5 わたしはほんとうに
窓の日除け(防御用)を下ろして、私は馬車の中で大人しくしていた。今はちょうど昼時なのか、街は賑わっているようだ。
「このまま中央通りを真っ直ぐに行けば王城ですが、……これで私たちは指示を破ったことになります。何も無いとはあまり思えません」
フォレンタは張り詰めた声で呟き、腰の辺りに手をやった。スカートの襞に手を突っ込み、目に見えないところから刃物らしき光るものを出す。物騒ね。
両脇に露店の立ち並ぶ市場を抜け、道幅の広い街へ出た頃になって、私は鼻を鳴らした。
「実は女王陛下がいつも使っている紙を切らしただけとかそういうオチだったら良いけれど」
「恐らくないだろうな」
皇帝が日除け越しに窓の外を眺めながら言った。私も頷き、息をつく。
雪に覆われた街は白く、空も曇って白い。道は雪かきが済んでおり、道端のところどころに雪が積まれていた。
「まあ、市街地で衆人環視のもと、あまり手荒には――」
メフェルスが言いかけたその瞬間、馬車が大きく揺れた。
「……手荒に来たわね」
呟くと同時に、御者台の方で怒鳴る声が聞こえた。
「速度上げます、掴まって下さい!」
私が窓枠を握り締めた瞬間、馬車がぐんと進んだ。馬の嘶きが響き、蹄が石畳を蹴る音がする。
「女王陛下のご指示です、こちらへ!」
ぴたりと馬車の脇につけて並走する男は、騎士の格好をしていた。促すように手を伸ばしてくるが、フォレンタは視線を鋭くして叫び返す。
「所属と名を言いなさい!」
騎士(仮)は黙り込んだ。フォレンタはもはや騎士(仮)を見もせず、窓から離れて短剣をいじり始める。
「身分証である腕章を見せずに近付いてくる時点で偽物です」とフォレンタは吐き捨てて、短剣を鞘から抜いた。
「窓から離れろ、」
窓枠に両手でしがみついていた私の肩に手を回して、皇帝がそう言った途端、私がさっきまですぐ側にいた窓ガラスが弾け飛んだ。拳大の石が幕を伝って足元に転がってくる。
咄嗟に悲鳴も出なかった。掴むところを失った私の手は、自然と皇帝の服を握り締める。あっこれ皺になるやつだ、あとで侍女さんたちに謝っておこう……。
私が現実逃避をしている間にも、馬車の外の様相はみるみるうちに変わっていくようだった。幕が薄い訳ではないが、特に光源のない馬車の中より外の方が明るいので、外の様子はよく見えた。
この馬車が何者かに襲撃されていることは、周りから見ても分かるようだった。街を歩いていた人々は猛然と突き進む馬車の進む先から走って逃げる。悲鳴や怒号、何かが壊れる音が立て続けに響いた。
「止まれ! 女王陛下の勅令だ!」
叫びながら、騎士の格好をした男達が叫ぶ。この期に及んでまだ嘘の手紙の設定を突き通すつもりらしい。
しかしその声の効果は絶大だった。
騎士が、女王の名の下に、危険な走行を続ける馬車を止めようとしている。
それは分かりやすい構図だった。
「あー! 進行方向に雪積まれてる!」
もはやガラスのなくなった窓から見える光景に、私は唖然とする。
せっせとシャベルで道の脇の雪を道路の中央に戻し始めた街の人達の姿に、私は憤慨して歯ぎしりした。私たち悪い人じゃないのに! 交通ルールは破ってるけど……。
進行方向とは逆に座っているメフェルスとフォレンタは何が起きているか分からないようで、目を白黒させている。
「跳ねます!」
御者台から声がして、皇帝が私の頭を抱き込んだ。
ふわ、と一瞬、体が浮いて、私は目を見開く。しかしその次の瞬間、けたたましい騒音と共に馬車が地面に叩きつけられた。車輪は悲鳴のような音を上げ、私は尻から脳天まで貫くような衝撃にぎゅっと目を閉じる。
「いったぁ……」
なおも激走を続ける馬車の中、私は尻に手を当てて涙目になった。いくらこれが高級な良い馬車だとしたって、ちょっと飛んで着地したりなんてしたら、中にいる人の尻はダメージを受けるのである。
王城はすぐ目の前だった。相手も私たちを王城まで着かせる気はないようで、とうとう矢まで射始めた。待ってよここ街中だよ! 逸れたら誰に当たるか分からない、大惨事だ。
かかっ、と続けざまに馬車の壁に矢が刺さる音がするのは良いのだが(良くない)、問題は窓を狙ってくる矢である。石などの衝撃には耐えうる幕は、しかし残念ながら鋭い矢先には勝てないようだった。
「ギャー! 入ってきたぁ!」
幕に穴を開けて馬車の中に侵入し、音を立てて床に刺さった矢に私は震え上がった。座席の上で膝を抱えて、未だ床の上で小刻みに震えている矢を見る。震えたいのはこっちである。
「王城前広場はすぐそこだ」
皇帝も足を射られたくはないようで、座席の上で膝を立てたまま呟く。その言葉に外を見やると、確かに王城はすぐ目の前、城門は間近に迫っていた。
「止まれ! 何事だ!」
異変を察知したらしく、その広場には多くの騎士たちが武器を構えて隊列を組んでいる。あれは多分本物の騎士だと思う。
私たちを追ってきていた騎士たち(多分偽物)は、とうとう馬の上で剣を抜いた。片手を手綱から離して不安定そうだ。そんな感想を抱いていられたのも数秒間だけだった。
窓を守っていた幕が、切り裂かれる。どうやらこの布、刃物にはめっぽう弱いらしい。駄目じゃん!
はらりと落ちた幕の向こうにいた騎士(偽物)と、目が合った。その口元が歪んで笑みのような形を作った。
ぞわ、と背筋が粟立ち、思わず皇帝の服を更に強く握り締めてしまう。その反応に、皇帝も私の視線を追った。
皇帝と、騎士(偽)の視線が絡まり合う。と、その瞬間、床に刺さっていた矢を引き抜いたメフェルスが、間髪入れずそれを投擲した。
手綱から片手を離し、視線は進行方向とは違う皇帝に向けられていた騎士は、予想だにしなかった反撃に大きく仰け反り、そのまま落馬した。結構スピード出てたし、尋常じゃない音を立てて地面に当たる気配がしたけど、まあ気付かなかったことにしておこう。私、自分を狙ってくる敵の怪我に同情するほど優しくないの。ごめんなさいね。
とまあ、騎士(偽)を一人撃退したくらいで悦に入っていた私は、眼前に迫る雪山に目を剥いた。さっき乗り上げ飛び越したものよりもっと大きなものだ。馬が嘶く。進行方向はもうどうしようもなく、馬車は善良なるローレンシア王都一般市民の皆様方のご協力によって積み上げられた雪山に乗り上げ、大きく傾いた。い、いいわ、私親切だから責めないであげる……。
車輪が壊れる音がした。車高が一気に下がり、私たちが入った箱馬車の後部が地面に擦れる。
城門前の広場の中央で、私たちを乗せた馬車は完全に停止した。私たちを追ってきた騎士たち(偽物)は、正義ヅラをして追いつく。馬車の入口に手をかけ、押し入ろうとする様子は、幕の落ちた窓から直接見えた。
それを止めるのが本物の騎士である。
「待て、交通規則違反の馬車の取り締まりはこちらの管轄だ。……お前達、どこの所属だ?」
偽物(多分)の騎士たちは顔を見合わせた。
「女王陛下の勅令で動く特殊部隊だ」
そんなものは知らない、と言わんばかりに本物の騎士は眉を顰めるが、実は知らないだけで存在していたのか、と半ば信じかけているような微妙な表情である。頑張れ! 嘘だよ!
「女王陛下は、何と?」
「女王陛下を害そうとするこの者達を王都の外まで連れていけと」
「そんな企みを持っている人間が、何故こうも騒々しく正面突破するんだ。阿呆なのか」
失礼な言い草!
肩を竦めた(偽物)騎士は、騎士(本物)を無視して私たちのいる馬車の入口に手をかけた。座席に指先をつき、そっと腰を浮かせたフォレンタを、私は黙って見つめる。
「出てこ――ぶげぁ!」
床を蹴って、扉をこちらから思い切り押し開けた。扉の前にいた騎士(偽物)は仰向けに倒れ、フォレンタはそのまま外に着地した。
次いでメフェルスが心もとなさそうな顔をして腰の剣に手を当てながら、馬車から飛び降りる。
その次に、これまた自信なさげな顔をしながら剣を抜いて、皇帝が外へ歩み出た。
「クィリアルテ様、ここは私が食い止めます」
「そこは『私たち』って言ってくれないか……」
「皇帝陛下、僕たち頭数に入ってないんですよ」
王城側には本物の騎士。私たちを挟んで反対側には偽物の騎士。どっちへ行けばいいかは分かりきっていた。
「王城へ避難を」
フォレンタが低い声で告げる。広場は突如馬車から現れた三人組に困惑している様子だ。しかも全員武装済みである。明らかに危険人物はこっちだろう。
睨み合いの膠着状態の中、フォレンタが息を吸った。
「――クィリアルテ様は、ご両親から生まれた、ローレンシアの王女殿下でございます。その事実だけは、何を賭してでもお守りします」
フォレンタは私を見ないまま囁く。私は震える足を叱咤するように一度叩いて(やたら良い音が出た)立ち上がると、馬車の扉枠に手をかけて外へ躍り出た。
脇目も振らず、広場を横切って王城へ向けて走る。背後で騎士(偽物)たちが大声を上げて何やら言っている。あれだ、と声が聞こえた。追いすがろうとするような気配を感じたが、何も追ってこない。振り返る暇はなかったが、出来ることなら背後を見たかった。
居並ぶ騎士たちは、未だ事態が飲み込めていないように、走ってくる私を待ち構えている。私は足を緩めると、深く被っていた帽子を脱ぎ捨てた。
髪が宙を舞う。私が母から受け継いだ、分かりやすく清麗な髪が空に広がった。
こつ、と踵が音を立てた。広場全体に広がるモザイク模様の石畳を踏み締めて、私は目を上げる。見据えた先にいた騎士は、息を飲んで瞠目した。私を捕らえるべきかどうか迷っていたような騎士群の動きが止まった。
これが猶予だ。
「――私は、」
私が口を開いた瞬間、空気が静まり返った。口を開こうとする目の前の騎士をきつく睨みつけて黙らせ、息を吸う。
「ローレンシア王国第一王女、クィリアルテ・ローレンシア」
挑むような目付きで、騎士を見上げた。声を張ったから多くの騎士たちに聞こえたはずだ。一気にどよめきが広がる。よく見えるように背筋をぴんと伸ばし、私は腹に力を込めた。
「女王陛下に謁見しに来たわ」
告げると、何故か騎士たちが二つに割れた。目の前が王城に向けて一直線に開き、その先に、ずっと見たくないと願ってきた人を見つけた。
「クィリアルテ、…………どうして」
女王は愕然としたように呟き、私に歩み寄る。私は人前である以上は悪態もつけないので鼻は鳴らさず、大人しく背後を振り返った。
「嘘の手紙で呼び出されました。あそこにいる騎士の服を着た人達が、私を捕らえようと追ってきたところです」
簡潔に述べると、女王は呆気に取られていた顔をすぐに引き締めた。
「捕らえなさい」
分かりやすい指示に、騎士たちは声を揃えて応じた。
***
結局何もせずに剣を鞘に戻しただけの皇帝とメフェルスに対し、フォレンタは冷静に短剣についた液体をぬぐっ……!? ……拭っている。見なかったことにしよう。
王城の廊下を女王が先導する。階段を上がり、廊下を少し進んで突き当たりの扉に鍵を挿した。扉が開くと、その先にはまだ廊下が続いていた。
その扉を全員が潜り、女王が扉を閉ざす。再び鍵をかけると、女王はようやく口を開いた。
「どういうことですか」
低い声はフォレンタに向けられたものらしい。フォレンタは一瞬肩を震わせると、その場に跪いて頭を垂れた。
「貴女がついていながら、どうしてこのようなことになるのです」
フォレンタは深く俯いたまま、消え入りそうな声で「申し訳ございません」と告げた。
「話は後で聞きます。立ちなさい」
女王が話を切ると、フォレンタはのろのろと立ち上がる。その唇は白くなるほど噛み締められていた。
「何はともあれ――ご足労頂き感謝致します、皇帝陛下、と……メフェルス様ですか」
女王は皇帝とメフェルスに向き直って膝を曲げ、最敬礼まではいかないが相当格式張った礼をした。二人も深く礼を返し、挨拶はそれで済んだようだった。
女王の目がこちらを向いたので、私は思わずたじろいでしまった。女王はすっと目を細めると、それから僅かに頬を緩めた。
笑っ……た?
「おかえりなさい、クィリアルテ」
微笑みと優しい言葉に咄嗟に浮かんだ言葉は『猫被りやがって』だったが、それを口に出さないだけの分別はあった。私は呆気に取られたまま返事をする。
「……ここ、私が、帰ってくる場所だったんですか」
ようこそじゃなくて。おかえり、と。
呟くと、女王は眉を上げた。
「いつの間に貴女は故郷をパンゲアに移したのですか?」
なかなか直截な嫌味に私は鼻白む。目を細めて女王を見た。視線が重なる。
「……ただいま、帰りました」
ぼそっと呟くと、女王が目を見張った。
「ひとつ言ってもいいか」
廊下を再び歩きながら、皇帝が私の肩を叩いた。視線だけそちらにやると、皇帝は言い淀むように曖昧な声を発する。
「さっき、何て名乗っていたかもう一度聞かせて欲しい」
何でわざわざそんなことを要求するのか、と思いながら、私は「クィリアルテ・ローレンシアって言いました」と応じた。
皇帝は更に微妙な顔になって、唇の隙間から妙な音を漏れさせ始めた。
「何ですか? ちゃんと言ってください」
促すと、皇帝は両手で顔を覆いながら言う。
「もう……名字は……ローレンシアじゃないんじゃないかと……」
メフェルスはしらっとした目を皇帝に向けて、「細かいですね」と呟いた。私も「ああ……そういえば」と頷く。
「皇帝陛下としては、そこは重要なこだわりポイントですか?」
一応訊いておくと、皇帝は顔から手を外して私を見ながら、少し躊躇ったのち頷いた。頬を赤らめている。乙女か!
私はぷくくと笑い声を漏らしながら皇帝の脇腹をつついた。
「何ですか、照れてるんですか」
身をよじって私の指先を避けた皇帝が、憮然としたように「いや、別にそんなことは」と返す。
女王が肩越しに振り返り、やや驚いたように呟いた。
「こうなりましたか」
何の話だ? いまいちピンと来ない私は首を傾げたが、フォレンタは頷いて「はい」と肯定する。
「昼食を用意させましょう。詳しい話はそこで聞きます」
女王は悠然と微笑んで、扉を開いた。
***
女王が目の前にいるので、いつも以上に作法に気をつけながら食事をする。頬張ったパンを噛み締めながら、私は皇帝と女王を見比べた。こんな豪華な取り合わせ、滅多に見られるものではない。
珍しく客人枠で席についているメフェルスは、ガッチガチに緊張しながら虚ろな目をしている。
「それで?」
女王がフォレンタに目を向けると、彼女は食事を中断して口を開いた。
「まず、普段使用している経路から、女王陛下が危篤であり、クィリアルテ様にお話があるから急いで来るようにと手紙が届きました」
「私の字体に似せていたということですね」
「はい」
女王は思案するように黙り込んだ。
「私の字を真似すること自体は決して難しいことではありませんね。何らかの文書を書き、どこかに送付することも珍しくありませんから」
問題は、と女王はテーブルに強く拳を置いた。視線が鋭くなり、虚空を睨みつける。
「神殿関係者が、そこまで内部に潜り込んでいたことでしょう」
壁際に立ち並ぶ侍女や騎士たちをぐるりと見回し、女王が深くため息をついた。
「……誰が潜り込んでいるのか分からない以上、これより深い話は控えた方が良さそうね」
女王はほとんど独り言のように漏らして、口を噤んだ。私は思わず部屋を眺め回す。硬い顔をした侍女が見返してきた。
「なんか怖い顔した人達だね」
フォレンタに顔を寄せて囁くと、彼女は渋い顔で「無理もありません」と応える。
「女王陛下の手によって厳正に選別された人間のみが、先程の扉のこちら側に来られるのです。各々誇りと責任を胸にここにいる人間で、その中に神殿の手の者がいるかも知れないと分かれば、心穏やかではいられないでしょう」
長文で状況説明をしてくれたフォレンタに「そっか」と雑な返事をしてから、私はさっきから気になっている単語を口に出す。
「それで、その『神殿』って何?」
フォレンタにこそっと訊くつもりだった言葉は、うっかり部屋中に響いた。部屋の空気が張り詰めた。
「――大陸神教のうち、一部の宗派を指す言葉です。偶像を創り、それを崇拝する建造物を多く作るところからそう呼びます」
女王は淀みなく答え、私を一瞥する。
「近年のローレンシア王家と多少の因縁があります」
部屋の中の異様な雰囲気からして、その因縁が多少ではないのは何となく想像がついた。口を挟む気配のない皇帝を確認すると、私は女王を見据える。
「どうしてその神殿が、私をローレンシアまで呼び戻したのでしょうか」
女王はそこで初めて言い淀んだ。私は目を逸らさないまま言葉を続ける。
「私と神殿に、何か因縁でもあるんですか?」
私のあずかり知らぬところで変な因縁でも付けられてたんなら不愉快である。女王は目を閉じ、息を吐いた。
「分かりません」
絶対分かってるくせに、と私は内心吐き捨てた。
***
場所を移し、女王の執務室で一息ついた私は暖炉の前を陣取った。部屋の中に人はおらず、天井裏に気配もない。
「皇帝陛下とお会いするのは初めてではありませんね」
女王が部屋の中央に置かれたローテーブルとセットの長椅子に腰掛けながら言う。その向かいに座った皇帝は「はい」と応じた。
「あのときはお世話になりました」
「いえ、こちらとしましても、あれを契機にパンゲアとの国交を深めたいと思っていましたから。……実現はしませんでしたが」
女王がぼそっと呟く。皇帝は暗い顔になった。
「申し訳ありません」
「ああいえ、今の言葉は少し無神経でしたね」
まあ、この皇帝が昔ローレンシアに来て帰ってからすぐに政権が交代した訳なので、女王が目論んだ密な国交は実現されなかったのだろう。残念だったね。
「あの」
私は女王を見ないまま声を発した。
「私、死んだことになっているなんて、パンゲアに行くまで知らなかったんですけど」
女王は平然と答える。
「言ってませんでしたからね」
「そういう問題じゃないです」
私は即座に切り返し、ため息をついた。暖炉に足をかざして、肘掛に寄りかかる。
フォレンタが事の顛末を説明するのを背後に聞きながら、私は揺れる炎を眺めていた。
「――そう。途中で気付いて良かったですね。せめてもの救いだわ」
フォレンタの報告に女王は長い息を吐いて、背もたれに身体を預けると眉間を揉む。
「しかし、どうしてクィリアルテの居所が向こうに知られているのでしょうか」
そう、問題はそこである。一応正体を隠していたはずなのに、なんで私がパンゲアの王城で生きていることがバレているのか。
「皇帝陛下、パンゲアでは大陸神教はほとんど信じられていないと聞き及んでいたのですが……最近は状況が変わっているのですか」
「……いや、全然聞きませんね」
皇帝は少し考えてから答え、女王も「それならどうして」と呟く。
「パンゲアの中でもクィリアルテ様がローレンシアの出だと知っている人は限られています。神殿がパンゲア内部にまで手を伸ばしていたとしても、余程潜り込まないとそんな情報は手に入れられません」
メフェルスも腕を組んで眉を顰めた。自分たちの組織に得体の知れない宗教団体の手が入っていたらと思うとゾッとしないらしい。
「俺とメフェルス、レゾウィルに暗部くらいか」
皇帝が顎に手を当てながら呟く。
「俺は誰にも話してないし」
「本当ですか?」
私が突っ込むと、皇帝は突然自信を失ったように狼狽え、メフェルスに「話してないよな」と確認した。「話してないと思いますけど」とメフェルスは頷く。
「じゃあお前か」
「僕は話してないです! 皇帝陛下じゃあるまいし」
「何だその言い草は!」
罪をなすり付け合い始めた皇帝とメフェルスを白い目で眺め、私は背もたれに顎を乗せた。
「暗部は? 隠密くんとかですよね」
「あそこは……互いに互いを監視し合う体制が整っているから、全員が手を組まない限りは大丈夫なはずだ」
再び自信を失ったように皇帝は不安げな顔をする。私は人差し指を立てて言う。
「じゃあレゾウィル」
「酔っ払ってポロッと話す可能性がある……か?」
「ありえますね……!」
皇帝とメフェルスからの信頼があまりに薄すぎるレゾウィルに内心同情を禁じ得ないでいると、皇帝は「こちらの過失だったのか」と更に不安そうに焦り始めた。
「待ってください、ロズウィミア様も知ってます」
あまりにもレゾウィルが可哀想なので、なすり付ける訳では無いがロズウィミア嬢の名前を出すと、皇帝とメフェルスは顔を見合わせた。
「いや、……レゾウィルだな」
「ロズウィミア様よりはレゾウィル様の方がありえます」
完全に話の流れが『レゾウィルのうっかり』に固まりかけたとき、私はふと顔を上げた。
大陸神教について、確か、パンゲアで話をしたことがあったような気がする。
私は「待ってください」と一旦議論を遮り、口元に指先を押し当てて、視線を一点に集中させる。必死に考え、確かに大陸神教を話題にしたことがあるという確信を得た。しかし、それがいつのことだか思い出せない。
くそったれ、と吐き捨てた記憶があった。大陸神教に対して悪態をついた。
私は大陸神教を信じていない。大地の恵みを乞う宗教を信じていない。
――だってあの人たちはお葬式に来る人たちだから。
少なくともわたしにとってはそうだった。
「…………婚姻の儀、」
私は呟いた。皇帝は一瞬怪訝そうな顔をしたが、メフェルスはすぐに息を飲んだ。口に出したら、記憶はするすると繋がって出てきた。
「皇帝陛下が、呼んでくれましたよね」
皇帝が背もたれに身を預けて額に手を当てる。その表情は引きつっていた。
「何の話ですか」と女王は幾分か焦った顔で身を乗り出し、フォレンタは「まさか」と零した。
「婚姻の儀で……クィリアルテ嬢はローレンシアの出身だからと思って……」
「大陸神教の司祭を呼んだのですか!?」
女王は立ち上がって叫んだ。皇帝は青い顔をして両手で顔を覆った。
「初めから……全部、筒抜けだった、と」
フォレンタは深いため息をつく。
私は名前を書けずに困り、皇帝に一緒に書いてもらうように頼んだ。皇帝は困惑しながらも何とか私の名前を書いて、それを司祭に渡した。
司祭はそれを見て、私を確認した。私に名前を確認した。
『……クィリアルテ・ローレンシア、』
私は肯定した、はずだ。
情報の出どころは判明した。多分間違ってはいないと思う。女王曰く、大陸神教とは元々豊穣を祈ったり荒天が鎮まるのを願ったりする民間信仰であって、仰々しく儀式を執り行ったりするのは神殿と呼ばれる一部であるという。渦中の宗派である。
「とは言え、何も申し上げなかったのはこちらです。そちらには何の過失もございません。そう落ち込まないで下さい」
項垂れて沈黙した皇帝に女王が言う、が……。
「いや……余計なことをした俺のせいです」
どんよりした空気を漂わせながら皇帝が虚ろな目をする。正直言って心から同感である。過失はないし悪くもないけど余計なことをしやがってって感じ。ありがた迷惑というやつかな。
***
女王は所用とかで席を外し、何故か女王の執務室を私たちが陣取る結果となった。悪いね。どうやら何かしらの会議にでも行ったらしい。
暖炉の前のソファでごろごろしていたそのとき、扉が叩かれた。時期が時期とだけあって、部屋の中の空気は一気に張り詰める。皇帝とメフェルスは凍りつき、私は肘掛に上体を乗せたまま扉を見つめた。
フォレンタが足音を忍ばせて扉へ近づく。ドアノブを手のひらで包むようにしてそっと捻り、細く開いた扉の向こうを覗いた。
「イェシル様、」
驚いたようにフォレンタが呟く。聞いたことのある名に、私は表情を強ばらせた。
「姉さまが来てるって聞いたんだ」
幼さを残した声変わり前の男の子の声だった。私は肘掛に寄りかかった姿勢のまま、動けずに息を止める。
「女王陛下には許可を取られたのですか?」
「ううん、……こっそり来たの。母上には姉さまに会っちゃダメって言われてるから」
フォレンタは腰に手を当てて困ったように立ち尽くした。
「それなら女王陛下に――」
「えいやー!」
フォレンタの言葉を待たず、扉の向こうの声は思い切り扉を押したようだった。フォレンタはたたらを踏んで、扉は大きく開いた。
肩で息をした少年が、扉の前でこちらを見ていた。だらしなくソファの中で転げていた私と目が合った。
「クィリアルテ姉さま、」
「……イェシル」
この、腹違いの弟と目を合わせるのは、初めてだった。