5 果たして
厳重に護送され、私たちは別荘まで戻った。さしたる距離でもなし、周囲は余程張り詰めていたと見えるが、馬車に押し込まれた私は特に苦労もなく到着することが出来た。
別荘へ続く道は封鎖されたらしい。崖は登ってこれまい。森も厳戒態勢で監視の目が光っているそうだ。一体どこにこれだけ護衛がいたんだろうという感じ。それが全て、目に見える位置に配置されているんだから、見るからにただ事ではない。
「今すぐに移動するのは、安全が確保出来ないため、しばらくこちらに滞在して頂くことになります」
「分かったわ」
私は頷いて、ちらと外を見やった。部屋の中にいたメフェルスは、つられたように同じ方を向く。
「メフェルス」
私が呼びかけると、彼は視線を戻して返事をした。
「……狙われたのは、私?」
「いえ、それはまだ分かりません」
「そうよね」
当たり前か、とため息をついて、私は座り直す。まだそんなことは分からないだろうし、分かっていても言わないだろう。メフェルスはそのまま一礼して出ていった。
自分でも驚くほど、心が凪いでいた。むしろここに来る前より落ち着いているほどだ。別に茫然自失としている訳ではなくて、ただ、随分と浮ついていた気分が元に戻った、そんな程度で。
「にしても、ずっと家の中ってのも暇よねぇ」
私は机に頬杖をついて、フォレンタに話しかけた。部屋の隅で何やら書いていたらしいフォレンタは振り返って頷く。
「皇帝陛下やメフェルス様は忙しいようですが」
「なんか、そう思うと私たち、お客様待遇よね」
暑い日なのだが、あまり大きく窓を開け放つこともはばかられた。なので私は細く開いた窓の近くに座り、風を受けるべく手を伸ばしていた。
缶詰状態が始まって今日で3日目。1日目に窓を全開で涼んでいたら、警備する場所が増えて大変だからやめてくれと怒られたのだ。まあ、確かにこんなところが開いてたら、弓矢でも何でも、飛び道具で私まで直通だしね。
ふと、頭上に気配を感じた。私は天井を見上げ、口の脇に手を当てて話しかける。
「隠密くん、お疲れさま」
気配が動きを止めた。少しゴソゴソしてから、天井の一部分がカタリと動き、そこから隠密くんの顔が覗いた。
「クィリアルテ様、勘づかないでくださいよー!」
「一回、隠密くんがいるかもしれないと知ってしまうと、すぐ分かっちゃうのよね。もっと上手に気配を消さなきゃ駄目よ。あ、クッキー食べる?」
「ぼく、気配を消すのが上手だっていつも皇帝陛下に褒められます……。食べます……」
私は皿に並んでいたクッキーのひとつをつまみ上げ、真上に放る。ぱし、とキャッチした隠密くんが、「いただきます」と言って、そのまま天井を閉じて姿を消した。
それから少しして、隣で皇帝とメフェルスが爆笑する声が聞こえた。
「何だお前、また気づかれたのか」と皇帝が言っていた。案外壁が薄い。だから元々は離れた部屋だったのだが、わざわざ隣に越してきたのには意味があるのだろう。
隣から声が漏れ聞こえるという不快なはずの状況だが、今は妙に安心出来た。皆が元気そうでよかった。
***
厨房から悲鳴が聞こえた。私はまたかと思いながら顔を出す。
燃え盛るフライパンを前に、ロズウィミア嬢が目をつぶり、耳を塞いで屈んでいた。厨房の料理人たちがバケツを手に慌てて駆け寄る。
「……またやってるんですか、ロズウィミア様」
わちゃわちゃしている厨房から追い出されたロズウィミア嬢を受け止めながら、私は呆れ果てて呟いた。半泣きになったロズウィミア嬢が私に縋り付く。
「りょ、料理がこんなに難しいものだったなんて、知りませんでしたわ」
「それなら有益な情報をひとつ得ましたね、今度から料理人の方々に感謝するようにしましょう」
どうやら火が大の苦手らしい。毎度挑戦しては、怖気づいているうちに火が大きくなって止められなくなるというのが一連の流れのようだ。
例の襲撃事件がロズウィミア嬢を狙ったものである可能性も捨てきれず、迂闊に外に出すことも出来ないため、ロズウィミア嬢も一緒にこの別荘に滞在しているのだ。怖い生活になるかと思ったら、案外良い賑やかしになった。
ロズウィミア嬢が料理に挑戦してみたいと言い出した直後は、皆が友好的に微笑ましくその言葉を受け止めたが、それから1日に2回はボヤ騒ぎを起こすとあって、もはや現在では全員が水の入ったバケツを手に配備されている始末である。そろそろ果物の皮を剥くくらいで満足してほしい。
初めは、少し失敗してもそれなりになるように、ある程度良い食材を使っていたのが、徐々にグレードが下がっていく様子は見ていて面白い。多分もう誰も完成を目標としてはいない。
まあ、公爵令嬢にしては可愛らしい我儘だから良いのだが、本人にも害があるかもしれないというのが難しいところである。本当に危なかったら皇帝に頼んで止めてもらおうというのが屋敷中の総意だ。
まあ、これが概ね、私たちの別荘生活の一連の流れである。なかなかほのぼのとしているとは思う。
***
私とロズウィミア嬢が、夕食前の食堂で、周りをはらはらさせながらスイカを切っているところに、やけに疲れた顔をした皇帝が入ってきた。
「……さっきの叫び声は?」
「何でもありませんわ」
ついさっき、つる、と包丁がスイカの表面を滑り、部屋中に悲鳴を響かせた張本人であるロズウィミア嬢はしれっとして答える。
私は既に自分の分のスイカを切り分けて皿に並べたあとだ。表面にためらい傷のようなものがたくさん刻まれているだけのロズウィミア嬢のスイカに、皇帝が微妙な顔をした。
「俺がやろう」
「え、」と私は顔を引き攣らせた。あくまでイメージだが、こういう作業をやったことはなさそうな御仁である。やめといた方がいいんじゃないかな……。
「その顔はどういう意味だ?」
「安全祈願の顔です……」
私はそそくさと皇帝から離れ、遠くから固唾を飲んで見守る。
「何だ、失礼な。ただスイカを切るくらい、俺にだって出来る」と皇帝は包丁を手に胸を張った。
「だいいち、そんなの子供にだって出来るだろ」
ちなみにその隣ではロズウィミア嬢が複雑そうな顔をしていた。
片手でスイカ(ロズウィミア嬢が切りやすいように小玉)を鷲掴みにし、皇帝は包丁を真っ直ぐに当てた。ん……? どこに当てているんだ?
駄目な予感がする。これは駄目だ。とめよう、と身を乗り出しかけた瞬間、あらぬところに包丁を当てたまま、皇帝は腕に力を入れ、スイカを綺麗に輪切りにした。
スイカを上から見て、約3分の1をばっさり切り落とした皇帝は、切り落とした分を脇に放る。
反対側の3分の1も切り落とそうとするように包丁を当てた皇帝に、私は憤然として、机の反対側を叩いてそれを制止した。
「それ、捨てるおつもりですか……」
「ん? これか?」
「まさかそのまま周りを全部切り取って、真ん中だけ食べるおつもりで?」
「違うのか?」
首を傾げた皇帝に、私は自分で切ったスイカを突きつけた。綺麗に扇形になったスイカだ。
「スイカって、こうやって食べるものでしょう?」
「えっ」
「えっ」
皇帝とロズウィミア嬢が同時に目を剥いた。
「スイカって、ほら」
「四角形に切られた」
「赤いやつ……」
私は少し考え込んでしまった。……これは、文化の違い、か? 転生による弊害か?
「エウゼスさん、いつもスイカってどうやって食べてますか」
思わず、傍らにいたエウゼスさん(夫)にスイカを見せつけて訊く。彼は少し考え、それから私の手の中の皿を指さした。
「私はこのように切り分けられたスイカにかぶりついて食べますね」
ほらぁ、と私は勝ち誇った顔で皇帝たちを見て、それから別の侍女にも訊く。
「あなたは?」
「私は、この状態から、スプーンで掬って食べます」
「ほら」
私はますます勝ち誇って、胸を反らした。ロズウィミア嬢が徐々に不機嫌そうな顔になる。
「じゃああなたは?」とさらに隣の料理人に問うと、一旦顎に手を当ててから、躊躇いながら答えた。
「僕個人としては、その形から食べますが……。皇帝陛下のような方々にお出しするときは、中央部分の美味しいところだけを四角に切り分けております」
今度はロズウィミア嬢が「ほらぁ」と目を細める。
くっ、と歯噛みして、私はフォレンタに同じ質問を繰り返した。フォレンタは少し黙り、まだ手をつけられていないスイカがテーブルに転がっているのを一瞥すると、それを持ち上げる。
「そうですね、私は……」
指先が白くなり、力がかけられるのが分かった。私は目を剥いて凍りつく。
「こうやって、粉砕して食べますかね」
「ヒィエエエエエエ!」
「嘘ですよ」
呆れたようにため息をついて、フォレンタは再びスイカをテーブルに戻した。
「どうやって食べるかはこの際どうでもいいので、早く夕食に致しましょう」
***
私たちがここに来てから2週間が経った。そろそろ本格的に暇である。ロズウィミア嬢はついに厨房への立ち入りを禁止されたことで手持ち無沙汰になり、だんだんイライラし始めた。
夕方頃、私が部屋でごろごろしていたところに、ロズウィミア嬢はいきなり押し入ってきた。本人曰く、気を使っておすすめの本を持ってきてくれたらしい。それを私が1ページ目でリタイアした途端に、彼女は小馬鹿にするように言い放ったのだ。
「クィリアルテ様は文字もお読みになられないのですか?」
やはり平民か、と言いたげに眉を顰めたロズウィミア嬢に、私は憮然として腕を組む。
「体質みたいなものなんです」
「そんな体質、聞いたこともありませんわ。私、不勉強を別の言い訳にすり替える人が大嫌いなの」
「じゃあ呪いとでも思っておいてください」
「ふぅん、あなたそういうものを信じる質だったのね、意外ですわ」
「この……」
歯軋りして堪えているところに、ノックもなしに扉が開かれ、メフェルスが現れた。この人も、この屋敷に閉じ込められているうちに自制心が緩んできたのか、礼儀が次第に吹き飛んでいる。
「移動の日程が決まりましたよ」
鼻高々に告げたメフェルスに、私たちは数秒前の言い争いも忘れて、手と手を取り合って湧き上がった。
「やっとね!」
「私そろそろ限界でしたの、この方のお相手をするのは」
「はい!?」
「あら、嘘は言っておりませんわよ」
「へぇえ、そっちがそのつもりなら私だって、」
遮るように、ごほん、とメフェルスが咳払いをした。
「……話を続けても良いですか」
「ごめんなさい」
私たちが黙ったのを確認すると、メフェルスは気を取り直したようにカレンダーを指さした。
「出発は明後日の朝になります。移動のすべてを明るいうちに済ませるためにも、時間厳守をお願いします」
「分かったわ」
私は頷いて、明後日の朝、と心に刻みつける。ロズウィミア嬢は少し考えてから、首を傾げる。
「首謀者は見つかっていないのですよね? 本当に安全なのでしょうか」
「近くの基地から兵士を派遣することになっております。厳重な警備体制のもと移動を行いますので、余程のことがない限り危険はないかと」
「それなら安心です」
私はそんなことより、そろそろ外に出たくてたまらなかった。移動しても良いと判断が下されたのなら、特に外でも危険は見つからなかったってことだろう。
「外の空気を吸いに行っては、駄目?」
私は緩やかに首を傾けて問うた。メフェルスはだいぶ考え込んだ様子で、なかなか答えない。ふと、その目が、部屋の隅の天井を見やった。
その裏には、人がいる。
「いいでしょう。すぐにお帰りになることを条件とします」
「ありがとう」
天井の上を気配が移動した。私が僅かに上を見ると、メフェルスは私が気づいたことを察したように苦笑していた。
「ロズウィミア様、一緒に行きましょう」
「えっ? 私は別に……」
「一人で散歩に行ったって楽しくありませんよ、ずっと部屋にいて屈託してるでしょう?」
もう一度押すと、ロズウィミア嬢は、さも自分は反対した、と言いたげに肩を竦めて了承した。ちょっとイラッとした。
「夕方ですし、そろそろ涼しくなっている頃合いでしょうからね。引率して差し上げても良くってよ」
「はい」
決まったら結構ノリノリで歩き始めたロズウィミア嬢の背中を微妙な気持ちで眺めてから、私もその後を追った。
階段を降り、玄関を開け放って、私は両腕を上げて思い切り伸びをした。指を組み、空に向けて手のひらを突き上げる。
「ずっと建物の中にいたから、風が気持ちいいですねぇ」
「んん、心が洗われる感じですわ」
玄関でしばらく二人で背伸びをしてから、私たちは外の景色をぐるりと見渡した。
時間はちょうど夕暮れ、端から橙色に染められた空に、薄くかけられた雲が影を落とす。
風が吹いた。
山を吹き下ろし、乾燥した風が、全身を背中から包んだ。私は息を飲んで、風の行く末に目をやる。結んでもいない流したままの髪が下から持ち上げられ、空気を孕んで、大きく膨らんだ。
「ほら見てください、湖がとっても綺麗ですよ」
私は谷を見下ろしながら指さした。ロズウィミア嬢が振り返り、私と同じ方を見て息を飲む。
「水って青色とは限らないのね」
「そうみたい」
水面に橙の膜でも被せたみたいに、鮮やかな暖色を湛える湖面が、時折風にさざめいた。
長い影は私たちの背後に伸びていた。湖の反対側の山、太陽は今にもその背に隠れようとするところだった。
僅かに坂を降りたところに果樹園があって、どうせまだ何も実ってはいないのは分かっていたけど、私は敢えて行きたがった。
ロズウィミア嬢は少し渋ったが、二つ返事で私についてくることにしたらしい。芝生を踏む音がしばらく続く。
多少歩けば方向はすぐに分かった。
私はくるりと右斜め後ろを振り返って、微笑む。
「隠密くん、と、もう一人、いつも見ててくれた人」
いるんでしょ、と呼びかけると、一息分間が開いてから、頭を搔いて隠密くんと若い女の人がどこからともなく姿を現した。ロズウィミア嬢は驚いたように眉を上げた。
「クィリアルテ様は察しが良すぎですよぉ」と隠密くんは困ったように目尻を下げる。その半歩後ろに佇むのは、見たことのない妙齢の女の人だったけれど、酷く静かな眼差しをした人だった。
「ほんの少しだけ、ロズウィミア様とお話がしたいの、だから」
私は控えめに切り出した。隠密くんはやや面食らったように黙ってから、応じる。
「ぼくたちは無闇に見聞きした事柄を言い触らしたりはしませんよ」
「でも皇帝陛下には言うでしょう?」
「……はい」
答えづらそうに目を伏せた隠密くんに、私は首を緩く振ることで、不快だという意思はないことを伝えた。彼の雇用主はあくまでも皇帝だ。
「5分、……ううん、3分でいいの」
ロズウィミア嬢は怪訝な顔で、それでも黙ったまま成り行きを見守っている。
隠密くんはだいぶ不本意そうに唇を尖らせていたが、私が真っ直ぐに見返すと、ついにため息をついた。
「……目視できる範囲にはいさせて貰いますよ」
「うん、それでいいわ。ありがとう」
私は頬を綻ばせて微笑むと、ロズウィミア嬢の手を取る。彼女は一瞬怯んだように立ち竦んだが、私と目が合うと、その背がすっと伸びた。
「暗くなる前に帰らないといけませんからね」
だから遠出をする気はなかった。果樹園の、立ち並ぶ木の中に分け入って少ししたところで、ロズウィミア嬢は立ち止まる。
「何のお話?」
どこか不安げな表情だった。この2週間、(遊び相手が他にいなかったから)ずっと一緒にいた。ロズウィミア嬢が案外愉快な人で、私が粗相をしなければ、それほど厳しい物言いをしない人だというのはすぐに分かった(ただし寝起きは除く)。
彼女はそれでも時折、驚くほど硬質な雰囲気を漂わせることがあった。政治の話や、国の行く末を話すとき、皇帝について言及するときは、きまってそうだった。
多分それが、ロズウィミア嬢の中にある芯であり、自負なのだろうと私は推測混じりに考えた。
「ロズウィミア様は、皇妃になるために生まれて、育ったと、先日仰っていましたね」
ロズウィミア嬢はほとんど揺らぎを見せないまま、黙って微笑み、首肯した。
「だから考えたんです、ロズウィミア様に限って、勝手な思い込みや我儘でそんなことを言うはずがないから」
「あら、お褒めにあずかり光栄ですわ」
感情を見せずに、悠然と頬を緩めたロズウィミア嬢に、私は暗い目を向けて問う。
「……ロズウィミア様、あなたは皇妃になるはずだったのではないですか」
ああ、とロズウィミア嬢の唇から声が漏れた。周囲を見渡し、だから私がわざわざ外に連れ出してまで人払いをしたのかと得心がいったように顎に指を当てる。
「得てしてそれは、婚約者と呼ばれる立場ではないかと、私は推測しますが、……どうでしょうか」
ロズウィミア嬢が口を薄く開き、その隙間から何事か、言葉を発しようとした。
その矢先に、首筋が、ぞわりと粟だった。ただごとでない予感に、私は考えるより早く足を踏み出す。
「いっ……!」
ロズウィミア嬢を突き飛ばそうと腕を伸ばした瞬間、肩に焼け付くような痛みが走った。背後で険しい声が放たれ、夕暮れと宵の狭間に刺さる。
見下ろすと、私の二の腕の上部に、赤い線が浮いている。少し離れた地面には矢。
……完全に射られてるじゃーん!
「逃げ、ぎゃあ!」
ロズウィミア嬢を促して逃げ出そうと思ったら、当の本人がいきなり倒れた。私ははっと目を見開くと、腰を低くして周囲を見回す。
「クィリアルテ様!」
鋭く呼ばれ、隠密くんの声だと振り返りかけた瞬間、いきなり足が地面から離れた。脇を抱え上げられたらしい。
「ぶびゃあ!」
間髪入れずに放り投げられる。ちらりと見えたぶんから判断すると、どうやら箱馬車の荷台のようだ。床に全身で着地して頭を打ったが、私はすぐさま起き上がった。
「うわー! 助けてー!」
言いながら入口に突進すると、折しもちょうどロズウィミア嬢が吹っ飛んできて、私の足を払う。体が浮いて、私は再び床に倒れ込んだ。壁まで飛ばされ、それから私は床に手をついて腰を浮かせた。
哀れロズウィミア嬢は、気を失ったようにぐたりと床に転がっている。私は思わず「ひぃ」と声を漏らして遠ざかった。
隠密くんが地面を蹴ってこちらへ走ってくる。私が積まれた箱馬車は、進行方向と反対側、後ろが開く形になっているようで、その様子がはっきりと見えたのだ。私はロズウィミア嬢の腰の辺りを抱え上げると、急いで飛び降りようとした。
馬車が動く。私は速度が上がる前に逃げねばと再度入口に突進し、ばたんと閉じられた両開きの扉に激突、そのまま意識を失った。
***
…………。
良い子のみんな! こーんにーちはー!
さて、クィリアルテお姉さんとの約束だよ! 知らない人にはついていっちゃ駄目! あと軽率な行動を取って攫われるのはもっと駄目だよ!
実は情勢不安だけどちょっと内密におはなししたいからって護衛を遠ざける!? もってのほか! そんなことをする人の気が知れないよね! 良い子のみんなはそんなことしちゃ駄目だよー!
脳内で騒々しく騒ぎ立てながら、私は静かにため息をついた。
揺れる馬車の中、私は壁にもたれかかったまま、項垂れる。両手は背に回した状態で、縛られたか何かして拘束されているし、それがまたどこかに括りつけられでもしているのか、体は壁から離れない。
いやもう、反省の念しかない。もし運良く帰れたら関係者各位に頭を下げて回る予定だ。特に隠密くん。もう手土産を持って百回くらい謝るしかないだろう。可哀想に、あの子、怒られるんだろうなぁ……。
「あぎゃっ!」
車輪が石に乗り上げでもしたか、尻が跳ねた。背中と尻を打ちつけて、私は立てた膝に額を押し当てたまま呻く。
せめて毛布くらい敷かない? 私これでも王女様なんですけど……。木の床に直に放置ってさ。どうかと思う……。
そのとき、私ははたと気づいて、顔を上げた。
ヒロインが誘拐されるのって、ロマンス小説だと、結構終盤だよね!?
そう、思いが通じ合った矢先、あるいはその寸前程度まで行ったときに、ヒロインがこれまでに類を見ないほどの苦境に立たされる展開。見たことがある。例えばそれは暴漢に襲われそうになるとかどこかに閉じ込められるとか虐められるとか色々あるけれど、そこをヒーローが助けに来るのだ。お前は今までタイミングを見計らってたんかいと言わんばかりの絶妙なタイミングで現れるのである。
そしてヒロインの受難としての超有名どころ、それは誘拐!
攫われ、どこかも分からないところで拘束されたまま、殺されそうになるか、あれやこれやされそうになるか(詳しい言及は控えておく)したところに、颯爽とヒーローが登場し、スマートにヒロインを救うのだ! ……正直もうちょっと早く来て欲しい感じはするよね。
まあね、そこでお互いの大切さやら気持ちを再確認してね、フィナーレに向かうわけですよ。いやー、楽しみだなぁ。こうなるって知ってたらもうちょっと可愛い格好でもしておけばよかったかもしれない。どうせ外に出ないと思ってたからただの無地のワンピース一枚で来てしまった。
……しかしあの皇帝がちょうどよく颯爽と現れるとは思えないのと、果たして私が皇帝にときめくかどうか怪しいのが問題ではあった。
「ん……」
反対側の壁に括りつけられたまま気絶していたロズウィミア嬢が、小さく呻いて顔を動かした。私は(別に喜ぶべき場面ではないのだが)喜んで身を乗り出した。
「ロズウィミア様、おはようございます!」
「あなたね、そういつもいつも……騒々しく叩き起しに来るのはやめなさいって……」
言いかけて、ロズウィミア嬢ははっと目を見開いた。薄暗い馬車の中を見回し、理解が追いつかないように瞬きを繰り返す。
どこにいるのかは分からないが、窓のない馬車の中が、こうも見通せるほど明るいということは、外はもう朝、あるいは昼なのではないだろうか。
「私たち、どうなったの……?」
「多分攫われたんじゃないかなぁとは思うんですが……」
私は渋い顔をして言い淀んだ。
腹がきゅうと締まった。夕食も食べてないのに外が明るくなるまで放置されて、空腹ここに極まれりって感じだ。自国ローレンシアでいじめられてたときだって、食べ物に困ったことはなかったのだから、こうも空腹を感じた経験がない。ロズウィミア嬢も同じようで、背を丸めて目をつぶっていた。
「それにしても、皇妃を誘拐するって、これめちゃくちゃやばい罪ですよね」
「公爵令嬢もいますわよ……」
「パンゲア地位選手権があったとしたら、若い女性部門のグランプリと準グランプリを連れてきたってことですからね」
「変な例えね、……ふふ」
外は見えず、尻は痛い、腹は減った、手は痛い、打ち付けた額も痛いと不満は山積しているが、向かいにいるロズウィミア嬢も同じ境遇かと思えば何のそのだ。
「一体誰の仕業なんですかね、心当たりあります?」
「あなた、色々なところで失礼は連発しているのでしょうけれど、ここまでされるほど恨みを買いそうな人にも見えませんのよね……」
「失礼な、それならロズウィミア様だってやらかしてるんじゃないですか?」
「私は礼節は守ってますわ」
「それがむしろ腹が立つとか。慇懃無礼な物言いをする人でしょう」
「それは……」
完全に思い当たる節がないとも言いきれないらしく、ロズウィミア嬢は口ごもる。
「ロズウィミア様は美人ですから、嫉妬からの犯行かも、……ううん、違うわね。私が美少女だからだわ」
「そこで勝手に納得しないで頂けません?」
そのとき、馬車の速度が緩まる気配に、私たちは口を噤んだ。一呼吸も経たないうちに、馬車が完全に止まり、私たちの上体は僅かに進行方向へ傾く。
扉が開いた。薄暗い馬車の中で目が慣れていた私は、眩しさに目元を歪めて顔を逸らす。
馬車の扉を開けたのは、顔の下半分に布を巻き、目だけを出した男だった。見るからに怪しい。見た目だけでこんなに不審でいいのかと物申したいくらいに怪しい。夏なのに顔を覆うなんてどう考えても後ろ暗い人間のすることじゃん?
「立て」
投げつけられたその言葉に、ロズウィミア嬢は怯んだように体を小さくした。
「手を縛られてどっかに括りつけられてるんで立てません」
私は顎を反らして返す。睥睨すると、男は僅かに苛立ったように目を細めた。
前略
こんにちは皇帝陛下。もう本人が助けに来なくていい、誰でもいいから早く迎えによこして下さい。
目隠しされた時点で私は逃走を諦めました。ロズウィミア嬢も一緒です。
あとお腹空いた。
早々
「いだっ」
黒い布で目隠しをされ、階段を上がらされたと思ったら、突き飛ばされた。何も見えないから描写するものがないと思って心の中でお手紙を書いていたのに、この仕打ちだ。ちょっと、私、大人しくしてたでしょう!?
「まぶしい!」
目隠しを剥ぎ取られ、明るい室内が目に入った。手は後ろで縛られたまま、私は部屋の中に押し込められたらしい。ちなみにまた床と仲良しだ。絨毯くらい敷きやがれこんちくしょう!
「あなた、いちいち何かあるたびに声を出すのね」
呆れたような声に振り返ると、私と同じように床に尻をつけて座ったまま、ロズウィミア嬢が疲れた顔をしていた。
「そうでもしないとやってられないんです。……ここ、どこかしら」
私たちが入れられたと思しき扉は既に閉ざされ、私たちは窓が一つだけある、長細い部屋に入れられていた。
私は手が使えないまま何とか立ち上がり、窓に近づく。やはりもう朝か昼。太陽の傾きから察するに、正午前ってところじゃないだろうか。
この部屋は高いところにあり、頭突きで窓を叩き割って外に飛び降りても、無駄死にで終わりそうだ。シーツ、カーテンを破って脱出も定番だが、この部屋はベッドなんてなくて、申し訳程度に長椅子が置かれているだけ。カーテンなんて洒落たものもかかっていない。だいいちあったとしても、手が縛られていちゃあどうしようもないのだけれど。
「扉も開きませんわ。……当然ですわね」
部屋の反対側で扉に体当たりしたロズウィミア嬢が鼻にシワを寄せる。
手が使えないせいか、どこかよたよたと私が立っている窓際へ寄ってきたロズウィミア嬢が、目を眇めた。眩しいせいもあるだろうが、どうやら遠くを見透かしている様子だ。
「太陽の向きからして、この部屋は南向きですわ」
「うんうん」
それは分かる。
「あれがレジエ川だとすると、遠くに見えるあの山脈はオルデ山脈。レジエ川以北でオルデ山脈と接しているのは、――――エザール子爵領」
……誰の領地だって?
私が首を傾げると、ロズウィミア嬢は愕然とした顔をして凍りついた。私何か変なことした?
「私たち、先日、エザール子爵とお会いしましたよね」
「会ってないと思いますけど……」
ついにロズウィミア嬢が卒倒しかけた。何とかこらえた彼女は、ごほんと一度咳をする。
「公爵領で開催した、夏の収穫祭でお会いしましたわ」
「うーんと……。たくさん人と会ったからあんまり覚えていないと言いますか……」
ロズウィミア嬢は心底呆れた顔をした。なんだなんだ! 仕方ないでしょ! あんなに大勢押しかけてきたんだから、誰が誰だか分からなかったんだもん!
「皇帝陛下に嫌味を言われて追い払われていらした、小太りの子爵ですわ。……本当に覚えておられないので?」
その言葉に、ようやく私はぴんときて頷いた。
「あれですか!」
「あれですわ」
あー、あれね! 洪水が起きて復興支援金が国から出てたのにみんなで着服して、それがバレて皇帝にちくちく嫌味を言われてた、あれね! あのクズか、あーはいはい。
「じゃあその腹いせに?」
「……それもおかしいのですよね……」
ロズウィミア嬢は難しい顔をして、そのまま長椅子に腰掛けた。せっかくなので私もその隣に座る。尋常じゃない軋み方をした。いつからある椅子なんだろう……。
「あの子爵に、こんなことをする度胸があるはずがないのです。それに、皇帝陛下直々に目をつけられたこの状況で、こんな犯行に出る? 何の利点もないじゃない」
「私たちを人質に、お目こぼしを貰うとか!」
「それなら、その条件を飲むと約束して私たちの身柄が引き渡された瞬間に、ありとあらゆる方法でエザール子爵が叩き潰されるだけですわ」
「確かに……」
私は首を捻る。そもそもパンゲアにいる貴族の力関係なり領地の配置なり、そういうのが全く頭に入っていない私が考えても、何も浮かぶはずがないんだけどね。
「お腹すきましたね」
「ええ、本当に」
腹が鳴ったのはどちらが先だっただろうか。ここに閉じ込められてから、数時間が経った。あくまで感覚的にだけど。
そして、私たちが最後に食事を取ったのは、昨日の夕方のおやつの時間である。もうちょっとで丸一日近く経ちますけど、大丈夫? 人質死にますよ。
ついに私は業を煮やして立ち上がると、扉につかつかと歩み寄り、片足を振り上げるやいなや、木の扉を強く蹴りつけた。そこに人がいるのは気配で分かっていた。
「ちょっと、顔出しなさいよ」
横柄に声をかける。ロズウィミア嬢は自分の身柄が相手に握られている状態ではあまり強気に交渉に出る気にはなれない様子で(夜会とかだともっと舌鋒鋭かった気がするが)、それに対して私はこの通りだ。
何となく行ける気がしたのだ。まあ多分私、もしこれが何かの物語だとしたら、主人公だろうと思うし、そう易々と殺されはしないだろうな、と。
もちろん、私がただのパンゲアの皇妃だけでなく、秘されてはいるがローレンシアの王女であることも、私の自信に拍車をかけていた。恐らく皇帝とその仲間たちは、今頃血眼になって私を探しているだろう。なにせ私が殺されでもしたら、問題は皇妃がいなくなるだけではないのだ。ローレンシアとの関係悪化は明らかだし(いや、あの女王のことだからどうだろう、案外喜ぶかもしれないが)、銀山の譲渡はほぼ確実になくなると言える。何ならあの女王に難癖つけられて違約金を払わされる未来まで見えるわ。
「扉から離れろ」
「もう離れてますけど」
舌打ちの音がして、それから扉にかけられた鍵が開けられる音がした。どうやら随分と大層な鍵のようで、重々しい音が扉越しに響く。
扉が細く開いた。目だけを覗かせて、男が私たちの様子を窺った。
「誰が私たちをこんなとこまで連れてきたのか分かんないけどね、人間って食べなかったら死ぬの。知ってます? 人を勝手に夕食前に攫ってきたと思ったら、その代わりの夕食もなし、朝になって朝食もなし、んで今は正午を過ぎたところでしょう? なのに昼食もなし! 何ならここで餓死して差し上げましょうか?」
私は地団駄を踏んで言いつのった。別に、豪華な食事に、デザートには赤い部分だけ一口サイズの四角に切り取ったスイカを寄越せと要求している訳ではない。パンとスープとサラダと肉と果物と飲み物を寄越せと言っているだけなのだ。あれ? これ結構な要求ね……。
男は背後を振り返り、一言、二言、誰かと言葉を交わすと、そのまま扉を閉じた。鍵がかけられる。
「ちょっと! 待ちなさいよ、殺す気!?」
私は肩で扉をどつきながら大声を出した。
「私はいいとしてね、ここにいらっしゃるのは我らが公爵令嬢ロズウィミア様なのよ!? か弱い乙女! しかも美人よ、あなたたちも美人好きでしょ!」
「変なアピールの仕方はやめて頂戴……!」
「あっ…………」
確かに、この言い方は、まずい、気がする。私は血相を変えると、扉に向かって再度叫ぶ。
「……ごめん、嘘! ロズウィミア様よく見たら案外ぶさ、ぐへぇ!」
ロズウィミア嬢もだいぶ鬱憤が溜まっているのか、ついに礼儀などどこかに放り捨てて私に体当たりを食らわせた。
「ごはんおいしい」
「そうですわね」
見張りの男にも、ロズウィミア嬢にも睨みをきかせられながら、私は久々の食事を腹に入れた。正直味は全然分からなかった。
***
夜になった。腹が減った。食わせろ。
外が徐々に暗くなっていくのを眺めながら、私はぼんやりと長椅子の背もたれに寄りかかっていた。ロズウィミア嬢は私の肩に頭をもたせかけて寝てしまった。呑気なもんよね、と言いたいところだが、憔悴しきったその顔を見て、そんな感想はとてもじゃないが出てこなかった。
……立派な人だ。ロズウィミア嬢は泣かなかった。もちろん私も泣きはしなかったが、少なくとも取り乱したし、現状に不満を漏らした。
彼女は立派な人だ。
賢くて、美しくて、強い。私みたいに大声で不平不満を言いこそしないが、諦めもせず、ただ耐え忍ぶことが出来るというのは、十分に強い気持ちを持っていることの現れだ。わたしにはそれが出来なかった。
彼女が皇妃になること。それはとても自然なことに思えた。現実その地位に座っている私自身が一番、私は不釣り合いだって分かっている。
でも駄目でしょう、私は呟いた。
あなたにあの皇帝はもったいない。何度も思ってきたことだった。
あなたと、あの皇帝は、恋人とか夫婦とか、そういう単純な関係じゃないでしょう。そんな甘い仲にはもうなれないんでしょう。
彼女が僅かに首を巡らせて、身動ぎをする。半開きになった唇から、囁きが聞こえた。
「…………ン様、」
私は聞かなかったふりで顔を上げた。
だって、ロズウィミア様。
――きっとあなたは、ディアラルト陛下と恋に落ちることはないのだろうから。
***
私もうとうとと瞼を下ろしかけたそのとき、階段を上がってくる音がして、私は声を出さずに目を開き、肩でロズウィミア嬢を押した。
急いだような足音ではなかった。だから助けが来たわけじゃなさそうだった。
ロズウィミア嬢は僅かに声を漏らして目を開き、周囲を見回してから、落胆したように肩を下ろした。その眦に光るものが見えたので、私はさり気なさを装って肩をロズウィミア嬢に差し出した。一瞬呆気に取られたような顔をして、それから彼女は私の背に顔を埋めて、涙を拭ったようだった。
「軽い足音だわ」
私は呟いて、背もたれから体を浮かせる。
階段を上がり、この部屋へ近づいてくる人は、速い歩調ではないが、軽快な様子で歩いてくる。子供か女のような、体の小さい人の足音に思えた。見張りの男が交代をするときは、もっと床がきしんでいたのだ。
扉の近くに座っていた見張りが立ち上がる。居住まいを正したように衣擦れの音がした。
「ご苦労さま」
果たして、微かに聞こえたのは女の声だった。高い声だが、変声前の男児の声ではないだろう。澄んだ声をした女だ。
聞いたことある声ですか、とほとんど声を出さずにロズウィミア嬢に問うが、彼女には女の声が聞こえなかったようで、怪訝そうに眉を顰めている。
「この塔の上まで連れてきて。目隠しは……そうね、階段で落ちても危ないから、必要ないわ」
どうやらこれから外に出される気配に、私は唇を引き結んで目を見開いた。
「私のお部屋に入れたらあなたたちは塔を出てちょうだい。朝まで誰も入ってこないようにしてね」
女は言いおいて、そのまま更に階段を上がっていったようだった。ここは塔の中ほどだったのか、と私は唇を尖らせる。ここでも十分な高さのある部屋だが、それより更に上がある、と。
今度はロズウィミア嬢も聞こえたのか、私と同じことを考えているようだった。
「エザール子爵領で高さのある建物……。高い塔があるってことは、貴族の所有する建造物……?」
隣で考え込むように難しい顔をしているロズウィミア嬢を眺めていたら、入口の扉が開いた。二人同時に振り返り、姿を現した男を見据える。
「来い」
「あなたって二文字以上お話することができないのね、最初に会ったときも『立て』しか言わなかったでしょう」
先制で嫌みを投げつける。朝に私たちを馬車から下ろした男であるのは目元で分かっていた。再び苛ついたように男は目を怒らせ、それからため息をついて私たちを引っ捕らえた。
他にも見張りがいたようで、3人がかりで見張られながら階段を上がる。両手を縛られているから転んだとき死ぬと思ったが、これならふらついても大丈夫そうだ。殺す気はないらしい。よかったよかった。
わざと足元が覚束無いように階段に蹴つまづいてみたら、背後が慌てたようにわたわたとしたので、満足して階段をそのまま上がった。
「……。」
ロズウィミア嬢は何か言いたげな顔をして私を見ていた。
横柄な態度で部屋に入る。塔のてっぺんのようで、部屋はひとつしかなかった。
壁がほぼガラス張りの、趣味の悪い部屋だった。高さがあって周囲に何もないから、人の目を気にしなくていいのは分かるが、スケスケで気持ち悪い。温室みたいな感じだけど、中の様相はそれとはだいぶ異なっていた。
「いきなり連れてきてごめんなさいね」
月明かりのみが差し込む部屋、暗がりの中で、ソファに身を預けたその人は言った。顔は見えなかったが、部屋の中にはっきりと響く、息の少ない声をしていた。
何が気持ち悪いって、部屋の中が、まるっきり私室の作りをしているところなのだ。
天蓋付きのベッド、一人用のソファ、ピンク色の毛の長い絨毯、可愛らしい本棚、ぬいぐるみ。
これはどう見ても個人が住まうスペースだった。長時間をくつろいで過ごすために作られた部屋だった。それを、こんな、ほぼ全面ガラス張りとか……。
「趣味悪ぅ……」
ロズウィミア嬢に足を踏まれた。
「どちらさまですの」
ロズウィミア嬢は静かに誰何した。この部屋の主と比べると、静かで拡散するような声だが、相手を押し潰そうとするような気迫に満ちていた。
「あら、薄情な方ね。お分かりにならないとは思いませんでしたわ」
囁いて、暗がりにいたその人が、肘掛に手をついて腰を上げる。かつ、と足音をさせて、光の当たるところへ歩み出た。
可愛い顔をした少女だった。ぶっちゃけ私の方が美少女だとは思うが、少し方向性の違う美少女だ。でも正直に言うとロズウィミア嬢の方が美人だろう。
私の感想はその程度だったが、ロズウィミア嬢はそうではなかったらしい。
愕然としたように息を飲んで、彼女は後退りした。大きく目を見張って呟く。
「メイア……!」
私は首を傾げた。
だれ……?