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2 こどもたちは



 あくびひとつ漏らして、わたしは大きく伸びをした。体が妙にだるい。……まるで、普段より睡眠時間が少し短いみたいに。


 天蓋から下がるカーテンを、そっと手で揺らす。ベッド脇の椅子に腰掛け、腕を組んだまま俯いて目を閉じているアラルを眺めた。

 ふと、その瞼が上がり、私を見据える。

「……彼女はいたよ」

 彼はほとんど息のような声で囁いた。

「君の中にまだいるんだ」

 妙に少年めいた表情で、くしゃりと笑った。その様子に、ああ、憔悴しているんだ、とわたしは察する。


「アラル、」と呼びかけ、両手を伸ばした。ふらふらと熱に浮かされたように覚束無い目で、彼がわたしを見る。

「大丈夫よ、わたしはどこにも行かないわ」

 酷く辛そうに表情を歪めたアラルの頭を抱いて、わたしは静かに告げた。

「迎えに行かないといけないわね。あの人きっと拗ねてるのよ」

 イェシルに言われた失礼なことを、今度はわたしの大好きな恩人に投げつけてみる。もしかしたら今、わたしの胸の内で、『そんなことない!』って憤慨してくれていたらいいのに。


「……俺は、」

 彼は不安定な声で呟いた。誰に言うでもない独り言のようだった。

「どうして彼女を求めているのだろうか」

 何故か自分が傷ついたみたいな顔をして、彼が息で唇を擦る。その吐息は自嘲するような雰囲気を持っていた。

「もし、どちらかを選べと言われたら、俺は……」


 ……それは、わたしが同じようにずっと考えていることと同じだった。でも、例えば『わたし』と『私』が同時に存在できないのだとしたら、

 ――多分あの人は、わたしの意見も聞かないで、勝手に引き下がるんだろう。



***


「存在意義?」

 わたしが繰り返すと、彼は「ああ」と頷いた。

「彼女はいつ、どういうきっかけで生まれたんだろう」

「うーん……」

 わたしは腕を組んで天井を見上げる。昔のことを思い出そうと目をつぶるが、如何せん昔の記憶はちょっと曖昧なのだ。おおかた思い出しはしたけどね。


「えーとね、確か……4、5年くらい前かな?」

 うむむと唸りながら呟くと、アラルは「その時期に何かあったか?」と首を傾げる。

「何かあったというかなんというか……」

 特にその辺りの記憶が薄れているのは事実だった。基本的に使用人として(勝手に)働いていた時期の毎日は、ほぼ代わり映えせず、記憶も曖昧である。


「はじめて、あの人が、話しかけてくれたとき、」


 わたしは思案して、ゆっくりと話し出した。

「……『あなた、いつもこんな目に遭ってるの』って」

 つまり、そのときわたしは、「こんな目」と言われるような事態に陥っていたのだ。……心当たりがありすぎて嫌になる。

「フォレンタ、何か分からない?」

 わたしが振り返ると、彼女は顎に手を当てて視線を上にやった。

「クィリアルテ様の様子が変わられたのは、おおよそその辺りかと。それまでは、……言い方はあれですが、抜け殻のようになっておられましたが、あるときから言動に変化が現れ始めたように思います」

「具体的に?」

 わたしが促すと、フォレンタは咳払いを一つして口を開く。


「……無視すると追いかけてきて不平不満を言うようになりました」

 わたしは微妙な顔をした。正面のアラルも同じような顔をしていた。

「床を無駄に磨き上げて滑りやすくしたり、誰もいない直線の廊下で全力疾走してみたり、庭で犬を拾ってきて飼い始めたり――これは女王陛下が回収して飼われています――、扉の隙間に雑巾を挟んで開けたら落ちるようにしたり、ですかね」

「悪ガキじゃないか」

「返す言葉もないわ……」

 テーブルに突っ伏したわたしに、フォレンタは容赦なく追い打ちをかける。

「はい、悪ガキでございます」

「……。」

 わたしは完全に沈黙した。


「ですが、表情が明るくなられたのも事実です。嫌なことがあったら分かりやすく怒りますし、よく笑うようにもなりました」

 フォレンタは目元を和らげて言う。わたしは呆気に取られて彼女を見上げていた。


「初め、私がクィリアルテ様の頭上から水をかけた直後から変化が現れ始めたので、もしや自分が原因ではないかと考えましたが、……恐らく違いますね」

「……待て、」

 アラルは手のひらをフォレンタに向けた。

「どう考えても重要じゃないか」


 わたしは眉をひそめて顎を掴む。

「それ、いつ、どこの話?」

「裏庭です。季節は春先だったかと」

 うらにわ、とわたしは繰り返した。そこで水をかけられたことは一度しかない、はずだ。そもそも水をかけられたのがその一回きりである。

「あれ、フォレンタだったの!?」

「はい」

 平然と頷いたフォレンタに、わたしは唖然とする。

「あなた、そんなにわたしのこと嫌いだったの……? 今からでもクビにするわよ」

「いえ、決してクィリアルテ様のことは嫌いではございません」

「ならどうして」

 フォレンタは一度咳払いをして、ふと外を見やった。


「クィリアルテ様が酷く思い詰めてらしたようでしたので」

 それでどうして水をかけるのか。フォレンタ曰く手元にあったのがそれしかなかったらしい。



***


 取り敢えず裏庭へ向かう。今日も天気が良くて何よりだ。

 ふぁ、とあくびを漏らすと、アラルが小さく笑った。それを無視して歩を進める。広い庭を横切って、裏庭へと足を踏み入れた。


「午前中は日当たりが良いのですが、午後になると影になってしまって」とフォレンタはどこか不満げに呟く。わたしも裏庭を見渡して、なるほど、と頷いた。

「あまり広くないし、ちょっと陰気臭いわね」

 別に狭いということはないのだが、城の前に造られた広大な庭園に比べると、花も少ないし日当たりもそこまで良くないし、見劣りがするのは分かる。


「わたしに水をぶっかけたとき、フォレンタはどこにいたの?」

「すぐそこの二階でございます」

 示された窓を見上げる。確かに、裏庭に面した窓が頭上にあった。


「そのとき、わたしは……」

 裏庭の中央に立って、わたしは腕を組んだ。確か、あのとき、わたしはここで落ち葉を集めていたはずだ。一旦雪の下敷きになった葉っぱだから、地面に張り付いて剥がすのが大変だった。


「……フォレンタ、」

 わたしは、一点に目を留めて、呟く。

「あの池って、確か、相当深かったよね」

 フォレンタは、何か言いたげな顔で頷いた。

「非常用の貯水池ですので」

「そうだよね、……落ちたら死んじゃうくらい」

 アラルは、わたしがいきなり何を言い出したのかと首を傾げたが、フォレンタは黙って唇を引き結んだ。


「あのとき、わたし、考えていたんだわ、」

 ここで、こうして、箒を持って、あの池を眺めていた。

「――――あそこに飛び込んだら、楽になるんだろうなって」

 それは突発的な行動だった。よくよく考えて、じゃあ試みようだなんて思ったんじゃなくて、ただ、ふっと。


 わたしの足がぴくりと動きかけたとき、わたしはふと考えたのだ。

 何か美味しいものが食べたいな。油っこいものとか、そういう、身体に悪いもの。スナック菓子なんてもうずっと食べてない。

 スナック菓子と言えばやっぱりポテチだ。


 意味の分からない単語の羅列が突如として頭の中に浮かび上がり、わたしは混乱した。わたしを覆い包むみたいに別の意思が湧き上がった。



 水をかけられ、びしょ濡れになったわたしに、彼女は言った。

 あなた、いつもこんな目に遭ってるの?



「そんなこと、考えちゃ駄目だよって、怒られたの。力強く励まされて、わたし、それで、いつも」

 そうして「わたしたち」は始まった。わたしはあの人に知っていることを全部教えたし、あの人も色々なことを教えてくれた。


 初めは別々だったわたしたちは、四年間の月日をかけて、ゆっくりと混ざり合っていったのだ。


「それなのに、また、辛いことが沢山あるから、あの人がみんな代わってくれたのよ」

 少し過保護じゃないかと思うくらいに、あの人は様々なところで矢面に立った。わたしたちの移り変わりはほとんど無意識みたいなものだったけれど、彼女がわたしを押しのけて出てくるときは決まって意識的だった。


「私は、わたしなの。一緒の存在なの。それなのに、あの人、」

 わたしを守るために、勝手に分離した。


「居候なんかじゃないの、わたしは私で、私はわたしなんだよ、二人でひとつなんだよ、だから、」

 わたしはアラルの胸元を鷲掴みにして、強い目を向けた。

「わたしじゃあの人に会えないから、……あなたに任せる」


 アラルは少しの間、呆然としたように立ち尽くしていたが、ゆっくりと微笑んで、確かに頷いた。



***


 死んでしまいたい、消えてしまいたい、と泣いている女の子に、私は面食らった。

 思わず手を伸ばして、話しかけてあげたら泣き止むので、私はようやくほっとした。もう二度とそんなことを言ってはいけない、と言い含めて、そうして私たちは始まった。


「……リアの話では、恐らく貴女は全部聞いているだろう、と」

 夜の帳が落ちた頃のことだった。私が裏庭に足を踏み入れた途端、待ち構えていた彼はそう言った。

 特に否定する理由もないかな、と思ったので、「はい」と答えると、彼は息だけで笑った。


「あれを聞いても、まだ戻る気にはなれないか」

 私は目を逸らす。

「依存ですよ。あの子、私と一緒にいることに慣れきっているものだから……。でもそれは自然な状態じゃないでしょう。もう私がリアを助ける必要もないんだから、私の存在意義もありません」

 私は苦笑して頬を掻いた。


「その癖」

 皇帝がふと放った言葉に、私は手を止めて、きょとんとした。

「その、困ったときに頬を掻く癖だ」

 何を言いたいのか分からず、返事に困った私に、彼は付言する。とどめに等しい一言だった。

「……リアもよくやっている」

 私は息を飲んで、体を強ばらせた。彼は私の側まで歩み寄ってきて、腕を取った。


「もう既にほとんど一緒だと、リアが言っていた。彼女は元々あそこまで活発ではない。明らかに貴女の影響だ」

 背を丸めて目の高さを合わせてくる皇帝に、私はぎくしゃくと顔を背ける。

「貴女はもう少し騒々しかった気がするけれど、最近はめっきり大人しくなった」

 私はくしゃりと顔を歪めて、奥歯を噛み締めた。


「それはそれで良いじゃないですか。リアが明るくなったんでしょう。それなら私がいる意味ってあります?」

 ややぶっきらぼうになった口調に、皇帝は楽しげに笑う。

「あるさ。クィリアルテ嬢がいないと俺が寂しい」

 全く想定外の返答に、私は唖然として絶句した。いきなり何を言っているのか。今そんな雰囲気だった?


「あなたが好きなのはリアでしょう。あなたが救いたかったのはあの子の方です。ただ単に器が一緒だから勘違いしてるだけなのでは?」

「もちろんリア()好きだぞ」

 さらりと返された言葉に、更に言葉を失った。開いた口が塞がらない。


「かつて救いたかった女の子と、俺を救ってくれた貴女が、せっかく同じ命に宿っているんだ。どっちも欲しいと思っちゃ駄目か」

「駄目です。調子に乗らないでください」

 そう切り捨てつつ、私は皇帝の顔が見れないままだった。

「俺では貴女の存在意義にはなれないのか」

「……あなたは私がいなくても生きていけるでしょう」

 そう返した途端、彼はぽんと手を打って、「そうか、」と言い出した。

「拗ねてるんだな」

「拗ねてない!」

 脊髄反射でそう叫び返してから、落ち着け、と胸をさする。


「クィリアルテ嬢、」

 彼はいつになく柔らかい声で告げた。

「貴女も含めて、その生命は構成されている。リアがいるから貴女がいるのと同じように、貴女がいるからリアがいるんだ。そうして『クィリアルテ』という一人の人間が成り立っている」

 私は、一歩、二歩と後ずさった。彼はそれを追わなかった。


「『クィリアルテ』として、丸ごと望んじゃあ駄目なのか。俺が貴女を欲しいんだ。それだけで貴女の存在意義にしてくれないか」

 私は何か言おうと息を吸った。けれど咄嗟に言葉は出ない。

「……傲慢で欲張りですね、」

 何故か涙声になった言葉に、皇帝は力強く笑って応えた。

「当たり前だ、国主だぞ。夢がなくてどうする」

 私は思わず吹き出して、首を竦める。喉の奥でくつくつと笑い、私は目尻に浮かんだ涙を指先で払った。


 馬鹿じゃないんですか、と漏らしたら、これでも秋頃よりはだいぶマシになっただろう、と返された。ごもっともなので、仕方なく頷いた。


「あ、そうだ、言い忘れていた。パンゲアに帰ってこないか?」

「そんなついでみたいに!」

 渾身のツッコミを入れ、私はふっと口元を綻ばせた。


「――クィリアルテ、」

 彼はわたしに手を差し伸べた。私はわざと躊躇うふりをしながら、手を伸ばし返す。

「どんな口調にしようかしら」

 わたしはアラルにタメ口だったけれど、私は皇帝に敬語だ。

「何て呼ぼうかなぁ」

 しみじみと呟いた私の指先に、彼の手が触れる。

「そういうことも全部、これからは一緒に考えればいい」

 そう言って笑った彼に、私は満面の笑みを返した。




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