで殺戮兵器をぶっぱなせる!』
『実際に人間を傷つけるのでない限り、武器や兵器を持っていること、使用すること自体は三原則違反になりません』
『……あ』
確かにそうだ。第一条は、武器や兵器で人間を傷つけることは禁止していても、武器や兵器の所持や使用を制限している訳ではない。
『博士はおっしゃいました。一流のメイドたるもの、主人の身は何を置いても守り抜かねばならぬ。主人の要望には完璧に応えねばならぬ。主人にどこまでも従い、永遠に寄り添い続けなくてはならぬと。この教えは、三原則に、完璧に合致いたしております。そしてこうおっしゃったのです──強くなければメイドではない。強くなければメイドを名乗る資格がない。つまり力こそぱぅわーであると!』
『いやおかしいおかしいおかしい!』
ぶんぶんと蝕腕を振る。いくらなんでも無茶苦茶だ。
『わたくしの陽電子頭脳はこの上なく完璧に作動しております。そして三原則と、メイドとしての魂が叫んでいるのです──人間の──ご主人さまの危険を看過してはならぬと』
化け物ロボットの指先から、細く長い爪が伸びる。かすかに虫の羽音のような唸りが聞こえるのは、たぶん高周波ブレードか何かなのだろう。
雲間から差し込む衛星の光の下。
ロボットの腕が振りあげられる。
『くっ……たばれクソがぁッ!!』
その瞬間、俺はこれまで体内に収納していた蝕腕を、スーツの背面にある着脱用の隙間から飛び出させた。
片手を振りかぶった姿勢の化け物の至近距離まで蝕腕を伸ばし、隠し持っていた大口径の火薬式単発銃をぶっぱなす。
目の前に雷でも落ちたような轟音が響き渡り、凄まじい反動と自壊した単発銃の爆発で、蝕腕の先端がちぎれ飛ぶ激痛。
『ハアッ……ハァッ……! ……やったか?』
蝕腕は数ヶ月かければ再生が可能とはいえ、こんな事態でもなければ絶対使いたくなかった奥の手だ。
音速の数倍の初速で発射される大口径弾は、威力だけなら光線銃を遥かに凌駕する。至近距離での質量弾の攻撃はバリアーでは防げない。
命中精度をブラックホールに捨ててきたようなガラクタ銃のその威力は、まともに当たりさえすればギガオン級パワードスーツの装甲さえ二体まとめて紙のようにぶち抜く代物だ。
これなら、さすがにあの化け物メイドでも……!
だが、けむる視界の前方、硝煙と砂煙の向こうから、何もなかったかのようにその場に佇む無傷の奴の姿が現れた。驚愕に頭が真っ白になる。
複眼の視界に多重に映ったその全身が、奇妙にブレた。
そして、囁きかけるような奴の声が、背後から響く。
『残念ながらお客さま。残像……的なホログラムでございます。──ああ、ちなみに、衛星軌道上のお仲間の船は、既に補足済みでございます。皆さま、すぐにお客さまの後を追っていただきますので……どうぞごきげんよう』
最期の瞬間に、痛みはなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……あれ。ぼく、いつのまに寝ちゃってたんだろ?」
メイド服の背中で、7~8歳くらいの少年が目を開けた。
柔らかい巻き毛と、すべすべとした柔らかそうな頬。黒目がちの大きな瞳が印象的で、将来はかなりの美青年に成長することが期待できそうだ。
「んー、えーと、たしか、僕、まっくろな、赤目のかげにおそわれて……」
「……悪い夢でもご覧になったようでございますね。ですが、マリアがこうしてお側に控えております。どうぞご安心くださいませ」
「んー……まあ、いっか! マリアがいっしょなら、何もこわくないもんね!」
あやすような優しい声に笑顔を向け、少年はメイドロボの絹糸のような銀髪に鼻先を埋めるようにぎゅっとしがみつく。
「……お坊っちゃま。お目覚めになられたのでしたら、どうぞ空をご覧ください。なかなかに素敵なものがご覧になれますよ」
「え、なになに? ……わ! ふわぁ……!!」
夜空を見上げた少年の目に映ったのは、信じられないほど大量の流星雨だった。
「スゴいスゴい! ねえマリア、スゴいよ! 見て見て! きれいだねえ!」
「……ええ、わたくしに美しさを感じる機能は搭載されておりませんが、お坊っちゃまとこうしていると、陽電子回路の働きが通常時と比較して十二%ほどスムーズになる感覚がございます」
「んー……マリアの言うことって、ときどきよくわかんないや」
「申し訳ございません」
月を背景にしてなお、降り注ぐ無数のきらめきがはっきり見える流星雨の下。
細身の影と小さな影が、ひとつの塊となって静かに森の中を歩く。
今世紀最大の天才ロボット工学者、アキバ博士の忘れ形見である少年と、博士のこだわりの結晶であるメイド型ロボット、マリア。
少年の母親は彼を産む際に亡くなっており、博士の亡くなった後は、マリアが少年にとっての唯一の【家族】である。
博士の死後、『二人』は世間から身を隠し、博士の遺した屋敷でひっそりと姉弟のように暮らしていた。
(……それにしても、まさか宇宙人の侵略が本当に起こるとは。確率ゼロでない限り、可能性はあるものです。戦闘力のさらなる充実が必要ですね)
陽電子頭脳の余剰領域を利用して『思考』しながら、マリアは背中でうとうとと船をこぎ始めた小さな主人を起こさないよう、ゆっくりと家路を進んだ。
歩みと並行して、これまで何千回と繰り返してきた、未来に向けての演算を再開する。
この国での成人年齢は十八歳。
現在のところ、少年はマリアにとって、あくまで【仮の所有者】であり、成人して初めて正式なマリアの主人となることが出来る。その日の訪れを、マリアは待ち望んでいた。
人間に仕えるために産み出された存在として、その身に備わった機能の全てを、主のために十全に振るいたい。
それはロボットの本能と言うべき欲求である。
(お坊っちゃまは……十八歳になり、マリアの正式なご主人さまとなられた時、わたくしの『本来の使用方』を試してくださるのでしょうか)
それについて演算すると、マリアの陽電子頭脳のシナプスはパチパチと弾けるように電子振動を加速させ、胸のコアはわずかに回転を速めて加熱する。それがマリアにとっては心地良い。
少年はその頃、どんな青年に成長しているのだろう。
背中に負った少年の重みを、心地良い荷重に感じながら、FMS・EX系──女性型セクサロイド系ロボティノイド『マリア』は、将来をさまざまに演算し続けていた。
FIN.