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3 歩き出す



「……で? どうして貴女たちが仲良くおててを繋いでいるのか、私は訊いた方が良いのですか?」

 呆れたみたいに肘掛に頬杖をついて、女王は私たちを眺めた。

「えええー、そんなぁ」と私は頬に手を当てたが、一瞬にして顔を赤くした皇帝は凄まじい勢いで手を振り払った。おい。


 私がじろりと目線を投げると、皇帝は「悪い」と顔の前で手を立てる。


「えーと、その……」

 女王のところに来るまでは意気揚々としていた彼は、いきなりもじもじし始めた。私と女王は半目になって顔を見合わせた。

「クィリアルテ、本当にこれで良いのですか?」

 だいぶ失礼な物言いをして、女王が皇帝を指さす。

「これだからいいんです」

 私が笑顔で頷くと、女王は呆れ混じりのため息をついた。


「婉曲な表現は結構でございます」

「はい」

 カチコチになっている皇帝の背中をばんと叩いてやると、彼はぐっと顔を上げて背筋を伸ばした。


「彼女を、パンゲアに頂いても宜しいでしょうか」


 女王は、わざとらしく迷う素振りを見せた。「どうしようかしら」と白々しく顎に手を当て、流し目をする。

「……つまり、契約は反故にするのですね?」

「はい」

 強く頷いた皇帝に、女王はにやりと笑った。

「ナツェル銀山の話はなしになりますよ。よろしいのですか?」

「えっ? 何それ」

「ああ、貴女は聞いていませんでしたか」と女王はこともなげに呟く。


「貴女をパンゲアにて皇帝陛下並の最高の警護のもとで保護する、そして貴女をローレンシアに返す。それが全て完遂されて、ナツェル銀山の譲渡の条件が成立する。と、そのような契約だったのです」

「ほえー……」

 残念ながら一定以上の文字数の説明は咄嗟に入ってこない質なので、とりあえず頷いておく。女王は私の適当な相槌を見透かしたみたいに私を見下ろした。


「でもクィリアルテを返せないって言うんなら、ナツェル銀山は差し上げられませんね」

 女王は楽しげに口角を上げて皇帝を眺める。

「構いません」

「そうですか」

 全く驚きを見せずに、女王は軽く頷いた。そのあっさりした様子に、皇帝はやや拍子抜けしたようだった。

「何です、私が泣いて縋ってクィリアルテを離さないとでも思いましたか?」

「そこまでは思っていませんが、……もう少し渋るかと」

「私だって銀山を譲渡しないで済むなら譲渡しませんよ。クィリアルテはどこに行っても図太く生きるでしょうし」

 女王は足を組む。やや横柄な態度で頬杖をついているが、どうやらそれが皇帝と女王の力の差らしかった。まあ年齢が親子並みだからね。



「皇帝陛下に訊くべきことがあるのを忘れていました」

 女王は薄らと笑みを湛えた表情で皇帝を見る。

「本来なら父親がするべき質問かも知れませんが、……パンゲアで、クィリアルテが貴方と共にいて、この子は幸せになれますか」

 ぐ、と皇帝が少し迷ったように声を詰まらせた。

「そうね、安易な肯定は避けるべきです。――どのような立場の人間としてこの子を連れ帰る気かは分かりませんが、貴方の側に置きたいならこの子はまだ不適格ですよ。知識も教養も品もない」

「全力で失礼ね」

「あと礼儀も知りません。義母に敬語も使えないくらいです」

 文句を漏らした私を横目で見て付言した女王は、ため息をつく。


「彼女の指導は、ラツェロ婦人に一任するつもりです」

 皇帝が答えると、女王は「あら」と眉を上げた。

「ラツェロ・リンデン?」

「いえ、既に結婚してラツェロ・マレネーロとなっていますが、……彼女に任せてあります」

 ふうん、と女王は少々機嫌良さげに応じた。

「彼女なら安心ですね。若い頃に同級生でしたが、あれから変わっていませんか」

「色々な意味で変わっていません」

「そうですか、あの人が、……。確かに、あれほどの女傑はなかなか見ませんからね」

 私からすればあなたも相当に強烈な人だと思いますけど、と内心で呟きながら、私はラツェロ婦人への謎の信頼に微妙な顔をした。


「……クィリアルテ。パンゲアに行ってラツェロに教えを乞いなさい」

「素早い決断!」

 女王はきっぱりと告げる。

「それで、皇帝陛下。この子をどのような地位に就けるおつもりで?」

「……それは、……本人にもまだ何も」

 皇帝は一応そう答えたが、女王は当然だと言わんばかりに応じた。

「皇妃になさるつもりなら、あともう少し様子を見るべきですね。暴動が起きますよ」

「素晴らしく失礼だわ」

 女王の暴言に不満を漏らすと、彼女は一瞬だけ私に視線を向け、歯牙にもかけないみたいに目を逸らした。失礼な!



「ともかく、私は無理に引き止めはしませんよ」

 女王は微笑みながらそう言った。

「戻りたくなったらいつでも戻ってきなさい。料理長が大喜びでご馳走を作ると思いますから」

 予想外の優しい言葉に、思わずじぃんとして涙ぐむと、女王は面白がるみたいに私を眺める。

「ありがとうございます」

 皇帝は慇懃に頭を下げた。


「多少手回しをする必要がありますので、数ヶ月頂いても?」と女王は問う。

「もちろんです」

 皇帝が頷くと、女王は少し思案するように顎に手を当てた。それから私に視線を向ける。

「正式に他国に送り付けるなら、もう少ししっかり鍛え直した方が良さそうですね」

「えっ」

 腰が引けた私の背後で、フォレンタが「同感でございます」と告げた。



***


 季節は初夏、風が心地よく、清々しい頃である。

「うっ、うっ、クィリアルテ様……」

 馬車に乗り込んだ私の手をしっかと掴んで離さない使用人たちの背後で、女王が呆れたように腕を組んでいた。

「そう大騒ぎするんじゃありません。対外的に侯爵令嬢として仕立てあげたのですから、貴女たちがそのようにやたらと別れを惜しんでいたらおかしいでしょう」

「何と無慈悲なお言葉……!」

「はぁ……」

 よよと泣き崩れた侍女にため息をつき、女王は組んでいた腕を解いて腰に手を当てる。

「いいですね、向こうで皇帝陛下に迷惑をかけるんじゃあありませんよ」

「もっちろんですよー!」

 安心させてあげようかと、陽気に親指を立てて答えたら、女王はぴくりと頬を引き攣らせた。

「まだもう少し指導した方が良さそうですね。出立は延期と手紙を出しましょう」

「はい、もちろんでございます。パンゲアで()品行方正に過ごそうと思いますわ」

 隣に座ったフォレンタは、「も?」とあからさまに首を傾げたが、それは聞こえなかったことにする。


「クィリアルテ様ー!」

 使用人たちの大合唱に背中を押されながら、私はローレンシア王城を旅立った。皆が手を振るので、私もずっと窓から身を乗り出して手を振っていた。

 最後の最後、角を曲がる直前に、それまで頑なに腕を組んでいた女王が、ひらりと軽やかに手を振ったのが見えた。



「……なんか、あっという間だったわね」

 私は呟いて、背もたれに体を預けた。フォレンタは柔らかい表情で「はい」と頷く。

「ずっとローレンシアにいて、それで、パンゲアに行って、……色々あったけど、全部いい感じにまとまったし」

 春は皇帝と仲良くなれたし、夏はロズウィミア嬢と仲良く誘拐されたりした。秋は皇帝と一緒に誘拐されて、冬は一人で誘拐……


「……私、誘拐されすぎじゃない!?」

「今更お気づきですか?」

 フォレンタがどこか疲れたような表情で嘆息する。

「本当に大変でございましたよ、クィリアルテ様と来たら、あっちで揉め事こっちで揉め事、軽率な行動を取ってすぐに誘拐されて、しかも反省しないときましたから」

「ここぞとばかりに悪態をつかないで頂戴」

 フォレンタは言うだけ言って、長く息を吐いて、それからふっと頬を緩めた。

「まあ、後になって思い返してみれば、――ある意味充実した一年でしたね」

「後になってみれば、ね」

 当時はそんなこと思っていられなかったけれど。



 何はともあれ、前述の全てが、いい方向へ向かって終わった事例であることに、多少思うことがない訳ではない。

 私は未だに、この世界が何らかの筋に沿った物語である可能性を捨ててはいない。つまり、誰か別の、――そう、あなたが私を見ているという可能性である。

 しかし私があなたに手が届かないのなら、それは存在しないに等しいものだ。この世界は私のものだ。

 ただ、もしも、私の人生が物語なのだとしたら、とびきり楽しい話であればいいと思う。私の一生が、余すことなく物語に出来るくらい充実したものであればいいと思う。あ、でも揉め事はもうごめんかな。


 開け放った窓から爽やかな風が吹き込んだ。遠くの山脈のさらにその向こうにある雲を眺め、その下にあるであろうもうひとつの国を思った。

 私の髪は前より伸びた。私の顔は変わらないし、私の目の色も変わらない。私はこれからも鏡を覗くたびに、あまり愉快ならざる記憶を思い出すのだろう。

 しかし、それでも、――それより楽しいことが沢山あると、私は既に知っているから。


「ねえ、フォレンタ」

 こちらを振り返ったフォレンタに、私は微笑んだ。

「生きることって、幸せなことだね」

 フォレンタは少しの間、いきなり何を言っているんだと言わんばかりの怪訝な表情をしていたが、すぐにそれを和らげた。

「はい、……もちろん」

 私はそれきり黙って、機嫌よく外を眺めていた。



***


「どういうことですか、メフェルス様!」

「うがが……やめ、やめてくださ、」

 力一杯前後に揺さぶられ、メフェルスは白目を剥きながら天を仰いだ。

「クィリアルテ様がご実家に帰られたかと思ったら、今度は別のご令嬢がいらっしゃるんですって!? ローレンシアの侯爵家のご令嬢だそうじゃないですか!」

 物凄い剣幕の侍女たちに詰め寄られたメフェルスは、たじたじと後ずさりする。憤懣やる方なしと言いたげに湯気を立ち上らせている侍女たちは、鋭い視線を向ける。

「あまりに不誠実な行いでございます。せめて皇帝陛下に一言申させて下さいませ、さあ早くそこをお通し下さい」

「い、いやぁ、それは……」

 背後に皇帝の執務室を守りながら、メフェルスは顔を引き攣らせた。もちろん自分は全ての事情を知っているし、侍女たちの怒りが全くもって的外れであることはよく分かっているのだが、


「何だ、騒々しい」

「こ、皇帝陛下……」

 顔を覗かせた皇帝に、侍女たちが思わず怯む。皇帝は厳しい表情のまま言い放った。

「俺が選んだ人だ、他の人間から文句をつけられる筋合いはないだろう」


 ……当事者がこれなのである。



「ははは、見たかあの顔」

 ようやく侍女たちをなだめすかして、メフェルスが執務室に退避すると、皇帝は酷く楽しげに肩を揺らして笑っていた。

「皇帝陛下……。いい加減ネタばらししてもいいんじゃないですか」

 げっそりしたメフェルスが恨み言を漏らすと、重厚な机の上に頬杖をついた皇帝は笑み崩れた。


「まあ良いだろう。明日までの辛抱だからな」


 そう、明日が、――皇帝の寵愛を受けるローレンシアのご令嬢(語弊あり)が城にやって来る日である。

 そう思うとメフェルスも思わず笑ってしまった。全くもってろくでもないサプライズだが、自分が仕掛け人の側に回っているのは愉快だった。



***


 何だか雰囲気が異様だな、と私が気付いたのは、城の玄関に乗り入れたときだった。妙に静まり返った玄関ホールに、姿勢が硬い警備の兵士。


「そういえば言い忘れていましたが、パンゲアの皆さんはクィリアルテ様が来たことを知らないらしいですよ」

「……どういうこと?」

 私が眉をひそめると、フォレンタは妙に楽しそうに答えた。

「皇帝陛下がローレンシアから連れてきた、どこぞのご令嬢だと思われているようです」

「ちなみに私は何だと思われていたのかしら?」

「平民出のそこらの町娘でしょうか」

「強く否定出来ないのが悔しいわ……」

 私はぐりりと歯ぎしりする。



 馬車がぴたりと止まった。こつ、と床を踏む靴音が近付き、馬車の扉が開かれる。

「お待ちしておりました、」

 クィリアルテ様、と私の名前を囁くみたいに呼んで、メフェルスが私に微笑みかけた。


「ようこそ、パンゲアへ」と、妙に芝居がかった仕草で告げる。片手を背に回し、馬車の中にいる私に手を差し伸べた。


「待て、どうしてお前が迎えるんだ」

「僕の領分です、ちょ、やめ、」

「どけ」

「嫌です、僕がこの数日間どれだけあなたに煮え湯を飲まされたと」

 いきなり馬車の前で押し合いへし合いし始めた皇帝とメフェルスを眺めて、それから私は思わず吹き出した。



 どちらの手も取らずに、ぴょんと馬車から飛び降り、私はすっくと立ち上がった。ぎらぎらとした目でこちらを見据えていた侍女さんが、呆気に取られた顔をする。

「クィリアルテ、様……?」

 玄関前に控えていた兵士が、唖然と呟いた。


「――ただいま帰りました」

 私はにっこりと淑やかに微笑む。背後でフォレンタが満足げに頷くのを確認して、それから私は勢いよく地面を蹴って駆け出した。


 わっと、城内が湧いた。驚いたような表情でこちらを見る官僚に、腰を抜かす料理人。なんだなんだ、皆見に来てるんじゃないの。


「おかえり」と彼が笑んで、手を差し伸べる。全力で体当たりをかました私を頑張って受け止めて、私の背を抱きとめた。


「今の所業は、じょ……お義母さまにご報告させて頂きますね」

 すかさず胸ポケットから手帳を取り出したフォレンタが何かを書き付け始める。

「や、やめてよぉ!」

「命じられておりますので」

 半泣きになって縋り付くが、フォレンタはつれない。

「私の侍女になってくれたんじゃなかったの……」

「これはクィリアルテ様の為でございます」

「ひぃい……」


 私が自分の体を抱いて震え上がったところで、城の玄関の方から大音声で私を呼ぶ声が聞こえた。

「クィリアルテ様、お待ちしておりましたぞ!」

 床を揺らしながらこちらへ猛突進してくるレゾウィルを阻んだのはメフェルスだった。

「ぐっ……!」

「む、何をする」

 身を挺して私たちを守ってくれたメフェルスは、哀れにもその場で殉死してしまった。すぐに生き返ったが。


「やっぱりクィリアルテ様だと思ったわ」

 レゾウィルの背後から悠然と歩いてきたロズウィミア嬢が、私の姿を認めて片手を上げる。

「あ、ロズウィミア様、お久しぶりです」

 私が応じると、彼女はにこりと微笑んだ。


「クィリアルテ様がこうして戻って来たってことは、本当に正式に皇帝陛下に輿入れされるの?」

「えーと……」

 私は頬を掻いた。

「試用期間、だな」

 皇帝が正直に答えてしまうので、私は気まずさに顔を引き攣らせる。


「あら、ならまだしばらくは暇なのね」

「言い方……」

 渋い顔をした私は気にも留めず、ロズウィミア嬢は笑顔で言い放った。

「責任が伴わない内に散々甘えておくといいわ」

 経験者は語ると言わんばかりに訳知り顔をする彼女に、私は神妙な顔をして頷いておいた。



***


 大陸に位置する二つの大国、ローレンシアとパンゲアは、ローレンシアの侯爵令嬢がパンゲアの皇帝の元へ輿入れしたことにより国交を密にし、それよりおよそ百年の間を「繁栄の世紀」と呼ぶ。

 特にローレンシアから来た令嬢は、数えきれないほどの功績を残し、ありとあらゆる人に尊敬され、後世においても、「賢く・美しく・優しく・素晴らしい」人格者として語り継がれている……



 ……といいのにね!





 もちろん全て嘘である。私は残念ながら現在にしか生きることは出来ない。

 それを実現するのは、何を隠そう私たちをおいて他にいないだろう。結局、私たちは、自分で幸せになるしかないのだ。



「クィリアルテ」

 遠くから呼ばれて、私は振り返った。庭に置かれたテーブルには既に皆が揃っていて、私を待っていた。

「お待たせしました」

「いや、それほどでも」

 皇帝が座っているテーブルのところまで近づいていった私は、その正面に腰を下ろす。彼も紅茶のカップをやや脇に移動させた。


「私はなかなか強いわよ」

「……言いますね」

 ロズウィミア嬢が張り切って腕をまくった。フォレンタは飄々としているし、メフェルスは気合の入った表情で拳を握る。


 皇帝が、手早く切っていたカードを、こつんとテーブルに当てた。


「さあ、勝負だ」



 きっとこれからも、文句の付けようもないほどに、幸せな日々が待っている。

 それを予感して、私は思わず笑みを零した。








 ここまで読んで下さった全ての方へ、心からの感謝を捧げます。

 本当にありがとうございました。



2018/05/08 冬至



(長いあとがきと登場人物紹介をあとで活動報告に載せておきます)

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