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転生王女にド定番ロマンスは難しい  作者: 冬至 春化
3 愛されたこども
18/38

6 そこには傷ついたこどもがいた



 公爵家の屋敷で目を覚まし、私は大きく伸びをした。昨日はちょっと夜中に皇帝の顔を見に行ってしまったので、寝不足だ。


 そのまま身支度をし、階下に降りて食卓につく。くぁ、とあくびを漏らしたところに、肩に手を置かれた。

「おはよう」

 私は一瞬だけ首を竦めてびくりとして、すぐにその声で、背後にいるのが誰か察した。

「おはようございます」

 振り返りつつ、後ろに立っている皇帝に挨拶をする。片手を挙げて合図をすると、皇帝も同じように手を挙げた。



「今日はランディテロにある果樹園で果物狩りをします」

 ロズウィミア嬢が強く拳を握って言った。いつもよりやや明るい声を出しており、時折皇帝の方を確認するように見ることから、彼女も彼女なりに考えて元気を出しているのだろう。

「いいですね」とメフェルスも頷き、朝食を摂っている皇帝の顔を覗き込むように背を丸めた。

「どうですか、皇帝陛下」

 皇帝の位置からはよく見えないだろうが、向かい合って座っている私からは、どこか憔悴したような顔のメフェルスが、全身に緊張を走らせながら質問をしたことはよく分かった。

 だから、「ああ、行こう」と皇帝が鷹揚に頷いたとき、やや驚いたように目を見開いたこともすぐに分かった。

「クィリアルテ嬢も行くだろう」

「はい」

 私は目元を緩めて頷いて、ちらとメフェルスを見る。彼は皇帝をまじまじと見つめ、目を瞬いていた。



「クィリアルテ様、」

 食事を終え、席を立ったところで、メフェルスが私を引き止めた。皇帝は私たちを視界に入れ、つと立ち止まる。

「……何か魔法でも使いました?」

 メフェルスが口元を手で隠し、声を潜めた。私は首を傾げる。

「どういうこと?」

「タドリス様に会ったあと、皇帝陛下はいつも、大体一週間前後はあの状態なんです」

「退行するってこと?」

「はい」

 私とメフェルスは揃って皇帝を見た。二人同時に視線を向けられた皇帝は、きょとんとして眉を上げてはいるが、タドリスと話していたときのような奇妙な違和感はない。

「戻ってるわよ」

「そうですね」

 ぱっと顔を輝かせたメフェルスが、再び首を回して私の方を向いた。気分が高まったように私の手を両手で握り、勢いよく上下に振る。

「もしかして、治ってきてるんですかね!」

「ちょっと、声が、大きい、わ」

「クィリアルテ様が来てから、あの人、いい方向にも悪い方向にも変わったんです、これがきっかけで完全回復も夢じゃないですね」

「わ、悪い方向、にも、変わったの!?」

「少々やんちゃになりました」

 がくがくと上下に揺すぶられながら「そっかぁ」と頷き、もうじき舌を噛むと思った頃、肩を掴んで引き剥がされた。

「うぐぅ!」

「クィリアルテ様に無体はおやめ下さい」

 それと同時にメフェルスが床に崩れ落ち、その背後に仁王立ちするフォレンタが見えた。指を揃えた片手を掲げ、冷ややかな目でメフェルスを見下ろす。


 私の背後で皇帝が怪訝に呟いた。

「メフェルス、お前、今日おかしいぞ」

 昨日おかしくなったあなたが言うか、と思いながら、私は背を丸めて皇帝の手から離れた。手は抵抗なく外れた。

「いや、その、今日も皇帝陛下がお元気なのが嬉しくて嬉しくて……つい」

「どうして俺が元気だと嬉しくてクィリアルテ嬢に飛びつくんだ?」

「…………。」

 床にうずくまり、腰を片手で押さえたまま、メフェルスが沈黙する。

「……皇帝陛下だいすきクラブの仲間ですので」

 苦し紛れに漏らした答えに、私は目を剥いた。ちょっと、勝手に変な団体に加入させないでくれない!?

 皇帝は絶句し、メフェルスをたっぷりと見たあと、ゆっくりと私に視線を移した。咄嗟に私は勢いよく首と手を横に振る。少し悲しそうな顔になった。ごめんね。

「皇帝陛下のことは嫌いじゃないですけど、よく分からないクラブに入る程じゃないんです」

「……そうか」

 フォローのつもりだったが、逆効果だった気もする。ますます肩を落としてしまった皇帝に、私は顔を引き攣らせた。


「では、支度をしたら出かけましょうか!」

 頑張って元気を出したらしいロズウィミア嬢の声が食堂に響いた。



***


 目的の街は、徒歩圏内にある。収穫後で、どこか殺風景な畑の中を歩く。

「最近はめっきり涼しくなって、秋って感じがして良いわね」

「はい」

 気が抜けたように腕を天に向かって伸ばしながら、ロズウィミア嬢が欠伸をした。寝不足らしい。

「昨日は全然眠れなくって」

 私が見ていたことに気付いたらしい、目尻に浮かんだ涙を指先で拭いながら、ロズウィミア嬢が苦笑する。

「ようやく、本当のことが分かるのかも知れないって、思うと、嬉しいような怖いような、ね」

 公爵と何やら話しながら前を歩く皇帝の背を見ながら、ロズウィミア嬢が呟いた。私はこのときの適切な答えを持っておらず、黙り込む。


「私、エイリーン様の遺体を見ていないのよ」

 軽い調子で言った。咄嗟に何の話か分からず、少ししてから、ロズウィミア嬢の亡くなった婚約者の名であることに思い至る。

「タドリス様が、見ない方が良いと仰ったから」


 私は、疑惑の渦中の人の名前に、ロズウィミア嬢を振り返った。彼女は前を見たままで、私と目を合わせない。

「後悔してるの。あのとき、タドリス様の言葉に応じてしまったこと」

 どこか遠くを見るような目をして、ロズウィミア嬢が立ち止まる。つられて私も足を止めた。

「馬車の事故がなかったと分かった今、私は、エイリーン様がどのようにして亡くなったかの手がかりを、何も持たない」

 穏やかな声音ではあったが、その心中が同じように凪いでいるとは思えなかった。厳しく眇められた眼差しと、縫い止められたように動かない足は、揺らがない。


 ややあって、ロズウィミア嬢はようやく目元を和らげ、再び歩を進め始めた。私はその隣を歩き、ずっと前から視界に入っている街を遠くに見た。

「それにしても、皇帝陛下がお元気そうで良かったわね」

 にこりとして、ロズウィミア嬢が私を振り返る。きょとんとして、私は首を傾げた。

「朝も思ったんですけど……。何で皇帝陛下が元気だと、私に言うんですか?」

「あら、嫌だった?」

 ロズウィミア嬢は涼しい顔で、私は何故か気まずく眉を顰める。

「そうね、メフェルス様も言っていたけれど、クィリアルテ様が来てから、皇帝陛下が変わったからかしら」

「私はそれまでの皇帝陛下を知らないので、何とも……」

 私は頬を掻きつつ言い淀んだ。ロズウィミア嬢は小さく笑い声を漏らすと、少し思案するように、顔の脇の髪を指先に絡める。

「前はもう少し……しっかりした人だったわ」

「悪くなってません!?」

 あら、そんなことないわとロズウィミア嬢が笑った。そこはかとない苦さを含んだ声音だった。

「クィリアルテ様が来るまで、私も、彼が元来楽しい人だってことを忘れてたくらい」

「最初から結構楽しい人でしたけど……」

 まあ、もちろん剣を抜いた件と投獄の件は抜きにして、だ。あれは多分今になって思うと、何でか分からないけど普通の状態じゃなかったんだろうし。結婚式は笑いすぎで(私が)苦しかったし、戦盤大会(初夜)は楽しかったなあ。


「でも今思うと、当たり前なのかも知れないわね」

 ロズウィミア嬢は、ふと独りごちた。聞き咎めた私は、「えっ?」と声を出す。

「皇帝陛下、ずっと呼んでたのよ、あなたのこと」

 ひゅ、と喉で音が出た。上手く息が出来なくなった。

 だって、その姿はあまりに容易に浮かんだから。『リア』という、既にどこにも存在しない少女を求めて苦しげに泣く皇帝の姿は、鮮明に脳裏に焼き付いていた。

「だから、あなたが来て、元に戻ることが出来たのかも知れないわ」

 嬉しそうに言ったその言葉に、私は戸惑って立ち尽くした。

 あなたは、前に、私が皇帝が一緒にいると、皇帝が過去に引っ張られてしまうと、『悪いこと』として語ったのに。

「……それって、いいことなんですか?」

 微かな声が出た。ロズウィミア嬢は聞き取れなかったように耳をこちらに向けた。


 だって、私を『リア』として見ることは、あまり喜ばしくない風に言ってたのに。あれ、実はちょっと嬉しかったんですよ。

 皇帝が、リアを手に入れて正常に戻るとして、そこには必ず、私の献身が伴うことに、気付いていないのか。

 少なくとも、私は、これ以上リアとして存在したくなかった。そうしてはいけなかった。現在この身体に宿る、転生後の意志として定めらるところの『私』は、私がリアであることを受け入れたくない。何故なら私はリアではないからだ。


 私は『リア』ではない。そのふたつを混合してはならないと、何かが告げる。何故なのかは私にも分からない。

 多分、私たちが完全にひとつになってしまったら、私はもうあの子を、……。



***


 街の入り口に到着するやいなや、目の前に子供たちが駆け寄ってきた。「こら、やめなさい!」と声がするのも意に介さず、目を輝かせて、私たちを見上げ、口々に言う。

「皇帝陛下!」

「と、あと、えーと、何だっけ」

「こーひ様だよ」

「そうそう、どろぼーねこ」

「め、それは言っちゃダメなんだよ!」

「もう! 何でも良いよー!」

「せーの、皇帝陛下、皇妃様!」

 ぐっと拳を握って、子供たちは一斉に叫んだ。

「ようこそ、ランディテロへ!」


 かつて、私が音速はあるのではと思った母親たちは、今度は光のような速さで、子供たちを回収して消えていった。



「あはは……」

 私は苦笑いで、公爵は申し訳なさそうに私に頭を下げた。

「すみません、あれは歓迎の意の現れで」

「いえ、前に来たときも見たので、悪意がないのは分かってるんですが」

 まあ、確かにロズウィミア嬢の地元の人からすれば、ぽっと出の平民に取って代わられた訳だから、そりゃ泥棒猫よね……。



「この街の外れの方に果樹園があるんですよ」

「へえ、前に来たときは気付きませんでした」

「夏はそちらには行きませんでしたからね」

 公爵に先導されながら、私たちは街の目抜き通りを行く。ロズウィミア嬢が一緒で、なおかつ怖い顔をしていないせいか、街の人達の目は前に来たときより鋭くない。

「この季節になると、毎年大勢の人が訪れますのよ」

 父親である公爵の目の届くところだからなのか、どこか澄ましたようにロズウィミア嬢が言う。その様子が面白くて、私は多少にやにやしながら「そうなんですかぁ」と頷いた。ロズウィミア嬢はやや頬を赤らめながら私を睨んだ。


 やや歩いて、私たちは街並みを抜けた。夏に来たときは足を向けなかった方向だ。

「おー、広いですね」

 目の上に手をかざして、私は遠くを透かし見るように前のめりになった。

 いくつかの区域に分けられている様子の果樹園は、手前はどうやら林檎、奥はブドウが実っているらしい。あまり広すぎるという訳ではなく、どうやら収穫目的というよりは、集客用のようだった。看板があちこちに立ち並び、区域に番号が振られている。


「これが案内表です」

「わあ、ありがとうございます」

 果樹園の管理人から差し出された地図を受け取って、私は気付かれない程度に眉を曇らせた。

 数字は読めるが、文字は読めない。どこの区域に何が植えられているのか分からないのだ。

「初めにどちらへ行かれますか?」

「えーとー……」

 私は地図を読んでいるふりをして口ごもった。


 私のリテラシーの惨状を知っている皇帝が、すぐさま私の手から紙を取り上げた。身を屈めて、周囲に憚るように耳元で囁く。

「一緒に回るか」

「いいですよ」

 親指を立てて応じ、私はさり気なく皇帝を押し返した。無駄に近いんじゃあ。

 ロズウィミア嬢は呆れたような顔で腕を組み、私たちの周りに妙な空気が満ちた。いや、別にイチャついてた訳じゃなかったんですけど……。



「行くぞ」

「はーい」

 一緒に行くとか云々言っていたが、まあ私たちが行く先にはみんな付いてくるし、そもそも私たちが別々に行動することは誰も考えていなかっただろうし、ただバカップル感を晒しただけである。バカは否定しないが、残念ながらカップルではない。

「イチゴはないんですか?」

「イチゴは春だな」

「そうですね」

 果物狩りの定番とも言えるイチゴ(細かい人は野菜と言う)を挙げたが、季節が違うのを忘れていた。イチゴは採ってそのまま食べられるから、楽しそうなんだけどなぁ。

 私はふと思い出して、背後にいたフォレンタを手招きする。

「……林檎の丸かじりは」

「駄目です」

「了解しました」

 林檎は採るだけ採って、人に切らせてから食べれば良いのね、オーケー分かったわ。かつてのイモの愚は二度と犯さない。

「ほら、林檎だぞ、食べるか」

「むぐぐ、わた、私は丸かじりは」

 しかし皇帝の中で丸かじりキャラが定着でもしてしまったのか、皇帝は心底楽しそうなお顔をなさって林檎を私の顔に突きつける。やめろってば。


「仕方ないな、よし、ナイフを貸せ」

 胸を張って手を出した皇帝に、不用意にも公爵領の誰かが刃物を差し出そうとして、メフェルスに全力で阻止されていた。

「皇帝陛下、ご自分の家事スキルを理解なさってからそのようなことを仰って下さいませ」とロズウィミア嬢もなかなか辛辣だが、少なくとも数え切れないボヤ騒ぎを起こしたあなたには言われたくないと思う。


 結局、フォレンタが(どこからともなく取り出したナイフで)林檎を切って渡してくれた(怖い)。

「迂闊によく分からない人の手に触れた食べ物はお渡し出来ませんので。……特に現在は」

 全体の8分の1サイズの林檎を口に押し入れながら、私は「そうよね」と納得して頷いた。毒とか塗られるの怖いしね。それにしたって、どこかよく分からないところから刃物を出すあなたが、私は一番怖いです。

「蜜がたくさんだな」と指先で摘んだ林檎の一片を眺めながら、皇帝が感心したように呟いた。私も「すごく甘いですよ」と首肯し、皿の上からもうひとつ摘まむ。


「別の品種もございますわ」

 ロズウィミア嬢が少し離れたところの木を指さした。私は頷いて、そちらへ向かって歩き出す。すると周囲の人たちがみんな、大勢してついてくるのだ。う、鬱陶しいなぁ……。

「さっきのものより大ぶりですね」

 どうぞ、と渡された林檎を両手で包みながら、艶々とした表面を眺めた。真っ赤に色づいた果皮を親指で撫ぜて、私は息をついた。


 白雪姫の物語を思い出したからである。確かあれは、あらかじめ林檎に毒が染み込んでいた。懐かしく思いながら、ふと感傷的な気持ちになる。少し芝居がかった仕草がしたくなり、私は林檎を持つ手を顔に寄せた。林檎の匂いを嗅ぐように、こうべを垂れて俯き、目を閉じ、鼻で息をした瞬間、私は総毛立った。


 ――――食べちゃだめ、


 何故かは分からないが、いきなり、この林檎を食べる気がしなくなった。おずおずとフォレンタに手渡し、小さく首を横に振る。フォレンタは一瞬だけ私の目を見たあと、周囲に異変を察させないように、当然のような顔をして受け取った。

「さっきの林檎でお腹いっぱいになってしまって」

 私は皇帝に向かって微笑み、皇帝はやや目を瞬いたのち、「そうか」と苦笑する。


 ――そのまま、流れるような動きで、皇帝は指先で右耳に触れた。態度には見せなかったが、視界の隅でメフェルスが身体を固くしたようだった。気配がざわつく。誰も気付かないような、極力殺された足音が、一斉に動いた。


「ブドウはこちらですわ」

 何も気付いていない様子の、のんびりとした様子のロズウィミア嬢の声に、空気が表面上は和らぐ。私は目元を緩めて頷くと、彼女について歩き出した。

「わあ、たくさん」

 何とか楽しそうに取り繕って、私は手を合わせて顔を輝かせる。ロズウィミア嬢はなおも呑気に笑顔のまま頷いた。


 濡れた手拭きで手のひらを軽く拭うと、メフェルスが取ってくれたブドウの一房から、大きめのものを一粒摘まむ。指先で皮を軽く引っ掻き、一部の皮を剥くと、皮の切れ目を唇に押し当てた。そのまま指で押して、中身を口の中に迎え入れる。

「おいしい」

 予想以上の甘さに、私は眉を上げた。品種改良とか、そういう概念が発展してはいなさそうだけれど、随分とおいしい。流石公爵領、なのか?

 種を手に出し、差し出された皿の上に置いておく。まあ私が口から出した種が悪用されることはないだろうし。



「もうひとつどうだ」と皇帝は半分ほど皮を剥いたブドウを手に、背を丸めて私に顔を近づけた。

「……どうした」

 存外鋭い目をして、皇帝が低い声で問う。何となく程度で林檎を拒否しただけだったので、私は若干おののいた。

「なんか、……やな感じがして」

 皇帝は、少し思案するように視線を彷徨わせる。

「何もなければそれが一番だからな」

 私は頷いた。何事もないのが、本当に一番いい。

「ただ、クィリアルテ嬢の野生の勘が無駄に鋭いことを考えると、あながち気のせいとも言えないのがな……」

「今の悪口ですか?」

 私の追及には答えず、皇帝は依然険しい顔のまま、口を開く。

「一体、何が変だったんだ」

「匂いが、ちょっと。……なんとなく違和感があって」


 小さな声で返し、僅かに眉を顰めた瞬間、皇帝は比較的容赦なく私の唇を割って、口の中にブドウを突っ込んだ。

「むぐぐ」

 思わず前歯を閉ざして抵抗してしまい、皇帝は訝しげに首を捻った。少ししてから、唇の隙間から、がっちり閉じられた私の歯を発見したらしい。

「おい、何で拒否する」

「むぐぐぐ」

 このまま口を開けたら、勢い余って皇帝の指まで入ってきそうな予感に、私は必死になって歯を食い縛る。皇帝も皇帝で、今更ここまで突っ込んだブドウを外に出すのも憚られたのか、ついに最終手段として私のおとがいを掴んだ。


「……おいしいです」

「そうだろう」

 力づくで歯を開けさせられ、隙間から入れられたブドウを噛みながら、私は周囲の生暖かい視線に耐えた。

 ……別にイチャついてた訳じゃないですよー。密談ですよー。大切な大切な秘密の会話ですよー。愛の言葉じゃなくて悪口を貰いましたよー。



「これで本人は『友達です』って言ってるのよ」とロズウィミア嬢がメフェルスを捕まえて絡み始めた。ちなみに補足しておくと、彼女は現在、お眼鏡に適う縁談に巡り会えず、『これだ!』と思ってもついつい威嚇してしまって全く話がまとまらないそうで、随分とやさぐれているご様子である。ほぼ自分の責任じゃないですか。


 それからいくつか果物を試食し(柿とかもあった)、私たちは早々に公爵の屋敷に引っ込んだ。メフェルスが怖い顔をしていたので、やっぱり何かあったのかもしれない。



***


 夕食後の談話室で、私がことのあらましを話すと、メフェルスは軽く肩を竦めて、「毒が盛られていました」と告げた。

「ど、毒!?」

 ロズウィミア嬢が仰天してひっくり返る。私は、いたずらに林檎を拒否って騒ぎを起こしたわけでないことに、ややほっとした……いや、安心してはいけないんだけど。

「よく気付かれましたね。どうやらほとんど匂いのない毒だったみたいですが」とメフェルスは報告書らしき紙から目を上げて言った。


「公爵領の人間と中央の人間が混在するタイミングを見計らって、刺客が紛れ込んでいたようです。互いにどのような人間がいるかを完全に把握することは不可能ですからね」

 鼻を鳴らして、メフェルスが紙の束を机の上に放った。

「実行犯は捕らえましたので、明日にでも尋問を行う予定です」

 疲れたような表情で、メフェルスは溜息をつく。

「一体誰が……」

 皇帝は傍らの机に頬杖をつき、指の節に顎を乗せたまま、思わずといったように呟いた。

「…………。」

 ……恐らく、皇帝以外の全員が同じ人を思い浮かべたんじゃないかと思う。


 私はちらとメフェルスを見た。メフェルスは少し悩んで、首を横に振る。――まだ期は熟していない、と。

「じゃあもう遅いし寝ましょうか」

 いきなりメフェルスがにこにこして皇帝の背後に立った。

「えっ? いや、まだそれほど」

「今日は外出もしたし、あー疲れたなー。私も寝よーっと」

 私は聞こえよがしにでかい声で呟くと、立ち上がって伸びをした。皇帝は少し迷って、私に続いて立ち上がる。

「おやすみなさーい」

 満面の笑みで部屋を出ると、フォレンタもそれらしく私の肩に上着をかけながら付いてきた。そのまま廊下を反対側へ歩き、物陰に隠れる。

 少しして、皇帝がのこのこと出てきた。メフェルスに背を押されて、やや不服そうにしている。

「ほら、クィリアルテ様ももうお休みになったことですし」

「やっぱり、まだ早いんじゃないか?」

「最近どんどん寒くなって来ていますからね、さあ休んだ休んだ」

「何なんだ……」

 皇帝が階段を上がっていくのを見送って、私たちは再び姿を現す。扉の前に立っていたメフェルスはこちらを向いて親指を立てた。


「ちょろいわね」

「純粋って言ってください、一応僕の主君なんです」

「ひひひ」

 悪い顔をしながら私は笑った。皇帝を除く全員が談話室に集結し、ようやく一息つく。

「さて、皇帝陛下を追い出したところで、と……」

 メフェルスは腕を組んだ。そう言えば、何となく皇帝を寝かせたが、特に意図があってのことではなかった。

「ねえ、皇帝陛下にはいつ話すの? タドリスさんのこと」

「あっ」

 私がある程度大きな声で言った直後、扉が開き、メフェルスが口を押さえた。私も嫌な予感がして、口を噤む。

 まさか、皇帝が戻ってきたか。


「失礼、驚かせてしまったようですね」

 しかし聞こえた声は皇帝のものではなかった。私は安心して振り返る。

「お父様」とロズウィミア嬢がやや意外そうに眉を上げた。部屋に入ってきた公爵は、私たちをぐるりと見回した。

「皇帝陛下を追い出して喜んでいる様子が楽しそうでしたので、お邪魔させて頂こうかと」

 公爵はしれっと私に言う。私は顔を引き攣らせた。皇帝おやすみ大作戦の実行を目撃されていたらしい。


「さて、本日の事件はタドリスによるものですか」

 火は入っていない暖炉の脇の椅子に腰掛けた公爵が、まるで世間話でも始めるかのように口火を切った。私は思わずたじろぐ。

「な、何でそれを」

「おや、どうやら正解のようで」

「……またやってしまったわ」

 私は額を押さえた。メフェルスは呆れたように肩を竦めると、公爵に向かって頷いてみせる。

「私が第四皇子派であったことはご存知でしょう、どうぞ遠慮せず話して下さい」

 平然と言ってのけた公爵に、タドリスの名前に対する驚きは見られない。まるで周知の事実のように受け止めていた。



「……昨日の夜、レゾウィル様のいきなりの訪問を報告させて頂きましたね」

「はい。一体どのような要件だったのですか?」

 メフェルスは、一瞬躊躇う様子で目を伏せた。そののち、再び公爵を見据える。

「――あの事故の当時の御者が、生きている状態で見つかりました。馬車の事故が、実際にはなかったことの何よりの証左です。本人もタドリスに言われて姿を消したと証言しています」

「とはいえ、黒幕がタドリスだと糾弾するには証拠が足りない、と?」

「はい、……目下のところ、そこが一番の問題で」

 公爵は、短く息を吸って、背もたれから体を浮かせ、前のめりになった。その視線が鋭さを増す。

「恐らくタドリスも、御者が発見されたことには気付いているでしょう。となると、昨日の夜会における、あの不躾な訪問にも理由がつく」

「皇帝陛下が、自分と会ったあと、一週間程度は使い物にならないことは、タドリス様も見越しているはずです。それが目的かと考えましたが」

「私も同じです。……もう取り返しはつきませんが、皇帝陛下はタドリスと外出の約束を取り付けてしまわれた。それを利用して来るのではないかと」



 私はもっともらしい顔をして頷きながら、フォレンタを横目で見た。涼しい顔である。ロズウィミア嬢を見る。唇に指の節を当てて眉を寄せ、深刻そうな顔をしている。……どうやらついていけていないのは私だけらしい。

 要するに、えーと、タドリスが昨日いきなり来たのは、皇帝の状態異常を発生させるためだったってことでいいのかしら。ゲームみたいな言い方になったけど、多分それで良さそうだ。


「つまり、近日中に仕掛けてくる、と」


 メフェルスは、恐る恐ると呟いた。その言葉に、私ははっと息を飲む。その程度は理解出来たからだ。

「普段は一週間程度、皇帝陛下の精神退行が長引くのでしたね? だとするとやはり狙いは、……次の総会でしょう」

 公爵は腕を組んだ。メフェルスも黙って頷く。


 皇帝が回復する前に、何か次の手を打たねば意味が無い。だから、タドリスには時間がないのだ。また皇帝に会おうにも、今度はメフェルスやレゾウィルを初めとした、皇帝陛下だいすきクラブの仲間たち(否定は受け付けません)によってがっちり阻まれそうだしね。


「タイミングを鑑みるに、恐らく今日の毒林檎に関しても、クィリアルテ様を狙った訳ではなく、狙いは皇帝陛下でしょう」

「じゃあどうして私に渡したのかしら」

 私は首を傾げた。直接皇帝に渡した方が簡単そうで失敗しなさそうなのに。

「……僕に聞きますか?」

「何それ」

 答えづらそうにしたメフェルスに、さらに追って質問を投げると、フォレンタがごほんと咳払いをした。

「クィリアルテ様が、一番ちょろい……失礼致しました、純粋であらせられるように思われたのではないでしょうか」

「全然隠せてないわよ」

「えーとね、きっとほら、簡単に引っかかりそうに思えたのよ」

 ロズウィミア嬢からの追い打ちに、私はがくりと肩を落として項垂れた。私、そんなに雑魚そうに見える……?


 気を取り直すように、公爵が口を開く。

「つまり、向こうはなりふり構っていられないということの現れでしょう。この分では、総会でも何が起こるか分かりません」

「総会ともなれば、タドリス様に味方をする下級貴族も多く訪れます。命を狙うのではなく、その地位を狙っているとすれば、総会において合法的に皇帝陛下を引きずり下ろそうと画策する可能性も。特に皇帝陛下が幼くなっている状態では、」

 何だかんだと話したあとになって、メフェルスはあることに思い至ったように人さし指を立てた。



「あ、でも、皇帝陛下の様子は戻ってるんでした」

 今更思い出すんかーい! 私は内心、盛大にずっこけた。

「そう言えばそうですね」と公爵は今日の様子を回顧するように上を向く。少ししてから、頷いた。

「しかし、向こうはそれを知らないでしょう。これは強みとなりますね」

 メフェルスも、ほんの僅かに安心したような顔をして、公爵の言葉を肯定する。


 公爵は、「ふむ、」と声を漏らした。

「一晩で戻ったということですか。それはまた一体どうして」

「それが分かれば、対策も万全なんですけれど……」

 言いつつ、メフェルスがちらちらとこちらを見る。なんだなんだ、私が何だって言うんだ。

「……クィリアルテ様、皇帝陛下に何かなさいました?」

 ロズウィミア嬢が、同じくこちらに時折視線を投げながら問う。な、なんで?

「そう言えば昨晩、遅くに皇帝陛下のお部屋へ行っていましたね」

 フォレンタも独りごちるように呟いた。部屋にいる全員の視線を受け止めた私は、顔を引き攣らせて仰け反る。


「べ、別に、ちょっと『元気出してね』って言っただけよ」


 私以外の全員は顔を見合わせた。

「それですね」

「しかないですわ」

「確定でしょう」

 みんなが何に納得しているのか分からない。置いていかれた私は「ちょっと、……え? 待って」と狼狽えるのみだ。

「まあ確証はありませんが」

「それ以外に普段と違う要因はありませんし」

「7年も状態が変わらなかった訳ですし」

「それが自然回復するとも思えませんし」


 口々に言われ、私は一切納得出来ないまま唸った。メフェルスは訳もなさそうに肩を竦めると、「まあほとんど冗談ですけど」と締めた。

「もしも皇帝陛下が何か変になったときは、ぜひ励ましてあげて下さい」

「それくらいお安い御用よ」

 不意に優しくなったメフェルスの言葉に、軽く胸を叩いて応じると、彼は満足げに頷いた。公爵も何故か孫を見るような微笑ましげな目でこちらを見てくる。年齢からすれば娘じゃないですか?

 気まずくなって、私は黙り込んだ。気を取り直してごほんと喉の調子を整えると、私は胸を張って拳を握る。



「まあ見ていなさい、いくら皇帝陛下が面倒臭い御仁だとは言え、私にかかれば」


 気配を感じたのはそこまで言ったときだった。

「……何だ、いきなり俺を追い出したと思えば、みんなして俺の悪口を言っていたのか……」

 開け放たれた扉と、そこに立ち尽くした皇帝を直視できない。酷く落ち込んだ様子の皇帝に、私は掲げた拳をゆっくりと下ろした。

「ここっこっここ、皇帝陛下、」

 私は動転して目を白黒させる。皇帝は扉の枠に片手を当てたまま、首を横に振った。

「いいんだ、そう遠慮しなくて……。そうか、みんな、集まって俺の悪口を言ってたんだな……。公爵まで、」

「ご、誤解です!」

 メフェルスが泡を食って立ち上がった。ロズウィミア嬢も間髪入れずに口を開く。

「悪口なんて言ってませんわ!」


 公爵も、もっともらしく厳格な表情で頷いた。

「この国の行方について討論をしていたところでして」

 お、それっぽい、と私は目を輝かせた。さすが公爵、皇帝が納得しそうな言い訳をすぐに考えつくものなのねー!

「……クィリアルテ嬢を交えてか?」

「ちょっとそこ」

 私を指さして怪訝そうな顔をした皇帝に、思わず私はガラ悪く突っ込みを入れてしまった。ありがたいことに特異的な無礼講が発動されたらしい、皇帝は私の態度には何も言わなかった。



「ふん、もし仮にそうだとして、クィリアルテ嬢の『面倒臭い』発言は……ど、どういう、意味だ……?」

 鼻を鳴らして強気に話し始めたのに、自分で自分の言葉に落ち込んでしまったらしい。徐々に小さくなり、尻すぼみになった言葉に、メフェルスが危機感を覚えたような顔をした。


「クィリアルテ様だけでございます」

 唐突にフォレンタが口を開いた。意味が掴めなかったのか、皇帝が顔を上げる。

「クィリアルテ様を除く全員は、真面目な話をしていらっしゃいました」


 売 ら れ た !

 私は目を剥いた。とんでもない裏切りである。咄嗟に否定しようとした瞬間、ロズウィミア嬢が私の言葉を遮ってはっきり言い切った。

「その通りですわ」

「ちょ、え、待って」

「そ、そうなんです! 僕達はちゃんとした話をしていたのに、クィリアルテ様『だけ』が」

「いや、違、」

 公爵は我関せずで楽しそうだし、メフェルスとロズウィミア嬢は徒党を組んで責任の全てを私に押し付けてくる。諸悪の根源フォレンタ、あなたはもう許さない、5時間は根に持つ。

「……そうなのか?」

 どんよりした表情でこちらを見た皇帝に、私は勢いよく首を横に振った。


「面倒臭いところも含めて大好きですって話ですよ!」


 誤魔化そうと思って後先考えずに適当に口から出した言葉に、皇帝は目に見えて固まった。

「おお」と公爵は腕組みをして呟き、「あら」とロズウィミア嬢は目を丸くして頬に手を当てた。「まじですか」とメフェルスが呆然とする。

「……ふっ」

 フォレンタは何がおかしいのか、軽く鼻で笑った。



 皇帝は硬直したあと、みるみるうちに頬を赤くする。……え?

「そ、そうか、ありがとう。貴女の気持ちはよく分かった」

 気まずそうに私から目を逸らし、くるりと踵を返した。何故か片言で宣言する。

「じゃあ、お、俺は、寝る」

「えっ何でいきなり」

 私が止めるのも聞かず、皇帝は無言で風のように去っていった。


 不可解な皇帝の言動に私が首を捻っていると、公爵は愉快そうに言う。

「なかなか熱烈な告白でしたね」

「えっ?」

 その言葉に、思わず本気で聞き返した。公爵の言葉をもう一度繰り返し、それから、さっきの自分の言葉を何度も反芻する。

『面倒臭いところも含めて大好きですよって話』

『面倒臭いところも含めて大好き』

『面倒臭いけど大好き』


 …………『大好き』?


「まっ、……まさかあの人、あんなのに反応したんですか!?」

 私は仰天して椅子から落ちそうになった。メフェルスとロズウィミア嬢は顔を見合わせて「そういう色事方面には不得手な方ですから」と結論づけている。

「『貴女の気持ちはよく分かった』って何よ、勝手に言葉の断片だけ捉えて勘違いされちゃ困るわ!」

 私は慌てて立ち上がり、訂正せねばと扉に向かって走り出した。このまま皇帝に勘違いさせておくと面倒臭いことになる予感しかしない。だって本人が面倒臭い人だもん。



「お待ち下さい!」

「ぐふぅ!」

 メフェルスが先回りし、扉の前に立ち塞がる。その一瞬ののち、ロズウィミア嬢が背後から私を捕獲した。

「現在、皇帝陛下は多分お喜びです」

「それが問題だから訂正しに行くのよ」

 両手を広げたメフェルスが、緩く首を横に振った。どこか切なそうな表情だった。

「……一日くらい夢を見させてあげましょう」

「一日おいてバラす方が酷だと思うわ」

「確かにそうですが」

 私は憤然として、立ち塞がるメフェルスを押しのけようとする。負けじとメフェルスも踏ん張った。

 ついに押し負けて、私は肩で息をしながら迫る。

「始末は全部押し付けるわよ」

「初めからそのつもりです」

 メフェルスは平然と頷き、私は溜飲が下がった。


 何だってメフェルスはこんなに一生懸命、私を阻止したんだ……?



(20万文字突破しました。ここまででおよそ21万文字です。長いのにお付き合い頂いてありがとうございます。ブックマーク、評価など、本当に嬉しいです)

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