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異文化交流

ハロウィントリック

作者: アルカ

 

 その日、雛山 紫苑(ひなやま しおん)は最高に疲れていた。

 カレンダーの暦は十月三十一日。いわゆるハロウィン当日。

 トリックオアトリートなんて言葉が、まかり通る日。


「ですが、本日はハロウィンの前に月末です。伝票整理、締めの作業、客先の購買は見積もり提出を待ってなんてくれません。プレミアムフライデーで削られた金曜の三時間の、なんと貴重だったことか。そのうえ菓子をよこせ、ですか? どなたかは存じませんが、いいでしょう、受けて立ちます。――やれるものなら悪戯どんとこいやー!」


 目の前には狼男のマスクで仮装をした人物。くぐもった声と薄暗い廊下の照明だけでは、誰が誰だか分かりやしない。

 その口からハロウィンの合い言葉を聞いて。

 疲れ切った女子社員がひとり、変な方向にキレた。



 紫苑にとってのハロウィンは、ガチすぎる仮装をした先輩達に囲まれて、菓子を配るイベントである。

 そもそもハロウィンパーティにも仮装にも、参加したのは社会人になってからだ。紫苑が子供の頃、巷はこんなにお化けとカボチャに溢れてなんていなかった。町主催の仮装コンテストが始まったのはここ何年かの話。程よい田舎は、自治体が腰を上げるのも程よく遅い。


 それなのに。

 紫苑の勤めている会社は、ハロウィンに対して無駄にアグレッシブだった。

 良い意味で、おかしい。もしかしたら、悪い意味でも。

 一昨年の入社初ハロウィンでは、腰を抜かすほど驚いた。社内限定ハロウィンパーティなのに、みんな気合いが入りすぎている。

 小林課長は見事に、毎回全身多眼クリーチャーを再現しているし、吉田主任の被り物は、羽毛と鱗で覆われたトカゲ。全体を覆っている剥がれない羽毛と鱗は、どこで売っているのだろうか。不思議だ。彼らの仮装は、量販店で揃うのだろうか。

 営業の美女、伊藤は完璧なヴィランの女王様姿。首からつま先までを覆う真っ黒なドレスがよく似合う。先端が螺旋に巻いた黒い付け爪に、尖った付け耳。ギザギザの歯のかぶせ物まで用意する熱の入れよう。真っ赤な口紅と相まって、立っているだけで芸術品の域である。


 というわけで、やけに完成度の高い仮装の多い職場で、毎年チベットスナギツネみたいな遠い目をしながらイベントに参加をしている。

 あまり目を眇めて直視してはいけない気がするのだ。

 ――そう、課長の多眼がちゃんと全部瞬きをするとか。ぶつかった主任の被り物のはずの皮膚が、ほんのり温かいとか。伊藤の尖った付け耳の境目が分からないとか。

 そもそも皆さん何に化けていらっしゃるつもりなのか、なんて。

 考え始めちゃいけない。思考に蓋をする。みんな気の良い同僚なのだ。たかがイベントひとつのせいで、何かの扉を開いてはいけない。

 本能が切実に告げている。


 紫苑の仮装は、何も知らない一昨年が魔女だった。

 昨年が一反木綿。今年はメジェド様である。年々雑さに磨きがかかってきた。

 仮装の第一基準が視界が遮られることなのだけれど、そこは察してください。


 部署的に忙しい月末のイベントだし、不参加でいいのではないか。

 一年目を貧血で終えた紫苑はそう思った。

 けれど恋する乙女の天秤は、翌年もチベットスナギツネになることを選んだ。

 隣の企画部の山本毬也やまもとまりやが、毎年参加するから。

 二歳年上同期入社の山本は、紫苑の好きな人、なのだ。

 一昨年は吸血鬼で、昨年はミイラ男。どちらも仕事中とは違って、全力で遊んでいる姿が堪らない。しかも、初年度倒れたせいか、何くれとなく紫苑を気遣ってくれる。

 最近は、仕事上がりに飲みに誘われたりもするようになった。友人、くらいの認知はされているらしい。喜ばしい限りだ。

 残念ながらそれ以上どう踏み出せばいいのかわからないのが、紫苑なのだけれど。


 けれどそんな片思いイベントも、入社三年目にして崩壊が訪れる。


 そもそも事務職の紫苑にとって十月三十一日は、一年に十二回ある多忙な月末日の一つ。決算月よりは幾分マシ。けれど忙しいことに変わりはない。


 そこに今年からやってきた、プレミアムフライデー。

 月の最終金曜日を早あがりにするという、プレミアムなフライデー。

 大事なことなので二回言いました。

 会社はこの半休制度を持て余して、社員を部署ごとに慰安旅行のバスに押し込んだ。慰安旅行での酒盛りが、半日早く始められるね、良かったね! と。そして十月、紫苑の所属する業務部にお鉢が回ってきたのだ。

 福利厚生お気遣い頂き、ありがとうございます。でも、月末だけはやめてくれ。

 もれなく週明け月曜日から、部署全体が業務に忙殺された。だって紅葉の綺麗な温泉街から戻ったのは、土曜の夜なのだ。週が明けたら今月は二日しかない。現場は修羅場、である。


 プレミアムフライデーと慰安旅行とハロウィンのトリプルコンボは、絶対にやり過ぎだと思う。

 ハロウィン当日だって、みんなで仲良く残業だ。


 隣席の同僚とは更衣室で別れた。これからリビングデッドへと変身するらしい。紫苑はシーツを頭から被るだけなので、五分で済んでしまった。雑な被り物系バンザイ。

 ああ、今回の部署の女子社員リビングデッド率の高さよ。

 ホラーメイクに執念がこもっている。


 その上、山本がいない。

 支社出張からまだ戻らないらしい。定時休憩に隣の掲示板をちら見したら、帰社マークはついていなかった。仕事中なら、連絡してはまずいだろう。

 あてが外れると、がっかりは増すもの。

 もし、山本が一緒だったなら。

 残業のストレスなんて、きっと一瞬で吹き飛んだはずなのに。

 何ごとも上手くいかない時は、とことん上手くいかない。


 そんなこんなで紫苑はもう限界だった。

 今年は菓子を作る気力も、買う暇も無かった。手ぶらだ。

 疲労困憊。HPゲージが見えるなら、多分赤。


 来年には改善されるのだろう。

 今年はたまたま慰安旅行が紫苑の部署で、更にプレミアムだっただけなのだから。

 分かっている。

 でも、このやるせない思いを、壁でも殴ってどうにかしたい。





「だから今年は、基本のハロウィンに立ち返ると決めました。トリックオアトリートってやつです。但し、トリックにはトルネードでお返しをしますね。同じTですから」

「それ、Tしか合ってないんだが……」

「Tだけ合っていれば十分です! さあ、トリックを。そして私にトルネードを放つ口実を」


 紫苑は狼男に拳を見せて迫る。

 今なら、人を拳で浮かせられるかもしれない。こう、拳圧ってやつで。

 だって今日はハロウィンだから。

 悪霊と同じ格好をして彼らを追い出す祭だなんて、起源は諸説あるけれど。

 紫苑の会社では、同僚達が普通じゃない姿で跋扈する日なのだから。


 紫苑だって今日くらい、引っ込み思案の紫苑じゃなくなってみたって、いいではないか。

 方向は、若干ずれている気もするけれど。


「お菓子じゃないけど、甘い物。これでトルネードは許してくれない?」


 笑いながら、狼男は後ろ手に持っていた紙袋を手渡してくる。

 そういえば、メジェド様を被ったままで視界が悪い。紫苑は被ったシーツを落として、差し出される袋を受け取った。


 紙袋の中には、まだ熱々のテイクアウトカップに入った紅茶。会社の向かいのコーヒーショップのロゴが、大きく入っている。

 コーヒーは得意じゃないけれど、ここは紅茶も美味しい店だった。紫苑はたまに自分へのご褒美として、この店でテイクアウトをする。お値段とカロリーが優しくないので、たまに。

 ふんわりと湯気から香るのは、大好きなベルガモット。


「ホイップホットアールグレイ……」

「しかもちゃんとソイラテですよ、お嬢さん。それがお気に入りなんだよな?」

 狼男の口が、ニンマリと孤を描いたように見えた。

 仕事の後、居酒屋で酔いながら、最近発見したお気に入りについて上機嫌で()に長々と語ったのは、ほんの数週間前。

 目の前の狼男はそのピンと立った耳で、酔っ払い(紫苑)の話を流さず聞いていてくれたらしい。


「なんでここにいるんですか。出張の、はずじゃ」

 狼頭でくぐもって聞こえていた声は、よくよく聞けば確かに、彼の声の響きを残していた。


「元気がないって聞いたから」


 そう言って、狼男改め、山本毬也がもう一度笑った。





 事務フロアには既に他の人はおらず、静まりかえっている。

 エレベーター近くからは離れ、フロアの一番端。

 以前は喫煙所だった場所は、今は自販機とソファだけの休憩スペースになっていた。

 そこの固いソファに山本と並んで腰掛けて、紫苑は小さな飲み口からちびちびとホイップホットアールグレイをすする。ラテクリームの甘さと、茶葉のコクが堪らない。

 山本は、自分用には自販機でブラックを買っていた。

 つまり本当に、紫苑の紅茶の為だけにコーヒーショップに寄ってきたらしい。

 何だかちょっとこそばゆい。


 しかし。

 しかしである。

 それよりももっと、気になる重大事項があった。


「山本さんって、そのままで缶コーヒーを飲めるんですね」

「アイスはまぁ、いける。ホットは猫舌だからダメだ」

「狼なのに猫舌……」

「言うと思ったー。それ、絶対言われると思ったわー」


 ぱっくりと裂けた狼の口で山本が笑う。

 狼頭のかぶり物ではない。狼の頭のまま、山本は喋っているし缶コーヒーも飲む。犬と同じように狼の鼻筋――眉間から鼻の間――も長く伸びていて、横顔はちょっとだけ実家の愛犬を思い出した。

 物理的に飲めるのは良いけれど、犬にコーヒーは毒なんじゃ……と、紫苑の思考は勝手に逃避行を始める。

 けれど、視界の正面には狼頭の山本。

 しっかり尻尾も生えている。


 彼は、小林課長とか吉田主任とか、伊藤さんの部類だった。

 あんまり深く追求しちゃいけないやつだったのだ。

 でももう遅い。

 長年の秘密の暴露という、禁断の蜜の味を知ってしまった山本のトークも止まらない。


 この世界のご近所には、わりと簡単に魔界への入り口がパカパカ開いていて、もうずっと昔から私たちの世界と魔界とやらは、世界規模での文化交流を繰り返してきたらしい。各国政府は異文化交流の出先機関として、学校や企業と提携をしている。

 特に紫苑の勤める会社は、親会社が魔界の魔王の一人が出資をしているとか、いないとか。

 山本が出張していた支社というのも、魔界のことだそうで。

 世の中は不思議でいっぱいである。


「じゃあもちろん、小林課長と吉田主任と伊藤さんは……」

「ああ、魔界からの交流組」

 ですよねー。と相槌をして、紫苑は遠くを見た。

 分かっていたのだ。

 どう考えても彼ら三人は抜きん出ていた。むしろ主張していた。


「あそこまでカムアウトするのも珍しいんだけど。でも、自分の本性を伝えたいって気持ちは、わかる」

「山本さんの本性は……」

「狼の獣人ってやつなんだが。こっちだと、狼男が有名かなー。別に満月見て遠吠えとかしないけど」

 山本が鼻を寄せたので、紫苑は恐る恐る鼻先に触れた。

 鼻先はちょっと冷たくて、それでもちゃんと体温がある。手のひらをそのまま鼻筋から頬、首元まで滑らせれば、見た目よりも柔らかな毛は、ふんわりとして指通りが良かった。

 山本が気持ちよさそうに目を細める。

 実家の犬にするように、無意識に手を滑らせて、爪を立てて掻いてやろうとしてしまっていた。紫苑は、慌ててその手をひっこめた。


「ごめんなさいっ」

「いや、大丈夫。もっと触ってて平気」

 今度は頭ごとぐっと近づけられたので、そのまま流されるように、紫苑は山本の首の後ろを掻いた。こちらは首元よりも硬めの毛が覆っている。掻くのもちょっと強めが良いらしい。強弱をつけて続けると、山本の尻尾がそれに合わせてハタハタと揺れる。面白い。

 ……本当に、本当に申し訳ないけれど。

 実家のハスキーミックス、八歳の幻影がずっと紫苑の頭に浮かんでいた。

 愛犬は尻尾の付け根を掻いてあげると、いつもひっくり返って喜ぶ。狼の獣人というのはどうなのだろうか。試してみたいなどと、犬好きの血が騒ぎはじめていた。

 流石にまずい。絶対に怒られるだろう。

 人としての、いや魔界人としての人権無視だ。いかん。


「俺は交流期間中、別に誰かに知ってもらおうとか、思ってなくて。何より、打ち明けて離れられたらきつい。打ち明けたいってことは、偽らない自分を知ってほしいって思うほど、その人が大切ってことだから」

 くぐもった声は、ぐるぐると喉を鳴らしながらそんなことを言うから。


「私は山本さんの大切の中に、入りますか?」

 紫苑も、少しだけ勇気を出して聞いてみた。

 瞬きの間に、撫でていた狼頭が人に変わる。

 鮮やかな変身に吃驚して後ろに下がろうとする紫苑の背を、力強い手が支える。


「昨年も一昨年も、勇気が出せなかったけど。今年こそはって、ちゃんと本性を見せたくて。出張先から直接押しかけるくらい、大切ですよ」


 吐息がかかってしまいそうな距離で、山本がそんな風に囁く。

 狼の方が、むしろ安心していられたのに。

 見慣れた姿の、片思いの相手にそんな風に言われたら。


 疲労と緊張と。何より情報過多で、雛山紫苑は倒れた。




 ・・・・・・・・・・




「ひどいです」

「ははは」

「山本さんの馬鹿。いや、狼だけど」

「ごめんごめん」


 紫苑は怒っている。本気で怒っているのだ。

 それなのに、隣に陣取る山本は軽い。


「これじゃあ当分、首元の詰まった服しか着られないじゃないですか」

 紫苑はタートルネックの生地をぐいっと下げる。

 そこには、うっすらと歯型が並んでいた。

「マーキングは基本の動作でして」

 何故か山本が照れた感じで頭を掻く。

 紫苑の望んだ反応は、そうじゃない。


「私が気を失っている間にマーキングって、酷くないですか。しかも! 狼の方で!」


 昨日、倒れた紫苑を親身になって介抱してくれたものの、山本はちゃっかり彼女の首筋に噛み跡を付けたのである。


「いやー怖がられるかと」

「怖がられそうなことは、余計に同意を得ましょうか」

「じゃあ許可してくれる? 出来れば首の後ろの腱をもうチョイ強めに噛んでおきた……」

「却下」

「ほらーやっぱりー」


 翌日の昼休み。屋上のベンチ。

 紫苑は晴れてお付き合いをすることになった山本と、並んで弁当を広げていた。

 狼獣人は、やはり犬と共通点が多いのだろう。

 付き合うことを隠すなんて気は微塵もなく、その上山本はスキンシップも控えない。というか、彼はこんなキャラだっただろうか。


「俺は安心するんだけどな」

「……痛いのは嫌いです」

「痛くない! チクっとだ、チクっと」


 紫苑の脳裏にはこれまた、久しぶりに実家に帰った時の愛犬の姿が浮かんでいた。いつだって全力で尻尾を振りながら、体当たりを決めるのだ。


 ――でも中身が人間だから、性質が悪い!


 紫苑に好かれていることを、彼はちゃんとわかってやっているのだ。


 十一月一日。奇しくも今日は犬の日。

 このまま何だかんだと、大きな犬(山本)に流されてしまいそうだ。

 今日も引き続き、紫苑はチベットスナギツネの目をした。




 おしまい


 ※この物語はフィクションです。実際の月末業務とは、何の関係もございません。



最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

一日遅刻していまいましたが、ハッピーハロウィン!


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