2 取り残されたこどもだった
王都から少し離れた小高い丘。そこが皇帝の目的地だった。
枯れた茶色の混ざり始めた草を踏み分けながら、坂を登った。他に何も無い、草原に近いような土地なので、今まで隠れて監視していたと思しき人影がよく見えた。隠密くんとレゾウィルはいないようなので、多分まだ野菜を売っているのだろう。
草の穂先を薙ぎ払うように風が通った。もう日が短いので、早く帰らないと暗くなる。
「この先には、何が?」
顔にかかった髪を手で払いながら、私は目を眇めた。皇帝は事も無げに答えた。
「墓だ」
……ちょっと待って! 心の準備!
***
吹きさらしの丘の上、並んだ石碑は数知れず。
パンゲアを率いてきた歴代の王族たちが足元に眠っていた。王都を見渡せる丘で、かつて生きた人間が骸のみを埋めていた。
だから皇帝の家族もここに眠っている。いつか彼もここに眠る。
迷いのない足取りで、皇帝は立ち並んだ石碑を縫うように奥へ進んだ。私は腰ほどもない高さの石碑を見回しながら、その後を追った。
6つ並んだ石碑。雨風に晒されて汚れているものの、他と比べてとりわけ新しく見えた。
「やっと来れた」と皇帝は寂しげに呟いて、その前に立った。
パンゲアに特定の宗教はない。名のある神を持ち、経典があるような宗教はないが、何かしら神に似た超自然的なものがあるのかも知れないといった程度の思想はあった。多分皇帝は、それに祈っている。
一番端の石碑の前に膝を折って、皇帝が指を組んで頭を垂れる。石碑に刻まれた名は読めないが、恐らく皇帝の父の墓であるような気がした。あくまで勘の域は出ないけれど。
それを5回繰り返した。私は恐らく、一緒になって指を組む義理はないと思ったから、その背後で黙って目を閉じていた。
最後の石碑の前に移って、皇帝は長いこと立ち尽くした。……皇帝の、一番年齢が近い兄の墓。彼が殺した兄の眠る地面だ。
皇帝は長いこと立ち尽くしていた。ずっと、微動だにせず、目を伏せていた。時間が経って、やがて空が暗くなり始めた頃になって、皇帝は我に返ったように顔を上げた。
私を振り返る。既に眩しさを失った空に驚いたように目を見開いていた。私は黙って首を横に振った。
最後に、ほんの挨拶程度に指を組んで、跪いて黙祷し、皇帝は立ち上がった。
「悪い」と眦を下げるので、私は再び首を振る。
「構いませんよ」
言うと、皇帝はほっとしたように息をついた。もう空は端から暗くなり始め、視界の隅でメフェルスがうろちょろしている。
「そろそろメフェルスに怒られそうなので帰りますか」
「……そうだな」
自己主張がますます激しくなり始めたメフェルスの動きに、私たちは揃って苦笑した。
***
レゾウィルがどれだけ野菜を売りさばけたか、冷やかしに行く最中に、それを感じた。
「…………?」
首筋にぴりつく気配があったのだ。私は眉を顰めて振り返る。皇帝が怪訝そうな目でさらに私を振り返って、立ち止まる。
「どうかしたか」
「いや、何かぞわっとして」
呟くと、皇帝の目が一気に鋭くなった。怖い顔である。
「多分気のせいですよ」
「いや、クィリアルテ嬢に限って予感がただの気のせいであるはずがない。野生の勘だからな」
褒めてるんだか貶してるんだかよく分からない物言いをして、皇帝が腰に手を当てた。
「私だって予感が外れることくらいありますよ。この間だって、物凄く気持ちよく目覚めて『今日は何だかいいことがある予感がする!』って起きたら、目の前に悪鬼のごとき表情をしたフォレンタがいたりとか」
「ひょっとすると、それは『寝坊した』と言うんじゃないか?」
「そうとも言いますね」
ごほん、と咳が聞こえたので振り返ったら、そこにも悪鬼のごとき表情をしたフォレンタが……ギャアァァァァーー!
「もう起きると私に仰ってから2時間後の話でございます」
冷え冷えとした表情でフォレンタが言う。私は両手を合わせて拝むと、そっと前を向いた。
悪鬼よ、鎮まりたまえー。
既に薄暗い通りを歩く。所々に明かりが灯されてはいるものの、完全に明るいとは言い切れない程度だ。
「あ、レゾウィルのお店がありますよ」
言って指さすが、そこにレゾウィルはいない。隠密くんのみが店頭に立ち、にこにこと接客をしていた。
「えらいわね、一人でお店番?」
「はい! そうだ、この白菜、残りひとつなんです。これもいかがですか?」
主婦らしきおばさんを相手取り、隠密くんが言葉巧みに野菜を売りつけている。既に必要なものを買った後らしいおばさんは、しかし隠密くんの差し出した白菜を拒みきれずにいる。
「最近は寒いので、煮込みなんてどうでしょう。明日にでも、ね」
満面の笑みを向けられたおばさんは哀れにも敗北し、隠密くんに言われるがままに白菜を購入した。私たちはそれを遠巻きにして眺めていた。
「隠密くん……恐ろしい子……」
「あれが潜入捜査にとても役に立つんだ」
しみじみと呟き、それから私たちは隠密くんが立っている店の前へ歩み寄った。
「隠密くん、やるわね」
「えへへ、あんなのチョロいですよぉ」
「結構言うのね……。そのコミュニケーション能力、皇帝陛下に分けてあげてくれない?」
「ええー、皇帝陛下はこれだからいいんじゃないですか」
ほとんど売り物のなくなった店内を背後に、隠密くんはにこにことしている。しているのだが、あれ、あのやたら目立つ我らが宰相閣下は、どこに……?
「レゾウィルは?」
「あ、追い出しましたぁ」
小首を傾げて笑った隠密くんがさらりと答える。私と皇帝は顔を見合わせた。
「追い出したのか」
「はい」
皇帝の確認にも隠密くんはあっさり頷く。ふと首を回して横を向くので、私もつられてそちらを見た。
「来ました」
「見ればすぐに分かるわよね」
大きく手を振りながら歩いてくるのは、疑いようもない、レゾウィルだろう。片腕には紙袋を抱えており、どうやら買い物をしてきた帰りらしい。
「ちょっと早いですけど、お腹が空いたからお夕飯にしましょうって言ったんです」
「それで買いに行っちゃうんだ……」
大股であっという間に私たちのところまで到着したレゾウィルが、大きな声で「こ――」と言いかけて慌てて口を閉じた。皇帝陛下と言おうとしたらしい。危ない危ない。
「お帰りですかな」
「うん、もう暗くなってきたし」
ふむと腕組みをして、レゾウィルは珍しくため息をついた。
「野菜は売れなかったか……」
「レゾウィル様、僕、ほとんど売っておきました」
「なに!?」
レゾウィルが目を剥いて店内を覗き込んだ。確かに、ほとんどの棚が空になっている。
「隠密くん、口が達者なのよ」
「いえいえそんな……」
全くもって無邪気そうな顔である。……本当に無邪気なんだろうか。
レゾウィルが店じまいをし始めたのを確認すると(あれ、隠密くんの姿が見当たらな……)、私たちは再び城に向かって歩き始めた。ここら辺で一番高さのある建物はダントツで城なので、迷うこともない。
「こんなに歩き回ったの久しぶりです」
足が棒のようとまでは言わないけれど、じんわり痺れるような疲れがあった。普段運動しないツケが回ってきたみたいだ。
「こんなに遊び回ったのも久しぶりだ」と皇帝も歩きながら伸びをする。ほとんど夜のような暗さになった通りをしばらく進んだ。
「成人したら下町の居酒屋に行ってみたいです」
「それはフォレンタに要相談だな」
いくつか先の通り沿いに、盛り上がり始めた飲み屋が見える。まだ成人していない今、そんなところに行っても仕方ないけれど、そのうちチャレンジしてみたい感じはする。
「まあ、フォレンタが許すはずな――」
言いかけて、その瞬間、私は考えるより早く皇帝を突き飛ばしていた。油断していた皇帝はその場でたたらを踏んでよろめき、私もその反動で数歩下がる。
キン、と何かが地面に当たる硬質な音が響き、私は息を飲んだ。
「皇帝陛下!」
叫んでから、これは言わない方が良かったと思って口を噤む。皇帝はすぐさま体勢を立て直して振り返った。
荒い息をついた男が、血走った目で虚空を見ていた。その手にはナイフのようなものが握られている。
明らかにヤバいやつですごちそうさまでした帰ってーー!
タドリスはもういないのに更に皇帝を狙う奴がいるの!? 一国の主って大変なのね!
私がパニックに陥りながらも、皇帝に逃げろと言おうとしたそのとき、男が、ゆっくりとこちらを向いた。その唇が弧を描く。
……私ぃ!?
思わず仰け反った私を見据え、男が笑顔を浮かべた。明らかに正常でない様子の男に、私が恐怖を覚えた頃になって、その背後から手が伸びた。
男の手首を強く蹴りつけ、刃物を持っていない方の腕を取る。膝の後ろにも間髪入れず爪先を叩き込むと、男はがくりと崩れた。
「っは、何ですかこの人」
地面に男を取り押さえて、隠密くんが息をついた。隠れて付いてきていたらしい兵士たち(気配はバレバレだったけど)がわらわらと出てきて、男の両腕を取る。
「いやあ、何かヤバい人来ましたね」と言いつつ皇帝の側に寄ると、皇帝もビビった様子で頷いた。怖かったので手を握ったら握り返してくれた。
兵士たちに引っ捕えられて無理やり立ち上がらされた男は、目を見開いて私を見ていた。それに気付いた瞬間胸が冷えた。
「――神様、」
男は薄ら笑いを浮かべたまま私に言った。
「あんたのせいですよ」
目を見開き、私は呆気に取られて男を見ていた。脳の芯にその言葉が浸透するに従って、体が震えた。
「贖罪を果たして下さいよ」
皇帝が私の手を強く握り込む。私と男の間に割り込んで、視界を隠した。
「あんたが本物なんだろ、神様」
何を言っているか分からなかった。分かりたくなかった。
それなのに体は情けなく震える。唇が戦慄き、こみ上げるような恐怖に襲われた。
「やだ」
頭を振り、後ずさった。皇帝が私の体を抱いて、視界に男は写っていなかったが、声は聞こえた。
「全部あんたのせいだ」
皇帝の手が私の耳を塞いだが、聞いてしまった声は何度も反響していた。喉の奥で引き攣るような音を出しながら、わたしはぼろぼろと零れる涙を拭った。どうして自分がこんなに泣いているのかも分からない。
「やだ、やだ、違うもん。わたし違う、」
わたしは肩を竦めて泣きじゃくりながら、必死に首を横に振った。
皇帝が私の背に手を回して、何度も低い声で何か言っていた。それが耳に入るようになってから、私は唖然として手を下ろす。
「私……」
何をしているんだろう。
目尻の残滓を指先で拭って、私は照れたように笑った。皇帝は笑顔を返さず、難しい顔で私を見下ろしている。
「大丈夫か」
僅かに眉を顰めながら言われて、私は平然と首を傾げた。
「大丈夫ですよ」
眦を下げて笑うが、皇帝は微妙な顔をしたままだった。
***
私は手持ちのカードを睨みながら、むむむと呻いた。あともう一枚、バラかユリが来れば決まり手で場に出せるし、多分勝てるんだけどなぁ。
「クィリアルテ様の番ですよ」
メフェルスに言われて、私は場に出ているカードを見回した。
皇帝はさっきバラを引いていたからバラを捨てることはないだろう。メフェルスの手は分からないから保留。フォレンタは多分スミレで手を作っているところだから、必要ないバラとかユリは捨てるはずだ。
フォレンタが裏返しにして場に捨てたカードを選んで、めくる。果たしてそこには真っ赤なバラが描かれていた。よっしゃあ!
「ローゼ・リリーエル!」
宣言して手札を場に出すと、おぉと全員が身を乗り出した。バラが5枚にユリが3枚の組み合わせだ。
「誰か挑む人いますか」
挑戦的に見回すと、皇帝がふっと笑んだ。片手を上げ、場から一枚カードを取ると、それを手札に挿して裏返す。
「――ローゼ・スォッツァ」
「なっ……!」
4色あるバラが2枚ずつ、綺麗に並んだ手札だった。赤、ピンク、黄色、青。
「挑戦で勝利だから、ローゼ・リリーエルの得点とスォッツァの得点を皇帝陛下が獲得ですね」
メフェルスが得点表に書き込みながら言う。私はわなわなと震えて悔しさを堪えた。
皇帝の一人勝ちとなったゲームの得点表を眺め、私は憮然として頬を膨らませた。勝負はあと一回。挽回のチャンスはほとんどないだろう。
「そんな手を隠してたなんてずるい!」
「何がずるい、ルールだろう」
「私の得点まで取りおって……!」
私は憤然として皇帝を睨んだ。皇帝は平然とカードを切っており、私の点数を横取りしたことなど気にも留めていないらしい。
「クィリアルテ様、そういうゲームでございます」
呆れたようにフォレンタが言うが、それで機嫌を直すような私ではない。むっすりとしたままぶすくれていると、皇帝は苦笑したように息を漏らした。
「じゃあ次回は点数を2倍にしよう。特例ルールだ」
「皇帝陛下、クィリアルテ様をあまり甘やかさないで下さいませ」
まだ幼い孫を甘やかそうとするおじいちゃんとそれを叱るお母さんみたいですね、というメフェルスの感想は、もれなく全員に対して失礼だった。
失礼料としてルール無視で一万点を引かれたメフェルスは、あえなく敗北することとなった。一人だけ点数がマイナスになっている得点表を見ながら私は笑い転げた。
楽しいひとときだった。どうして急遽カードゲーム大会が催されたのかは自分でも理解していた。
……それでも、帰路で遭遇した変な男のことは、頭から離れなかったのだけれど。
***
おやつの時間、私は皇帝の執務室に乱入してばりばりクッキーを食べていた。
「……そういえば、昨日のあの男は、どうなったんですか?」
恐る恐る訊くと、皇帝は顔を上げて、言葉を選ぶように視線を逸らす。
「禁止薬物を使用していたことが分かった」
ひとまずそうやって端的に答えた皇帝は、ペンを置いて頬杖をついた。まだ何か言うことがありそうな態度に、私も皇帝を注視する。
「……それで、死んだ」
死んだ!?
私は唖然として口を開けた。咄嗟に返答の言葉が出ず、瞬きを繰り返す。
「錯乱状態で話にもならないから、取り敢えず地下牢に突っ込んでいたんだが……。朝になっても起きないから様子を見てみたら、死亡していたそうだ。暗部が言うには、舌を噛んでいたと」
私は震撼して皇帝の言葉を聞いていた。……明らかに自殺である。
「あれって、私が目的だったんですかね」
呟くと、皇帝は首を横に振った。
「そうとは言い切れないが、まずは心当たりがないかローレンシアの女王陛下に訊いてみようと思ってな」
私はすっと表情を消して視線を鋭くする。聞きたくない名前だった。その反応に、皇帝は首を傾げた。
「女王陛下のことは苦手か?」
「苦手っていうか、嫌いです。大嫌い」
皇帝は複雑そうな顔をした。
「そんなに悪い人じゃないと思うぞ」
私は鼻を鳴らして肩を竦めた。そりゃあ皇帝に対して失礼なことはしないだろうさ。
「あの人には、ずっといじめられて来たので」
あんまり口を開くと罵詈雑言が出てきそうだったので、それだけ言うと、皇帝も腕を組んだ。
「確かにそれがあるんだよな」
いないことにして無視しろ、とは女王陛下の勅令である。それにより私は城の中でいない人間として扱われてきた。典型的ないじめである。初等教育みたいなレベルじゃん?
そのとき、激しいノックと共に、返答する間もなく扉が開け放たれた。私たちは弾かれたように振り返り、目を見開く。
「失礼致します、」
肩で息をしたフォレンタが、張り詰めた表情で告げた。背後では訳が分からないまま引きずられてきた様子のメフェルスが目を白黒させており、突如もたらされた緊迫した雰囲気に、私たちは困惑した。
「危急の用事にて失礼を承知で入らせて頂きます」
言って、フォレンタが扉を後ろ手に閉じる。その目つきは険しく、彼女は唇を噛んで言い淀んだ。
「ローレンシアから、内密の手紙が届きました」
フォレンタは低く潜めた声で告げる。
「女王陛下が危篤でございます。クィリアルテ様にお話ししたいことがあるから急いで来るようにと」
は、と、息が漏れた。頭を横から平手で叩かれたような衝撃だった。
「なに、あの人、病気だったの」
自分の声が遠い。周りの音が一気に引いた。自分の鼓動だけは妙に鮮明に聞こえた。
「そのような情報はございませんでしたが……」
フォレンタは言い淀む。
「女王陛下ならお隠しになっていても不思議ではありません」
自分の鼓動がうるさい。血が逆流するような錯覚に襲われた。皇帝は立ち上がってフォレンタの方へ向かう。
「見せてくれ」
手を伸ばして手紙を受け取った皇帝が、紙を一読した。その表情が険しくなる。
「女王陛下の筆跡だな」
メフェルスが眉を顰めた。腕を組んで首を傾げる。
「筆跡を真似て書くことだって出来ますよ」
それはもちろんそうだった。しかしフォレンタは首を横に振り、紙を見下ろす。
「この手紙が届く経路は厳重に秘されていて、私ですらそれを知りません。嘘の手紙を届けさせるのは難しいかと」
その言葉に、皇帝は難しい顔をした。腰に手を当てて、頭を掻きながらため息をつく。私もようやく立ち上がり、フォレンタの元へと向かった。
「あの人、死ぬの?」
恐る恐る問うと、フォレンタは顔を上げた。答えあぐねるように視線を逸らし、彼女は「現段階では分かりません」と答える。
メフェルスは腕を組んだまま、私を見やった。
「クィリアルテ様を呼び戻そうとしているんですよね」
「そのようです」
フォレンタは手紙をもう一度読んで呟く。どうやら短い走り書きのようなものらしく、それが更に緊急事態らしさを醸し出していた。
「行った方が良いのかしら」
「それはクィリアルテ様次第ですが……。行くべきでしょうか」
フォレンタが皇帝を見ると、彼は難しい顔をして考え込む。
「……俺も出来れば女王陛下と会って話をしたい」
「しかし、危篤とあります。話が出来るかどうかは」
「私に話があるからって呼びつけてるんだから、話くらいは出来るんじゃない?」
「それは危篤とは言わないのでは……」
「しかし、女王陛下の容態が悪いなんて聞いたことがないぞ」
「隠されていたのでしょう。この手紙も内密に届いたものでございます」
口々に言いつつも、結論が出る気はしない。私自身どうしたいのか分からなかった。
会いたくないし顔も見たくないけれど、このまま女王が死んだと聞いたら後味が悪い。文句の一言も言わずに死なせるのも納得出来なかった。
「……行くわ」
私は小さく呟いた。三人が言葉を止めて、私を振り返った。
私はその視線を見返して、はっきりした声で告げる。
「行って、文句言ってやります。向こうだってそのつもりでしょう」
鼻を鳴らす。胸を張ると、私は拳を握った。足が震えていた。
「しかし、現実問題、それが可能かと言われると」
メフェルスはうむむと唸って、上を見上げるように顎を上げた。天井が開いて、隠密くんではない別の男性が顔を出した。
「どう思う」
「そうですね、」と男性は少し考えるように言葉を置いて、それから口を開く。
「色々手を尽くしてはいますが、先日の襲撃事件に関してはまだ何も分かっていない以上、……無闇に出歩かない方が良いのではないかとは思います」
私は、そりゃそうだよな、とややしゅんとしながら俯いた。男性は続ける。
「しかし、急ぐべき用事なのであれば、――躊躇っていては取り返しのつかないことになる可能性もありましょう」
「その通りだな」
皇帝も頷き、その辺の椅子に腰掛けた。足を組んで、落ち着かないように爪先を揺らす。
「――よし、俺も行こう」
「何で警護対象を増やすんですか!」
メフェルスが目を剥いて叫んだ。
「心配じゃないか」
しれっとして答えた皇帝が、天井を見上げる。
「行けると思うか」
「皇帝陛下がそう命ぜられるのであらば」
その答えに、皇帝は僅かに笑んだ。メフェルスは不満げに眉を顰めているが、何も言わない。頭上の男性は迫るように続けた。
「どうぞ、ご下知を」
皇帝は立ち上がって、一瞬の躊躇いののち、私を振り返った。私はいきなり視線を向けられてたじろいだ。
「ローレンシアに、行きたいか」
私は息を吸って、目を瞑って吐く。
「――行きます」
強く頷いて、私は皇帝を真っ直ぐに見返した。
「行きたいです。お願いします、連れてって下さい」
皇帝は満足げに笑みを深めると、天井を見上げた。いつの間にか見慣れた隠密くんも来ていて、一緒になって顔を出している。
「表立ってローレンシアには行けないだろう。内密にローレンシア王都まで行く以上、あまり大勢兵士を連れていくことも出来ない」
「かしこまりました」
男性が頷く。「暗部の出番ですね」と心得たように言って、そのまま姿を消した。
「僕は偵察に向かえば?」
隠密くんが続けて問うと、皇帝は素早く首肯した。
「頼む」
「了解です」
隠密くんが頭を引っ込めると、天井が閉じる。事態が進む速さに、私は呆気に取られてそれを見ていた。
慌ただしくメフェルスや皇帝が作業を進める気配を背中で感じながら、私は部屋の隅で大人しくしていた。私に出来ることはないのである。
内密の手紙を保管することは危険だ。ローレンシアの女王が自分の容態を隠しているのには何か理由があるのかもしれない、手紙を万一紛失しては大変だった。
暖炉に投げ込まれた手紙が、その端からゆっくりと火に舐められていく様を、私はぼうっと眺めていた。