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転生王女にド定番ロマンスは難しい  作者: 冬至 春化
2 皇帝陛下のおともだち
8/38

3 暮らしては


 ロズウィミア嬢に先導されて外へ向かおうと会場を横切る最中、背後から足音がした。明らかに私たちに近寄ってきている気配に、私はすぐさま振り返る。

 二人の令嬢が連れ立って、私たちの元まで早足で追いついた。半歩ほど前に出ている方の令嬢が「ロズウィミア様、」と呼びかけると、ようやくロズウィミア嬢が振り返る。

「サーラ、メイア……。どうしたの?」

 驚いたように眉を上げて、ロズウィミア嬢が足を止める。どうしたも何もないだろう、と私も不思議そうな顔をしつつ内心呟くが、三人ともわざわざ作った私の表情を気にした様子はない。

「ロズウィミア様、私たちもご一緒します」

「サーラ、そんなこと、」

 ロズウィミア嬢の言葉から察するに、この二人の令嬢のうち、前に立っていて気の強そうな方がサーラで、少し下がったところで静かにしている方がメイアらしい。要するにロズウィミア嬢の取り巻きってところだろう。前にお城の庭園でロズウィミア嬢に注意されたとき、後ろにいた人達だ。

「……私は別に、あなたたちについてきて欲しいだなんて、頼んでいないわ」

 ロズウィミア嬢は困ったように眦を下げ、そんな彼女に対して、サーラは胸の前で拳を握って、ふるふると首を横に振る。

「私たちがロズウィミア様をお守りしたい、ただその一心のことですわ」

 なんだなんだ、私は危険人物か何かだと思われているのか? 別にロズウィミア嬢に危害なんか加えたりしないわよ、と、私は思わず膨れてむっつりとサーラを見た。大体ロズウィミア嬢本人が遠回しに『来なくていい』って言ってるのに、図々しい取り巻きよねぇ……。


 結局ロズウィミア嬢が押し負けた。サーラも別に悪意があって言っている訳ではなく、心からロズウィミア嬢を慕っているからこその行動のようだから、なおさら断りづらいのだろう。

 かくして人数を倍にした私たち一行は、ぞろぞろと屋敷の廊下を歩き、離れへ繋がる渡り廊下を半ばまで通ったところで、扉を開いて短い階段を踏み、庭園へと降り立った。


「わあ、すごい!」

 つい数秒前まで気を張り詰めていたのも忘れて、声を上げると庭をぐるりと見回してしまった。

 基本的にお城の庭園も含めて、貴族の屋敷の庭というものは背の低い生垣によって作られた道を歩かせるものが多いけれど、なるほど確かに、モルテ公爵家の庭はそれとは少し趣が異なるようだった。

 中央に植わった大木から広がるように、放射状に花壇が配置されている。この大木というのが、ただの大きい木なんてものではなく、見上げるほどに背が高いうえ、空を覆い隠すように広げた枝葉は厚く、夜空を垣間見せもしないのだ。盛り上がった根元付近の地面は、その力強さを思わせた。

「このように大木を主役にした庭園は、初めて見ました」

 わたしがロズウィミア様を振り返ってそう言うと、彼女は我が意を得たりとばかりに頷いて口を開く。

「元々、この木があるからこそ、屋敷をこの地に建てたのだそうです。とても珍しい木で、大陸のどこを探しても野生のものは絶滅してしまったのだとか」

「……じゃあ、この屋敷で保護しているということですか?」

「はい。この地域では縁起物としての役割も果たす、モルテ公爵領を象徴する神木ですわ」


 妙に生き生きと語っていたロズウィミア嬢は、それからはっと我に返ったように居住まいを正した。私も同じように気を引き締めて背筋を伸ばすと、ロズウィミア嬢に向き直る。

「クィリアルテ様、このようなところまでご同行頂き、本当にありがとうございます」

「ロズウィミア様、それほど丁寧に仰る必要なんてございませんわ!」

 お、さっそく吠えますねぇ……。

「気になさらないで下さい。おかげでとても素晴らしい庭園を見ることが出来ましたわ」

「あなたね、ご自分の身分というものをきちんと理解してはどうなの!? 本来ならロズウィミア様とは口を聞く事すら許されないような地位でありながら、ロズウィミア様の寛容さにつけ込んでそのようにさも対等ででもあるような言い方をなさるのね、お国が知れるわ!」

 ちなみに私のお国は隣国のローレンシアですので恐らく予想もしていないかと思うんですけどねぇ……。

「……そ、それで、こちらまで来て頂いた用事と言いますのはね、」

「ロズウィミア様、気圧されてはいけません!」

 ロズウィミア嬢が気圧されているのはあなたにだと思いますけどねぇ……。

「はい、何でしょう」

「態度に気をつけなさいと何度言わせるおつもり!? あなたの物言いはまるで」


 私とロズウィミア嬢は同時にくるりと振り返り、背後で憤慨しているサーラを見た。

「あの、」と私は呟く。

「少し黙ってて頂いてもよろしいですか」

「ちょっとだけ、静かにしてて欲しいのだけれど……」

 私に言われたことはさして堪えなかったようだが、大好きなロズウィミア様に注意されたことは、その心に深く反省の念を呼び起こしたらしい。目に見えて萎れたサーラはすごすごと引っ込み、もう一人の令嬢の隣に戻ると、すっと大人しくなった。


「それで、お話というのは?」

 私が促すと、ロズウィミア嬢は小さく頷き、真面目な表情をした。

「クィリアルテ様、あなたがどのような経緯で皇帝陛下と婚姻を結ばれたのかは分かりませんが、私にはとても、あなたが皇妃に相応しいとは思えませんわ」

 思いのほか厳しい声音に、私は思わず腹に力を入れて踏ん張る。なんだなんだ、さっきまでもう少し友好的だったのに、なんでいきなり……。

「そのようなことを言われる筋合いはございません」

 妙に責め立てるような口調で言われたものだから、ついつい私も表情を険しくして言い返した。ロズウィミア嬢は、ふ、と鼻を鳴らすことでそれに答え、一度目を伏せる。何かを逡巡しているかのような間が空いた後、彼女は再び瞼を上げ、私を正面から見据えた。

「いいえ、私にはこのことに関して口出しをする義務がありますわ」

「……どのような理由で?」

 ロズウィミア嬢は胸を張った。背筋が伸び、身長が実物より高くなったかのように錯覚する。凛とした、という言葉がよく似合う令嬢だった。

「私は、皇妃となるべく生まれ、皇妃となるべく育てられ、皇妃となるべく生きてきた人間ですわ。私よりパンゲアを担うに相応しい女性は、この国のどこを探しても見つからないと自負しております」

 残念! 隣国にいました! と茶化すことも出来ない雰囲気である。まあどちらにせよバラしちゃ駄目だから出来ないんですけど。

「しかし、結果として皇妃になったのは私です」

 詳しいことは言えないので、仕方なくだいぶ論点のずれた返答をすると、視界の隅でサーラがいきり立つのが見えた。それを手で制しつつ、ロズウィミア嬢は真っ直ぐな目を向ける。

「お言葉ですが、クィリアルテ様。先程申し上げた通り、私はあなたが皇妃たるに相応しい人物だとは思いません。――私が。……私が、皇妃にならねばならない訳があるのです。私にしか出来ないことが、」

 ロズウィミア嬢は、何かが喉につかえたように言葉に詰まり、顔をくしゃりと歪めた。何故か、今にも泣き出しそうな顔だと思った。この状況なら、泣くのは私になりそうなものなのに、どういう訳か、ロズウィミア嬢が喉の奥でしゃくり上げている。


「ロズウィミア様!」

 サーラが駆け寄り、ロズウィミア嬢の肩を抱いた。私は事態が飲み込めずにその場で立ち尽くし、ロズウィミア嬢が落ち着くのを待つ。

 ややあって、落ち着きを取り戻したロズウィミア嬢は、私に小さく笑んだ。

「取り乱してしまって申し訳ございません。ただ、これは私の嘘偽りのない気持ちですわ」

 彼女は、帰ろうと言うように踵を返しつつ、私を見ずに続ける。

「このままでは、誰も幸せになどなれません」

 私も続いて歩き始めながら、押し黙ったまま自分の足を見た。芝生を踏んで、規則正しい歩調で動く足を。


 彼女は告げた。

「私はただ、皇帝陛下に幸せになって欲しいだけなのです」


 ――また出た、と私は心の中で呟いた。私がパンゲアに来て、直後に地下牢に入れられたときに、メフェルスが言っていたことと同じ。

『皇帝陛下に幸せになって欲しい』。

 ただ、今回は続きがあった。


 ロズウィミア嬢は数歩行ってから立ち止まり、音もなく振り返る。私に向かって、先程の険を含んだ表情とは打って変わった笑顔を浮かべると、彼女は囁いた。


「でも今は、クィリアルテ様。あなたにも幸せになって欲しいと、心から思っています」



 私ははっと胸を打たれたように立ち止まってロズウィミア嬢を見つめつつ、内心で頭を掻きむしった。

 ……あーもう! そういう意味深なのはいらないのにー!



***


 翌日、馬車に乗って王都へ帰る道中、私はロズウィミア嬢に思いを馳せていた。

 皇妃になるべく生きてきた、そう彼女は言っていた。その自認において彼女が成り立っていることは容易に想像がついたし、周囲もそれを望んでいる。

 でも、なら、どうしてロズウィミア嬢は皇妃にならなかった? 皇帝も、彼女のことを蛇蝎のごとく嫌っている訳でもなく、むしろ他の令嬢と比べれば余程好意的な感情を抱いている。

 皇帝がいくらリア(ちなみに私)のことが好きだからって、ロズウィミア嬢まで拒んで、意地でも結婚しないなんて、妙に理性的じゃないと思った。

 それなら何か別に理由があるのか。公爵家の力が強くなりすぎるとか、そういうあれか?

 でも、皇妃となるべく育った、ってことは、公爵とかもそのつもりで育ててきたってことだし、あの公爵が、力関係からして無理そうだと分かっていて、そんなことをするだろうか。


 そのとき、私ははたと動きを止めた。

 待って、そもそも皇帝って



「そう言えば」

 ふと思い出したように皇帝が私に呼びかけた。私は我に返って顔を上げた。

「昨日、ロズウィミア嬢とどこかに行ってきたらしいな」

 やや気遣わしげな様子なのは、ある程度皇帝自身も、私たちの関係を考えているからだろう。私はなんてことのないように小さく笑うと、さらりと答えた。

「一緒にお庭を見に行ったんですよ。とても素敵でした」

 そうか、と答えた皇帝は、どこか安堵したように体を背もたれに預けると、首の後ろに手のひらを押し当てた。

「クィリアルテ嬢」

 皇帝は私の方を見ないまま呟いた。私は隣に座る皇帝を横目で見つつ、「はい」と応じる。


「……貴女は、俺のところに嫁いできて、幸せになれるのか」


 ああ、何か変なことをうだうだ考えているな、というのはすぐに分かった。ロズウィミア嬢に何かを言われた可能性もあると思う。そう言えば、モルテ公爵領に到着したその日の夜に、ロズウィミア嬢と話をしていた記憶がある。

 恐らく私が言われたのと似たようなことを言われたのだろう。


 私は薄らと微笑んで、皇帝の方を向いた。

「不幸せそうに見えますか?」

 皇帝は言葉で答えず、緩く首を横に振る事で応じた。



 何故か、ラツェロ婦人に渡された本の一節を思い出した。

 もし、不幸せそうに見えると言われたら、私はどう思ったのだろう。

 でも、皇帝陛下。――少なくとも、あなたは私より幸せな人間だ。



***


 王都に到着してから数日が経った。完全に心安らかなお出かけだったかと言われると、必ずしもそうは言いきれないが、良い気分転換になったことは間違いない。自分の名前の書き取り練習をしながら、私は手を止めて息をついた。

 私の私室は城の正門からちょうど反対側、裏庭がよく見える位置にあるのだが、少し脇を見れば、一般の立ち入りが許可されている区域の庭園も目に入るのだ。

 今日は、そこにロズウィミア嬢もいた。

 遠目だからそうと断言出来る訳ではないが、あの立ち居振る舞いは彼女のものである。


 私は即座に立ち上がり、ペンを置くと部屋を横切った。廊下へ繋がる隣の部屋で控えていたフォレンタがぎょっとしたように顔を上げ、何やら書き留めていた紙を素早く裏返す。手紙のようだった。

「クィリアルテ様、どこへ行くおつもりで?」

「ちょっと遊びに行ってくるわ」

「駄目です、宿題を終わらせてからになさって下さい」

 フォレンタは立ち上がって腰に手を当てた。

「じゃあちょっと社交してくるわ」

「なおさら不安です」

 私は唇を尖らせる。フォレンタは何故いきなり私がそんなことを言い出したのかと言わんばかりの怪訝な表情である。

「ロズウィミア嬢がいたのよ」

「クィリアルテ様がそれほどロズウィミア様と懇意だとは知りませんでした。わざわざ宿題を放り出して部屋を出て庭園に降りてまで会いに行かれるほど懇意とは」

「嫌な言い方……」

 どうやら完全に、嘘か勉強をサボるための口実か何かだと思っている様子で、フォレンタは目を細めて私を見た。私は毅然と(当社比)顔を上げ、フォレンタに向き直る。気分はロズウィミア嬢である。

「ろ、ロズウィミア嬢に用があるから行かせて下さい……」

 しかし、哀れにもこのチキン王女、エリート侍女には強く出ることができないのだった。私は胸の内で、両腕を挙げ天を仰ぎながら膝から崩れ落ちた。


 基本的に厳しいローレンシアのエリート侍女フォレンタだが、私が本当のことを言っているのかどうかの判別は上手い。必要そうな用事なら、ある程度融通をきかせてくれるし、逆に私が我儘をこねていると判断したら、その瞬間にばっさり切り捨てる。

 フォレンタは一度ため息をついて、それから片手を広げて告げた。

「15分です」

「分かったわ、それだけあれば余裕よ」

「ちなみに廊下は走ってはいけません」

「それじゃ足りないわね……」

 文句をつけるが、フォレンタに譲る気はないらしい。さらに、自らの私物の懐中時計を取り出し、分針を指さす。

「ではこれより15分の間にこの場所に帰るようにしてください。私は5分経過、10分経過時点で合図を出しますので」

 フォレンタが、位置について、と言うので、私は入口の扉に手をかけ、腰を低くして構えた。

「用意」

 ドアノブを、ゆっくりと捻る。

「――スタート」

 私は扉を開け放つと、廊下を猛然と歩き始めた。肘を曲げ、素早い歩調で、一本の直線の上を踏むように歩を進める。背後には私の全力の早歩きにも悠々とついてくるフォレンタがいて、うっかり私の両足が同時に床から離れた瞬間、「1回目」と呟く。

「な、なにそれ」

 嫌な予感がして聞き返すと、フォレンタは事も無げに答えた。

「ルール違反の回数です。本来なら3回程度で失格にしたいところですが、ここは私の温情として、4回までにしましょう」

「ほとんど優しさが見られない!」

 腕を振り、やや腰をくねらせつつ、大股かつ迅速に歩く。あくまでも『歩く』。

 今でこそ、一般貴族が立ち入ることの出来ないような、王族のみの居住区を歩いているから、こんな変な歩き方をしていられるが、外部の客人がいる可能性のある下層へ行ってしまえば、もう少し大人しく歩かざるを得ないだろう。

 王族専用の庭園から、一般開放されている庭園へ抜けることも考えたが、前回のあれは道に迷った賜物で、ただのミラクルである。全然信用出来ない。


 取り留めのないことをつらつらと考えながらも、私は庭園の入口まで辿り着いた。ここから先は何が飛び出すか分からない、魑魅魍魎の渦巻く魔界(個人の感想です)である。

 日向に出たことにより、昼下がりの強い太陽光線が押し寄せてきて、私は一瞬息を止めた。あっという間に全身に汗が吹き出し、私は鼻にしわを寄せる。

「5分経過です」

「ぎゃー!」

 立ち止まり、ごくりと唾を飲んだ瞬間にフォレンタが告げた。私は戦慄した。血の気が引いたし汗も引いた。

 そう、何故なら部屋からここまでで、既に持ち時間の3分の1が経過しているからである。帰りにも同じだけ時間がかかると思うと、つまり、私が自由に出来る時間は、5分しか残されていない。

 無理ゲーじゃないか!


 私はほとんど駆け出すように庭園へ足を踏み入れ(フォレンタが「2回目」と呟いていた)、ロズウィミア嬢の姿を探す。

 幸い、ロズウィミア嬢はとんでもなく存在感を放つご令嬢なので、どちらの方向にいるのか察するのに苦労はいらなかった。庭園にいる全ての人間が気を払っているのである。

 そんな、数々の有象無象の中に佇んでいたロズウィミア嬢は、庭園に駆け込んで来た私を見て(ちなみに背後ではフォレンタが「3回目」と呟いていた)目を丸くした。

「クィリアルテ様、」

 その言葉を受けて、庭園中の視線がこちらを向いた。デート中なのか、男女二人で連れ添っている若者もいれば、きらびやかなドレスを着て散歩をしている令嬢もいる。その全員が、私に注意を向けた。

 その視線が一身に突き刺さり、私は思わず、うっとたじろいだ。こんな気迫の中でも堂々としていられるロズウィミア嬢の神経の強さに感嘆する。


「ロズウィミア様、数日ぶりです」

 私が息せき切ってロズウィミア嬢の前まで行くと、彼女は少し眉を顰めて私を見下ろした。背の高いロズウィミア嬢に、こうして上から見られると、やはり少し気圧されるような感じがする。

「クィリアルテ様、先日も申し上げましたが、こちらは公共の場ですわ。いくらご自宅であったとしても、そのような薄着で、はしたなく走られるのは、いかがかと思いますの」

 僅かに声を落として、ロズウィミア嬢は早口に告げた。周りにあまり聞かせまいとする気遣いのようだったが、しかし、その情報はさざめきのように広がった。


「自宅……?」

「わたくし、聞きましたわ、皇妃様のお名前は確か、」

「――クィリアルテ様と仰るのだそうだよ」

「先日メフェルス様もそう呼んでいらっしゃったわ」

 私ははっと口を押さえた。

 ……あっ! 正体が! バレてる!?

 別段隠していた訳ではないが、何となくこういう場で皇妃であることを喧伝するのは、あまり好きではない。そもそも私自身に、自分が皇妃であるという自覚がほとんどないのである。


「では、あちらが?」

「どうやら平民の出でいらっしゃるご様子だ」

「噂は本当だったのね」

 明らかに聞かせる気だろう、というような音量のひそひそ声に困り果て、私はロズウィミア嬢を見やった。彼女は沈痛な面持ちで額を押さえていた。

「クィリアルテ様。ですから、前回こちらでお会いしたとき、振る舞いには気をつけなさいと申し上げたのですよ」

「ごめんなさい……。ロズウィミア様が怖くて、お話を聞くどころじゃありませんでした」

 だって物凄い剣幕だったんだもーん! 私は心の中で地団駄を踏んだ。それに急いでここに来たんだし!


「そうですか」とロズウィミア嬢は半ば呆れ果てたような顔で呟き、それから気を取り直したように首を傾げた。

「ともかく、礼節に関しては一旦よそに置いておきましょう。……そのように急いで、どうなさったのですか?」

 私は促されて、ぽんと手を打つ。そうだ、用事があるからこんなに急いで会いに来たのだ。

「訊きたいことがあるんです」

 私はそこまで言って、周囲を見回した。誰もが私たちの会話に耳を澄ましている。眉を寄せて言い淀んだ私に、ロズウィミア嬢が「ここでは言いづらいことですか?」と小さな声で呟いた。

 私が迷わず頷くと、ロズウィミア嬢は少し体を捻って、斜め後ろの方を目線で指し示す。

「温室を見に行きません?」

 誰も、この暑い夏の日に、わざわざ温室に入ろうとは思わないのである。もちろん、私も。

「……は、はい、喜んで!」

 満面の笑みで答えつつ、私は反対方向へ全力疾走したがる足を抑えつけた。何が悲しくて夏に温室に入らなきゃいけないんじゃあ……!



「はぁ……。前回は、ただ常識知らずの田舎のご令嬢が迷い込んだのかと思って、厳しく注意申し上げましたが……。それならまだ無知ということで、次回改善が見られましたら、後ろ指は指されますがまだ許容範囲内であったものを……クィリアルテ様と来たら……このように……」

 温室への道中も、私はひたすらにちくちくと注意を受けていた。

「皇妃様がそのような振る舞いをするなんて、一番あってはならないことだと言いますのに……。もうこれでクィリアルテ様のお顔も割れましたし、今後はもう二度と不手際のないようになさって下さいね。これから先、クィリアルテ様の振る舞いは全て、皇妃の振る舞いとして見られることになりますわよ。分かりましたか」

「い、いやです……」

「分かりましたね?」

「分かりました……」

 ロズウィミア嬢は 大層ご立腹の様子で鼻を鳴らすと、溜飲を下げたように腕を組み、それから少し表情を和らげた。ちょうど温室の入口の前に着いたところだった。

「温室には入ったことはございますか? こちらの温室では、滅多にお目にかかることが出来ないような珍しい植物も多く栽培されているんですよ。私が師事している教授が専門とされている花もあって、」

 と、そこまで言いかけたところで、ロズウィミア嬢はぽっと耳を赤くして、両手を頬に添えた。

「あら、ごめんなさい、つい喋りすぎてしまって」

「いえ、ロズウィミア様のお気持ちはよく伝わりましたので」

 まあ、何かに夢中になる気持ちは分かるよ。私の前世もそれに近いような没頭ぶりだったし(色んなものに)、ロズウィミア嬢の場合はそれが植物だったって話だろう。

 別に不快ではなかったので軽く流すと、ロズウィミア嬢は照れ笑いしながら、手で私を促す。応じて温室の扉を開けようと片足を上げかけたところで、背後から「えっ」と、潜める気もないあっけらかんとした声が聞こえた。


 私は振り返り、そして同様に「えっ」と呟く。ロズウィミア嬢も一拍遅れて同じ母音を漏らし、私たちはしばらく硬直した。


「皇帝陛下、」とロズウィミア嬢が呟いた。何故かそこに立っていた皇帝は、困惑した表情のまま、私たちを数度交互に見て、それから恐る恐るというように、ゆっくりと口に出す。

「……修羅場か?」


 違います、という力強い否定は、私とロズウィミア嬢のどちらもから、ほぼ同時に飛び出た。


***


「いやぁ、クィリアルテ嬢が変な歩き方をしているから、何か楽しいことがあるのかと思ってついてきてみたら、まさかこんな遠出をすることになるとは思わなかった」

「待って、いつからついてきてたんですか」

 むんむんと熱気のこもる温室の隅のテーブルで、私たちは顔を突き合わせて汗を拭った。もはやこれは誰が最初にリタイアするかの我慢レースである。フォレンタが設定した制限時間はもう諦めた。


「自室に忘れ物を取りに来たところにクィリアルテ嬢が通りかかったんだ」

「出発してからおよそ17歩目!」

 ほとんど最初から後ろにいたらしい皇帝に、私はがくりと項垂れた。全然気づかなかった。それほど必死になって歩いていたのである。


「それで、一体何の話をしていたんだ?」

 さり気なく額を手の甲で拭いながら、皇帝がロズウィミア嬢を見た。彼女はじっと耐え忍ぶように険しい顔をして頷き、口を開く。

「クィリアルテ様が私に用事があってこちらへいらっしゃったらしく」

 この中で一番露出度の高い私は、さり気なくテーブルの下でワンピースをぱたぱたとしながら、げっ、と一瞬顔を顰めた。すぐに表情を戻して、私は「はい」と答える。

「何だ?」

「えーっと」

 一番、皇帝にだけは知られたくなかった用事だったので、私は答えあぐねて目を逸らした。するとロズウィミア嬢とばっちり視線が重なり、彼女は何かを察したように一度瞬きすると、小さく肩を竦めた。

「殿方にお聞かせするような話ではありませんわ」

「えっ?」

 思わず私が驚いた。……言い逃れとしては最適だ、しかし、何か、その言い方だと、なんか……。

「そ、そうか、悪かったな」

 意味深な言い方をしたせいで、何故か皇帝が照れたように顔を赤くして(元々暑さで全員顔は赤い)、口ごもる。何の話だと思ったんだろう。恋バナか何かか? さてどうだか。


「失礼」と言って、とうとう皇帝がシャツの袖を捲り始めた。ロズウィミア嬢が心底羨ましそうな顔をする。彼女は、腕こそは出ているものの、きちんとしたドレスを着ているせいで胴体はぎっちり布に包まれているし、下半身も足元まで伸びた裾で蒸されていることだろう。

 さて、ここで私の出で立ちである。大変マナー違反ではしたない格好だが、今日は薄い青色の、上から被るワンピースだ。上半身はほぼ白に近いが、腰のあたりから裾にかけて徐々に色が濃くなっていく仕様である。若干上品。まあ、一応ね……。

 腕は肩から少し先が隠れているだけでほとんど丸出しだし、足も膝より下は空気に晒されている。まあ、確かにね、はしたないっちゃあ、はしたないんですけどね、私はこの夏の日にドレスを着る気にはとてもなれないのだ。別に普段なら庭園に出てくることもないんだし。


 一番最初に音をあげたのはロズウィミア嬢だった。

「すみません、外の空気を吸ってきますわ」と、珍しく慌ただしい様子で席を立ち、温室を駆け抜けて出ていく。

「お、俺も 」と皇帝は2秒も待たないうちにそれに続き、私も一緒になってついていった。

 入口の前で、全員、汗だくで肩で息をする。とんでもないサウナである。一体何がどうなればこんな事態が発生し得るのか。ちなみに成り行きだ。

 結局、この我慢比べの勝者となったのは、私たちが放っておいたテーブルと椅子を丁寧に整え、それから悠々と温室から出てきた挙句、「熱い紅茶はいかがですか?」と渾身のジョークを放ったフォレンタだった。何でこの人は僅かに首筋が汗ばんでいるだけなんだ……?



 ほうほうの体で庭園へ戻った私たちは、そのまま噴水の前で解散した。周囲の目は気になったが、早く汗を流したい気持ちの方が勝り、ろくすっぽ会話もしないまま別々に帰ったのである。

 全く用事を果たしていないことに気がついたのは、部屋に入ったときだった。



何の区切れでもないところで失礼します。


 ブックマーク、評価など本当にありがとうございます。

 自分が書いた物語を読んで下さる人がいるということ、それを評価して下さる人がいるということが、夢みたいに嬉しいです。人に読んでもらえることがこんなに励みになるとは知りませんでした。

 現在最終章となる4章を書いているところです。最後までお届け出来るように頑張りますので、よろしくお願いします!

2018/02/23 冬至

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