最終章:Virgin Road 05
「……」
彼は無言で石になったザルマムさんを
苛立たしげに蹴る。
ゆっくりと倒れた石像は、
ガンッ……
粉々に砕けパラパラと散った。
呆気ないくらいの人間の死。
まるで現実感がなかった。
「マスター」
いつの間にかやってきたのか
隣りには人の姿のマリク。
けれど前の時とは全然違って、
少し背を丸めて立つ姿は
まるで獲物を狙う獣そのもの。
「ご命令を」
もう一人、フレデの脇に控えるのはガロ。
見るだけで背筋が冷たくなるような、
禍々しい悪魔の姿をしていた。
「苦しませろ」
聞きなれた私でも
ぞっとする低い声。
今まで聞いた全ての音の中で、
一番、怖くて、
心臓を鷲掴みにするような死の宣告。
「殺しますか?」
短くガロが尋ねると、
彼は吐き捨てるように告げた。
「殺せ」
言い終わると同時に2人の姿は消える。
それと同時に奥から悲鳴が聞こえてくる。
「ひいっ、バケモノ!」
「来るなぁ!」
「た、たすけッ!」
恐怖に怯える声と
形振り構わぬ懇願の叫び。
けれど使い魔たちがその命乞いに
応える声は聞こえてこない。
ただ空気を響かせるのは
何かを切り裂く音、
壁にぶつけて叩き潰す音、
咀嚼して破裂するような音……
ありとあらゆる恐怖が、
きっとあそこで行われているんだろう。
「フレデ……」
私は力を振り絞って手を伸ばす。
「ミミ」
小さく私の名前を呼ぶ。
私は頬に手を当てて泣きそうな声で伝える。
「……そんなに、怖い顔をしないで」
彼が私の手をそっと掴む。
「すまない……遅くなった。
怖い思いを、させてしまったね」
宝石の割れたペンダントを見つめながら、
悲しそうにそう告げる。
きっとこのペンダントが、
私の危機をフレデに伝えてくれたんだろう。
「フレデ殿!」
遠くから慌ただしい足音ともに、
複数の足跡が走ってくる。
「ミミ!」
駆け寄ってきたのは
ロイヤルガードの鎧を着た
フランクさんとマリーだった。
後ろにはたくさんの騎士がついてきており、
彼らは建物の中へと押し入っていた。
「ミミ、しっかりして!」
悲痛そうに叫ぶマリーに、
私は力なく「大丈夫」と笑う。
フランクさんは奥歯を噛みしめ、
苦しそうな声で告げる。
「ロッサ家に対して我々は前々からマリーに
監視させていたのですが……
まさかこのような蛮行に出るとは
予想もつきませんでした。
……申し訳ない」
フレデは首を振り、
「そんな些細なことはどうでもいい」
そう言って私に視線を下ろす。
「ミミの様子がおかしい、
恐らく人間の魔法の仕業だろうけれど、
どういう症状かわかるかい?」
フランクさんは私の額に手を当て、
小さく何かを唱えて静かに呼吸を整える。
ほんの10秒くらいだったと思う、
とても苦々しい表情を浮かべ、
「くそっ!」
あの人らしくない、
荒々しい様子で壁を叩いた。
「これは、『マリオネット』という魔法です」
「え!?」
反応はしたのはマリーだった。
「確か、最高レベルの禁じられた魔法……
他人の精神を破壊して、
操り人形にするっていう……」
震える声で、そう告げる。
破壊という言葉から
「ああ、もう私は助からないんだ」と悟った。
今、こうしている間にも、
私の心が軋んでいく感覚……。
「治療は?」
「……申し訳ありません」
フランクさんは苦しそうな声で
「方法は、ありません。
この魔法は一度かかれば、
連鎖的に精神を破壊していきます。
それゆえの禁忌……。
聖女の力では人間の魔力には無力。
このネックレスの護符のお蔭で、
かかりは浅かったようですが……
それも時間の問題です」
絞り出すようにそう告げた。
重苦しい空気が流れる。
そんな中、私は涙を流していた。
「フレデ……迷惑かけて、ごめんね」
私を抱えてくれるフレデに、
すがりついて私は泣いてしまう。
「すまない……ミミ。
俺のせいで、君を巻き込んでしまった」
「ううん、
そんなの、関係ないよ……。
ごめんね、ごめんね……」
謝罪の言葉が止まらない。
もう最期なのだからと、
言葉をなんとか紡いでいく。
「ずっと一緒にいるって、
言ったのに、ごめんね」
約束したのに。
こんなことで、守れないなんて。
「ミミ……」
「でもね、人間を嫌いに、ならないで」
こんなことで、
またフレデが寂しい想いをさせてしまうのが、
どうしようも悲しかった。
私は彼の顔を見上げる。
悲しそうな顔で、私を見ていた。
「あのね、聞いてほしいことがあるの」
「……なんだい?」
まるで幼子をあやすような
彼が優しい声で尋ねてくる。
ああ……私が好きな声だ。
「こんな私を、
大切にしてくれて、ありがとう」
最期だからこそきちんと伝えよう、
感謝の気持ちを。
そして、
「大好きだよ、フレデ」
この、愛おしい気持ちを。
やっと、やっと、伝えられた。
それだけですごく満たされて、
頬が緩むのが自分でもわかる。
そんな私をフランカさんは
唇を噛みしめながら見つめている。
マリーは、俯いて泣いていた。
「ミミ」
でも彼は違った。
フレデは決意をしたように告げる。
「俺と、ずっと……
これから途方もなく長い時間……
一緒にいてくれないか?」
まるで、プロポーズの言葉。
私は嬉しくなって頷く。
「……うん、傍に、いたいよ」
どんどん瞼が降りてくる。
完全に閉じたら、
もう目を開けることはできないと思う。
でも最期に最愛の人の顔を
目に焼き付けて死ねる……私は幸せ者だ。
彼が、一度息を吸って、
そしてその言葉をくれた。
「俺の……たった一人の花嫁になってくれ」
一度だけ、ヴァンパイアの花嫁という
言葉を聞いた気がする。
それがどんな意味かわからない。
だけど、フレデと一緒にいられるなら
とても素敵なことだと思う。
彼の花嫁、とても素敵な響き。
その時は私は、
もう、口を開くこともできなくなっていた。
だから私は無言で頷く。
彼の顔が近づいてくる。
私は、瞼を閉じた。
そして……
――首筋に、彼の牙が刺さった。




