第一章
どこかの童話がそのまま出てきたかを思わせる繊細な造りをした、大きく広い白亜の校舎。日の光を浴びキラキラと輝く。
入学式から1ヶ月たった特別な日で午前短縮授業だった今日。授業らしい授業を終えたお昼過ぎの放課後、大きな噴水がある広場の中央、白をメインとした何本も水色のラインが入っているブレザー制服を着た少年は、黒をメインとした制服を着た何人かの少女達に取り囲まれていた。
「あの、俺行かないと…」
「え~、先輩もっと話してましょうよ」
「でも……」
「そうそう、少しぐらい」
少年には行かなければならない場所があったのだが、女子生徒たちに捕まって約15分。女子生徒の話したいことはいっこうに尽きず、なかなか離してくれない。そして、離してくれそうな気配もなかった。
後何分捕まったままなのかと少年は、校舎に付いている巨大なアンティークであろう時計を哀しげに見た。
高身長に優しい人柄の矢咏 彗は、入学式が始まって以来一人で歩いていればこうした女子生徒に捕まって動けなくなることが多かった。それは、女子生徒だけではなくアドバイスをもらいに来た男子にも捕まることはよくあった。女子生徒は女子生徒で、お喋りをするために自由になるのにかなり時間がかかるが男子生徒は男子生徒で魔法アドバイスを求めてくるため長く時間がかかる場合が多かった。
普段は同級生が多いのだが今日は一年生。
普段は話しかけてこないのだが、入学式から1ヶ月たった今日は特別な日で三年生と二年生は一部の生徒しか学園には来ておらず、普通に登校日とされている一年生はこれを機会にとお目当ての先輩たちに話しかけていた。
一度一人に捕まってしまえばウジャウジャと人が増えてしまうため、動けなくなる者達は多い。
彗もその一人だった。
水を自在に操る『聖なる清めの礼節』水蓮藤の二年生の首席である彼に憧れる者は多い。同じ水蓮藤の一年生からしたらなおさらだ。
彼は最優秀生徒の称号である特別クラス『奏清汐』所属である。
奏清汐は、総合クラスで火を操るのを得意とする『火焔懺』、電気を操るのを得意とする『雷導殿』、自然の力を操るのを得意とする『緑風鈴』、そして水を操るのを得意とする『水蓮藤』の優秀生徒が集まったクラスのことだ。
その証として、制服はそれぞれの所属していたクラス色のラインが入った白い制服を着、四つが混合したエンブレムを付けている。
憧れの的のためたとえ、彗が困っていても今日と言う日はいつもは止めに入る先輩方が居ない、誰にも邪魔されない一年生だけの無礼講だった。故にこのチャンスを逃すものかと、いつもにまして離してくれない、人の長蛇ができる状況だった。
そして、奏清汐には特別な制度があるのだが─────
「─── 渦け」
リンとした少女の声と共に、赤い炎そのものの龍が女子生徒から引き剥がすように彗を包み込んだ。
小さく悲鳴を上げる女子生徒達。
謎の乱入物にたまらず二、三歩後ずさる。
「な、なに?この龍…」
驚いた声を出し、どこから来たのかと辺りを見回していた女子生徒の視線は一カ所に止まった。
彗も女子生徒達の視線が止まっているであろう、龍を生み出した主の少女を見た。
白い、だがラインは燃えるように赤いブレザー制服にこれまた赤色のラインが入った黒いスカートを履いた、長い栗色に近い髪を黒いリボンでポニーテールに縛った少女は、彗を指を差すとほんのり呆れたように口を開く。
「そこの人、時間に遅れてるんだよね。だから、僕にちょうだい?」
ぞくりとするような、昼過ぎの暑い世界を空気がいきなりひんやりと冷たいものに変化させる。
「君たちの拒否権は無い。そこの人以外は」
人形みたいな無表情で淡々と。
感情のこもらない、静かな声で。
「でも、断らないよね?」
その声は浴用が無く空っぽなのに良く聞こえ、その虚無的な表情に女子生徒達は不気味な者を見るように少女を見た。
その言葉と自分の記憶上にいる少女との違いに呆気にとられていた彗は、はっと思いだし女子生徒達に声をかける。
「ってことで俺行かないと…じゃあね」
龍が道をあけるように、彗から離れて主の上へ飛ぶ。
彗は訳が分からず未だに呆気にとられている女子生徒に謝りながら、火焔懺の少女の元へと走った。
「ごめん、南雲」
「別に。僕もやっと火焔懺の子達まいたところだし…」
淡々と言う火焔懺の少女 南雲 雪菜は疲れたとでも言うようにため息をついた。
「じゃ、もらってくよ」
女子生徒達にそう言い放つと背を向けて歩き出す。彗はそれを追って隣に立った。
沈黙……。重い空気が流れる。
「で……」
沈黙を破った雪菜は、彗の顔を見上げる。
「大丈夫だった?」
「大丈夫だよ。でも、お前が怖かったよ…」
彗の言葉に雪菜はしばらく黙り込んで「あぁ」と小さくもらした。
「笑うと嘗められそうだったから。今日は、無礼講で戦っていい日でしょ?一年生が二、三年生に。戦ったりすると、ギャラリー増えて面倒になるから、怖がらせる方が早いかなって。結果的に戦わなくてすんだでしょ?」
さっきとはまるで違う話し方。声。表情。
きっとさっきの女子生徒達も今の雪菜とさっきの雪菜が同一人物だと考えつくのは、難しいだろう。
というか信じないだろう。彗でさえ、スゴイ違いだな…と思っていたのだから。
空を見た雪菜は今気づいたように、「あっ」っと声を漏らすと「ありがと」と呟いて指を鳴らして龍を消した。
浮かんでいた龍の残像も風が吹いて消えた蝋燭の火のように消えた。
「あ…そう」
「んまあ、この感じだとみんな捕まってそうだけど。先に行く?」
「どうしよう?」そう聞こうとしたとき別の声が割り込む。
「あのー」
控えめな少女のソプラノのような高い声。
黒いをベースにし水色のラインが入ったブレザーに、紺色のレースのついたスカートを履いた水蓮藤の生徒。
ネクタイのラインが一本なので一年生だと分かる。
ただ、彗が話そうとしたのを遮ったのでそれは控えめではないのかもしれないが。
「なに?」
雪菜は笑うことなく聞くと、その少女は嬉しそうに微笑んだ。
「私は…」
名前を言おうとしていた少女の言葉を雪菜は遮る。
「名前はいい。どうせ覚えられないから」
それは、どうせ覚えないからという意味が込められているのを彗は知っている。その言葉を直接言うのが失礼なのを雪菜は知っているからこそ、その言葉を隠しあえて似たような言葉を口にしていた。名前を言われても彗が覚えている可能性は非常に少ないのでそれに対して何も言わない。そして、雪菜が名前を聞かないのにはもう一つ理由がある。
「そうですか…。」
残念そうに俯く少女。
雪菜からすれば名前を言われても、あまり意味がないので聞かなかったのだろう。時間の無駄だと。
だが立ち去ろうとするわけでもない少女との間に妙な沈黙が生まれて、雪菜は困ったように彗を見上げた。
話しかけてきたのは少女のため、立場上雪菜も少女を残して動けなかった。それは、彗も同じで二人は少女が何か言うまでその場を離れられない状況となってしまった。
暫くすると少女は顔を上げて雪菜を見て口を開く。
「私一年生で奏清汐を目指してるんです。南雲先輩私と戦ってくれませんか?」
いやに淡々と。遠慮なく。まさに無礼講と言う言葉があてはまるように少女は言った。