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転生王女にド定番ロマンスは難しい  作者: 冬至 春化
2 皇帝陛下のおともだち
6/38

1 毎日




 皇帝が不在である。遊び相手を失った私は、宿題として与えられた書き取りの課題を前に、ため息をついた。

 私の基礎学習の先生として就いたのは、かつて神童と讃えられ、学園でブイブイ言わせていたという、たおやかな貴婦人である。いったいどういうことだ? 話を聞くに、どうやら気に入らない人間を学力でタコ殴りにするという嫌なタイプの優等生だったらしい。うわぁ。

 2児の母だと聞いているが、とても経産婦には見えない若々しい婦人だ。その名をラツェロという。


「ラツェロ婦人怒ると怖いのよねぇ」

「怒らせるようなことをなさらなければよろしいのでは?」

 至極真っ当な返答をして、フォレンタは机に向かう私の脇に立った。私は仏頂面で唇を尖らせる。

「ちょっと居眠りしただけじゃない」

「ぐぅ……すやすや……すぴぃ」

「ちょっと、なに寝てるのよ」

 私が脇腹を小突くと、フォレンタはすぐに目を開いて私を見た。

「そういうことですよ。クィリアルテ様のどうでもい……失礼しました、たわいもない話ですら、話している最中に寝られると腹が立つものです。ましてやラツェロ様の大切なお話など、言うまでもありません」

「隅から隅まで満遍なく失礼だけど、言いたいことは分かったわ。……そうね、確かに一理ある」


 私は肩を竦め、置きっぱなしにしていたペンを手に取る。くるりと一度回し、私は教科書を覗き込んだ。

「ええと……。『わたしは、りんごをたべました。』……知るかい、んなこと」

 言いつつ、教科書の隣に広げた紙の上に、同じ文字を書き綴る。字の形も真似して、綺麗な文字を書くように。

 私の読み書き能力の惨状を目の当たりにしたラツェロ婦人の言いつけである。今後、人前で文字を書く機会があるかどうかは分からないが、難しい字を書くことはないだろう、と。せいぜい自分の名前か、簡単な誓約書程度の文言しか書かないと言っていた。まずはそんなときに必要な簡単な文字を、ある程度まで綺麗に書けるようになってから、本格的な教育に入るらしい。

 私もその方がありがたい。もう二度と、皇帝に「一緒にお名前書いてください」なんてことを言わずに済むのだ。



 しかし、文字を読むと頭が痛くなるという、嘘のような定番設定が私に備わっていたのは予想外だった。

 よくいない? ちょっとしたおバカキャラで、本を読んでもすぐに、頭が痛くなったとか気持ち悪くなったとか眠ってしまうとか言って投げ出す人、物語の中に。今まではぶっちゃけ「老眼で見えないのか?」とか失礼なことを思っていたけれど、いや、もうこりゃ駄目だ。

「フォレンタ、読み上げてー」

 机に倒れ伏し、私はぐったりとしてフォレンタに呼びかけた。初めの頃は、何とか読ませられないかと様々に工夫をしていたフォレンタも、あるときから「そうですか」と困ったように答えるだけのことが増えた。

 フォレンタは私の手元から本を取り上げ、ぱらりとページを繰る。その音は嫌いではなかった。本の気配は好きだ。

 ……ただ、残念ながら文字が読めないんですよねー!


「そこでロナは言いました。『どうしてあなたは不幸せそうなの?』」

「重いテーマね」

 本を読み上げるフォレンタの脇で、私はしみじみと呟いた。

「不幸せ『そう』ってことは、これってただの主観よね。でもロナがそう思うような要素があったってことでしょう?」

「恐らくそうやって考察をするための本ではありませんよ」

 壁に向かって置かれた、幅の広い机に、二人並んで座る。私の方が良い椅子に座っているけど、姿勢が良いのはフォレンタの方だ。そうやって思うと、私は背を丸めて座っていることが多い気がする。

「ロナに向かってラーゼルは答えます。『僕は不幸せなんかじゃないさ。』『自分が不幸せだって気付けないことが不幸せだわ。』」

「めちゃくちゃに不幸せを押し付けるわね、この主人公」

「ラーゼルは少し黙りました」

「ほら怒った」

 フォレンタも少し黙りました。……ごめんなさい、ちょっとふざけすぎた。

「『不幸せじゃないよ。』」

 淡々としていたフォレンタの語り口が、ふと途切れた。その目が、つと文字を追うのをやめ、唇が開閉した。

「『だって僕は幸せを知らないから。』」

「重っ!」

 私は目を剥いて叫んだ。フォレンタも微妙な顔だ。

「何を思ってこの本を選んだのかしら……」

「恐らく、特に何も考えずに、難易度だけで選んだのかと……」

 とにかく、と、フォレンタが私に本を返す。

「大まかにこういう話です。今度こそは諦めずに挑戦してみては?」

「暗い気持ちになりそうね……。分かった、もう一度試してみるわ」

 受け取りながら、私は僅かに音を立ててページを開いた。

「うっ……頭が……」

 定番設定の壁はまだまだ厚い――。



***


 それは、私が庭園を散歩していたときのことだった。いっそ神がかっているとでも言うべき方向音痴を発揮した私は、見覚えのない景色に腕組みする。

「フォレンタ、ここ、どこかしら」

「恐らく、庭園の一般開放されている区域かと」

「うわぉ」

 どうりで記憶にないはずだ。入ったことがなかった場所なのだから。

「いつの間に入ってきちゃったのかしらねぇ」

「途中で格子になっている門をわざわざ開けて反対側に行ったときからです」

「物凄く分かりやすい境目じゃないの」

 言いつつ、私はぐるりと辺りを見回した。いつもは一般の人は入ることが出来ない、城の奥の奥にある王族専用(私も一応結婚したからアリ)の庭園を彷徨いているが、こちらはそこよりも通路が広く取られているようだ。

 出来栄えはあまり変わらない。流石王城の庭師、良い腕をしている。これだけ広い庭園の手入れをするって大変よね……。

「じゃあここら辺を歩いてると、一般市民にも会うってことね」

「それはないかと」

「へえ……どうして?」

 私のやたらと遅い歩みに合わせて歩くフォレンタが、首を回して様子を伺う。少し離れた生垣の向こうで歓談している少女二人を指し示して、彼女は答えた。

「一般開放とは言いますが、つまりは一般貴族に開放された庭園、ということです。前もって届出をすればお茶会も開けますし、用がなくともここをさまよっているだけでも社交となります」

「うげ」

 私は顔を顰めて呟いた。思わず腰が引ける。

 まさかそんな場所とは思わなかった。うっかり立ち入るべき区域ではなかったようだ。確かに見てみれば、遠くで立っているあの少女たちも、しっかりとしたドレスを着ている。

「もしかして、こんな格好で来ちゃいけない場所だったかしら」

 薄緑のワンピースを摘み上げてフォレンタに訊くと、彼女は微妙な顔をした。少し悩んで、頭を振る。

「クィリアルテ様は、一応自宅の敷地内という扱いになりますので、辛うじて許容の範囲内かと」

「うーん、何か言われたら直せば良いってくらいね」

 とはいえ、言っても詮無いことだ。仕方がないので私たちは前に進んだ。実のところ、元の場所に戻る道が分からないのである。


「この庭園の入口まで行けば、また城の入口のどこかにはたどり着くわよね」

「はい、そのはずです」

 まさかこんな間抜けな会話をしているとは分かるまい。のこのこと庭園の中央、噴水のある広場まで出てきた、見慣れない顔に、にわかに辺りがざわつき始めた。

「おうおう、随分と騒ぎなさる」

「姦しいことこの上ございませんね」

 心の中で悪人面をしながら、私たちは噴水の脇を抜け、入口のありそうな方向へ向かいかけた。


「あら、見ない顔ね」

 険を含んだ声音を差し向けられ、こっちの台詞じゃい、と思いながら振り返る。やはり、見たことのない顔だった。

 ……あれ? これ、なんかテンプレ展開じゃ……?

 見たことはないけど既視感を覚え、私は小さく首を傾げた。それが返答と取られてしまったらしい。

「言葉でお返事も出来ないご様子で」

 ぎゃー! 怖いよー!

 彼女は低い声で呟き、肩にかかった髪を片手で払った。私はその動きをじっと眺め、それからはっと目を上げた。

 少々キツめの顔をした少女だった。背後には同じ年頃の少女を2人従え、彼女は顎を引いて眉を顰める。

「こちらがどのような場所なのかご存知でないのかしら。そのような出で立ちで出歩くなんて、信じられませんわ」

 完 璧 だ 。

 思わずぼうっとしてしまっていた私は、慌てて居住まいを正し、相手に向かい合った。

「元々来るつもりでここに来たわけではございません、どうぞお目こぼし下さいませ」

 それで、どなたですか、と言うように、首を傾ける。

 遠慮がちに、にこ、と微笑むと、彼女はすっと目を細めた。暗い色をした目である。僅かに緑がかっているようにも見えた。

 その鋭い瞳も、剣呑かつよく響く言葉も、まさに完璧である。――完全に、そう、いわゆる悪役令嬢。まあ私がヒロインだから、そのうち来るだろうとは思っていた。やっぱあれかな、婚約破棄されるのかな。それとももうされてるのかな。

 大体こういう手合いって地位が高いのよねー、どうしよう、この世界って都合よく五爵が適用されてるのかな。順番分かんないや。そもそも疑問は、何で異世界なのに爵位の序列はチキューと同じなんだってところよ……。

 えーと、確か一番偉いのが公爵で、次が、えーと? ……一番下は男爵、これは覚えてる。あ、思い出した、順番は分かんないけど、あとは伯爵と子爵と、……何だっけ? ……そうだ、侯爵だ。


「私はモルテ『こうしゃく』が長女、ロズウィミアよ。あなたも聞き及んだことがあるのではなくて」


 ないよ! ……失礼、取り乱した。

 私は「すみません、分からないです」と呟きながら、必死にロズウィミアの言葉を反芻した。

 こうしゃく……? 公爵? 侯爵? まずい、全然分からない。この二つって発音に違いあるんだっけ? でもあったとしても多分分からない、だって貴族の爵位の名称なんて口にする機会ないじゃん?

 硬直する私に、フォレンタがこそりと「一番偉い方です」と囁く。……はいはい、『公爵』ね、はいはい。


 公爵令嬢(大抵悪役令嬢ってのは国で一番か二番目程度に大きい家の令嬢よね)であることが判明したロズウィミアだが、自分を知っているであろうという前提にはほとほと困り果ててしまった。

「……分からない? この私を?」

「はい……」

 顔を引き攣らせた彼女に、私は力なく頷いた。ひえええええー! 怖いよー!


 するとロズウィミア嬢は、ふっ、と顔を逸らして鼻で笑った。私は思わず鼻白む。

「どこの田舎貴族か分かりませんけれど、そのようにもの知らずでいらっしゃるなら、今すぐこちらを立ち去った方が良いのではなくて?」

 ひえっ、と内心竦みながら、その言葉に私は怪訝に眉を顰めた。これは、つまり、私が公的な場での常識すら知らない田舎者という認識(概ね間違ってはいない)での嫌味ということだったのか。

 なんだ、てっきり私は「何であんたなんかが皇帝陛下と……キィー!」の方かと思っていた。まあ、そりゃそうよね。私と会ったことがないんだから私の顔が分かるわけもないし。

 どうやら本当に、ただの芋くさい、最近田舎から出てきた少女とでも思われたらしい。それはそれでやや心外だけど……。


 私はそこで、正体をバラすべく胸を張った。隣国の王女かつ皇帝の嫁だと分かれば、きっと皆がひれ伏すに違いない。……違いないだろうか? うーん……。


「お言葉ですが、」

「こんなところにいらっしゃいましたか」

 私が口を開きかけたちょうどそのとき、片手が後ろから強く引かれた。思わず体勢が大きく崩れ、引かれた方向へ倒れ込んでしまう。それを難なく受け止め、その人は私を背後に庇ってロズウィミア嬢と対面した。


 颯爽と現れ、格好良く私を守ってくれたその人に、私は思わず叫んだ。

「……め、メフェルス!」

「やけに嬉しそうですね、クィリアルテ様」

 喜色満面、両手を振り上げて喝采を上げかけたところをフォレンタに冷たく指摘され、私は慌てて肩まで上がっていた手を下ろして真面目な顔に戻す。


「何か、こちらのご令嬢と揉め事になっていたご様子でしたが」

 いや、揉め事ってほど揉めてもなかったけどな、と思いながらも、私は小さく頷いた。メフェルスが妙に目で圧力をかけてきたからである。ちなみに頷いたらロズウィミア嬢からも視線で威圧を食らった。な、何だ何だ、あなた達は私に一体どうしろって言うんだ。

 それにしても眼福である、と、私はメフェルスを眺める。ここはいつの間に楽園になったんだ? ハァー最高、今日が命日かもしれない……。

 私は内心、全身全霊で拝み倒す。

 急いで走って来たのか、その首筋には薄ら汗が浮いて見えるし、その表情も酷く慌てたように険しくなっている。普段はニコニコしている温厚な人であるだけに(しかし結婚式の日には一杯食わされたのを私は忘れちゃいない)、こうして真剣な顔をしているときの魅力が格別だ。もう存在の全てが性癖に突き刺さる。モロ好みである。自分でも観賞用として見ているのかそうでないのか分からなくなってきた。


「メフェルス様がどうして、」とロズウィミア嬢が眉を顰めて呟く。その舌鋒に躊躇いが見えた。

「大したことではないわ、メフェルス」

 私がそう言って微笑むと、彼はやや固い表情のまま頷く。その肩越しに、ロズウィミア嬢が絶句していた。

「行きましょう、皇帝陛下がお呼びです」

 メフェルスが私たちの右手を指し示した。――まさかあちらが出口だった、だと……? 愕然としつつも、私は了承し、そちらへ歩き出す。背後で、一部始終を見物していたらしい貴族達のざわめきが聞こえ、私は僅かに口角を上げた。


 ……フハハハハハハハハ! これが権力か! 何と甘美、これはやめられぬな……!


 私の中の大魔王が高笑いし、悪どい表情で舌なめずりをした辺りで、くるりとメフェルスが振り返った。

「クィリアルテ様」

「……いきなりどうしたの?」

 周りには既に誰もおらず、メフェルスはやや緊張を解いたようだった。彼は姿勢を正して、私を見下ろす。

「申し訳ございません、伝え忘れていた僕の責任です」

「ごめんなさい、話が読めないわ。……何のこと?」

 私が怪訝に声を低くすると、メフェルスは目を伏せた。

「クィリアルテ様の正体は内密に、というのが、ローレンシアから提示された条件の一つです」

「何それ、あの女王陛下がそう言ったの?」

 咄嗟に声はキツくなった。剣呑な目付きでメフェルスを睨みつけると、彼は「僕に当たらないで下さい」と眦を下げる。

「それにしたって、一体どうして……」

 私に対しては、自国の城でどんな扱いをされていたかは秘匿せよと指示し、パンゲアに対しては私の正体は内密にせよと来た。私は核兵器か何かか?

「パンゲアに、この婚姻の話が持ち込まれたときの条件は、速やかに返答すること、その正体を秘匿すること、無闇に式典などの表舞台に出さないことなど、いくつかがありました。どうやらこちらの返答があと少しでも遅かったら、別の国との縁談を進めるつもりだったご様子で」

「うわ、何て注文の多い」と私は顔を顰めた。まったく、我が継母ながら本当に油断も隙もない女傑である。どうせこの分だと他にも細々とした条件はあるんだろう。

「で、それを守ってくれたら、引き換えに銀山を差し上げると約束するって訳ね」

「はい!」

「そこだけやたらに嬉しそうな顔をしないで頂戴」

 でも、確かにそれだけ無理難題を押し付けるなら、対価を払うのがローレンシア側になるのも納得だ。

 にしたって……。

「どうして、そんなに条件を付けてまで……?」

 私は首を傾げ、フォレンタを見た。フォレンタは妙に凪いだ目で私を見据えていた。……あ、これ何か知ってる顔だ、でも多分口を割らなそうな顔してる。


 一度咳払いをして、メフェルスは話を戻した。

「ですので、例えばロズウィミア嬢に何か言われたとしても、皇妃であるというところまでは言ってもよろしいですが、対外的には亡くなったということになっている、ローレンシアの王女であるという情報は、」

「明かされると契約不履行で銀山没収の危機ってことね」

「はい」

「あっさり認めるわね……」

 しかし、権力を見せびらかして威張るなら、自分の権力を振りかざしたい気もする。個人的な美学だ。皇帝の嫁アピールをしても、所詮皇帝の権威を借りているだけだし。

「……まあ、私も多少頭に血が上ってたのね」


「実は私はこんな人でしたー!」と明かして、周りが「そ、そんな! ははー!」とひれ伏すのは物語の中だけである。……あれ? ならワンチャン……。


「本当に地位のある方は自らそれを振りかざすことなく、態度で威厳を示すものですしね」

 湧き上がった不埒な考えを、メフェルスによって何の意図なく正面から叩き潰され、私はその場で静かに崩れ落ちた。



***


 一緒の部屋に入れておくと夜遅くまで遊び倒して翌日の公務に支障が出る、という判断のもと、一週間後には既に私と皇帝の部屋は隔離されていた。婚姻の儀のあと、七日間連続で、朝が来るまでボードゲームをしていたせいである。

 毎日、昼間やけに眠そうに目を擦っている皇帝を目にしていたメフェルスが、どう考えても遊んでいる、深夜テンションによる爆笑を聞き咎めたらしい。

「親睦を十分に深めているのは分かりましたから、どうぞ夜はしっかり休んでください」とは、そのメフェルスの言である。

 この言葉には、私もなるほどと納得してしまった。どうりで昼間眠いと思った。……いや、納得しちゃ駄目だろう。

 ここまで来たら、私も認めざるを得ない。

 ――定番ロマンスはとても難しい。厄介事をショートカットしたいな、とかそういう次元の話ですらない。私たちは一体どこへ向かおうとしているんだ……?


 メフェルスに連行されて城の中を歩いている最中、ずっとそんなことを考えていたので、向かいからレゾウィルが歩いてきたのに咄嗟に気がつけなかった。

「おや、クィリアルテ様、何か思い悩んでおられるご様子ですな」

 私は思わず飛び上がって驚いた。いきなり間近で大声を出されたことにも驚いたが、何よりその内容である。

「ど、どうして分かったの!?」

 無様にも裏返った声で問うと、背後で一言、フォレンタがぼそりと「顔です」と呟いた。

「……何か今ちょっと馬鹿にした?」

「いえ」

 真顔で言い切ったフォレンタを軽く睨みつけてから、私はレゾウィルに向き直った。


「あの……。私と皇帝って、どういう関係に見えるかしら」

 勇気を振り絞って口に出した問いに対する返答は素早かった。

「愉快な遊び仲間、とか」

「悪友」

「兄妹……ですかな」

 私はその場で天を仰いで膝から崩れ落ちた。そう、そこにはロマンスのロの字もないのである!


 どうせ相も変わらず皇帝はリアにご執心だ。ちなみにそれ、私ですよ。

 とはいえ、それを教えるのにはまだ機が熟していないように思う。別に、初日にカミングアウトかまそうとして、何かの地雷を踏んだことにビビってる訳じゃない、断じて。……ほんとに。



「そういえばメフェルス、私たちはどこへ向かおうとしているの? 皇帝陛下がお呼びだって言っていたけど、あれは咄嗟の言い訳でしょう?」

 さくさくと先導して歩くメフェルスについて行きながら、私は質問を投げかけた。何故かメンバーにレゾウィルが加わっている。あれ? さっきすれ違おうとしたんだから、あなた目的地はこちらではないはずなんじゃ……?


「いえ、皇帝陛下がお呼びになっていたのは事実ですので」

「あら、そうだったの? 不在だと思っていたけど、いつの間に帰ってきてたのかしら」

「つい数刻前です。……それで探しに行きましたら行方不明でしたので、少し焦っていたところに、部下から『クィリアルテ様大暴れ、乱闘の恐れあり』との伝令が来て」

「……その部下、あとで三発殴っておいて頂戴」

 背後で誰かが脱兎のごとく駆け出す気配を感じた。さてはそいつだな。


「皇帝陛下がわざわざ私を呼びつける用事って何かしら」

「大したことではないそうです。ここ数日顔を見ていないので生存確認だとか」

「気軽に呼ぶのね……」

 廊下を並んで歩く。先陣を切るのはメフェルスで、しんがりはレゾウィルだ。今なら誰がどこから来ても負けない気がする。


「皇帝陛下、連行して参りました」

「連行って」

 メフェルスも私の扱いを学んだらしい。とてつもなく雑である。絶対に参考にしたのはフォレンタだろう。とはいえ――――

「くそ、性癖に……」

「はい?」

「いえ、何でもありませんわ」

 扉の向こうに、執務机にぐだりと突っ伏した皇帝が見えた。私ははっと息を飲んで、身を引く。

「し、死んでる……!」

「勝手に殺さないでくれ」

 むくりと起き上がって、皇帝が目を擦り、伸びをした。私たちはぞろぞろと執務室に押し入り、皇帝の前で横並びに一列になる。


「それで、どうでしたかな、北部は」

 真っ先に口火を切ったのはレゾウィルだった。その言葉に対して皇帝は「んん、」と眠たげに後頭部を掻き混ぜることで一旦答え、それから目を上げる。

「……駄目だな」

 皇帝は低い声で呟いた。事態が読めない私は、すわ粛清かと身構えた。


「川が氾濫して以来、土砂の処理に追われて復興がなかなか進まないらしい。畑も全て荒れ果てていた」

「ああ、そういう……」

 視察で城を離れていたのだから、そりゃあ他の地域の様子を窺ってきたってことだろう。どうやら北部は大変なことになっているらしい。まあ農業大国だから、畑が駄目になると大打撃よね……。

「しかし、あの洪水からはもうだいぶ時間が経っているのでは?」

 メフェルスは首を傾げた。

 私も揃って首を傾げる。……あの洪水ってどの洪水だ? そういえばそんな話、聞いたことがあるかもしれない。よく分からないから余計なことは言わないにしよう。

「村人に聞いてきたところによると、『復興資金が足りない』そうだ」

「そんな馬鹿な、相当手厚い支援を行ってきたはずでは」

 何やかんやと話し始めたメフェルスと皇帝を眺めながら、私は「お前が呼びつけたんじゃないのかーい」と内心で皇帝に突っ込んだ。呼んでおいて放置とは、なかなかに高度な技である。

「支援金のほとんどが、官僚によって中抜きされていた」

 その言葉に、私は目を剥いた。私は人のものをかすめ取る人間が心底嫌いだ。

「ねこばばじゃないですか!」

「着服、ですか」

「私腹を肥やしよって……」

 私たちは同時に言った。ちなみに順に私、メフェルス、レゾウィルである。それぞれの語彙の方向性が、分かりやすく露見した瞬間のように思う。


「おお……どうした、全員揃って……」

 疲れたように覇気のない様子だった皇帝が仰け反り、そのときふと私に目をやった。少し固まる。

「……クィリアルテ嬢、」

「あっはい」

 何故か驚いたような顔をしている皇帝に、思わず私も虚を突かれてたじろいだ。

「どうかしましたか」

「いや、……何でもない」

 嘘つけ! 皇帝は一度咳払いをして目を逸らすし、私は皇帝をじっと見つめたままだ。膠着状態に陥った。


「まあ、とにかく、ちょっと軽く、官僚や領主である子爵に注意をしてきたから、今度からはそういうことはないだろう」

 やや強引に皇帝は話を閉めーー絶対に『ちょっと』『軽く』ではないだろうがーー報告は終わりという体になったらしい。

「それで、何発いったんですか?」

 メフェルスが拳を掲げながら訊く。皇帝は意味が分からないというように一瞬動きを止めてから、首を横に振った。

「一発もいってない。が、官僚たちには『しっかり村の様子を見るように』と言っておいたし、村人たちには、怪我はなくとも絶妙に痛い罠の作り方を手ずから伝授してきたから、恐らく今頃は愉快なことになっているはずだ」

 私は遠い目をしながら「悪ガキ……」と呟いた。



「それでだ」

 皇帝は私の方に向き直りながら口を開いた。特に真剣そうな顔をしていないので安心する。

「貴女は前に、視察に同行したいと言っていただろう」

「えっ? う、うーん?」

 言ったっけ……?

「い、言いましたね!」

 記憶にないけど、多分皇帝がそう言うなら言ったんだろう。普段考えなしに発言してきたツケがここで来た。

「今度、あまり遠出をしない外出があるんだ。……一緒に来るか」

「良いんですか!?」

「いや、むしろ来てくれ……」

「ん……?」



***


「詳しい予定表をメフェルス様から受け取って参りました」

 フォレンタが私の部屋に来て言い出した。あの顔は(つっても大体真顔)、何か変なことを考えているときの顔である。絶対面白がっている。


「クィリアルテ様、夜会があります」

 なお、この言葉には『バーン』とサウンドエフェクトをつけて欲しい。


 YAKAI? 何だろう、何の固有名詞かしら……?

「夜の会です。貴族の男女が大勢で飲み食いする場です」

「へえ、た、楽しんで来てね……」

「参加するのは私ではありません」

 私は静かに椅子から立ち上がり、扉との距離を確認する。ここから跳んで走れば、2秒程度しかかからないはず。

「クィリアルテ様です、っと!」

 床を蹴って走り出した私を一瞬で捕まえ、フォレンタは息をついた。早々と終わった逃亡生活でした。時間にしておよそ1秒。


「ほんとに……本当に……勘弁してください……! 社交なんて出来ないし、ましてやダンスとか、その場で両腕を広げて回るくらいしか出来ません……!」

「もう決定事項だそうです。ご安心下さい、本当にただ飲み食いするだけの夜会ですよ」

 フォレンタにとっ捕まった場所で正座をし、私が必死に訴えるも、彼女はつれない。とうとう私は立ち上がって拳を握り、力説した。

「嘘だ! そのうち演奏団がさっと楽器を構えて優雅な円舞曲を奏で始めると同時に、忍び笑いを漏らしつつ貴族の男女が誰からともなく手と手を取り合って華やかなダンスホールに出るやいなや軽やかなステップを踏みながら小声で愛を囁くんでしょ!? 私知ってるんだから!」

「何をお読みになったんですか?」

 ……至極真っ当な突っ込みである。


「テーブルマナーは女王陛下に相当叩き込まれたと聞き及んでおります。食事会だと考えれば、特に難しいことはないかと」

「あれは地獄の日々だったわね……」

 遠い目をして頷く。もちろん幼少は王女として育てられたのだから、基礎が身についていたお陰もあったのだろう、女王陛下のそれはそれは献身的で丁寧なご指導の賜物か、私の食事作法はほぼ完璧に近い。


「本当に、本当に食事だけなのね?」と念を押すと、フォレンタは少し黙ってから答えた。

「まあ、主賓という扱いになりますので大勢挨拶に来るとは思いますが、目的は皇帝陛下の方でしょうし」

 私は顎に手を当て、思案する。それから、噛み締めるように呟いた。


「……それなら、特に、難しいことはないはず、よね」


 ちなみにフォレンタは答えなかった。



***


 馬車の中にレゾウィルも入りたがったが、さりげなく(やや疑問の余地あり)メフェルスが蹴り落としていた。その判断には私はもちろん、皇帝も思わず胸を撫で下ろしたようだった。

 あれが入ってきたら大惨事である。主に密度の点において。

「英断です、メフェルス様」

 フォレンタが珍しく親指を立てる仕草つきでメフェルスを褒め称えた。珍しい、私だってフォレンタには滅多に褒めてもらえないのに……。

 無論、レゾウィルが一緒に馬車に乗った場合、被害に遭うのが従者二人であるからというのもあるだろう。私と皇帝は堂々と進行方向向きの座席に座っているが、フォレンタたちは私たちと向かい合って座っているのである。もしレゾウィルも乗り込むとしたら、そちらの座席だろう、――脇にはおよそ半人分程度の隙間があるが、どう考えてもあの宰相の体躯が入る大きさではない。

「あ、自分の馬を引っ張り出して仏頂面で乗ってますよ」

 いい年した筋骨隆々のおっさんが馬の上で拗ねているのである。一体どういう絵面だ。需要がどこにあるのかよく分からない。


 馬車とそれを囲む一行が動き始めてからしばらくして、私はふと思い出して皇帝に問う。

「そういえば訊かないまま付いてきたんですけど、目的地はどちらなんですか?」

 すると皇帝とメフェルスは、揃ってフォレンタを見やった。彼女はすいっ、と目を逸らした。

「教えてないのか」

「時期尚早と判断致しました」

 私がじっと見つめるが、フォレンタは一切こちらを見ようとしない。


 私がしばらくそうしてフォレンタを見続けていると、やがて彼女はふぅ、と息をつく。

「皇帝陛下、メフェルス様、扉を塞いでおいて下さいませ」といきなり言い出すので、二人はとりあえず扉を手で押さえた。外側に開く扉だが、取っ手が掴まれているので恐らく動かないだろう。

「クィリアルテ様、落ち着いてお聞き下さい」

「落ち着いてるわよ……」

 恐れおののきながら身構えると、フォレンタは胸ポケットからメモを取り出し、それを読み上げる。

「目的は夏の収穫祭。モルテ公爵領で毎年開催される、四季の収穫祭の一つです。夏は野菜の収穫を祝うのがメインのようで、初物のトマトとナスが特に有名だそうです」

「ふぅん……」

 特に何てことなかった。生返事をしつつも、どうしてわざわざ扉を塞いでまでフォレンタがこの話を今したのか分からない。


 そんな私の様子を見てとったのか、畳んだメモを再びポケットに戻しながら、フォレンタが再び口を開く。

「補足です。モルテ公爵家には現在19歳となる長女がおり、この時期にあえて皇帝陛下を招待することには何らかの意図があると推測されます。

 なお、長女の名はロズウィミア・モルテといい、皇帝陛下とは昔から」


 ――――厄介事の気配!


 そこまで聞いた時点で、私はやおら立ち上がり、それから馬車の扉に向けて突進した。身を乗り出した皇帝が床を踏み締める音、メフェルスが私を受け止めようとして勢いに負けて壁に激突する音が響き、急遽馬車が止まる。

 間髪入れず馬車の窓を開いたフォレンタが、「異常はございませんので移動を続けて下さい、騒いで申し訳ございませんでした」と頭を下げた。


「ろ、ろろろろろロズウィミア嬢!?」

 狭い床にひっくり返ったまま、私は目を剥いて叫んだ。落ち着き払った声でフォレンタが「はい」と応じた。私は椅子にずり上がりながらもう一度確認する。

「この間庭園でいちゃもん付けてきた、あのロズウィミア嬢?」

「はい、まさに」

 脇で皇帝たちが「何の話だ?」「実は先日、」と言い合っているが、それを聞いている余裕すらない。

 何たること! さすがド定番ロマンス、因縁が出来るやいなや再び引き合せるのね! 放っておいちゃくれないわ!

 背もたれにぐったりと寄りかかりながら、私は遠い目をした。


「昔から、仲がよろしかったんですか?」

 私が訊くと、皇帝は少し動きを止めた。その目が揺れる。

「そう、……だな、」

 妙に切れの悪い返事だった。何かを思い出そうとしているような、変な言い方だ。



「そういえばクィリアルテ様、夏野菜は何がお好きですか?」

 突如として、メフェルスが明るい声を出した。私は虚を突かれて目を瞬く。

「えっ……?」

「僕はトマトが好きですかね、やっぱり夏野菜の定番じゃないですか」

 メフェルスは私の目を見据えて、にこりと笑った。もちろん威圧つきである。引きつった笑みで返しながら、私は皇帝の方を見られずに内心呟いた。


 前にも言ったかもしれない。

 ――この皇帝、過去に何かあった感が凄まじいのである!


 そう、チラ見せなんてものではない。内容は明かさないくせに、ガンガンにそのオーラを出してくるのだ。初夜にして魘されて飛び起き、幼い頃に会ったきりの素性もしれぬ少女の名を呟くくらいヤバいのである。

 周りの対応も、仄めかすなんて程度ではなく、サンマを七輪で焼いて、その煙をうちわでパタパタするくらいに匂わせてくる。あからさますぎる。



 分かりやすく話題を変えたメフェルスと、夏野菜談義をしているうちに、皇帝も「俺はキュウリが好きだ」と気を取り直したように入ってきた。どうやらもう大丈夫らしい。

 私は目を細めて皇帝を見た。穏やかに笑いながら、メフェルスと話をしている横顔を眺めながら思う、――でも、皇帝はわたしより幸せだわ。

 そうであればいい。……そうでなければならない。



***


「ようこそおいで下さいました」と出迎えたのは見知らぬ男性で、恐らくこれがモルテ公爵なのだろう。ロズウィミア嬢にそっくりである。

 皇帝に次いで私が馬車から降りると、モルテ公爵の動きが止まった。じっくりと、上から下まで眺める。

「こちらは?」

「妻のクィリアルテだ」

 明らかに意図して詳しい情報を伝えなかった皇帝に、公爵が少し嫌な顔をした。『クィリアルテ』は古語から来ている名前なので、ありふれている訳ではないが、それほど特徴的でもない。両親にある程度の教養が必要な名付けだが、だからといってそれだけで貴族の令嬢とは断定出来ないだろう。

「どちらのご令嬢で?」

 公爵がにこりと微笑みつつ、皇帝に問う。私の方は向かなかった。

「悪いな」と皇帝は口元に人差し指を立てて目を細める。しっかり私の肩を抱き寄せる仕草つきだ。そういうことするならあらかじめ言っておいて欲しい。普段はしない動きだから、危うく足を捻るところだった。

 いてて、と口の中で呟きながら、私も公爵を見つめて柔らかく口元に笑みを浮かべた。

「初めまして、モルテ公爵。お会いできて嬉しいですわ」

 公爵は礼をするだけで答えなかった。こんちくしょう。



 初夏を少し過ぎた頃ともあって、気候はやや厳しく、公爵に先導されて屋敷に向かうまで歩くだけでも、首筋に汗が浮かんだ。

 手入れされた芝生の中に伸びた道は、時折枝分かれし、遠くまで伸びている。その先を目で追って、息を飲んだ。

 あまりにも大きな畑だ。これまで見てきたどんな畑より大きい。しかし、これは屋敷の敷地内だ。それなら、あの広さで、家庭菜園とでも言うのだろうか。

 風が吹き抜けた。湿ったような熱い空気だった。吹き降ろすなり、芝生を全て逆立てるように地面を撫でて去ってゆく。筋になって近づき、音もなくすり抜けた芝生の波を、呆然と見送った。たださざ波が通っただけのようだった。姿のない何かが、こうも目に見える形で顕現し、それを誰もが平然と見送るのが不思議だった。

 ろくに草も生えない祖国の土を思う。――牛の放牧をしている、短い草ばかりの草原はあっても、こんなに立派な、芝生みたいなものじゃない。もっと貧相で、これほどまでに潤沢な生命を含んだ植物はなかった。


「いかが致しましたか」

 どこか冷たい公爵の声が向けられても、それを気にすることも出来なかった。見えなくなった波を求めるように目を凝らし、そのとき足元を何かが撫ぜた。第二波だ。

「あの、」

 何と言ったら良いのか分からなかった。どう言葉にすれば伝わるのだろう。これを当たり前だと思っている人達に、どうすれば。

「わたし、このお屋敷、大好きです」

 ようやく形になったのは、あまりにも不器用で簡素な言葉で、公爵は少しきょとんとして、それから、僅かに、ほんの僅かに頬を緩めると、「恐悦至極に存じます」とだけ答えた。


2章・夏編開始です。よろしくお願いします。


2018/04/22 軽い矛盾点の修正、脱字の修正

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