3 難しい
「フォレンタ、絶対馬鹿にされると思うんだけど、思ったことを言ってもいい?」
「クィリアルテ様の私への評価が気になりますが、どうぞ」
「……私、めっちゃ美人じゃない?」
「…………ふっ」
痺れ薬を飲んだふりをする必要性がなくなり、すっくと背を伸ばして立った私は、大きな姿見をじっと眺めた。
結婚式は白いドレスってのが、ニポーンのあった世界と共通というのが、なんかちょっともやもやする。都合のいいとこばっかり現実と同じってのが異世界ものあるあるよね。そもそも大体異世界に、現存するホモ・サピエンスと同じ生命体がいて、同じような文明を築いてるって時点で眉唾物だ。何で同じ進化の仕方をしているのか。
何はともあれ、である。繊細なレースが広がったドレスを見下ろしながら、私は思わず鼻の穴を膨らませた。
こんなに金のかかってそうな服を着るのは初めて、……いや両親が亡くなる前には着たことがあったかもしれないが、ずっと前の話、である。
パンゲアの侍女も一緒になってドレスを着せてくれたり髪を結ったりしてくれているというのに、フォレンタは憚らずにずっと「既製品じゃないですかこれ」と文句を言っていたが、私には何が悪いのかよく分からなかった。
「とてもお綺麗ですわ」
「ずっと女性を着飾ることもありませんでしたので、クィリアルテ様が来て下さって本当に嬉しいです」
口々にパンゲアの侍女たちが私を褒めそやし、案外私も捨てたものじゃないんじゃない、と、私も思わず鼻が伸びそうになる。そのとき、フォレンタと目が合った。
……調子に乗ってすみません。一瞬で頭が冷えた。それと同時に、鼻の下を伸ばしてでれでれとしている自分を鏡の中に発見して、慌てて表情を引き戻す。
「さて、神殿へ参りましょうか」
フォレンタが告げると、パンゲアの侍女たちも頷き、ぱっと私から離れた。なんだなんだ、フォレンタさんよ、あなたはいつの間にここのボスになったのだ。
な、何だこれは!
ちなみに今の言葉には『バーン』とサウンドエフェクトをつけておいて欲しい。
私が何にそんなに驚愕しているかといえば、そう、このドレスである。神殿まで行こうと促され、歩き出して三歩目のことだ。
「うごか、ない、」
「動きますよ、何甘えたことを言っているんですか。ほら足を動かしてください」
重量オーバーである。私が持って動ける荷物より絶対重い。カタツムリになった気分で、ずりずりと進む。後ろからフォレンタが「ほれほれ」と発破をかけ、私は苦悶の表情で廊下を歩いた。
「クィリアルテ様、お労しい……」
「病弱なご令嬢ですもの、あんなに重いドレスを身に纏っていては、動けないのも仕方ありませんわ」
私が振り返って、「そうなのよ」と言おうとするより早く、フォレンタが間髪入れずに身を捻り、淡々と応える。
「皆さん、クィリアルテ様は甘やかせば際限なく甘ったれるお方ですので、あまり大目に見過ぎませんよう」
「ひ、ひどい……」
しかし的を射ているのも事実である。しょんぼりとしながら、私は再び歩き出した。
***
ああーー……っ。こういう衣装5000万回は見たことある……!
神殿の前で待っていた皇帝に、私は思わず口元を押さえてしまった。唇の端がひくつく。ちょっと面白すぎる。正直言って今すぐ指さして腹抱えて笑いたいくらい面白い。
「くっ……」
何とか咳に見せかけようとしたが、どう考えても喉が鳴った音が響き、皇帝は顔を険しくした。
「何が不満だ」
答えられない。今口を開いたら爆笑する。絶対にだ!
その、ほら……あるじゃん。アニメとかゲームの王子様キャラがよく着てる服あるじゃん。あ、今回結婚式だから白いやつね。
まあ下半身の白いズボンは許そう。何の変哲もない。あと襟付きのシャツも許してやる、パリッとしてるしね。
「ぐっ」
上着! その、妙にボタンと紐の多い上着! もう駄目ほんとにそれは笑う……! やめろ動くんじゃない、その、何の意味があるのか分からない紐が揺れるのが、今の私には笑いのツボだ。……待って! もしかしてこの人薔薇の匂いする? こ、香水か? 侍女に吹きかけられたのか? 服に焚きしめられているのか? ひぇえー! この成人男性、薔薇の匂いするよー!
ついに体を折って口元を押さえた私に、皇帝があたふたとする。
「何だ、体調が悪いのか? 吐き気……? まさか、悪阻か!」
「それはありえません。クィリアルテ様は男性と一切そのような関わりはございませんでしたから。試しに手に触れてみればすぐ分かります、初心ですよ」
「……そうか?」
適当なことを言うフォレンタはあとで叱ると心に決めたが、問題は、そう、近づいてきた皇帝である。口を塞いでいない方の手が掬い上げられ、私は奥歯を噛み締めた。
「ひぇえええ……っ!」
笑いを堪えすぎて、泣く寸前みたいな声が出た。必死に息を殺して、ぎゅっと目をつぶった。するとどうだ、今度は瞼の裏に、あの『ファンタジー王族あるある』的格好が鮮明に蘇り、面白さが倍増した。私の想像上の皇帝が、「どうも、薔薇皇帝です」と赤い薔薇をくわえてくるっとターンしポーズを決める。
「ひ、ひぃ……む、無理ですこれ以上は、もう、ほんと、むり、ぐふぇ、しんどい……」
「どうです? こんなに顔を赤くして……どう見ても生娘でしょう」
「……初心だな」
手を握られただけでこんなに赤くなる王女がいるか、と抗議したい気持ちはやまやまだが、今口を開いては全て水の泡だろう。
納得したように皇帝は手を離し、ようやく私はぜえぜえと肩で息をして反対側を向いた。
「大丈夫ですか、クィリアルテ様?」
「フォレンタ……あなたね……あ、あとで話があるわ……私は怒ったら怖いわよ……」
白々しく寄ってきて私の肩を抱いたフォレンタに怨嗟の言葉を吐きながら、私は息を整えた。
「それで、どうしたんだ」
「すみません、思い出し笑いでした」
気を取り直して皇帝の隣に並び、そう答えると、たっぷり十秒は間が開いた。
「…………そうか」
「はい」
尋常じゃない思い出し笑いと思われているだろうが、今目の前にいる皇帝を笑ったと知れるよりはマシだろう。私の返答に何故かフォレンタが真顔のまま吹き出していた。
「それでだな、その……昨日は悪かった」
「いえ、突拍子もないことを言った私も悪いので」
しかし問答無用で他国の王女を牢屋にぶち込むのはまずいと思うぞ、皇帝!
多分誰かに怒られたのだとは思うが、昨日とは打って変わって大人しくなった皇帝に、私は拍子抜けした。
「しかし……昨日言ったことは嘘ではないし、出来れば俺のことも愛称ではなくディアラルトと呼んでほしい」
「分かりました、皇帝陛下」
「…………。」
あ、今の完全に拒否じゃん、と気付いたのは、話題が変わってからである。あれ、今私とんでもないミスを犯したね? 名前呼びを許可されたのに無視してしまった。
「昨夜、色々考えて反省した。流石に投獄はやりすぎた、と」
「いえ、快適でしたよ」
「ん……?」
「えーと……いや、その、あまりお気になさらず、という意味です」
地下牢を快適と言ってのけたのは明らかに失敗だった。ちょっと変わった人を見る目だったのが、気味悪いものを見るような視線に変わっている。
「メフェルスはごねてたが」
「へえ」
理由はよく分からないが、今朝罠に嵌められた因縁のある青年である。やはりごねたらしい、腹の立つ奴だ。しかし悲しいかな、悔しいほど見た目と話し方が性癖に刺さる。むしろそこにちょっと腹黒属性が付随しても美味しいのだ。
私が内心でぶつくさ言っている間、皇帝は何故かずっとにこにこしていた。
「それにしても、こうて……ディアラルト陛下、……うーん、すみません長いのでやっぱり皇帝陛下で良いですか?」
「……構わないが」
「皇帝陛下、今日は機嫌が良いように思えますが」
何か変ににこにこしてて、気持ち悪いくらいである。だって昨日はあんなにつんけんしてて、「首を撥ねてやる」まで言ってたのに。
皇帝は上機嫌に笑って肩を揺らしながら答えた。
「いや、まあ、な。これでナツェル銀山が手に入ると思うと」
「……ナツェル銀山!? ローレンシアの領土じゃないですか!」
仰天して叫ぶと、皇帝は虚を突かれたように瞬きをした。
「知らなかったのか?」
「な、何をですか?」
「クィリアルテ嬢、貴女を引き受けることを条件に、ナツェル銀山を譲り受けるという話だ。貴女を皇妃として迎え、数年経った暁には、ナツェル銀山を譲渡と約束されている」
私は目玉が飛び出るかと思うほど瞼を上げ、絶句して凍りついた。ようやく出た言葉も、ぎくしゃくとして上手く繋がらない。
「わ、私、それ、まるでとんでもない、事故物件みたいな、扱いじゃ、」
「……そうじゃないのか?」
「違いますよ!」
例えばだ。私がどうしてもどうしてもどーうしてもこの皇帝陛下と結婚したーいと駄々をこね、皇帝をローレンシアに迎え入れることになった場合、そのお礼として銀山を譲渡するならまだ分かる。それでも銀山はやりすぎだと思うけど。
あるいはどうしてもこの皇帝陛下が私と結婚したいと願ったとして(絶対ないけど)、私をこんなふうにパンゲアに呼び寄せて結婚して、ローレンシアに鉄山でも渡すんなら分かる。
いや、銀山やるからどうかこいつを引き取ってくださいって、それどんな事故物件ーー!
「いやあ、パンゲアはあまり鉱物資源には恵まれていない農業立国だからな、嬉しくて」
「ははは……そうですか」
昨日とは本当に別人格のようだ。銀山てのは人の燃えるような怒りさえも打ち消すらしい。
かくして、貴重な銀山一つと引き換えでないと、とてもじゃないが受け入れられないような事故物件という認定を食らった私は、仏頂面のまま前を向いたのだった。
ついに、「私のことを覚えていませんか」とは訊けなかった。これを訊くのが最善で最速の方法だと分かってはいるのだけれど、再び剣を向けられ、投獄されたらと思うと、どうしても口が開かなかったのだ。
「……大陸神式、ですか」
開いた扉の先を見て、私は立ち竦み、呟いた。
パンゲアは、特定の宗教が大半を占める国ではない。無宗教の人間も多く、このように婚礼の際に使う神殿というのは、どのような形式の式にも使えるように作られている。
「ローレンシアでは大陸神教が主流だと聞いたからな、銀山の礼の前払いだ」
「ああ、はい……」
わざわざローレンシアで最も大きな宗教の司祭を呼んでくれたらしい。特に大陸神教を信仰していない私からしてみれば、何でこんなところに司祭がいるのかという感じである。
……それに、
「その……差し出がましい真似をしたか」
黙り込んだ私に、皇帝はやや決まり悪そうに頬を掻いた。私はすぐに表情を明るくして、首を横に振った。
「いえ、とても嬉しいです」
皇帝は息を漏らして胸を撫で下ろし、眦を下げる。なんだなんだ、意外と可愛い表情をするじゃないか。
「ですが私、特に熱心な大陸神教徒という訳でもありませんので、」
それに、わたしにとって、あのひとたちは、
――おそうしきにくるひとたちだから。
「今後何か儀礼的なものがあったときは、呼ばなくても結構ですわ」
綺麗に微笑むことが出来たという自信はあった。でも、皇帝も多分、私と同じような顔をしていた。
「そうか」
ねえ、あなたはどうして、自分が傷ついたみたいな顔をしているの?
真っ白いドレスを身に纏ったまま、神殿の中央をゆっくりと歩く。なるほど確かに、この重たいドレスを着ていると、自然と淑やかな歩き方になるようだった。はっ、まさかこれが目的か……?
司祭の待つ祭壇の前まで辿り着くと、私は音もなく膝を折り、床に片手を触れた。見習って、皇帝も同じ仕草をする。不慣れな様子に、直前に一連の流れを詰め込んできたばかりであることが窺えた。
見もせずに、くすりと笑うと、隣で憮然とした咳払いが聞こえたので、密かに口角を上げてしまった。
司祭が祝詞を朗々と読み上げる。曰く、さあ、大地を讃えよ、大地こそが我らの源。金色の実りをもたらす大地に感謝を、祝福を、……。
――知るか、くそったれ。
どうせ銀山に目がくらんでご機嫌になっただけの皇帝。私をパンゲアに押し付けた女王。私を置いて死んでいった両親。
誰も私を望まない。
大地が私を望みでもするのか。大地が私を祝福でもしてくれるのか。死んだ両親が土に戻るのなんて、別に大地の慈悲でもなんでもない。何が大地の神だ。
立ち上がる。皇帝と目を合わせる。私より高いところにある目に微笑んだら、遠慮がちに頬を緩めた。
「さあ、ここに署名を」
言いながら、司祭が用紙を差し出した。ペンを受け取り、慣れた手つきで皇帝が流れるようにサインする。
――私は字が下手だ。あれは何歳のときだったろう、そうか、母が死んだのが、私がええと、7つか8つのときで、父が死んだのが、私が9つ、くらい? それと同時に私の立場は使用人になったのだし、対外的に私が死んだとされているのもその頃だろう。
要するに、だ。
……あれ? 最後に名前書いたの、いつだ?
まずい! 自分の名前の字が飛んだ!
私は顔面蒼白になりながら、震える手でペンを受け取る。まずい、まずい、まずい。一文字目から分からない。
「どうした?」
皇帝が隣で身を屈めて囁くが、私は震えたまま答えられなかった。
「何だ、この期に及んで嫌になったか」
「い、いえ、そんなことは……」
とうとう私はペンを持つ手を皇帝に差し向け、血走った目をしながら、さも甘えてでもいるように囁く。
「い、一緒に、書いてくださいませんか……」
くそー! まるでバカップルじゃないか。昨日殺されかけた相手に向かって「名前を一緒に書け」だと!?
「な……っ」
案の定、皇帝は開いた口が塞がらないように凍りついた。しかし、人前であるのもあり、どうともしようがないらしい。
結局、皇帝は酷く苦しそうな顔をしながら、私がペンを持つ手の上からペンを握り、私の名前を書いてくれた。ありがたいが、お互いに心がガリガリと削られる音が聞こえたような気がした。
「か……書けました」
息も絶え絶え、サインを終えた用紙を司祭に差し出す。何も見なかったかのように受け取った司祭は、さっと書面に目を走らせ、それから一瞬私を見やった。
「……クィリアルテ・ローレンシア、」
確認するように言われ、私は頷く。そこまで字が汚かったですか、へいへい。
少し間を置いて、それから司祭は柔らかく微笑みを浮かべた。
「二人の婚姻を認めましょう」
まあ、唯一ありがたいのは、大陸神式の婚姻の儀に、人前で口付けねばならぬとかいうよく分からないしきたりがないことである。ぺこりと司祭に頭を下げ、私は皇帝を引き連れると、颯爽と神殿を去った。
お疲れ様でした、と出迎えてくれたフォレンタを、がしっと捕まえ、私は顔を寄せて囁く。
「フォレンタ、あとで文字教えて」
「はぁ?」
フォレンタは唖然とした顔をした。
***
大規模な晩餐会はなかった。そもそも婚姻の儀が、あまり大人数でないものである。
「いや、本当にめでたい。まさかあんなに小さかった男の子が、もう結婚だなんて……」
「飲みすぎだ、レゾウィル」
「それもこんなに若くて綺麗なお嬢さんと銀山と」
言いつつ、宰相であると紹介された中年男性が、泣きながら机を叩く。おい、そこ、本音が漏れてるわよ、銀山って。
すると皇帝は肩を怒らせて窘める。
「こら、俺は銀山と結婚したわけではない、それは失礼だ」
私は目を輝かせて拳を握った。よっ、もっと言ってくれ!
「ただ、銀山と引き換えに結婚しただけだ」
「…………この酔っ払いめ」
酒の瓶を遠くに離しながら、私はこっそりと毒づいた。
しかし、流石は農業立国だけある。ローレンシアは鉱物が採れるだけの痩せた地なので、肉や牛乳はまだしも、野菜はほぼ輸入だ。
新鮮な野菜を食べる機会もほとんどなく、葉野菜があまりに元気な様子に驚いた。おい、お前、実はそんなにみずみずしいやつだったのか。いつもあんなに萎びているのに!
皇帝は、ついに宰相と一緒に肩を組み始めた。この酔っ払いが。
大体何だあの宰相は。筋肉量はどうなっている。どう見ても頭脳系というよりは武人だ。皇帝の双璧を固める知能系の宰相とパワー系の将軍がいたら、明らかに脳筋バカで拳を振り回す将軍の方である。宰相はクールなメガネがいい。なお私の趣味だ。
「あ、あの、クィリアルテ様!」
やってらんないわよ、と不貞腐れて水を飲んで(私は残念ながら未成年である)いた私の目の前に、見たことのある少年が落ちてきた。……ん? 今天井から、……ん?
「あら、あのとき食器を回収しに来てくれた」
「ぼくのことを覚えていて下さったのですか!」
疑問は一旦脇に置いておいて、私は表情を戻した。
まあ、パンゲアに来てから関わった人数は大して多くないから……。主に皇帝かメフェルスくらいとしか知り合ってないし……。
「ええ、もちろん」
出来るだけ優しく見えるように微笑み、背の低い少年に顔を近付けるように背を丸めると、少年は「ふぁあ、」と声を漏らして顔を赤くした。
「皇帝陛下ったら! こんなに素敵なお嫁さん貰ったのに、何でレゾウィル様なんかと絡み合ってるんですかぁ!」
泣き崩れた宰相を受け止め、高笑いしている皇帝に、少年がいきり立って叫んだ。なかなか怖いもの知らずである。
「いや、いいのよ別に」
慌てて宥めると、少年は突如として私の手を取り、激しく上下に振り始めた。私の顔ががくがく揺れるほどだ。
「クィリアルテ様、どうか、皇帝陛下をよろしくお願いします!」
「え? ああ、ええ、もちろんよ」
シェイクハンドと言うにはあまりにも振幅が大きすぎるシェイクである。ひたすら揺さぶられ続け、ようやく収まった隙にすぐさま手を引っ込めると、すかさず足のあいだに挟んだ。
「ではぼくはこれで」
微笑んで、少年は消えた、……消え、……え?
皇帝が宰相を引きずりながらこちらに来て、「ちょっと特殊な仕事を任せている奴だから気にしないでくれ」と口元を手で隠しながら言う。ああ、ちょっと特殊な、はいはい、ええと……。
「……隠密とかですか?」
「な、何故分かった……!」
はい来ましたー。スーパー的中タイム、はいはいはい。いや、分かるわそれくらい。『ジャパニーズニンジャ』と言わなかっただけ感謝して欲しい。あ、ジャパニーズってのはニポーンの別名ね。確かだけど。
「いえ、何となく」
「やはり貴様、ローレンシアの回し者、」
「ではありません。何も回してません」
もう目を回す寸前の皇帝が、再び宰相に絡みつかれて視界から消えた。なんだなんだ、全く。
嘆息して水を口に含んだそのとき、私の手元に影が落ちた。ふと顔を上げると、長身の男性が私たちのテーブルの前に立ち、目を細めている。
「私の甥っ子は随分楽しそうだね」
滑らかな声でそう言ってのけた男性は、私の前に膝をつく。そうすると、ちょうど私と大体視線の高さが同じになった。
「あなたが、ディアラルトの新妻ですか」
あっこれやばいやつだ。私は瞬間的に察した。気を抜いてぼーっとしていた脳を叩き起こし、あからさますぎない速さで背筋を伸ばす。
「はい、クィリアルテです。お初にお目にかかります。――大変申し訳ございません、その……どちら様でしょう」
私の脳内で警鐘が激しく鳴らされる。……カンカンカンカンカンカンカンカン…………う、うるさい!
「私はディアラルトの叔父です。前王の弟と言えば良いでしょうか」
微笑んで「そうですか」とか答えながら、私は必死に目を見開いて相手を観察していた。
その、何ていうか、その……。
「知能系悪役……」
「はい?」
「いえ、何でもありませんわ」
顔立ちは皇帝にちょっと似ている。皇帝をあともう少し鋭くしてそのまま老けさせたような顔だ。血って怖い。
しかし、明らかにこれは只者ではなかった。何せ、先程までべろんべろんに酔っ払って、寝落ちる寸前だった宰相までもが、きりっとした顔をして立っているのだから。おい、やっぱりあんた酔ってなかったんでしょ。
「あれ、タドリス叔父さん」
皇帝が眉を上げて呟く。ふむふむ、タドリスというのか。どうせ『アク・ヤーク』とかだろうと算段をつけていたので、しっかり上書きしておく。要注意人物だしね。タドリスは立ち上がると、皇帝の前まで移動する。
再び、空気がぴん、張り詰めた。
「久しぶりだね、ディアラルト。息災であるようで何よりだ」
「はい、叔父さんこそ」
しかし、一瞬にして温度が数度は下がったような環境の中、皇帝は平然と笑い、タドリスを見上げている。私としてはこの皇帝、あまり器用な質ではないと思っていたが、こんな腹芸をこなせたとは。
タドリスも一瞬、意外そうに眉を上げた。
「……一番に言うべきことを忘れていたようだね、結婚おめでとう。ささやかだけれど贈り物を用意しておいたから、あとで渡そう」
「タドリス様、僕が受け取ります」
いたけど存在感のなかったメフェルスが、いきなり現れて、柔らかく微笑んだ。あ、曲者と曲者の対決だ、面白い。
「ありがとうございます」
皇帝が微笑み、立ち上がる。そうして見るとタドリスより僅かに背が高い。何故か私が嬉しくなった。よーし、そんなやつ打ち負かしたれ! ……駄目だ、私も酔ってるみたいだわ、飲んでないのに。
「……叔父さん、庭園へ行きませんか」
私はぎょっとして皇帝を見た。おもむろに何を言うのか。明らかに危ないと分かっているだろうに、どうしてそんなことを。皇帝の両脇を固める宰相とメフェルスも目を見開き、失礼にならない程度に息を飲んだ。
「僕が大切にしている花が咲いたんですよ。どうですか」
「ああ、喜んで」
……大体、この宴会の主役って、私もいるんですけど、……おーい。一応は妻になった女が隣で唖然として座ってるぞー、おーい。
私は死んだ目で皇帝とタドリスが連れ立って歩くのを見送っ……その後ろをメフェルスと宰相がこっそりつけていくのを見送って、……天井付近の梁の上を人影――九分九厘隠密くんだろう――が追うのを確認して、一人取り残されたことを確認し、それから嘆息してフォレンタを呼び寄せた。
「……帰るわ」
「それが妥当かと」
手帳に何かを書き留めながらフォレンタが頷く。
「これですか? 女王陛下への報告書に書くためのメモです」
問いたげな目で見ていると、事も無げに言ったフォレンタが、ポケットに手帳を押し込んで、私に手を伸ばした。
「え、あなたそんなもの書かなきゃなの」
「はい」
私は顔を引き攣らせた。まさかこんなところに伏兵がいるとは。
「私の悪行も全て?」
「筒抜けです」
とは言え今のところクィリアルテ様について書くことは特にありませんが、とフォレンタは私を助け起こし、ドレスを軽く整えた。
「とてもではありませんが、パンゲアでのクィリアルテ様の扱いは、ローレンシア王女に対するものとは思えません」
「ローレンシアでの私の扱いを棚に上げてよく言うわね」
「…………。」
私は披露宴の会場を出た。フォレンタの指示を受けて、別の侍女が、私が疲れたから帰るという旨を会場の客に伝えた様子だ。
***
初夜だ。勘弁してくれ。
なお、今の心の叫びには『どどん』と太鼓のサウンドエフェクトを入れて欲しい。
「政略結婚ものの初夜は2パターンよ」
誰もいない寝室、ベッドの上で胡座をかきながら、私は指を二本立てた。やや対象年齢上めのロマンス小説――いやこの場合は少女漫画かもしれない――あるある『やたら透ける服』文化はパンゲアにはなかったらしい。本当に良かった。
「1、来ない」
これが第一希望ね。
「2、特に何も無い」
これが第二希望。
「3、『世継ぎだけは産んでもらうぞ』パターン。……あれ、3つあったわね」
そしてこれは何がなんでも回避したい。どうせあったとしても全年齢対象、いつの間にか朝になり鳥がチュンチュンしている表現に差し替えられるだろうが、私は一緒に枝でチュンチュン言ってられないのだ。
ちなみに結論だが。
「4、土下座とは予想外だったわね……」
ベッドに腰掛けた私の前に鮮やかに滑り込んで来て、全身全霊で土下座した皇帝を、私は呆然と見下ろした。
「……大変申し訳ない」
「すみません、思い当たる節がありすぎて分からないのですが」
取り敢えず頭を上げさせ、部屋の隅から椅子を引きずってきて座ってもらう。頭を抱えて膝に肘をついた皇帝に、私は微妙な顔をした。
「……あの、」
「この婚姻は貴女のたっての希望と聞いている、だからこんなことを言うのは忍びないのだが」
「そのことについてですが、どうやら行き違いがあるようで」
皇帝を遮って、私は口を開く。
女王に口止めされているのは、ローレンシアでの私の扱いについてだけである。この誤解は解いておかないと、後々面倒くさいことになる予感はしていた。こういう意味でのすれ違いはあまり聞かないが、すれ違いはすれ違いである。好意の有無ってのは大問題だ。
「こう申し上げるのも失礼かとは思いますが、私は特に……その、皇帝陛下との婚姻を強く熱望した覚えは、」
「え?」
「その……どうやら、ほんの少し、まだ年若い皇帝陛下がいらっしゃるということで私が興味を示したのを、継母が勘違いしたようで」
苦しい。大変苦しい。何って、わたしの心だ。
「そうか、そんなことが……」
嘘をつくことが苦しいんじゃない。そうじゃなくて、ただ、私が嫌なのは。
「女王陛下が先走ってしまったようだな。でも、」
皇帝は頭を上げ、僅かに笑んだ。
やめて、と心が軋む気がした。
「それだけでここまでしてくれるとは、継母とはいえ、女王陛下と仲が良いのだな」
わたしの心が、音を立てて、割れた。
「そうなんですよ! 本当に、いつも良くして頂いてて」
私の口が勝手にぺらぺらと言葉を紡ぐ。さも幸せそうな笑顔を浮かべて、私は告げた。
「――大好きなお義母様なんです」
***
ここで、皇帝の謝罪案件をまとめたいと思う。原文ママだとちょっとまだるっこしいので。
以下、皇帝陛下のお気持ち表明の一部抜粋である。
「本当に申し訳ないが」「他に思う人がいて」「貴女を愛することは出来ない」というのが最も言いたかったことらしい。まあ妥当よね。
「いえ、私もその方が気が楽です。完全に形式のみの結婚ってことですよね、真っ白な」
「ああ、ローレンシアとは元々、もっと結び付きを強くしたいと考えてい」たそうだ。ちなみに原文だと、言い訳めいた文言がもう少し長く続く。
特に怒りも感じないのは、その『他に思う人』ってのが、十中八九、私のことだからである。いや、明言はされてないけどね。何となく雰囲気で分かる。
端的に言うと、目の前で愛の告白をされているのと同じ感覚なので、照れこそすれ怒るべき場面ではないのだ。
「しかし、それならどうして、その……婚姻の儀のとき、文字を……」
突かれたくないところを容赦なく突かれて、私は思わず沈痛な面持ちで頭を抱えてしまった。
「ええと、笑わないで頂けますか」
名前の文字をとちったとはとても言えないので、私は苦し紛れに答える。
「私、字があまり上手ではなくて」
嘘は、言ってない。まあ一応ね。
「うーん……そうか」
どう見ても納得していないが、私が力強く断言したこともあってか、それ以上の追及はなかった。
謝罪二つ目。
「昨日は気が立っていて」「つい」「投獄してしまって」「申し訳ない」だそうだ。
つい、で投獄されてはたまったものではないが、謝ったのなら許してやろう。二度目はないわよ。
要因としては、私がうっかり何らかの地雷を踏み抜いてしまったからというのもあるだろうから、私もすぐに溜飲を下げた。多分、アラルと呼ばれるのは嫌なんだろう。何でだ?
謝罪三つ目。
「晩餐会で」「完全に放置して」「申し訳ない」「あとから」「失礼な言動があった」「と参加者から聞いた」そうだ。
まああれからある程度時間も経っているし、ここは静かなので、皇帝に浮かれた様子は見られない。許してやろう。ただ、私のことをただ銀山としてしか見ていない言い草は腹が立ったので、それはきちんと釘を刺しておいた。
「確かにナツェル銀山は資源も豊富で、今後パンゲアを支えていく産業の柱の一つとなるかも知れませんが、それとこれとは話が別です」
ベッドに腰掛けて腕を組んだ私の前で、椅子の上で縮こまった皇帝が頷く。完全に萎縮している。
「私も皇帝陛下を今すぐ愛せと言われても難しいのと同じように、私を愛して慈しんで下さいとは決して申し上げませんが、せめて人扱いして欲しいです」
皇帝は黙って頷いた。こうしているとただの大人しい人だが、忘れてはならない。これは、初対面(実際には二度目だが)で剣を抜く男である。
他にもいくつか細々とした謝罪は続いたが、上記の三つ以上に重大なものもなかったので割愛するとしよう。私も正直ほとんど聞いていなかった。
そう! 私は眠いのである!
「あのですね、私、……ちょっとくらい雑な扱い、されても、平気な人種なので……ふぁあ」
欠伸を噛み殺すと、私は軽く目を擦った。夜になって目が疲れたのか、視界が霞む。
「どうせ私、ふぁ、寝相が悪くて、朝起きたらベッドの上にいた試しがないので、床で寝ますね、……くぁ」
言いながら、ベッドを転がって横切ると、私はそのまま床に落ち(毛の長い絨毯が敷いてあるので怪我の心配は一切ない)、何も考えずに眠りに落ちた。
2018/01/27 致命傷レベルのミスの訂正
2018/02/12 またミスの訂正
2018/05/16 またまたミスの訂正および推敲