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転生王女にド定番ロマンスは難しい  作者: 冬至 春化
1 健気な王女さま
4/38

4 みたいですね




「アラル、」

 少女が囁いた。彼女はただ引っ込み思案で臆病なだけだ。分かってはいても、必要以上に潜められたその声は、妙に秘め事めいた響きで、幼い耳をくすぐった。

「わたしね、お花がだいすきなの」

 そっか、と微笑んだら、彼女も嬉しそうに笑った。声もなく、ひっそりと。


「僕も大好きな花があるんだ」

 そう返すと、いつも、既に涙に濡れているような目が、丸くなる。こちらを見上げると、その目に月の光が写り込んで、青色をした瞳が輝いた。

「家族で植えた木なんだけどね」

 思わず手が伸びた。その髪をくしゃりとかき混ぜる。櫛で梳かした形跡もない、荒れた髪だ。それが、彼女の立場を痛いほどに物語っていた。

「毎年、春になると、とても綺麗な花を咲かせるんだ」

 彼女はどこか、悲痛そうな顔をしていた。胸のどこかが軋むという風に、ぎゅっと、服を握りしめる。

「それを家族で見るのが、とても好きで、」

 かぞく、と少女は繰り返した。


 ――――ああ、また失敗した。


 彼女の目が、揺れた。次の瞬間、不安げだった顔から、表情が抜けた。

 自分は、この、傷つけられて生きてきた人間の、壮絶なまでに悲愴な顔を、何より美しく思った。これこそが自分の求めているものだった。

 ……否、この、何の色もない眼差しに、一欠片でも表情を浮かべさせることが出来たのなら、それはきっと、何にも替えがたい喜びになる。それを自分は心のどこかで悟っていたのだろう。


「僕は、君を救いたいんだ」



 傲慢な、と誰かが耳元で吐き捨てた。

 それは自分が幸せな人間の思い上がりだよ、と、声は続けた。



 ――幸福な人間でさえ、人を救うことなど出来やしないのに、



 少女はこちらをじっと見据えた。それまで明るい青色をしていた瞳が、まるで、ぐぅっと落ち込むように、底知れない深淵へ沈み、暗い色を湛える。

 リア、そう言って伸ばしかけた手は叩き落とされた。

 その目に自分を写した彼女が、あどけない声で問う。



「どうしてあなたにわたしが救えるというの?」



***



 はっ、と、荒い息が部屋に響いた気配で目が覚めた。

「……くそ、」

 シーツに手をついて上体を起こし、ディアラルトは右手で額を受け止めた。汗ばんでいる。この分だと恐らく、額だけでなく全身が汗に濡れているのだろう。蒸れた上掛けを引き剥がし、奥歯を噛み締めた。

 それからややあって、壁に後頭部を凭せかける。しばらく、天井を見上げたまま、肩で息をした。


「リア、」

 呟いてから、再び額を掌で覆った。ため息すらも出ないような焦燥だった。呼吸が上手く出来なくなる。

 見慣れた部屋の様子を見やった。右手にある窓から伸びた月の光が、絨毯と木の板の境目辺りを照らしている。カーテンは静かにはためき、窓のアルコーブには丸まっている少女が、……ああ、何だ、クィリアルテ嬢が寝てるだけか…………ん?

「……クィリアルテ嬢! 何故そんなところに!」

 思わず目を剥いて叫んでしまった。弾かれたように飛び上がり、目を覚ました彼女の体が、そのままゆっくりと傾く。

 冷ややかな夜風が、カーテンを強く揺らした。

「ひょっ……」と息を飲むのと悲鳴を上げるのとの中間のような音を発して、その体が、窓の向こうに消える。

 部屋を2歩で横切り、投げ出されるがままになっていた腕を掴んだ。力いっぱいに強く引くと、窓の外に落ちかけていた体はあっさりと部屋の中に帰還し、むしろ勢い余って絨毯を数回転げるほどだった。


「な……なにを、して、」

 足元にうつ伏せになって潰れているクィリアルテを見下ろし、ディアラルトは続きも言えずに絶句する。

「すみません、寝相が、悪くて」

 絨毯に顔を埋めたまま、クィリアルテはもごもごと応えた。

 ここは城の最上階である。その窓際で蹲り、あまつさえ窓を開けて寝ていたのだから、もしうっかり体が傾いたら、そのまま地面の庭園まで真っ逆さまだ。まず死ぬ。

 彼女が昨夜、当然のように床で寝入ってから、きちんとベッドの中央に上げておいたのだ。それなのに自然とそんな大移動を果たしたとするなら、それはもはや寝相が悪いとかそういう次元じゃあないだろう。


「いい加減にしなさい」

 やや声を険しくして呼びかけると、彼女はぴくりと震えた。

 ディアラルトは未だに嫌な感じで高鳴っている心臓を手で押さえながら、息をつく。もしこんなところでローレンシアの王女を殺害(勝手に落下)してしまえば、大問題である。頭の中に、千切れて彼方へ飛び去る銀山の権利書が浮かんだ。……いかん。


「本当なんですけど……でも、窓際に移っているのを分かった上で二度寝をしたので……その……わざとというのも本当で」

「……そういうことにしておこう」

 いつの間にか手足を縮め、土下座の体勢に移っていたクィリアルテを眺めながら、ディアラルトは頭を搔く。

「……その、だな」

 しゃがんで、肩を叩いて頭を上げさせた。クィリアルテは神妙な顔でこちらを見上げる。

「もし貴女の身に何か起きたらと思って、……心配した」

 一瞬だけクィリアルテは目を見開き、次に見たときには、何かを察したように目を細めていた。


「銀山が、心配なんですよね?」


 すぐにその場で「そんなことはない」と否定出来なかった時点で、完全に手遅れである。クィリアルテの表情は冷えきり、これ見よがしにハァとため息をついて肩を竦めた。



***


「目が冴えました」

「俺もだ」

 の二言で、まさかの特設カードゲーム大会の開催の運びになった。馬鹿みたいに広いベッドの中央に陣取り、私は内心「どうしてこうなった」と呟いた。


 二人で出来るカードゲームってのは案外少ない。私も必死に考えるが、いかんせん、人と遊んだ記憶が乏しすぎるのだ。

「じゃあ、ローゼ・スォッツァは?」

「分かりません、……あの、」

 皇帝が挙げる、聞き覚えのないカードゲームを却下して数度目、私は片手を上げて皇帝を制した。まったく、これだから異世界ってのは。やってみればトランプと似たようなものもあるかもしれないけど、名前が違うのだ。判別のしようがない。

「もしよろしければ、皇帝陛下が一番お好きなものを教えてください。私が覚えます」

 どうせ何を提案されても知らないし、という意味での発言だったが、皇帝はやや度肝を抜かれたようだった。一瞬たじろぎ、一度咳払いをする。

「そうだな、……ボードゲームでも良いか」

「はい」

 皇帝が立ち上がり、部屋の隅の机に近付くと、引き出しから大きな板を取り出した。思いのほかガチである。

 半ばドン引きしている私の前に、皇帝が板を置く。どうやら折りたたみ式で、皇帝は留め金に親指をかけると、軽い音を立ててボードを開いた。中にはいくつかの木で出来た駒が転がっている。家庭用将棋セットと似たようなものを感じる。いや、価値が全然違うんだろうけど。

「これは、ノユェンという戦盤、……ボードゲームの一つで、元々はヌーナという国が発祥の遊びなんだ。一般的には戦盤と言えばこれを指す」

 言いながら、駒を全て手に受け止めてから、盤を伏せて広げた。マス目が縦横に引かれた盤面は、やはり将棋を彷彿とさせる。

「ここが貴女の陣地だ。ここに相手の駒が辿り着いたら敗北」

「ふむふむ」

「で、これが普通の歩兵。駒は30個与えられるから、好きに区切って個隊を作って構わない」

「へええ」

 目を輝かせて説明をする皇帝をちらりと見ながら、私は顎に指を当てて頷いた。駒に刻まれた文字は、正直言って読めない。読み書きが苦手なのもあるが、狭い駒に細々とした崩し字で書かれているのである。形を目に焼き付けてから、もう一度頷いた。

「これは騎馬兵。素早い動きが可能だから、奇襲にもよく使われるな」

「ふむ……?」

 何だこれは! まったくけしからん、線がやたらとごちゃごちゃした駒だ。許し難いわね。


「それで、これは……」と、ある程度の説明が続いた後、皇帝は楽しげな顔で話を終えた。

 私は頭の中で必死にルールを反芻した。そんなに難しいルールじゃない、駒も大して多くない。でも、

「これ、物凄く奥が深くありません?」

「よく分かったな。その通り、複数の国が共同で開催する大会もあるくらいだ」

 俺はあまり上手くはないが、と苦笑しつつも、手早く駒を並べていく様子は、普段から遊び慣れている人のそれだ。

 皇帝の盤面を眺めながら、私も駒を並べる。初めるときの形は固定なのだそうだ。将棋感ある。

 将棋だと思えば何とかなりそうだ。薄らとした知識しかないけど。そう思っていた矢先、皇帝はおもむろに、ベッド脇の机からコップを手に取り、盤面の中央に置いた。

「……あの、邪魔なんですが」とコップを盤の外にどかすと、不思議そうな顔をしながら皇帝が再びコップを盤上に戻す。それから無言のうちに同じ攻防を数度繰り返し、私の方が耐えかねて目を剥いた。

「な、何なんですかさっきから」

「それはこちらの台詞だ」

「え?」

「ん?」

 お互いに同じコップを鷲掴みにしたまま、私達は見つめあった。ぶっちゃけ色気も何も無いベッドの上の攻防である。コップを下ろすか否か。

「……いや、障害物を置かずにやるのもいいが……邪道だな」

「あ、障害物だったんですか!」

 私は仰天して手を離した。いや、まさか意図的に置いてる障害物とは思わないじゃない、ねえ。

「まずは初めてということだし、中央に障害物が一つでやることにしよう。正式な大会になると、障害物の数や配置も、賽を振って決めるのが基本だ」

「めっちゃ奥深いじゃないですか……」

 毎回、盤面の形が変わるってことだ。だいぶ難しいんじゃないのか、それ。



 相手の主将のいる陣地は、私の陣地から見て、盤面の反対側。向こう側へ行くには、ど真ん中のコップを迂回しなければならないことになる。

 右から行くか、左から行くか。これはもう完全に運としか言いようがないように思えた。皇帝がどちらを選ぶか、その出方を見てからの方が安全だろう。

 そう思いながら、私はそろそろと歩兵の駒のいくつかを右側の方へ進めた。皇帝は表情を変えずに、歩兵を前進させた。

 ううん、と唸りながら、私は別の歩兵を、今度は左に向かわせる。皇帝がどっちから来ても大丈夫なように、一応、両方にある程度の歩兵を配置した。

 しかし、皇帝の駒はどっちともつかず、ふらふらとてんでばらばらに散っている。何だこりゃあ。皇帝の出方がどうにも読めず、手持ち無沙汰でどうしようもないので、取り敢えず私は右側の歩兵を進め、コップの向こう側へと繰り出した。

 その瞬間、皇帝は僅かに声を漏らして笑い、秩序なく散らばっているように見えた駒たちの中から、確かに固まって一個隊として存在していた一軍を、迷わずに進めた。

「騎馬兵……!」

 私は息を呑む。私が配置していた歩兵は、私が進めたことによりコップ脇の道を開いていた。そこを、騎馬兵の一個隊が駆け抜ける。次の手で歩兵を引き返し、騎馬兵を追うも、騎馬兵の動きの速さは歩兵とは段違いなのである。目に見えて私の陣地へ迫ってくる騎馬兵を防ぐべく、残りの歩兵で陣地付近を固め、私も騎馬兵を差し向けた。


 結論から言うと、ぼっこぼこにやられた。私の急ごしらえの守りは一瞬で破られ、あっさりと皇帝の騎馬兵は私の陣地へ到着した。主将たる私の首は切られた。あーあ。

 しかしそれでへこたれる私ではない。

「……も、もう一度お願いします」

 私は歯ぎしりしながら告げた。苦もなく勝利して、気分が良いながらも物足りなさを感じていたらしい皇帝は鷹揚に頷き、自分の歩兵をごっそりと取り除いて盤の下に落とした。



***


「寝不足だわ」

 まあ夜中にうっかり目が覚めて、それからずっとボードゲームに興じていたのだ。寝不足も頷ける。

 ふぁ、と欠伸を噛み殺すと、フォレンタが珍しく労わるような声音で言った。

「それほどお疲れですか」

「いや、まあね……。新しい扉を開いたわ」

「あ、新しい……扉……?」

 フォレンタは腰が引けたように私から一歩離れた。私の髪を結っている最中だったのに、手が離れたせいではらりと再び背中に落ちる。

「あれは近年稀に見る白熱した攻防だったわね」

 私がしみじみと回顧すると、パンゲアの侍女さんが、目を見開いて呟いた。

「攻防……?」

「ええ」と私は頷き、再び欠伸をしてから、目を瞬いた。

「初めはやっぱり、経験の違いかしらね。全然歯が立たなかったんだけど」

「立てなくて良いのでは?」

 フォレンタが顔を引き攣らせながら言っている後ろで、パンゲアの侍女の一人が、同僚に顔を寄せて囁く。

「経験……?」

「め、メフェルス様に確認を取ってくるわ」

 一人が静かに部屋から走り去ったのをぼんやりと見送りながら、私は首を傾げつつも続けた。

「まあね、回数を重ねるにつれて私もこなれてきて」

「回数を重ねる?」

「そうね、十数回は」

 気を取り直して髪を持ち上げながら、フォレンタが絶句する。ん? まあ私も熱中しすぎたとは思ったけど、そこまでびっくりしなくても……。

「後半の方は私が攻めに転じる場面もあったりしたのよ」

「え……。クィリアルテ様が、皇帝陛下に対して、ですか」

「そうよ? ……そんなに驚かなくたっていいじゃない」

 手早く髪を結い終え、フォレンタは目にも留まらぬ速さで私から離れた。何だか今日は他の侍女たちも距離が遠い気がする。何でだ?

「それで気付いたんだけど、私、攻める方が好きみたい」

 部屋が凍りついた。原因が分からず、私は泡を食って目を回す。

「な、何よ、そんなに意外? そりゃ、私だって攻めるのは下手だし、逆に攻められるともう太刀打ちも出来な、い……けど…………」


 ……そのときになって私は事態に気がついた。話が噛み合わないのも当然である。


 ぞろぞろと部屋を出ていこうとした侍女たちにむかって、私は決死の表情で叫んだ。

「待って! 違う! 戦盤の話!」

 フォレンタがくるりと振り向き、心底呆れたような顔をした。





 誤解も解け、清々しい気分で私は朝食の席へ向かう。――気のせいかな、何故か冷たい視線が背中に突き刺さる。主にフォレンタからの。

 そんな、背後から冷気に追い立てられて辿り着いたら朝食の席で、私は更なる氷点下に晒された。


「……クィリアルテ嬢」

 首をたたっ斬られるかと思った。唸るように私に呼びかけた皇帝は、食堂の奥に座ったまま肩を怒らせ、わなわなと震える。

「な、なにか……?」

 不思議だな、皇帝の背後に揺らめく大きな炎が見える。こんなに寒いのに、おかしいね。

 肘をつき、組んだ指の向こうに額を押し当てながら、皇帝は重々しく問うた。

「……どうして俺が、よそで女性を十数人孕ませたことになっているんだ?」

 私は仰天して仰け反った。え、何それ、聞いてない!

「そんなことしてたんですか!? 最低!」

「していない!」

「ええー!」

 断固として言い切った皇帝に、私は首を傾げた。本人は顔を赤くして否定しているが、そもそも――

「この話、私関係あります?」

「貴女がそう言っていたと聞いている」

「おおっと……?」

 ほぼ確実に、さっきの勘違いの余波である。

 私は困り果ててフォレンタを見た。すい、と目を逸らされる。仕方がないので皇帝の側に控えているメフェルスに視線を投げかけると、目が合っているようで絶妙に合わない。

「きっと何かの勘違いですよ」

「うーん……」

 私は顔を引き攣らせながら、皇帝の正面に座ると、誤魔化すために当然のような顔をして胸を張った。


 しかし!

 何ということだろう、この食堂、利用人数に対してあまりに部屋が広すぎるのである。利用者は私と皇帝のみ、にもかかわらず、見てくださいこの超長机!

 ファンタジーのアニメでよく見た構図である。部屋の中央にどどんと置かれた長机。その端に、皇帝は当然のような顔をして座っている。……先に相手が短い方の辺に座ってしまっていたら、私はどこに座るのが正解だと言うのだ。

 長い方の辺に座りなさい、長い方に! 私は内心で憤然としながら唱えた。だって、長い方に座ってるんなら、私も、隣、正面、斜向かいなど選択肢は色々あるが、短い方に座られたら、私はその正面くらいしか選べないじゃないか。皇帝がお誕生日席に構えてるのに、あともう一人の私は長辺の中央に座れと? 視線が交わらないことこの上ないでしょ。

 何はともあれ、私に選ぶことの出来た『皇帝の正面』の席は、そう。


「……遠いな」

「はい」


 特大机の、端と端。……仲悪すぎだろう。



「なんと言いますか、この机大きすぎません?」

「ん?」

「机! ここまで! 大きくなくて良くないです、か!」

 いかんせん、世間話をするには遠すぎる。食事中にもかかわらず、大声を張り上げて会話をする羽目になった。……行儀が悪いから黙って食えって? 私から関係を切っては、ストーリーが進まないじゃないか。私の予定では、今頃既に互いの正体に気付いて再会を喜びあっているはずだったんだけどな……。

「あの! 本日の! ご予定は!」

 何とかして話題を探そうと叫ぶが、残念なことに皇帝の声が小さすぎて聞き取れない。何言ってんだあの人。

 メフェルスが走ってくる。いつもの綺麗な微笑みである。

「『北のエザール領の視察だ』とのことです」

 私はすぅ、と胸を膨らませた。

「良いですね! 私も! 行ってみたい! です!」

 メフェルスが音もなく部屋を走り抜け、皇帝の元まで戻る。部屋中の目がそれを追った。

 皇帝が何事かごにょごにょと答え、再びメフェルスが部屋を駆け抜けてこちらへ来る。そろそろ微笑みが引き攣ってきた。

「『貴女が来ることを想定して日程や人員の編成を組んでいないので駄目だ』そうです」

「それなら! ぜひ今度! 私も一緒に! 行くような日程で! 予定を組んで! 下さい!」

 メフェルスが走る。言付けを貰って再び走る。

「『分かった』だそうです」

「ありがとうございます!」

 行く。戻る。

「『礼には及ばない』そうです」


 この流れを繰り返すこと数回。メフェルスの微笑みが完全に消え失せ、その額には青筋が立ち始めた。もうすぐキレる寸前である。怒られるのは果たして私か皇帝か。


 そんなとき、食堂の扉が高らかな音を立てて開いた。颯爽と現れたのは、手に何かを持ったフォレンタ。

 彼女はまず皇帝の元まで行き、その何かを渡す。しかし彼女の手にはまだ物が残っていた。

 続いて私のところまで来たフォレンタは、残りの半分を私に手渡した。

「いきなりどうし……糸電話!?」

「ご入用かと思いまして」

「発想力の勝利ね」

 言いつつ、私は紙コップを口に当てる。机の反対側で、皇帝が耳に手をやったのが見えた。

「もしもし? 聞こえますか」

 言ってから耳にコップを当てると、一瞬間が開いてから、声がした。

「思ったよりよく聞こえた」

「私もそう思いました」

 もっと微かな音になるかと思ったが(何せ距離が距離である)、思いのほか鮮明な輪郭をしている。感嘆して目を見開くと、傍らにいたフォレンタが胸を張った。

「音が聞こえやすい糸を選んできましたので」

「変なところで有能ね……」

「全般的に無能な……おっと、可愛らしくていらっしゃるクィリアルテ様とは比べようもございませんけれどね」

「一切誤魔化せてないわよ」

 無礼千万極まりないフォレンタの腕を軽くぶって、私は再び紙コップを口に当てた。


「皇帝陛下、私は日中何をしていれば?」

「ん? ああ……。考えていなかったな」

 皇帝がちょいちょい、とメフェルスに向かって手招きした。彼は「これで最後だ……」と怨念の籠った言葉を残して走り去った。

 何やら相談するように一言、二言交わして、再び皇帝は糸電話に口をつける。

「遊んでても良い」

「ははは、ご冗談を。……え? 本気ですか?」

 まさかの? 仕事も何もなしですか。


 そのとき、私の頭に天啓が降りた。

「あ……じゃあ、私、勉強がしたい、です」

 皇帝は怪訝な顔をした、……ように思う。遠いからよく分からないけど。

「体が弱くて、あまり勉強をしてこなかったんです。だから、」

「そういえばそんなことを言っていたな」

 私もそんな設定、今思い出しました。自分でもなかなか辻褄の合う説明だと悦に入りながら、私は得意げにフォレンタを見た。

 フォレンタはどこか青ざめた顔をしていた。私と目が合うと、すぐにいつものつんとした表情に戻ったが。

「分かった、近日中にでも手配しておこう。……メフェルスが」

「僕がですか!?」

「俺はそういうことには疎いからな」

「……分かりました」

 まあおおよそこんな会話だろう。あまりよく聞き取れた訳ではないけれど。


 それからは糸電話のおかげで、つつがなく食事を進めることが出来た。

 そのまま食堂を出て、右に曲がった皇帝を見送り、私は左に曲がった。

「……クィリアルテ様」

 直後、フォレンタが静かに私の耳元で囁いた。人目を忍ぶ様子に、振り向かないまま目を向けると、彼女は躊躇ったように口を開く。

「もしや、基礎教育も、何も……?」

「そうね、初等教育前半レベルまでなら修めたわ」

「何てこと……」

 フォレンタは口元を押さえ、一歩下がった。私はにこりともせずに目を伏せる。

「だから無理だって言ったのよ」

 鼻を鳴らし、私は頭に浮かんだ女王の顔をかき消した。

「……『王女クィリアルテ』を教育せずに、そのままにしておいたのはあなた達でしょう。それなのに今更王女として嫁げって? 正気の沙汰じゃないわ」

 思わず毒づいた言葉に、フォレンタは答えなかった。私も言い過ぎた自覚はあった。別に、この件はフォレンタに責任はないのだ。


「さ、じゃあまずは、私の名前の文字を教えてね」

 立ち竦んだままのフォレンタを、今度こそ振り返り、私は取り繕うように微笑んだ。



***


 フォレンタが所用で席を外している間、紙とペンを前に、私は腕を組んで思案した。

 思い出すのは、今日の夜更けのことである。皇帝との戦盤大会が開催される少し前のこと。


「……絶対うなされてたよね」

 呟く。誰も聞いていないことを分かった上での言葉だ。誰かに聞かせる気もない。

 ベッドの中で低く呻いていた皇帝は、飛び起きるや否や、酷く動揺したように肩を上下させていた。

 何故私がそんなことを知っているかって? ……狸寝入りをしていたからだよ!

「それで、あの人、『リア』って……、どんだけ私のこと好きなのよ」

 頭を掻き、私は荒くため息をついた。言わずもがな、皇帝が飛び起きてから、ややあって呟いた二文字のことである。

「何か、変よね」

 目を瞑り、私はこめかみを指先でつついた。規則的な振動音が響いた。

「あれは、何というか……恋なの?」

 自分自身に恋の何たるかを問うても、一切の手応えがない。ド定番ロマンスの主人公としては失格としか言いようがないが、どうにも分からないのである。

「初恋をこじらせた系なの? 私、こじらせ展開は回避したいんだけどな……」

 ううん、と頭を悩ませ、私は再び腕を組む。何てったって、むやみやたらにこじれる展開ってのは、放っておくと妙に触れづらくなり、果てには国家存亡の危機になったり誰かの生死に関わったりすることがあるからだ。ファンタジーものだと、ときどき世界滅亡手前くらいまで軽ーく行くこともある。


 私はカッと開眼し、顎に指を当てて呟いた。

「そもそも私たちに恋愛が出来るとは思わないぞ?」

 問題はそこだ。私とて、このド定番ロマンスのお相手役となる皇帝を目にして、1ミリもときめかないとは想像もしていなかったのだ。

「普通、ほら……ちょっと感じるものがあったりとかさぁ……」

 だからこそ、性癖にドンピシャのメフェルスを見た瞬間、私は焦ったのである。そう、いわゆる『ストーリーの強制力』と、『前世の性癖』のどちらが勝つかということで。

「これは由々しき事態ね」

 私は恐らく、恋をせねばならない。そうでなくば、この物語が進まないことは明白だ。

 でも、それでも――

「……別に、良いのかも知れないわね」

 机に頬杖をつき、私はぽつりと呟いた。私はきっと、皇帝を特別な意味で好きになることはない、し。皇帝はリアが忘れられないから私を愛することもないのだ。リアはもうどこを探しても見つからないから、皇帝は一生リアへの想いを抱えて生きるとかそんなオチになるだろう。

「私たち、きっと仲良くなれるわ」

 一緒に戦盤で遊べばいい。他の遊びを教えて貰って、フォレンタもメフェルスも誘って、宰相も隠密くんも呼んで、みんなで遊んで、そうやって過ごすのだ。

 なんて楽しい日々だろう。まるで、本編の物語が終わったあとの平和な後日談のような、そんな毎日を送ったら楽しかろう。


 ――――全てに、蓋をして。



「クィリアルテ様、良い教材を見つけて参りました」

 片腕に本を数冊抱えたまま、部屋に入ってきたフォレンタの声に、私の思考は強制的に打ち切られた。はっと背筋を伸ばし、我に返った私は、フォレンタを振り返る。

「ありがとう、フォレンタ」

 微笑んだつもりだったが、少し目元は暗くなってしまった。そんな私を、数秒間まじまじと観察してから、フォレンタはわざとらしく首を傾げた。

「どうされましたか、クィリアルテ様。変に辛気臭い顔をなさっていますが」

「……一切の改善を見せない失礼ぶりね」

「いえいえ、クィリアルテ様ほどでは」

「真顔で照れた振りですって……? また新たな技を」

「きゃっ。クィリアルテ様に褒められると、照れちゃいますね」


 全くもって生産性のない会話をした、このあとに私の内心の一言を付け加えるなら、例えばこういうものが続くだろう。




 ――――私が何もせずとも、物語が勝手に進むとは、そのときの私には知るよしもなかった……。




***


「……まあ何もないんですけどね」

 紅茶を啜りながら(行儀が悪いとフォレンタに叱られた)呟き、私は肩を竦めた。

「いや、何もしなきゃ何も起きないわよ、当たり前じゃないの。ねぇ」

「何についてのお話なのか測りかねます」

「あら、そうよね。ごめんなさい」

 私は適当に謝ってから、ふと目を上げる。人の気配を感じたからである。


「待たせたな」

「いえ、それほどでも」

 私が座っているテーブルのところまで近付いてきた皇帝が、正面に腰を下ろす。私も紅茶のカップをやや脇に移動させた。

「……では」

「いざ、尋常に勝負!」

 私が既にテーブル上に並べてあったカードから持ち札を取り、私たちは同時にサイコロを振った。私の手を離れたサイコロの方が大きな数字を示していることを確認し、私は拳を握る。

「やった、私が先手ですね」

「俺は後手の方が得意だぞ」

「む」


 わいわいと騒ぎながら、カードゲームに興じる。私がここに来てから既に1ヶ月ほどが経った。

「ふふふ、かかりましたね」

「あ、くそ、……やられたな」

 まだ多く持っていると見せかけていた手札を、連続して場に出す。皇帝の手札はおおよそ予想がついていて、私が出すカードの順番如何ではその手札に勝ち目がないこともわかっていた。

「はい、はい、はいっと」

 一枚残らず消えたカードを示すように、ぱっと手を広げる。皇帝は悔しげに歯噛みしていた。

「……メフェルス、お前も来い」

「え、僕もですか」

 後ろで退屈そうに空を見上げていたメフェルスが、目を覚ましたように居住まいを正す。いや、気を抜きすぎでしょう。

「じゃあ、フォレンタも一緒に」

「私はなかなか強いですよ」

「……言うじゃない」

 円卓に、4人。私は散らばったカードをかき集め、慣れた手つきで向きを揃えると、小気味よい音を立ててカードを切る。頃合を見計らって、私はテーブルにカードをこつんと当てた。


「さ、勝負よ」


 それは、文句の付けようもないほどに、幸せな日々だった。






これで一章が完結です。

次章は少し時間が飛んで夏になります。


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