8 先天的な罪は
朝が来て、わたしは大きく伸びをすると起き上がった。外から聞こえる鳥の鳴き声はパンゲアのものとは違っていた。
「おはようございます、クィリアルテ様」
フォレンタがカーテンを勢いよく開け放ちながら振り返る。その顔にわたしは少し動きを止めた。
「フォレンタ、わたしたち……」
フォレンタの顔をじっと見つめ、わたしは顎に手を当てる。何か、えっと……。
「会ったことがある?」
「ほとんど毎日顔を合わせているかと思いますが」
しれっと答えたフォレンタに、わたしは半目になった。そういうことを言っているんではない。
「実はわたしたち、古い知り合いだったとか、そういうことって有り得るかしら」
首を傾げると、フォレンタは平然として眉を上げる。少し考えるように心持ち頭を傾けて、息をついた。
「ええ、もちろん、私もこの城に勤務していた訳ですので、顔を合わせたことがある可能性は高いでしょう」
「そういうんじゃないのよ」
わたしは鼻を鳴らして、肩を竦めた。答える気がないんなら仕方ない。
身支度を済ませて、わたしは朝食の席へと向かった。気配はするものの、廊下にはあまり人はおらず、近くには誰も寄って来ない。フォレンタはわたしの半歩後ろから決して離れないで、何だかものものしい雰囲気だ。
ふと、窓があったので外を見やる。今にも何かが降りそうな曇天の下、王都は沈黙したみたいに広がっていた。人の往来はあるものの、パンゲアのように活気溢れる様子ではない。
ローレンシアもいい国ではあるのだが、どうしてもパンゲアに憧れてしまう気持ちも分からないでもなかった。あちらは冬でもそこまで雪は降らないし、晴れだって多い。南端の方なんか冬でも半袖でいられるくらいだと聞く。
……ただ、その憧れを勝手に押し付けられちゃ困るわ、とわたしは内心で呟いた。
食堂にたどり着き、わたしが席に着いて少しした頃、アラルがメフェルスを伴って現れた。
「おはよう」
振り返りざまそう言って微笑むと、アラルも「ああ、おはよう」と何てことのないように応えて、それからじわりと笑み零れた。
継母たる女王はその様子を眺めて、軽く驚いたように眉を上げる。
「何です、朝っぱらから不健全に目配せをするんじゃありません」
「ふけっ……!?」
アラルが白目を剥いて固まる。わたしは声を上げて笑うと、背もたれに寄りかかった。
***
「あの」とわたしは女王を見て口を開いた。ちらと目を上げて、女王がこちらに視線を向ける。
「お父様の後妻になったのって、どういう経緯でだったんですか」
結構気になっていたのだ。女王は少し考えるように上を見た。
「貴女のお母様とは学院で少し交流がありましたから、その繋がりかと」
随分ごにょっとした回答で応じて、女王は目を逸らす。
「まさか私としても、こんなことになるとはゆめゆめ思いもしなかったので……」
ふぅ、とため息をついて、女王が肩を落とした。
「訊いておきますが、貴女はどの程度思い出したのですか」
探るような目で女王がわたしを見据えた。わたしはやや俯いて、答えあぐねる。
「神殿で、何が起こったのか、と、……その後のことを、ちょっと。文字が読めなくなって、お父様が片腕を使えなくなって、お父様が亡くなって、……。後半はあんまり詳しく覚えてないです」
女王は目を見張った。数度瞬きし、眉を顰める。
「陛下の、腕のこと、」
「……こっそり、見てたんです。あなたが、お父様の肩に包帯を巻いているところ」
要は盗み見なので、少し気まずくなって目を逸らした。女王はその点に関しては特に咎める気はないようで、そのままため息をついた。
「墓まで持っていくつもりだったのですが」と呆れたように呟いて、女王は珍しくも行儀悪く頬杖をついた。
わたしをまじまじと眺めて、女王はゆっくりと目を細める。
「全くもって予想のつかない子ですね。……それが魅力とでも言ってやるべきですか?」
からかうみたいにそう言って、彼女が目を閉じた。どこか遠くに思いを馳せるかのように、しばし黙り込み、それからゆったりと瞼を上げる。
「8年前のことです。前国王陛下が崩御し、私は貴女を対外的に死んだことにして、神殿の目を掻い潜ろうとしました。もちろん急場凌ぎの策であるとは承知していましたが」
いきなりの回想に、わたしは目を丸くしながらも、黙ってその言葉を受け止める。突然何の話だろう。
「しかし、貴女を避難させる先も、果たして本当に神殿とは関係の無い人間であるか判別が出来ず、神殿による買収や襲撃を鑑みた結果、手元に置いておくのが一番だと判断しました」
その判断の結果、わたしは使用人として働かされることになったのか、と独りごちる。じろりと視線を鋭くすると、女王は片方の手の平を天井に向けて肩を竦めた。
「それで、外部の人間の目に触れない部署の、信用出来る侍女のいるところへ行かせたのですが。……目くらましのために使用人と同じ服を着せたのが間違いだったようですね、何を思ったか貴女まで働き始めてしまって」
「はい?」
わたしは耳を疑って前のめりになった。女王は呆れ果てたような表情でわたしを眺める。
「私だって報告を受けたときは耳を疑いましたよ」と再三のため息を目の前でつかれた。頭痛がすると言わんばかりに、あからさまに眉間を揉む。
「『いい子にならなきゃ』って、貴女がそのとき言っていた言葉です。私も神殿が内部に入ろうとするのを追い払うのに手一杯で貴女に時間を割くことも出来ませんでしたし、止めても勝手に働き始めるので」
アラルの顔がこちらを向く。わたしはゆっくり反対側を向いて、気まずく頬を掻いた。
つまり、その……なんだ、わたしが勝手に使用人として働いて、それでいて内心文句を言っていたと、そういう流れだろうか。
「じゃ、じゃあどうしてみんなわたしに雑巾を投げつけて来るんですか! あなたが命じたのでは?」
女王はしれっと口を開く。
「はい」
やはりわたしのことが嫌いなのか、と目を剥いたのと同時に、女王は続けた。
「神殿関係者が城に来ているというのに、貴女がふらふらとそこら辺をうろつくからです。しかし、」
ん? わたしは首を傾げて顎に手を当てる。雲行きがおかしい。
「貴女をただの使用人として扱える人間が見当たらなかったので、それならば反応しないように私が命じていたせいで、誰も彼もが貴女の周囲であたふたするばかりだったと聞いています」
フォレンタの顔がこちらに向いていることに気付く。何故か彼女も気まずそうな顔である。
「そんなとき、とある侍女が――名前の明言は避けますが――、貴女の足元に水の入ったバケツを蹴り入れたそうです」
フォレンタの顔がゆっくりと明後日の方向を向く。わたしは視線を強めてその横顔を眺めた。
「その場で停止した貴女に、同じ侍女が続けざま雑巾を放り投げたところ、貴女は大人しく床を拭き始めた、と。その間に神殿関係者を遠くへ誘導、貴女との鉢合わせを阻止することが出来ました」
わたしはまじまじとフォレンタを観察し、「そうですか」と応える。
「その侍女は元々貴女付きの侍女であったこともあり、それからしばらくずっとうじうじとしていたのが面倒でしたね」
わたしは再度フォレンタを振り返って口をあんぐりと開けた。
「えっそうなの、フォレンタって元々わたしの」
「何のお話か測りかねます」
いつもより幾分か大きな声でわたしの言葉を遮ったフォレンタを指しながら、女王が頷く。やはり、とわたしは眉を上げて目を細め、にやにやしながらフォレンタを見物した。目に見えて嫌そうな顔をされた。
「……わたし、ずっと、この城に居場所がないと思っていたけど、」
そう呟きかけたとき、わたしたちがいる食堂の扉が、蹴破られるような勢いで開いた。弾かれたように振り返ったわたしは、そこに立ち尽くした騎士の姿に目を丸くする。
「イェシル殿下が、」
わたしの弟の名である。あまりに唐突に慌ただしくなった空気についていけず、わたしは目を白黒させていた。
騎士は一度唾を飲み、息を吸った。
「……神殿に、人質に取られています」
女王がガタッと椅子を倒して立ち上がる。唖然としたように絶句し、凍りつく。
「要求は」
ややあって、立ち直った女王が鋭い声で問うた。騎士は言い淀むようにわたしの方をちらと見る。それだけで女王には通じたらしかった。
「――分かっていますね、フォレンタ」
「はい」
そう言い残して、女王は足早に席を離れ、騎士の方へ歩いていく。彼女が部屋を出ていくのを見送ったあと、フォレンタがわたしを促すように反対側の扉を指した。
「クィリアルテ様、一旦お部屋に戻りましょうか」
まるで何事もなかったかのように穏やかな顔をするフォレンタに、腹が立った。……明らかに現在進行中のイェシルの件は、わたしに関係がある。
「リア、」と、アラルが動こうとしないわたしの手を引いた。わたしは頑として椅子の上に体を落ち着けたまま、唇を引き結ぶ。
ぐるぐると思考が巡る。…………わたしは、きっと、ここで指示に従って大人しく部屋に帰るのが正解なのだ。それがいい子のあるべき姿。お母様が頭を撫でてくれる、可愛い子の取るべき行動だ。
――さて、ここで問題です。
誰かがわたしの胸の中で明るい声を出した。暗い方向へ思考が向かおうとするのを掬い上げて、笑う。私が楽しいことをいっぱい教えてあげる。さあ、楽しいクイズ遊びをしましょう。
最初は簡単な問題にしてあげる。
わたしはどうしたいでしょうか?
1、このまま大人しくお部屋に帰還する
2、しばらくごねる
3、この場から逃げる
4、とりあえず寝る
わたしはゆっくりと微笑んだ。一度俯いて、アラルに取られた手を引いて、離させる。
……3番と、それに上乗せで5番の『女王を追う』で。
アラルの腕を払い除け、わたしは床を蹴って走り出した。度肝を抜かれたようなフォレンタの声がわたしを呼ぶ。
知ってる? と私が問うた。
――こどもが成長する過程には、反抗期ってものがあるんだよ。
だからこれは、わたしの反抗期。成長出来なかったわたしの、思春期の訪れだってことでいいでしょ、……ね、お父様、お母様。
フォレンタが猛然と追ってくる気配を感じながら、わたしは廊下をひた走った。開け放たれた扉をくぐり抜け、階段を飛び降りるように下った。
「リアっ!」
アラルが切羽詰まった声でわたしを呼ばわる。ごめんね、今はあなたに構ってられないの。
玄関へ向かって走る。ざわめきのある方へ、いち早く向かうために。
***
「むごごごー!」
広い吹き抜けの玄関ホール、そこが見渡せる二階の廊下まで到着したわたしは、侍女に羽交い締めにされて暴れているイェシルを発見した。侍女が逆手に持った短剣の先がイェシルの首に突きつけられていた。その周りを囲うように、白い法衣を着た集団が、玄関の入口側に並んでいる。
向かい合って対峙する女王は、鋭い表情で相手を見据えていた。
「クィリアルテ様!」
無声音で叫んだフォレンタが、わたしの腕を引く。わたしは手すりにしがみつくことでそれを堪え、真っ直ぐに階下を見下ろした。
「なんのお話か理解しかねますね。昨日保護された少女の身柄を要求する? 如何なる権限においてそのようなことを仰るのか」
てんで相手にしていない様子で女王が肩を竦める。イェシルを捕らえている侍女を見て、ため息をひとつ。
「それで、貴女はどうしてこの国の皇太子を拘束しているのですか。持っている短剣のほんの少しでもイェシルに触れさせてご覧なさい、こちらも対応を考えざるを得ませんよ」
イェシルは目を見開いて、傍らの侍女を見上げる。侍女は血走った目で女王を睨むのみで、その言葉に対して何か返答をしようという気はないらしかった。
「むごごご、」
イェシルが涙目で足をばたつかせる。腕はどうやら背後で拘束されてしまったらしい。全くもって見事にとっ捕まったものである。
「私どもが探していた人間が、何かの行き違いで王城で保護されるような事態になってしまったようでして。お返し頂けますかな」
にっこりと、さも温和そうに微笑んで、先頭に立つ男が述べる。しかし、どんなにいい人そうに喋っても、隣でじたばたするイェシルがいれば台無しである。
「むごごごー! むご、むごごごご! むごごー!」
身をよじって逃れようとするが、やはりまだ八歳。侍女の手からは離れられないらしい。
「応じて頂けないのでしたら、」
わざとらしく嘆息し、男性が侍女をちらと見た。侍女はイェシルの首筋に短剣の腹を当てる。その感触にイェシルは目に見えてびくりとした。
赤い色が滲むのが、やけに鮮烈に見えた。かっと血が昇るように錯覚した。
「イェシル!」
女王が叫ぶ。わたしは無言で足を踏み出した。
と、後ろへ振った腕が取られて、わたしは振り返る。
「……リア、」
険しい顔をしたアラルが、わたしを見下ろしていた。わたしは少しの間、呆気に取られて彼を見上げていた。
「大丈夫だよ」
ややあって、わたしは頬を緩めて囁いた。アラルは目を瞬いた。
「今までいっぱい軽率なことしてきたけど、いっつも大丈夫だったもの」
「それを軽率と言うんです」とメフェルスが漏らしたが、聞こえなかったことにしておく。
「それに、わたし、これ以上誰かがわたしのせいで傷付くのを見たくないの」
きっ、と鋭く神殿の人間を見据え、わたしは手すりに指先を触れた。アラルがわたしを呼ぶ。お母様、お父様とおんなじ呼び方をして、わたしを引き留めようとする。
例えば、わたしが少し悪い子になったとして、果たしてお母様はわたしを見放すだろうか。お父様はわたしを見限るだろうか。
多分、きっと、大丈夫だわ、って。そうやって甘えることくらい許されるはずだ。もうお話をすることも叶わない遠くへ行ってしまったけれど、恐らく見てくれていると思うから。
二階の通路を巡りながら、わたしはそっと唇の隙間から息を吸った。玄関ホール、正面の階段を上った先に掲げられている、わたしたち三人が描かれた大きな絵の前に立って、わたしは眦を下げる。
「――イェシルを、放してあげて」
お父様とお母様とを背負いながら、わたしは息まじりの声でそう告げた。
全員の視線が向く。決意が震えた。乾いた唇を舐めようとして、やっぱりやめた。
「……わたしの、たったひとりの弟なの」
そう囁いて、わたしは目を伏せる。階段の段数を無意味に数えた。それからようやく、恐る恐る視線を上げ、階下から見上げてくる数々の目を受け止めた。
「わたしは、神様なんかじゃないけれど。それでもわたしに来て欲しいって言うんなら行ってあげるわ。……わたしのいるべきは天の国なんかじゃなくて、今わたしが立っているこの場所だけれど、それでもいいなら応じてあげる」
足元を確かめるみたいに、一段一段をしっかと踏みしめて階段を下りる。女王は瞠目してわたしを見据えていた。その口が開こうとするのを視線で押しとどめて、わたしは頑張って艶然と微笑んだ。
「一応、言っておくね」
玄関ホールに下りたわたしは、手が震えてしまうのを隠すために、後ろで指を絡ませて、息を吐く。
「わたしは昨日ローレンシアを訪問した、クィリアルテ・パンゲアって名前の、パンゲアの皇帝ディアラルト様の伴侶なの」
傍らにいた女王が、大きく息を飲んだ。そっと目配せして、わたしは歩き出す。階段側と、玄関側。そうやって対峙した二陣の間を渡るように歩いた。
手を離されたイェシルが、様子を窺うようにしながらも、わたしの進行方向とは逆に歩き出す。わたしを見上げて、唇だけで『姉さま』と呟き、それからぎこちなく微笑んだ。
腕を取られ、白い法衣を着た人間に飲み込まれる。爪先から頭頂まで突き抜けるような悪寒が走った。言いようのない不快感だった。
そっと、目だけで二階を見上げた。アラルもこちらを見ていた。ちょっとだけ頬を緩めたら、渋い顔をした。――渋い顔をしながら、右耳に触れた。
人の動く気配がする。パンゲア暗部はしっかり近くにいたらしい。
そういえば、わたしは人の気配を察知するのが、前より下手になったみたいだ。
***
馬車に揺られながら、わたしは横柄に足を組んだ。目を閉じて、息を吐く。
わたしは、神様などという人並み外れた存在ではない。それはわたしが一番知っていた。自覚がないだけ? ふざけるな。勝手に人を神格化して、身の程外れた望みなぞ押し付けて、それのどこが敬虔な信者と言える。
馬車の中には、口を開こうとしない司祭が数人、わたしを見張るようにして座っていた。わたしも決して言葉を発するつもりはなく、唇を引き結んだまま腕を組む。
イェシルの負った傷が首の皮膚が切れた程度で済んだことは良かったが、代わりにわたしがこうして連れてこられてしまった。こう言っては何だが、やはり、……少々軽率だった気もしてきていた。
『ローレンシア王家は国内の貴族に武力を差し向けてはいけない』。確かそんな規則があったように思う。他にもローレンシア王家と国内貴族の関係には制約が複数ある。
ただ、そこにパンゲアなどの他国との関係については一切記されていないのだ。だから多分、どうとでもこじつけるのではないだろうか。
現に、その……。馬車の窓の外にちらつく、あの兵士……。神殿の戦闘員の格好をしたあの人、なんか、見覚えがあるような、ないような……?
パンゲア暗部の人として見たことがあるような気がする、その人がにっこりと微笑んで、さりげなく片手を上げて片目をつぶった。あまりの緊張感の無さに思わずげっそりして、わたしはため息をついた。
***
――――満月が出たらおしまいなの。
なぜ大陸神教の、神殿派と呼ばれる宗派が、満月を特別視するのかは知らなかった。ただ、そこに何らかの神々しさを感じる気持ちは分かる気がした。
誰も説明してくれないから確証は得られないが、多分どこかの貴族の屋敷だろう。豪奢な装飾ときらびやかな明かりに包まれて、少し落ち着かない気持ちのまま、わたしは大きな窓のある部屋にいた。
今のところ危害を加えるつもりはない様子で、穏便にお風呂に入って(お世話しようとする女の人が数人いたけど全力で拒否した)だいたい穏便に食事をして(とても用心して隣の人と皿を交換したりしたが何も言われなかった)今はお部屋である。
暖炉の火が、時折爆ぜる音を立てながら揺れている。その熱が届く位置のソファの中で、わたしは膝を抱えて目を閉じていた。
外に音はなく、ただしんしんと雪が降る気配ばかりがしていた。時々、屋根から雪の塊が滑り落ちたが、落ちる先もまた新雪。布団を叩いたような籠った音を立てて、それきりだ。
風はなかった。空に明かりは全くなかった。それでも瞼を閉じれば煌々と輝く月影が浮かぶのだから、嫌になってしまう。
まだ冬の初めだから、馬車に乗れる程度の雪で済んでいるが、あと数週間もすれば行き来も出来ないほどの豪雪に包まれるのだろう。恐らくここは王都より北に位置している。
ごく稀に、よく晴れた夜の次の朝、雪の表面が硬くなる日があった。そのときばかりは雪がただの地面に見えた。両親に手を引かれながら、こわごわ雪に足を乗っけた。体重を乗せても崩れない雪に喜んで、その場で飛び跳ねたら両足が埋まった。
目を閉じたまま、わたしは薄らと笑みを浮かべる。不意に何かがこみ上げて、息が出来なくなった。
「っふ、」
目頭が焼け付くように熱くなる。固く閉ざした瞼が震えた。声が漏れそうになって、慌てて手の甲を押し当てた。
「おか、さま、」
えも言われぬほどの淋しさが襲った。底が抜けたような孤独だった。
「お父様、ごめんなさい……!」
わたしのことを庇って、お父様は肩に傷を受けた。それが原因でお父様が亡くなった可能性は高かった。誰もそうだと明言はしないが、何故かわたしは確信に似た直感を覚えていた。
ひっく、としゃっくりに似た息を吸う。膝に額を押し当てて、わたしは丸まっていた。
そんな風にして過ごした夜は、何か恐ろしい夢を見た。
***
目が覚めて、わたしは小さく呻いて体を伸ばした。どうやらソファで丸まったまま寝落ちてしまったらしく、背中がぎしぎしと痛む。
「……ん、」
起き上がった拍子に、紙がはらりと落ちた。拾い上げると、文字が並んでいる。一瞬、うっと思いながらも、眉をひそめて目を走らせた。
「……『進行方向から目的地を割り出しました。近辺の軍の駐屯地に連絡済みです』。……ふむ」
外をうろうろしている気配は昨晩からあった。どうせアラル御用達のパンゲア暗部集団であることは容易に想像がついたので、このメモも多分それだろう。
「こんなに安心感のある誘拐は初めてだわ」
まあ自分から進み出たので、正確には誘拐ではないのだが、今はそこら辺は良いだろう。
立ち上がり、僅かな火が弱々しく揺れている暖炉に、紙を放り込んだ。ぱっと明るい光を放って、瞬く間に消えた。
何をするにも軽率で迂闊なわたしに言われたくはないと思うが、随分と杜撰な計画である。朝食の席で、やたら用心深くスープの匂いを嗅ぎながら、わたしは考えた。
そもそもパンゲアの暗部にあっさり追跡されている時点で全然駄目である。それよりもっと言うなら自分たちで城に乗り込んじゃうとか、完全にアウトだ。わたしを何とか拘束して、それから王都を旅立つ予定だったのだろうが(実際にそうである)、普通に追いかけられるとは思わなかったのか。
うーん、まあ一応、わたしが人質ということになるのだろうか? でも要求しているのもわたしの身柄だし……。計画を立てた人は一体どういう頭をしているのだろう。
呑気に外を眺めながら、わたしは朝食を終えた。あまり豪華な食事ではないが、量は十分だった。