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転生王女にド定番ロマンスは難しい  作者: 冬至 春化
2 皇帝陛下のおともだち
12/38

7 これでいいのか


 目を覚ますと、夜明け前だった。何故自分が目を覚ましたのかはすぐに知れた。

 どうやら、階段を駆け上がってくるこの足音に起こされたらしい。深く寝入っている様子のロズウィミア嬢は放っておいて、私は体を固くした。こうも慌てて上がってくるということは、恐らく助けだろう。だがもちろん断言は出来ない以上、不安は残っていた。

 床から立ち上がり、私は扉に近寄って、体を低くする。


 どん、と扉が揺れた。誰かが既に到着し、扉に体当たりでもしたらしい。外から開ける鍵を持っていないということは、やはり、誰かが助けに来たのかも知れなかった。



 鍵を叩き壊すような音がしばらく続いて、それから、扉が激しく開かれた。そこにいた姿に、私は気が抜けて、思わず脱力してしまった。



 月は今にも遠い山の稜線に消える寸前だった。傾いた満月が空の一角を切り取ったように浮かび、反対側の空は少しずつ白んできていた。

 折よく吹き込んだ風に、髪が浮き上がる。剣で乱暴に切られて、がたがたになった髪が。

 ずっと、一昨日から着たままのワンピースの裾がはためく。きっと私は酷い顔をしているのだろう。風呂にも入っていない。みすぼらしい格好だ。

 その人は、黙って、私を見据えていた。凍りついたように、私の出で立ちを見つめて、唇を震わせる。


 皇帝陛下。そう呼びかける前に、彼はがくりと膝をつき、私を射抜くように見たまま、呟いた。


「リア、」


 ――なぜ。

 私は、かけられた声に、返事をしなかった。彼が何を言っているのか分からなかった。このときになって、昨晩寝落ちる前にロズウィミア嬢に言われたことが、がぜん現実味を増してきた。


 私は、真実、あなたがかつて逢ったリアだが、しかし、その面影ばかりを追って、重ねられていたのだとしたら、酷く心外だった。

 けれどわたしはずっと気づいてもらいたかった。成長したわたしに、あなたはなかなか気づかなかったから。あなたはわたしを愛さないと言ったから。


 こうなることを望んでいたはずだった。ストーリーの進行を進めるために、自分から暴露しようとしたことすらあった。

 なら、なぜ、私はこうも怯えている。


「君が、リアなんだね」


 どうしてあなたは確信しているのだろう。私がリアであると、今まで気づかなかった真実に、どうして今このとき辿り着き、そして、私を抱き締めているのか。

 あなたは、何をもって、私をリアだと断定した。


「僕はずっと君を探していたんだよ」

 そして彼は愛おしげに、指の節で私の頬を撫で上げた。

 でも、違う。私は立ち竦んだまま、目だけを動かしてロズウィミア嬢を探した。彼女も騒動で目を覚ましたらしく、私たちの様子を見たまま、飲み込めないように瞬きを繰り返している。


「……皇帝陛下?」


 ロズウィミア嬢が呟いた。その瞬間、私はぐいと強く押しのけられ、たたらを踏む。

「俺は、今、何と言った?」

 突如として様子を変えた皇帝に、私は恐怖にも似た感情を抱いたまま、硬い声で呟いた。

「……こういう、ことね」



 ロズウィミア嬢が言っていた。

 私と一緒にいると、皇帝は過去に引きずられる。

 皇帝はリアに執着している。



 私の目の前で頭を抱えている皇帝の姿は、まさしく、少年と大人が歪に重なり合い、それでもそのどちらもが、かつて出会った少女に手を伸ばす、異常なものだった。


「貴女が、……リアだったのか」


 私は肯定するべきか否か惑い、逃げるように一歩下がって、首を横に振る。皇帝の手が伸びた。私の腕を掴み、引き寄せる。私の顔を両手で包み、上を向かせてまじまじと観察した。

「……金髪、青い目、」

 私は逃げようと身を引くが、皇帝は私の顔面を離そうとしない。

「どうして俺は今まで気づかなかったんだ」

 足を引いて、体ごと退しりぞく。背中に手を添えられ、阻止された。

「顔も同じ」

 怖い。皇帝の目が怖い。

 赤い色をしている、その目に恐怖を感じたのは初めてだった。私はさも蛇に睨まれたカエルのように立ち竦んだまま、目を逸らせずに、その場で震えていた。既に私の足にはほとんど力は入っておらず、皇帝の手で引き上げられているような有様だった。


「クィリアルテ様!」

 悲鳴のような声が響き、入口付近でどうすればいいか戸惑ったように群れている兵士たちを押しのけて入ってきたのは、我らが最強侍女のフォレンタだった。

 恐れ多くも隣国の皇帝陛下を力強く突き飛ばし、私の体を攫う。しばらく丹念に私の顔を眺め、かなりざっくりやられた髪に顔を顰め、それから大きく息を吸った。


「そこに直りなさい」

「ひぃ!」

 ばっと正座をして、私はフォレンタを見上げる。姿勢を正した私の前に、フォレンタは仁王立ちした。

「何か申し開きは?」

「全て私の過失です、軽率な行動を心よりお詫び申し上げます」

 床に手をついて頭を下げる。ここまで上がってきてくれた兵士の人たちにも一礼。

「……ご自分が狙われていることが分かっていて、わざわざ外に出る。どうせ私に止められるとでも思ったのか、私がちょうど席を外しているところにメフェルス様にゴネて、すぐ帰ると言って散歩に出かける。挙句護衛の居場所を看破して、遠ざける。その割に刺客の存在は看破できずに攫われる。しかももう一人のご令嬢まで巻き込んで誘拐される」

「発言失礼します。フォレンタ、実はロズウィミア様も標的でした」

「そうですか。でもどちらにせよ、この状態を招いた軽率な行動の言い出しっぺはクィリアルテ様でございます」

「言い訳の一つもございません」


 土下座どころか反省の意が高まりすぎて土下寝に変わり始めた辺りで、フォレンタが私の前に屈み込んだ。

「……大変でしたね、もう大丈夫ですよ」

 不意に優しくなった声音に、私は思わず涙ぐみながら頷いた。

「ご飯は出ないし手はずっと縛られたままだし頭おかしい女に殺されかけるしロズウィミア様は何かめんどくさいことでぐちぐち悩んでるしで、もう、ほんとに大変で」

「ちょっと、聞き捨てならないわね」

 いつの間にか背後に現れていたロズウィミア嬢が、肩を叩いて私を立たせる。

「さ、クィリアルテ様、帰りましょう」

 手を引いて、彼女は歩き出した。明らかに異常な様子の皇帝を置いたまま、むしろ私を隠そうとするように、巧妙に彼と私の間に立つ。


「はぁ、はぁ、フォレンタさん、ちょっと足が速すぎ、はあ、えっ、……皇帝陛下が死んでる!?」

「死んではいませんよ」

 息切れしながら今更駆け込んできたメフェルスに言い残して、フォレンタも私について部屋を出る。城の兵士らしき人たちがすぐに私たちを囲み、そのまま長い階段を降りた。



***


「クィリアルテ様、まさかあなたが、」

 帰りの馬車は、皇帝と隔離されるように、ロズウィミア嬢とフォレンタとの3人乗りになった。人の目がなくなるやいなや、ロズウィミア嬢は信じられないと言いたげに額を押さえる。

「あなたが、リアだったの?」

 フォレンタは怪訝な顔でロズウィミア嬢と私を見比べているが、特に口を挟まない。私は深くため息をついて、頷いた。

「絶対誰にも言わないで下さいね」

「言わないけど……。本当に意外だわ」

 ロズウィミア嬢はもはや呆れたように肩を竦めて、嘆息する。

「恋愛結婚ではないんでしょう? どういう経緯なのかは聞きませんけれど、でも、あの皇帝陛下は、気づかないうちに初恋の人と結婚していたということでしょう」

「はい? 初恋?」

 堪えきれなかったように、フォレンタが聞き返した。本来、侍女が令嬢同士の会話にこんな風に口出しをするのはおかしいのだが、まあフォレンタだから良い気もする。ロズウィミア嬢もあんまり気にするタイプじゃないしね。

「あら、ご存知なかった?」

 ロズウィミア嬢は意外そうに眉を上げて、それからにやりと微笑む。嫌な予感がした。


「皇帝陛下が14歳のとき、ローレンシアを訪問したということは?」

「聞き及んでおります」

 私はロズウィミア嬢を制止すべきか迷って、どうせあとで吐かされるんなら人に任せた方がマシかと口を噤んだ。

「私も詳しくは聞いていないのだけれど、そのときにとある女の子に会ったそうよ」

 私は思わず渋面になる。私もそのときのことはもちろん覚えてはいるのだが、皇帝がパンゲアでまさか言いふらしていたとは知らなかった。

「まあ私が知っているのには訳があるから、そう嫌な顔をしないで頂戴」

 むすっとしている私にロズウィミア嬢が言いおいて、それからフォレンタに向き直る。

「まあ、色々簡単に言うと、その仲良くなった子がずっと気になっているみたいで、」

「それが、このクィリアルテ様だとさっき判明した、と」

「そうみたい」

 私は小さくなって馬車の隅に隠れる。ぎしぎしと音がしそうなゆっくりとした動きで、フォレンタがこちらを振り返った。

「……クィリアルテ様ご自身は、皇帝陛下の正体には既に気づかれておいでで?」

「えーとー……まあ、はい」

 名前を聞いたときからすぐに察していた。むしろ気付かない方がおかしい気がする。

 フォレンタの周囲の温度が急低下した。妙に冷え冷えとした空気を漂わせながら、フォレンタは私を見る。

「どうしてそのように重要な情報を、あらかじめ仰って下さらなかったのですか?」

「うーん……」

 特に喋る必要性を感じなかった、と言ったら怒られそうな雰囲気である。

「……てへ?」

「尋問は帰ってからに致しましょう」

「ヒェエエ」

 舌を出して小首を傾げた私に、フォレンタはにこりともせずに告げた。



***


 王都に到着したときには、既にとっぷり日が暮れた頃だった。

 城に入り、すぐさま連れていかれたのは風呂場だった。まあね、二日間お風呂をすっぽかした訳だから、そりゃあ全身がベタついている。お風呂って気持ちいいね、ありがたいことだ。

「脂ぎっているせいで全然泡立ちませんね」と私の頭を洗いながらフォレンタはしっかり暴言を吐き、何だかんだ二度洗いしてくれた。二度目はきちんと泡立ったらしい。良かったね。

 髪は無残にも長さが左右でバラバラになってしまったため、短いところで切りそろえることになるそうだ。



 翌朝、朝食を終えて、部屋でくつろいでいるところに、髪を切る人が登場した。見たことがない人だったけど、どうやらそういうのが得意な侍女らしい。

 感触を確かめるように、彼女は数度、ハサミを開閉させた。金属が擦れる音がする。

「…………っ!」

 ぞわ、と全身が粟立った。目を見開いたまま、私は凍りつく。

「はい、じゃあハサミ入れさせて頂きますね」

 穏やかな声を向けた侍女を止めたのはフォレンタだった。彼女は私の顔を覗き込み、少し思案したような表情を浮かべる。

「刃物が怖い、と?」

「分かんないけど、なんか寒気がするの」

 我慢するから、早く切って、と言った私を無視して、フォレンタはハサミを持ったまま戸惑っている侍女に声をかけた。

「私にも出来ると思いますか?」

「え、ええと……。切りそろえるだけなので、大した作業では」

「仕上げだけお願いしてもよろしいですか」

「はい」

 言って、フォレンタはハサミを受け取った。私から離れたところでハサミを少し確かめたあと、彼女はまだ長いままの左の髪を掬い上げた。あまり寒気はしなかった。

「クィリアルテ様、大丈夫です。すぐ終わりますからね」

 霧吹きで濡らした髪を櫛で梳かし、そしてフォレンタは、肩の辺りで、私の髪の毛を切り落とす。

 床に散らばった髪はなかなかの長さだった。確かに背中の中央辺りまで伸ばしっぱなしにしていたんだもんね、と独りごちた。


 もう一人の侍女による仕上げを何とか堪え、それから私は向かい合わせにした鏡を覗いて、満足げに頬を緩めた。

 肩を僅かに越したところにある毛先が揺れた。真っ直ぐ切りそろえられているので、なかなかいい感じだ。ハーフアップにでもしたらお嬢様らしく見えるかもしれない。

「うん、これからの流行りはこの髪型に決まりね」

「僭越ながら、クィリアルテ様がそこまでの影響力を持っているとは思えません」

「脊髄反射で失礼ね」


 髪を切りに来た侍女を見送って、私はあともうしばらく、鏡を眺めていた。特に意味なく伸ばしていた髪だったけれど、案外、心機一転できた。まあ、結果オーライでしょう。



 そのとき、扉がノックされたので、フォレンタが素早く廊下の方へ向かう。足取りはいつもよりやや鋭く、今回の件で彼女の警戒を高めてしまったことに申し訳なさを感じた。

「クィリアルテ様、皇帝陛下とロズウィミア様がいらっしゃっておりますが」

 入れますか? という問いに、私は多少驚きながら頷いた。


「……結婚のご報告ですか?」

 どうしてこの組み合わせが一緒に来るのか、と訝しみながら投げた問いは、ロズウィミア嬢の「いいえ」という一言で勢いよく叩き落とされた。

「クィリアルテ様、私、色々考えたのですけれど」

 後ろで所在なさげに立っている皇帝を、不敬にもびし、と指し示して、ロズウィミア嬢は力強く言った。

「学院を卒業したら、皇帝陛下の秘書になることに決めましたの」

「ひしょ!?」

 思考の何がどうアクロバティックしたらその結論に達するのか、と私はひっくり返った。だって昨日まで『皇妃になるのはこの私』とか言ってたじゃないの……。

「なな、なんで」

「皇妃として、つまりは国の頂点に立って、パンゲアを支えるための勉強をずっとしてきたのに、それを無駄にするのは惜しいな、と思って。ほら、私、優秀な人材だから引く手あまたなの」

 私は唖然としながら、ロズウィミア嬢を眺める。

「でも、いきなり秘書って」

「もちろん、ただの文官から昇進してきた上での、最終目標よ。すぐにのし上がる予定ですけどね」

「わあ、頑張って下さいね……」

 ロズウィミア嬢はロズウィミア嬢なりに前向きになったらしい。本当に有言実行しそうなのが怖いところではある。


 で、それで何で皇帝がついてくることになるのか分からない。ロズウィミア嬢の後ろで困ったような顔をしている皇帝を一瞥すると、目が合った。

「ほら、皇帝陛下。仰ることがあるのではなくて?」

 敬う気持ちがあまり感じられない仕草で、ロズウィミア嬢が皇帝の背を押す。つんのめって前に出た皇帝が、椅子に座ったままの私を見下ろして、言葉を失ったように口を開いたまま固まった。


「……何のご用ですか」

 なるたけ柔らかい声を出したつもりだが、どうも言葉の選択を失敗した気がしてならない。皇帝はさらに口ごもり、沈黙してしまった。


「……昨日は、取り乱していたようで、みっともないところを見せて申し訳なかった」

「いや、別に、……気にしてないと言ったら嘘になりますけど、謝ってほしいわけでは」

 皇帝がそう容易く頭を下げるもんじゃない、と肩を押して起こさせ、私もどう出れば良いか測りかねて、指先をこねくり回して言い淀む。

「ええと、黙っていて、申し訳なかったと言うのは、こちらの方です」

「しかし、貴女は最初に言おうとしていた。それに耳を傾けなかったのは俺だ」

「あっ伝説の投獄事件」

 ロズウィミア嬢がフォレンタに、「投獄って?」と耳打ちをしていた。

 皇帝は今にも床に正座しそうな勢いだったので、取り敢えず机の方から椅子を引っ張ってきて、座らせる。体を縮めて足をしっかり揃えて座った。反省の現れか?


「……貴女は、リアか」


 その目に、一瞬、炎が揺らめくかのように、何かが垣間見えたのは気のせいだったかもしれない。私が見返したときは、既にいつもの顔に戻っていた。


「はい」

 私は、いっそ挑戦的なほどに皇帝の視線を受け止め、見返した。

「ですが、どうぞこれまで通りお呼び下さい」

 私は、自分でも、何がしたいのか分からなかった。


 だから、こんな言葉を口にした一瞬の後ですら、私は、自分が何を意図してそう言ったのか分からなかったのだ。



「わたしがあなたをアラルと呼ばないのと同じように」



 しかし私は、自分のこの言葉が彼を鋭く傷つけたことだけは、鮮明に理解していたのである。


 剥き出しの魂が擦れ合うような錯覚に襲われた。何にも包まれないままの幼い精神が、互いに苛みあって、傷を作りあって、その傷を互いに舐めあっている。


「僕もそう呼んで欲しくなどないさ」


 その目の奥に炎がちらついて、隠れた。






 いきなり邪魔して悪かったな、と、いつも通りの顔で苦笑して、皇帝は部屋を立ち去った。ロズウィミア嬢はどこか気遣わしげな表情で私を見ていた。フォレンタは黙ったまま行方を見守っていた。

 私は、自分が分からずに呆然としていた。



 もうすぐ夏が終わる。







 これで2章の夏編が終わりになります。多くの人に見て頂けた章でした、本当にありがとうございます。ブックマークや評価、感想など、とても嬉しかったです。


 少し間を置いて、4章の目処が経ったら3章の推敲、校正ののち投稿し始めたいと思います。今しばらくお待ち下さい。

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