This is showtime
「面白いな」
エルンスト=ファスビンダーがそう呟いた瞬間、目の前のソファに鎮座していた脚本家は安堵と高揚の色を明らかにした。
「ロスト化の事件は軍隊ではなくむしろ大衆が抱える問題だ、だから今度はトワイライトという存在を主役に持ってきた演目をやる。そうすることで人間同士で危害を加え合っているこの問題の真核を、身近なものとして人々に捉えてほしいんだ」
「そしてその上演を俺に頼んできたわけか」
「そうだ。あんたは有名だし、劇場はいつも賑わっている。俺はあんたはソレイユで一番の興行師だと認めてる。このオペラに賭けてるんだ。だからあんたの力を借りたい」
熱心な語り口でそうまくし立てる脚本家の男を、エルンストは含みのある目つきで愉快そうに見ていた。
「...だろうな」
「やってくれるか?」
脚本家の熱意を込めた眼差しに、彼はにやりとした表情をもって応えた。
「ああ。乗ったぞ」
その言葉に脚本家は目を輝かせた。エルンストはつらつらと言った。
「だが一週間くれ、台本を練り直して返す。劇場の設備とお客のためにな。滅茶苦茶に面白いものにするさ」
「ああ、任せたよ」
「それじゃ来週、また来い」
「ああ。じゃあーーー」
脚本家は生き生きと外套を取り、去り際の扉の前で言い残した。
「頼むぞ、ファスビンダーさん」
「心配するな。誰が相手だと思ってる」
口角を片方だけ上げた、歪んだ笑みが不敵な印象の尾を引く。なにか人間ではないものを相手にしているような、強く、美しく、気味の知れない絶対的な姿を残してエルンストは脚本家を閉め出した。
「......さあ、仕事だな」
エルンスト=ファスビンダーは再び台本の束に目を落とし、深く溜息を吐いた。
「どうにかしてこいつを面白くしないとな......」
そう呟いたが早いか、まるでそれが答えであるかのようにもう一度溜息が出る。ずいぶん景気も悪いもんだ、と、エルンストは片手に煙管を取って煙を吸い込み、吐き出した。苦痛を感じているほどではない。だが、気の進まないことには少々気を紛らわす物事を加えておかなければ気が違いそうになるのだ。
脚本家が寄越してきたオペラは一目見てわかるほど堅苦しい言葉で説教くさい内容を繋げた台本だった。
歌詞には韻もセンスもなく、伏線のない単調な展開に、まとまりはありつつインパクトはまるでない結末と来ている。見たところで一つの得にもならないだろう。こいつの書く歌を劇場に足を運んでくれた大勢の客に見せる、と思うと頭が痛くなる。
エルンストは眉間に皺が寄りそうなのを止めるために煙管を離した口で呟いた。
「......が、これは受けるぞ」
そう思ったからこそこの台本を劇場に受け入れたのだ。
結局、作品としてもっとも肝要なのは見た人間の心に残ることなのだ。人の心に何か爪痕を残した劇というのは必ず名作と呼ばれるようになる。10年経っても20年経っても上演され続ける作品というのは、そういうものだ。説教くさい主題というものは裏返せば人々に直接的で遠慮のない警告を与える作品になる。それだけ印象に残るものだ。だから、例え内容がどれほどの綺麗事でも、説教作品というのは残りやすいのだ。
この作品が大衆に投げかけるものは多いだろう。人々にとって印象深い作品になるはずだ。
だが、堅苦しいままでは人に見せる作品にはできない。
「さて、どうするか......」
エルンストはやっと煙管を机に置くと、その脇に重ねていた台本の束を取ってめくり始めた。
頭に飛び込むうるさい作品。あとは観衆の心を弾けばエンターテイメントの完成だ。
せっかく使えそうな台本なのだ。利用できるだけ利用して、また一山当ててやろう。
恐ろしい事件、ロマンス、英雄譚、受けるものならばなんでもいい。民衆はその全てを娯楽として受け取っているものだ。面白いものならば人は何でも見られる。たとえ今がロストという脅威にさらされた状況で、沈んだ街に在るとしても、それは大衆にとっては悲劇のみならず好奇心を引くものでもある。
そう、事件や悲劇も人々を惹きつける商売道具なのだ。そしてそういったものを上手く利用して人々に娯楽を提供するのが自分のすべきことだ。
それこそ民衆を騒がせ、大衆の中にある問題でもあるトワイライトなど人に見せる作品としては最高の題材だ。こう考えるのが正しいとか、不躾で間違った考え方だとか、そんなことはどうでも良い。ショーというのはそういうものだ。面白ければ何でもありなのだ。それを悪どいという方がたわけている。トワイライトであろうがロストであろうが、観衆に受ければ何だっていい。
だから、とエルンストはほくそ笑んだ。
自分はこの台本と、トワイライトという最高の素材を使って人々を喜ばせるエンターテイメントを作ってやろう。これはショーだ。題材が不躾だろうが滅茶苦茶な理論だろうが、結局、観衆が楽しめればそれで良いのだ。とんでもなく楽しいものを作ってやろう。
上手い題材で琴線に触れるものを作ることが全てなのだから。
ショータイムというのはそういうものだ。
......とはいえ、どう融通したものか。
客のために作品を面白くするのが役目なのだ。面白く見られるようにしなければならない。何を詰め込んだものか、と考えて台本をめくり、すぐに答えを出して気の覚めやらぬうちに階上へ呼びかけた。
「ガブリエーレ!」
と、すぐに階段の手すりからもう一人の住人が身を乗り出す。
「あぁ、いたか。この台本、オペラなんだが」
降りてきた弱冠18歳の歌い手に、ほら、と束を手渡す。その中から一節を指して、
「ここ、今やってもらっていいか。楽譜はこれだ」
「イメージは?」
「小鳥だな。空は飛んでない、枝に止まって歌う鳥だ」
「わかったわ!」
聞き出すが早いか、早く歌わせろとばかりに急いた返答をするガブリエーレに、腕を軽く下ろして歌い始めの指示を出す。ーーー曲は悪くない。聴きやすい。
「パパ」
「何だ」
唐突に歌うのを止めたガブリエーレを怪訝な目で見ると、さらりと彼女は言った。
「小鳥なら、こことここを三音上げてもいいかしら」
そう言って何の気なしに軽やかな高音を跳ね上げてみせる。エルンストはすっと目を細めた。
「やってみろよ」
同じところから行くぞ、と合図して腕を下ろすと、その時、旋律は一瞬にして見違えるように新たな生命を吹き込まれた。まったく趣が異なるメロディにも関わらず、先程よりしっくり腑に落ちる音楽になっている。
エルンストは笑った。最高に楽しかった。本当にこいつは最高の奴だと思う。こういうことがあるせいで、エンターテイメントというのはやめられないのだ。
「いいな。いただきだ」
「やったぁ」
無邪気に、単純に嬉しそうな笑顔を浮かべるガブリエーレを見てエルンストはにやりとした。
こいつもいるし、舞台という娯楽をとことん突き詰めてみるのも面白い。とことん向き合って、楽しんで、どうせならば傑作を作ってやろう。それを一緒に楽しんでくれる客やお代や名誉を与えてくれる客がいでもすれば最高じゃないか。
ショータイムというのはそういうものだ。
高尚ではないし有難いものでもない。理屈だって滅茶苦茶だ。筋の通った格好の良さなどなく、軽々しい企みが混ざっている。だが最高に煌びやかで、やめられない。
そういうことを、自分はやっているのだ。
人が恐れるトワイライトやロストだろうが、ショーを作る楽しさには勝てない。
「ガブリエーレ」
「なに?」
「楽しくなりそうだ」
楽譜を取り上げてニッと笑うと、ガブリエーレも「そうね」と楽しげに返し、あはは、と笑った。
飛ぶように流れる時間が惜しいが、今日はまだまだ終わらない。楽しみはまだ続く。エルンストは無数の案を捻り出しながら、楽譜と台本の束をめくっていった。