第6節 ≪囚われる者 ~絶望へのカウントダウンの始まりか~≫
前回の酒場で突然ナイフで襲われるリディアのシーンから始まります。自分の無実を証明する為に必死で説明をするリディアに対しても、酒場の者達は鋭い殺意を飛ばします。そして新しく現れる亜人によって、またリディアは追い詰められてしまいます。
リディアはこれから一体どうなってしまうんでしょうか。
ようやくミケランジェロに会える……そう信じていた
だが、町民の態度が妙におかしい
なぜその名前を聞いただけで敵意を見せるのだ?
酒場にいるリディアに、今は味方は存在しない
ここにいる客達は、全員が敵である
背後から、逆手で持たれたナイフがリディアの背後から迫るが、ワインの硝子に映った姿を確認したリディアに回避出来ない理由はそこには無かった。
「!!」
素早く背後を振り向くと同時に、そして同じく素早く左へと身を投げるようにずれ、ナイフの一撃を回避する。半袖の中肉な腕を振る力は確かなもので、素直にあの一撃を受けていれば、リディアの身体は簡単に貫かれ、そのまま命を落としていただろう。
「てめぇ!!」
丁寧に剃っていない妙に長い無精髭の男は回避された理由を分析する事無く、悪足掻きのように再びナイフを、殴るように振り回すが、軌道はリディアにしっかりと読まれていたようである。
リディアに凝視されたそのナイフは、再び振り回された所で、リディアの身体を引き裂く事はやはり出来なかったのだ。
「そんなもの振り回したら……」
男から距離を取る為に後退と同時に回避をしていたリディアは、自分を護る為に、後ろに引いていた右脚に力を入れる。青い瞳が男の振り回すナイフを捉え、決して逃さなかった。
――真っ直ぐと、男の右手首を真下から蹴り上げる――
持っていたナイフが真っ直ぐ天井に向かって蹴り飛ばされてしまった男は、声を出す事も出来ずに、ただ痛みの走る手首を左手で押さえる事しか出来なかった。
天井にまで届かずに、やがて重力に引っ張られたナイフはリディアの上から降って来る。
「危ないんじゃないんですか!?」
回転しながら落下したナイフを軽々と右手で受け止めながら、リディアは男に向かって先程の行為が危険である事を言った。口調はやや声色が低くなっており、表情自体は露骨な怒りが表現されていないものの、警戒心だけは怠っていないように見えた。
「こいつ……。生意気やりやがって……」
振り回されたナイフを避けるだけであれば、ある程度の反射神経と体力があれば出来るかもしれない。だが、手首を的確に蹴り飛ばし、更に跳ね上げたナイフを片手で受け止めるのは並の事では無いはずだ。
男は、もしかしてリディアに負けてしまっているのかと、心の奥で悔しさを噛み締めながらカウンターの横で足を止め続けている。
受け止めたナイフを武器に使う事もせず、カウンターの上にやや乱暴に置いた後、全員に向かってリディアは詳しい話を聞こうと、自ら酒場の中央へと足を動かした。全員がリディアを凝視しているのと同時に、殺意や怒りも男女問わず見せつけている為、全員に聞こえるような場所に進まないといけないと感じたのだろう。
「あの、1つ聞きたいんですけど、ちゃんと聞かせてくださいよ! ミケランジェロさんが皆さんに何したんですか!? なんか恨みでも持ってるみたいですけど――」
「お前こそじゃああいつのなんだよ!? 言えよ」
酒場の大衆に紛れ込んでいた者達の中から、男の声が1つ、リディアへと飛ばされた。リディアの質問を遮る形で飛ばされたその質問は、リディアの揉み上げの後ろに見える耳に真っ直ぐと入り込む。
「色んな場所でよく使われてる言葉になりますけど、こっちが質問してるのにまた質問で返すのはあまり宜しくないと思いますよ? まあ私はミケランジェロさんの仲間、というよりは父さんみたいな存在って言った方がいいかもしれませんけどね!」
相手は大量である為、誰が聞いてきたのかまでは把握出来なかった為、リディアは何となく聞こえた方に顔だけを向けながら、ミケランジェロと自分の関係を説明する。右を向いた所で、やはり誰が聞いてきたのかは把握出来ないが、それでも血縁関係は無いが、親のような人物であるという事だけは伝えたかったのだ。
「仲間ならお前もここで消えた方が身の為だぜ?」
まるでリディアに誰が今喋ったのかを当てるゲームでもさせているかのように、再びリディアの視界の外から別の声が飛んでくる。言葉自体は単調ではあったが、意味を深く追求するのは、それは危険な意味を掘り当てる事になってしまうかもしれない。
「なんかイマイチ流れが掴めない感じなんですけど? それより、私は一応質問に答えたんですから、そっちも私の質問に答えてもらえますか? 特にそこのマスターさんには、ですね」
結局、ミケランジェロの行なった行為を明確に聞く事が出来なかった為、結果的に会話が成立していないように感じたリディアであるが、これは何かの間違いであると信じているリディアは、最も聞き分けの良さそうなマスターに振り向いた。
「生意気言いやがってこの小娘が。お前みたいなガキに説明して何が分かんだよ?」
しかし、マスターの思考は、リディアへの憎しみが原因で蝕まれてしまっているからか、会話が成立するとは思えないような人格へと豹変してしまっていた。ショットガンを構えはしていないが、右手で持ったまま、まるで今にも殴りかかってきそうな目つきで見続けている。
「別にガキだと思うならそれで別にいいですよ。ただあの方が一体何やったのかちゃんと説明してもらわないとこっちだって状況掴めないんですよ」
リディアは事実上、年齢はまだ軽視されるような呼ばれ方をされてもしょうがない若さ、幼さである。年齢を無視しても、まだ大人とは言えないような童顔のリディアでは、『ガキ』と直接言われたとしても文句は言えないだろう。
今は呼ばれ方にいちいち反発する事はしなかった。寧ろ、ある意味では歳若い事を認めてもらえているようで、リディアとしては少しだけ嬉しかったかもしれない。それよりも、今ここで求めなければいけないのは、年齢の事では無く、ミケランジェロの起こした可能性のある事件の話である。
「お前がそんなもん聞いたってなんも変わんねえよ」
集団の中に紛れた男の1人が、質問そのものを否定してしまうが、同時にリディア目がけて空き瓶を投げつける。勿論それはリディアに直撃する瞬間に顔を反らされ、回避されてしまう。
「そういう返答されても話が全然進まないと思いますが? それに……さっき私の事殺そうとしたあの男に対して誰も止めようともしてない辺りを見ると……もしかして皆さんって私の事ここで殺そうとか考えてたりするんですか?」
たった今投げつけられた空き瓶に対しては一切触れようともせず、リディアは苛々しつつある感情を抑える為に腕を組み始める。水色のワイシャツの長い袖に包まれた腕からは、戦いに必要であろう覇気が伝わってこない気がするが、それは男達の太さと比較すれば明らかに細身であるからだ。
「あいつの仲間だったらそうなっちまうだろうなぁ」
ミケランジェロの仲間というだけで、一方的に敵扱いをされ続けているリディアである。相手からは返答らしい返答はまるで帰ってこない為、リディアの爪先が不満を抱きながら床を叩き続けている。
リディアの不満さえも無視し、酒場の者達は一方的にリディアを睨み続けている。
「さっきはマスターの人から出てけって言われましたけど、今度は出てけじゃなくて、死ね、ですか? 相変わらず意見が纏まらないんですね。皆さんって」
直接は言われなかったものの、消える事を強要された事を覚えていた為、きっと命を狙う意味で使っていたのだとリディアは半ば勝手に解釈してしまう。だが、この者達の殺意を考えれば、それは誤認では無いかもしれない。
「あいつはなぁ、さっき隣の村焼き払ったんだぜ? お前もそいつの仲間なら生かす理由なんてねぇだろ?」
マスターはショットガンの銃口をリディアへと向け直し、ミケランジェロのした行為及び、そしてリディアの今後の未来を威圧的な口調で説明する。
「それが答えですか? だけどその話はどうも信用が出来ませんね。まあマスターさんがある意味一番話が分かりそうな気もしますけど、だけどミケランジェロさんはそんな非道な事なんてしませんよ。それ確実にデマかなんかですよ」
この酒場にいるだけでは、何が事実かは分からないだろう。リディアも青い瞳に怒りや警戒を灯しながら、ここではどう発言して事を安定した方向へと進ませるかを模索しているのだ。何があっても、大切な仲間であるミケランジェロのその行為が虚偽であったり、勘違いの情報であったりする事を願っているのが今のリディアの心情である。
この酒場で、一応は信用しているのはマスターただ1人であり、もしかしたら話せば理解してもらえるかもしれないと、非常に僅かな希望を持っているようだ。
「仲間だから庇うのか? あいつがしたのは変わんねぇよお前も同類なんだよ!」
リディアに凝視されていたマスターであったが、リディアの言葉を受け止める気持ちは持っていなかったようだ。銃口を反らそうとも、降ろそうともせず、無理矢理に認めさせるかのように言葉を止めずに言い切った。
「庇うも何も、あの方はそんな事しませんって! 勘違いかなんか――」
相手は武器を使い、リディアに反論していた為なのか、リディアもまた感情的になろうとしていた。声を荒げたリディアであるが、『それは勘違いの情報だ』とでも言おうとしたのかもしれない。
だが、言葉は止まってしまったのだ。リディアは腰に装着している赤いポシェットから何かを感じ取り、そして右手を開いて右の耳に近付ける。
――僅かに右手の中の空間が揺らぎ、そこから小型の通信機が現れたのだ――
「はい? あ、ミケランジェロさん……ですか? 今まで何があったんですか? 全然繋がらなかったから心配したんですよ!」
リディアは酒場の者達に囲まれている中で、堂々と通信機からの受信を受け取り、そして通信機の奥にいるであろう仲間との対話を始める。その相手こそが連絡をしたかった者であり、それが実現出来た事に対して心の中で喜んだ。
だが、口に出している言葉は、何だかミケランジェロに対して叱責しているようにも聞こえてしまうだろう。
「っておい。お前誰と喋ってんだよ?」
その声を飛ばしたのは、集団の中の誰かである。呑気にこの酒場の者達以外の者と話を始めた事に対し、殺意で溢れた怒りがその言葉に混じっていた。証拠に、一丁の拳銃が持ち上げられていた。
だが、他の者達と違うのは、威嚇で銃口を向けているのでは無く、本当に発砲する為に、ゆっくりと引き金を引き始めていた事である。だが、リディアはそれに気付いてはいなかった。
「あの……ごめんなさい。もう手遅れです。今丁度大ピンチな状況で……!!」
もしかしたら、ミケランジェロからも今の村を焼き払った事件に関する誤解の話をされたのかもしれない。だが、リディアは既に平和な解決策は取る事が出来ないと諦め半分である事を思わせるような口調で説明したが、なんとなく後ろに右脚を一歩下がらせていた事がリディアにとっての幸福となった。
―バスゥン!!
それはリディアの右脚の目の前を横切り、そして木造の床にめり込んだ。風圧が黒いニーソックス越しに伝わるのを感じたが、直接傷が付く事は無かったようだ。
「ごめんなさい! 後でまた!!」
もう油断をすれば本当に命を奪われるか、命自体は奪われなくても、身体に深い傷を負わされる可能性がこの空間で出来上がってしまった為、リディアは空いてからの返答もきっと聞かずに、通信機の電源を落とし、そして自身の魔力で消滅させる。
命を狙われている最中だから、話をしている余裕は無かったのだろう。或いは、攻撃を受けて苦痛の叫びを飛ばす所を通信の相手に聞かせたくなかったのだろう。
「おいおい、お前だから誰と喋ってんだよ? こっちは皆真剣だってのに、外野とくっちゃべってんじゃねえよ」
きっと、リディアの脚に穴を開けようとした男の言葉である。銃口から煙が立ち上がっていても、まだ銃口をリディアへと向けており、狙いを外してしまった事をきっと悔やんでいるのだろう。
「銃とか使うって……本気なんですね皆さんは。それと、今丁度ミケランジェロさんから連絡が来たんですよ。それで変な勘違いされてミケランジェロさんがその隣の……村でしたっけ? 村を焼き払ったって嘘の情報流されてるって言われましたよ?」
直接自分に向かって発砲をされた為、リディアはそろそろ覚悟を決めなくてはと、構え自体の体勢にはならなくても、両手の拳を緑の手袋超しに握り締める。
そして、相手が理解してくれない事を分かっていながらも、通信機の先で手短に説明されたであろう話を、リディアを囲んでいる者達に伝える。
「どうせ嘘だろうよぉ? お前の言う事なんて全部嘘に決まってんだろうよぉ?」
自分を弁護しているとしか考えようとしない者による言葉が1つ、リディアへと飛ばされる。確かに事実かどうかを直接確かめる手段は今の所は存在しない。
ここではもう客達の神経を刺激しない方が、リディアにとっても安全かもしれない。発砲されて身体に命中してしまえば、その時点で未来は暗闇に包まれてしまう。出来るだけ銃弾が飛ばされないよう、相手の機嫌を伺いながら発言をしないといけないだろう。
「この流れだったら、結果的に私が嘘を言ってるって事になるんでしょうね。でも皆さんだって直接村が焼かれた所なんて見てないんじゃないんですか? ただ口かなんかで聞かされただけじゃないんですか?」
リディアの味方をしてくれる者はこの酒場にはいない。多勢に無勢である以上、多勢側の発言が真実として扱われるのも無理は無い話である。しかし、無勢側であるリディアにだって言いたい事は沢山ある。
なんとしてでもこの場にいないミケランジェロを守る為には、この酒場にいる者達の思い込みを解かなければならない。
「さっきからベラベラずっと喋りやがって。さっさと自分の罪認めろよ?」
マスターはカウンターから出てくるなり、リディアの真後ろへと移動し、そして再びショットガンを構え直す。先程の別の男が発砲した事を目にして、マスターの方も本当にケリを付けてやろうと気持ちを切り替えたのだろうか。
「まあさっきから私が一方的に主張してるだけのように見えますけど、兎に角実際に放火したのはミケランジェロさんじゃなくて、他の誰かなんですよ。今そういう風に言われましたし、そもそもそんな村が焼かれたって話、誰から聞いたんですか!?」
リディアは直接背後を見なくても、後ろから接近され、そして再び銃口を向けられた事くらいは察知出来ていた。
それでもリディアは怖がったり、泣き出したりする所を見せる事は無かった。ただリディアは真実をここにいる者達に向けて放っているだけなのだ。ここで負ける訳にはいかないのである。
「罪人の仲間のくせに随分な戯言だなぁ。だけどどっちにしてもお前はここで死んでもらわないと困んだよ」
後ろに張り付いていたマスターは、銃口をリディアの後頭部へとぶつけてやった。マスターの願いは、目の前にいる外見だけは可愛らしい少女の死であるようだ。
「痛っ!」
物理的な痛みが頭部に走ったリディアであるが、それよりも行為そのものに対する苛立ちの方が、痛みよりも強かったかもしれない。
身体は背中を向けたままで、視線だけを後ろにやったのは、それは仕返しで蹴り飛ばす為では無く、純粋にただ言い返す為だった。今の痛みはしばらく放置すれば勝手に引いてくれるだろう。
「仲間だと思うならじゃあそう思ってくださいよ。だけどいつまでそうやって集団で強がってるつもりなんですか? 集団じゃないと私にああだこうだって言えないとか、ですか?」
もう自分の主張を続けようとは思わなくなってしまったのだろうか。それよりも、リディアは相手が妙にリディアよりも優位に立っているかのような言動を取ってくるのは、人数が多いからなのかと察知した為、相手の僅かな弱さを突いた。
「お前自分の立場が分かってねぇようだなぁ? 罪人の最期の悪足掻きか?」
リディアの挑発とも取れたかもしれない発言に対して、少なくともマスターは動じなかったようである。尤も、他の客達の一部は体内から怒りを爆発させようとしていたが、周囲の空気を意識してか、前に出て来る者はいなかったが。
「罪人……ですか? じゃあ皆さんに聞きますけど、私にどうしてほしいんですか? まあ……その村を焼き払った奴を私が責任持って仕留めに行くってのを、私にそれをやれっていうなら私は引き受けますけど?」
いつまで経っても酒場の外に出してもらえない為、リディアは自分で誤解を解く為に、戦う意志を決める。床に向かって両腕を伸ばしたり引いたりを繰り返し、準備運動に似たような行動をその場で取った。
「そうやってお前逃げるつもりだろ? 誰がそんなもん認めんだよ?」
疑われるのも無理は無いだろう。この酒場では誰一人、リディアの言葉を真剣に受け止める者はいないのだ。マスターも決してリディアを酒場から出そうとはしないし、他の客達も出入り口を完全に封鎖するかのような位置で立ち止まっている。
「だったら見張りでも私に付ければいいんじゃないんですか? 私は別に逃げませんし、例え勘違いかなんかだとしても、ミケランジェロさんが勘違いされるような理由があったって事で、私がちゃんと代わりに責任も取ります」
勿論リディアは姑息な考えを持っていた訳では無かったようだ。
リディアの中ではミケランジェロが犯人だとは一切考えてはいないものの、それでも何かしらミケランジェロの外見や言動に誤解が発生するような要素があったのだと考えれば、ではそれに関しては関係者である自分が責任を持とう、と気持ちを引き締めたのである。酒場の者達全員に聞こえるようなハッキリとした声で、それを堂々と説明した。
だが、誰からも返事が返って来る事は無かった。
沈黙がこの空間を包み込むが、それでもリディアの気持ちが揺らぐ事は無かった。寧ろ、自分のこれからの計画が通ってくれるのだと思い、非常に僅かではあるが、表情が明るくなる。
「なんで無言なんですか? じゃあ、それでいいですよね? 隣の村なら大体場所は分かりますから、早く見張りの方でも呼んでくださいよ? この町でしたら私ぐらい簡単に捻じ伏せられる方の1人や2人、いますよね?」
それが良しなのか、それとも駄目なのかの判断が理解出来なかったのかもしれない。返事が無い為、許可が出たのかどうかの判別のしようが無かったリディアは今度は自分の見張りの者を要求する。自分は決して逃亡はしないという気持ちの表れでもある。
「……おい。ちょっと待てよ」
背後から、マスターがリディアの左の手首を乱暴に掴む。水色の袖超しに伝わる握力は、リディアからしてもなかなか強く、一瞬だけリディアの表情が強張った。
「ってちょっとなんですか!? 今度はなんですか!?」
振り解こうとリディアは左腕に力を入れるが、相手は大の男である。ただ捩じったり引っ張ったりしてもそう簡単には抜け出す事は出来なかった。
ここで自身の能力を使えばこの場を突破するのは容易いのかもしれないが、リディアにとってここの者達は敵という訳では無い。怪我をさせる訳にもいかないし、納得させずにここを出る訳にもいかないのだ。
「皆……。こいつはここで始末した方がいいな……」
まるで感情を押し殺しているかのようなくぐもった声で、マスターは酒場の者達全員に対し、言った。それは、確実にこの酒場の中でリディアを生かして帰す訳にはいかないという意味を含めた残酷なものだ。
周囲の者達も、特に拳銃を持っていた者は銃口を持ち上げ、いつでもリディアをあの世へと送り届けられるよう準備を始める。
やはり、最終的な目的は罪人だと思われているリディアの殺害なのか。
「ってだからなんでそうなるんですか!? 私の話全然聞いてな――!!」
これから何をするかをしっかりと説明したつもりだったのに、それでも相手からの殺意が止まらなかった為、リディアはそこから走り出そうとマスターから自分の左腕を開放させようと引っ張るが、その時に出入り口の方から何かが飛んでくる気配を感じ、マスターに向けていた意識を出入り口の方へと切り替える。
――白い硬質な円形状の物体が飛んでくる……――
「!!」
それは正確にリディアへと飛んできたが、リディアは空いている右腕で顔だけは守ろうと、腕を盾にしたが、その腕に物体が絡み付いたのである。腕に走った痛みよりも、自分の動きを妨害してくるその物体の働きに対する驚きや戸惑いの方が強かった。
「ちょっ……! 何これ……!?」
右腕に絡み付いたその白の物体は、元の円形を留める事無く、まるで鎖のようにリディアの右腕に絡み付く。
マスターもやはり突然飛んできた元円形状の物体に戸惑ったからか、リディアから手を放していたが、やがてリディアは胸の前で左腕も纏めて拘束されてしまい、腕の自由が一切効かなくなってしまう。
そして、もう1つ、同じ円形状の物体が酒場の外から飛んでくる。今度は、リディアの脚を狙われた。
「!!」
腕を自由に使えず、能力を使おうにも、一切発動させる事が出来なかったリディアの脚に再び絡み付き、両脚も一切動かす事が出来なくなってしまう。この状態では、立っているだけで精一杯であったが、いくら力を入れても、そして能力を使おうとしても一切発動させる事が出来ずに苦戦している最中、酒場に何者から入って来る。
「おい、そいつだったか? 問題の奴っつうのは」
酒場の出入り口から好戦的な性格を思わせる声色の男が入ってきた。酒場の者達はまるで救世主が駆け付けたかの如く、道を開けるが、その入ってきた男は確かに声色は男であったが、外見は人間の男では無かった。
眼はまるで昆虫の複眼のような形になっており、それが黄色く染まっている。人間と比較すれば明らかに大型である。
前方にやや突き出した形の呼吸マスクを装着しているかのような口部も特徴的であるが、容姿は人間とはかけ離れたものである。鉄の外観を持った胸当てと、白のボトムスから覗く皮膚は、オールドブルーの色をしている。
両手には一切の武器を持っていないが、確実にこの者がリディアを束縛する道具を投げつけてきたのだろう。
全く身動きを取る事が出来ないリディアの目の前で、亜人の一族であろうこの男は立ち止まる。
「何……よ? 今度は何? 結局私の事どうしたいの? ここの連中は」
亜人の者の正体や名前を知るより前に、リディアは次から次へと起こる自分への災難に苛立ちや焦りを覚えてしまう。それに、今は身動きが取れない為、相手が手を出してきても、抵抗すら出来ないのだ。
「お前だろ? ここで騒いでる奴って。悪いけど、お前はおれに捕まってもらうぜ?」
勝手に話を進めるかのように、亜人の男は呼吸マスクのような口部の奥から男として捉えて間違い無い声を出す。どうやらここにやってきたのは、リディアを捕らえる為だったようだ。きっと、あの束縛具を投げてきたのもこの者である。
「だから私は何もやってな――!!」
「いちいち煩せぇんだよ!!」
自分の無罪を主張するリディアの事等御構い無し、とでも言わんばかりに亜人の男は、バランスを取る事が出来ない状態のリディアを右足で押し出すように蹴り飛ばす。
「きゃっ!」
脚も自由に開けない状態のリディアは、相手の力をただ受け入れる事しか出来ず、そして背中から倒れ込む。背中に入った衝撃が痺れるように全身に回り、手足を拘束されたリディアに跨るように、亜人の男が攻め寄ってくる。
「お前今の立場分かってるよな? お前のお仲間さんが騒ぎ起こして、お前が今全部の責任取ろうとしてるって、聞いたぜ?」
表情が見えない複眼のような黄色の眼がじっとリディアの瞳を見つめている。しゃがみこみ、リディアの不安そうな表情を眺めながら、外で聞いたであろう町人からの情報をここで再確認でもするかのように、問い詰める。
「だから……今私が犯人突き止めるって……この人達に言ったのに……」
遂に身体の自由も奪われ、そして束縛具の力なのか、自身の能力を使って強引に脱出するという強行突破もする事が出来ず、もう駄目なのかと諦めと悔しさを交えながら、リディアはやや弱々しい口調で言い返す。
自分の事だから、しっかりと自分で解決すると折角町人達に言ったのに、先程はまるでそれを認めてもらえなかったのだ。
「悪いけど、あんたの事は連行させてもらうわよ?」
亜人の男に詰め寄られている為、視界に映っていたのは亜人の特異な容姿が殆どであったが、リディアの耳に伝わったのは、先程まで同行していた女性の声だった。直接目で確認する事は出来なかったが、その女性もまた出入り口から入ってきたのは、容易に想像する事が出来た。
聞き覚えがある声だったからこそ、リディアはそれについて何も言わずにいられる訳が無かった。亜人の男が視界の殆どを遮っている中で、横から僅かに見える視界の中に、見覚えがある服装、容姿の女性がいたのである。
「って……なんでコーチネルさんもそこにいるんですか? っていうか連行とかどういう事ですか!?」
自分の敵のような存在として現れたからなのか、それとも目の前の亜人と仲間である事を知ったからなのか、驚いたように声を上げるリディアであるが、身体を拘束されてしまっている為、誰が来たとしても、立ち上がる事は一切出来なかった。
「そのままの意味よ? まさかあんたがこんな事になってるとは思わなかったけど、秩序の為よ? 諦めなさい」
桃色の竜の甲殻で作られた、衣服と鎧を合わせたような武具を纏っているコーチネルは、真っ直ぐとリディアの隣へと移動した。まるでリディアの真上から見下ろすような場所で、コーチネルは言った。
「諦めなさいって……。でも連行なんかしたらじゃあ誰があの村襲った連中の事解決――」
「いちいち煩せぇぞお前!!」
コーチネルから諦めろと言われても、リディアは納得する事が出来なかった。そして、もし本当に連行をされてしまえばリディアはもう村を焼いた者達の正体を突き止める事が出来なくなる為、連行を拒否しようとしたが、亜人の男は胸元から刃物を取り出すなり、それをリディアの顔面へと突き付ける。
それだけで簡単にリディアを黙らせる事が出来たのだ。
「おい。コーチネルこれでいんだろ? 今は黙らせて連れてきゃいんだろ?」
もし人間の目の形をしていれば、顔はリディアに向けたままで、目だけはコーチネルのいる隣に向けられていたのかもしれない。しかし、亜人の目は複眼のような形で、目がどこを向いているのかは目視では判断出来ない為、亜人の言葉から、実際はどこに視線をやっているのかを想像するしか無い。
尤も、それを理解した所で、リディアにとって状況が有利になるという保証は一切無いのだが。
「そうね。こんな所に居座らせてても町の皆に迷惑になるから、さっさと連行しないとこの町の為にもならないわね」
殆ど床から見上げる状態の視線にあるリディアのすぐ横で、コーチネルは腕を組み始めながら、この後にリディアをどうするのかを安易に予想させるような事を口から出した。口調を見ると、まるでリディアに失望でもしたかのような雰囲気であった。
「何なんですか……? さっきから……皆が敵になるとか……」
数時間前までは多少怒られたりもしたが、それでも同行していたコーチネルであったのに、今はもう殆ど敵対関係のような形になっているのだ。自分にとっての敵が増加していくこの状況で、徐々にリディアは言葉を失っていく。
視線の低さの関係でコーチネルのスカートの内部が簡単に拝められる状態にあるリディアだったが、それを直接口に出そうとはここでは思わなかった。
「悪いわね。あたしだってあんたがこんな状況になってるなんて知らなかったけど、事情を知っちゃったからにはもうあんたには情けなんて与えてられないのよ」
冷たい言葉ではあったが、町人の様子を見れば、これも止むを得ない事だったのかもしれない。コーチネルの灰色の瞳にはもうリディアへの信頼は灯されてはいなかった。瞳を見つめれば見つめる程、自分に対してどのような感情を抱いているのかが嫌でも伝わってしまう。
「何よ? その目。あんたには一旦あの罪人と同罪って事で一緒に来てもらうのよ。じゃ、とりあえず連れてこうか」
リディアから睨まれたと感じたコーチネルは軽々と言い返し、そして出入り口を親指で指しながら亜人の仲間にも言葉をかける。
「あの罪人って……ミケランジェロさんになんて事言うの……?」
リディアとしては、ミケランジェロの悪口を言われる事が一番の屈辱であった。もしかしたら、身体が自由であればコーチネルの事を殴りつけていたのかもしれない。
「おい、さっさと立てよ! おい、こいつ連れてくからお前らどいてくれ。ホント最近面倒事が多くなったもんだぜ」
コーチネルはリディアに背中を向けると同時にすぐに出入り口へと歩き出す。
亜人の男もすぐに後を付いていくかのように、床に背中を預けていたリディアを引っ張って無理矢理立たせると、背中を無理矢理押し出すようにしてリディアを歩かせた。
リディアの脚に絡み付いていた束縛具は亜人の男が何か処理をしたのか、今だけはリディアから離れ、そしてリディアは歩く事だけは自由な状態になっていた。尤も、腕は束縛されたままである為、そして能力も今は封じられてしまっている為、脚だけで反撃をする事は実質的に不可能に近いが。
「少し見損なったよ……。白パン女のくせに……」
リディアとしては、コーチネルぐらいは自分の事情を把握してほしかったのだろう。自分より先を歩くコーチネルの後ろ姿を見るなり、リディアの中で残念な気持ちが広がり、そして仕返しとでも言わんばかりに、そして本人に聞こえるか聞こえないか分からないような抑えた音量で、スカートの中の色を呟いた。
「ん?」
コーチネルは聞き取っていたようである。しかし、酒場の中では敢えて込み上げてくる怒りを抑える選択肢を取ったからか、後ろを振り向いて睨みつけるだけで終わらせた。
今はもうリディアにとっては敵である。後で何をされるかは分からないが、リディアはそれを覚悟した上で発言したのだろう。
(ここは黙っといた方がいいか……)
亜人であるとは言え、男であるこの者からすれば、今の話にどのような事情や策略があるのかを理解する事が出来なかったし、今のコーチネルの様子を見れば、下手に触れれば自分にまでとばっちりが走ると悟ったからか、直接口には出さずに一切その部分には関わらない事を決心する。
*** ***
「ちんたらすんじゃねえよ! さっさと乗れ!」
「痛っ!」
酒場の前には荷台が取り付けられた四輪駆動車が止まっていた。そこにリディアは一時的に幽閉されてしまうのだろう。
腕を縛られている為、荷台に上手に上がる事が出来なかったからか、足だけで登る動作に遅さが目立ってしまったようである。
その遅さに苛立ちを覚えた亜人の男は、背中を乱暴に掴みながら持ち上げ、そして荷台の奥に向かって乱暴に突き飛ばす。足で突き飛ばされたリディアは思わず悲鳴を上げてしまったが、それをまともに聞こうとしないかのようにすぐに背中を向けて荷台から飛び降りる。
「よし、そんじゃ、連れてくんだっけか? 拘置所」
荷台の扉を外から鍵を閉めながら、亜人の男は扉の前で待機していたコーチネルにこれからの予定を確認する。これから罪人として、リディアにはそこで最終的な刑が決定されるのだろう。
「そうね。そこでしっかり罪を自覚してもらわないといけないからね。こいつには……ね」
扉が閉まった荷台を見つめながら、コーチネルの茶色の瞳は何か恨みでも覚えているかのような空気を孕んでいた。亜人の男には聞こえなかったが、コーチネルの口からは明らかに言葉が漏れていた。目付きを見る限りは、とても明るい内容とは思えない。
「もう勝手にしてよ……」
腕を拘束されたままである為、抵抗しようにも不可能に近い事に加え、言葉で説明をしても伝わらないと判断したからか、リディアはぼそっと呟いた。背中を壁に押し付け、体育座りのように上体を落とし、溜息を吐いた。
荷台には光が入り込む隙間が一切無い為、真っ暗な場所で、拘置所まで耐えなければいけないのである。
「さてと、じゃあ出発させるか。こんなとこにいてもしょうがねえしな」
仕事を早く終わらせる事を意識しているからか、立ち話を続けようとはせず、左側に位置するであろう運転席へと亜人は歩き出す。
ここで何かしら話しかけたとしても期待した返答は返ってこないだろうと思ったからか、コーチネルは無言で右側に位置するであろう助手席に乗り込んだ。
2人が乗り込み、数秒後にエンジン音が駆動車を中心に周囲に響き渡り、やがて、町の外に向かうかのように徐々に加速を付けながら走り去っていった。
地面の僅かな段差が荷台の内部に伝わり、それが荷台に閉じ込められているリディアに全てが伝わる。真っ暗なこの場所でも、その振動が着実にこの駆動車が目的の場所に向かって進んでいる事を教えてくれる。
この時間が長くなれば、それだけ到着したくない目的地に近付くという事になってしまう。勿論ここから脱出するという選択肢は取る事が出来ない。能力が腕に纏わり付いている拘束具のせいで失われている為、力任せに扉や壁を破る事は出来ないし、純粋な腕力や脚力で破る事も、恐らくは相手が鉄である以上は無理に近い。そもそも両腕は後ろで拘束されている為、使う事自体がまず不可能である。
何を考えたとしても、どうせ最終的に行きつくのは拘置所である。リディアはもう何も考えたくないからか、両膝の上に顔を埋める。膝に埋めた所で、元々真っ暗な視界に変化が訪れる事すら無い。だが、首で頭部を支える労力だけは僅かに減る為、今は力を極力抜けるような状態でいる方が良いのかもしれない。
一体どれだけの時間が経ったのかは正確には分からないが、そこまで時間が経過したとは思えないようなタイミングで、突然車両が停止する。
もしかして拘置所に到着したのだろうか。だけどそれにしては早すぎるとリディアは思ってしまう。直接時間を見ていなかったにしても、いくら何でも早すぎる。
車両が停止した際に身体に走る独特の反動で、リディアは膝に埋めていた顔を持ち上げたが、外からは何者かが荷台の入り口に近付いてきているかのような足音が響いていた。勿論何者とは言っても、ここにいるのは捉えられているリディアと、そして元仲間であったコーチネルという女性と、亜人の男である。近付いてきているのはこの2人のどちらかだろうと、リディアは諦めながら時が来るのを待っていた。
―ガチャッ……
鉄の扉が硬い音を響かせながら開かれる。一体何をされるのか、大体は想像が出来る。例え拘置所じゃないにしても、乱暴に掴まれて無理矢理荷台の外に引っ張り出されるのだろうと。
もうリディアは言葉を発しようとはしなかった。扉が開かれ、久々に入ってきた光がリディアの視覚を強く刺激し、一瞬だけ視力に障害が走ったからか、荷台の上に上がってきた者が誰なのかを察知する事は出来なかったが、障害は数秒程度で消え、そして登ってきた者の正体が鮮明になる。
近付いてきたのは、亜人の男だった。
(またこいつ……? 今度は何してくるの?)
独特の形をした両眼がリディアの青の瞳を強く見つめ、リディアもまた同じく相手を強く捉える。座り込んだ状態のリディアから見ると、亜人の身長が普段以上に高く見えた為、そこから伝わる威圧感が、またリディアに不安を与えてくる。
命をここで奪い取られないと祈りながら、亜人が自分の元へと辿り付くのをただただ待つだけであった。
「よぉ。なんだよ? 随分落ち込んでるみてぇじゃねえか」
亜人の男はリディアの目の前でしゃがみ込んで、生気を失いかけていたリディアの顔を覗き込む。リディアの額を前髪超しに押し上げ、表情を確かめる。リディアは両腕を拘束されている為、抵抗する事は出来ない。
「……」
決して髪を乱暴に掴まれた訳では無い為、リディアに苦痛が走る事は無かった。しかし、言葉の意図を把握する事が出来なかったからか、リディアは口を開こうとはしなかった。
「っておいなんも反応しねぇのかよ? こっちも説明しづれぇじゃねえかよ」
この時、どういう訳かこの亜人の男は恰も仲間からの返答が来なかったかのような、少し悲しささえも感じさせるような言い方をリディアへとぶつけてきたのである。まるでこれからリディアに重要な話でもあるかのように、言葉の続きを連想させてくる。
「……」
一瞬この時に、この者は自分の事を殺す訳では無いのかと、非常に僅かながら希望の光をリディアは感じたのである。しかし、その光は唐突に差し込まれた為、リディアはやはり適切な対応はおろか、文字1つ発音する事すら出来なかった。
「まあいいや。じゃあストレートに言うぜ? 別におれとあいつはお前の事、疑ってなんかねんだぜ?」
表情が曇ったままのリディアに早く今までの強さも交えたものに戻って欲しいと思ったのか、亜人の男は結局リディアの事をどう思っていたのかを手短に説明した。
「……え?」
亜人の発言が事実なら、ではどうして手荒な事をリディアに実行した上で無理矢理に荷台へと乗せたのか、であるが、それよりもリディアは自分を罪人として思っていないかのような発言に戸惑う方が先であった。
「ってお前その言い方だとまだおれらん事疑ってんだろ? だから今言っただろ? お前の事は疑ってねぇって」
素直に頷いてくれないリディアに対し、まだ亜人は自分達が敵対されていると感じてしまったのだろう。亜人の男は武器を持っている訳では無いし、口調も深く読み込んでみれば、敵に対して放つようなものでは無い。
「あの……それって……どういう事なの? 疑ってないって……それって……?」
リディアもこれを信用しても大丈夫なのかと、亜人の眼を強く見つめながら、また再度大切な部分を確認する。リディアの仲間が村を焼き払っていないという主張を信じてくれるのか、ここで本当にはっきりさせたいと、賭けたのだ。
「お前の事誰も拘置所なんかに送ろうなんて思ってねって。お前をこうやって解放する為にさっきみてぇな真似したんだよ。あれは全部演技だ演技! これ以上説明させんなよ? 話長引いたら面倒なんだしよ」
きっとこれは信じても良いのかもしれない。亜人の男は初対面である為、いきなり鵜呑みにするのは厳しいのかもしれないが、だけど同行していたコーチネルはリディアとの信頼関係を築いている為、ここでまた相手の裏を探るような事をする必要は無い可能性がある。
「え? あ、そう……だったの? ま……まあ確かに考えればあそこにずっといるのは危なかったはずだし、すんなり出られた事を考えたら……確かに私助けられた的な感じ……だよね」
リディアは物理的に痛みを加えられたとは言え、だけど酒場の人間達の事を考えれば、ある程度の痛みが加わった行為が無ければこれが救い出す為の作戦だったと見破られた可能性があっただろう。直接打撃を加えておけば、酒場の者達から見ても本当に連行しようとしていたと思わせられるのである。
それに、リディアのように戦いになれた者であれば、多少拳を加えられた程度ではビクともしないのである。それを分かっていてこの亜人はわざと物理的な痛みを与えていたのだろう。
「まあでもだ。その襲われた村、まあレイルの村っつんだけど、そこでうろついてる連中どもの始末には付き合ってもらうぜ? よし、とりあえず動くなよ? 今自由にしてやるからよ」
確かにリディアをあの空間から解放してやった亜人とコーチネルであるが、それだけでは終わらせるつもりは無かったようである。犯人がリディアの仲間では無いにしても、襲われている事自体は変わらないし、そのレイルの村に未だに潜んでいるであろう犯人達を放置すると、また次の被害を発生させる可能性があるから、自分達で処理しようとしていたのだろう。
亜人の男は持っていた鍵を、リディアの背後へと伸ばす。リディアは背後で両腕を縛られていた為、亜人とリディアの距離が更に縮まる。
「そ……そう? じゃあお願い」
鍵を差し込んでもらわなければリディアは一生動けないままである。ここは素直に相手の行動を認めるしか無い為、まだ疑いの気持ちを残したかのような口調で小さく頷いた。ただ、例え疑いを持ち続けていたとしても、この亜人の手が無ければ身体は自由にならないのがこの状況の辛い所である。
「っつうかお前人間にしちゃあまあまあ可愛い顔してんじゃねえか」
リディアと向かい合いながらリディアの背後に手を回している為、亜人の顔がどうしてもリディアの顔に近付いてしまう。その際に改めて亜人は思ったのだろう。
自分とは違う種族であっても、目の前にいる生き物が妙に性的な欲求を刺激してくると感じたのかもしれない。
「外すついでにわざと顔近づけてくるのやめてくれる? なんかセクハラされてる気分になるんだけど?」
リディアは感情によって顔の形に変化を見せない亜人から言われた事を素直に受け入れる事が出来ず、時折見かける妙な性欲を持った男と重なるような錯覚を覚える。自分の容姿をどう思っているのかは分からないが、至近距離から見られる事に対してはまだリディアは耐性や自信を持っていないのかもしれない。
「心配すんな。おれは人間の女なんか襲ったりしねえよ。興味ねぇし」
亜人の男はリディアに手を出すつもりは無いようである。それだけであれば安心という一言で済ませられるかもしれないが、最後に付け足した言葉がある意味では余計であり、相手に負の感情を浮かばせてしまう事になる。
「そういう言われ方すると襲わないにしてもちょっとイラッとするよ? 言い方には注意してね?」
ようやく両腕も両足も自由になり、すぐに立ち上がったリディアであるが、あまり亜人のその態度に対しては気を許す事が出来なかった。髪色と同じ色をした細い眉を僅かに顰めながら、水色のワイシャツに僅かに付着していた埃を払った。
「いちいち返事に拘ったみてぇな喋り方しやがって。まあ自由になったんだから別にいいだろ? おれとあいつはある意味お前の命の恩人だぜ?」
リディアが立ち上がると同時に後退しながら同じく立ち上がった亜人の男は、リディアの目の前で腕を組みながら首を僅かに横に倒す。リディアの話し方に退屈しないからか、それを非常に回りくどく褒めながら、今度は自分達を褒めさせようと言葉を飛ばす。
確かにあの場からここへと連れてきてくれたのはこの亜人とコーチネルである為、恩人という言葉は間違いでは無いだろう。
「ま……まあそれは、ってそれより、さっきその連中、だったっけ? もうそいつらがいる場所に今着いてるって事でいいの?」
まだ心のどこかで目の前の亜人に対して、何か引っかかるものがあるのか、素直な態度を見せる事が出来ないリディアであった。
しかし、リディアにも疑問として残っていたものが1つ残っており、それはレイルの村を襲った者達がいる場所で停車しているのかどうかであった。断片的に残った先程聞かされた話の記憶を頼りに、亜人の男へと尋ねる。
「まあそうなるわなぁ。ってまあとりあえず一旦降りろ。ここから出ろ」
亜人の男は荷台のドアへと歩くが、リディアへと振り向きながら、指でドアの方を突くように指差した。きっと外ではコーチネルも待っている事だろう。
「はいはい」
リディアはどういう訳かこの亜人には敬意を持とうとはせず、態度を引き締めていないかのような返事をすると同時に、亜人の男が飛び降りた後にリディアも軽やかに飛び降りる。
しばらく浴びていなかった太陽の光がリディアの青の瞳に入り込み、思わず瞼を痙攣のように閉じそうになるが、亜人の男はそんなリディアの様子を気にも留めずに近寄って来る。まだ何か話す事があるようだ。
「あ、そうだ、それと、お前さっきコーチネルの奴に変な事ほざいたせいであいつ今キレてっかんな? 注意しとけよ?」
荷台から降りた頃には、もうリディアの事は完全な仲間として認識してしまっているのだろうか、亜人の男は馴れ馴れしくリディアの細めな肩に左手を置きながら、突然の注意を飛ばす。
どうやら、リディアが口走ったとある言葉が、コーチネルの怒りを呼んでしまったようである。
「変な……事? え? それって何の……事?」
馴れ馴れしく肩に手を置かれている事を意識する余裕も無かったリディアは、自分が一体どんな不味い発言をしてしまったのか、不安そうな表情を浮かべながら思い出そうとするが、記憶から引き出す事は出来なかった。
「その様子じゃあ思い出せって言われても無理だろうなぁ? 時間無駄になっから教えてやるよ。お前あいつん事白パン女って言っただろ? だからあいつキレてんだよ」
自分から思い出させても時間の浪費に繋がるだけだと考えたのだろうか、亜人の男は、リディアが口に出した単語をそのまま出した。どこで、どのタイミングで言ったのかまでは説明はしなかったが、恐らくその答えだけを渡せばリディアなら理解出来るだろうと、密かな期待を持っていたのである。
「……そう言えば、確か酒場でぼそって言ったような……覚えがあるかな?」
亜人の男の直接表情の変わらない顔から一瞬だけを目を反らしたリディアであるが、思い出すなり、それがコーチネルの機嫌を悪い方向へと導く事になってしまう事になった為、過去の発言を心中で後悔するが、手遅れである。
もう既にリディアに対し、激昂してしまっているのだ。本気でリディアを敵対視していたと勘違いしていたから、思わず反撃目的で飛ばしてしまった言葉が、まさかここで取返しの付かない事になるとは想像も出来なかっただろう。
「おれは意味はよく分かんねえけど、確か白パンってあれだろ? 人間どもが股間に巻いてる布切れだっけか? なんかそれの事で言われたからってずっとあいつキレてっからな? まあなんでそんな事でキレたりすっかおれには全く理解出来ねぇけどなぁ」
亜人の男はそのリディアが直接口に出した、あの良くない単語の正式名称や使用目的を理解していないのだろうか。まるで他者から僅かに聞いただけのような断片的な情報を頼りにリディアで確かめようとするが、自分で説明したはいいが、それがどうして怒りへと繋がるのかが亜人の頭ではどうしても納得する事が出来なかったようである。
「いや……あれは……っていうかあんまりそういう事って女の子の前で堂々と言うもんじゃ――」
「どうでもいいってそんなもん。それよりお前の名前って確か……えっと、リディア、だったよな?」
呼び方こそはある意味では直接な意味を誤魔化すような形ではあるが、本来の意味を理解しているリディアにとってはあまり聞いていて気分の良い光景では無い。人間社会の事情を詳しく把握していないであろう亜人に対し、反論を飛ばそうとするが、話題を無理矢理変えられる形で言葉を遮られる。
亜人はリディアの事をお前という二人称で呼び続けていたが、突然気付いたのか、名前を確認していなかった為、その名前で間違いが無いかどうかを目の前の少女に答えさせる。
「唐突に話変えるの? ま、まあ確かに私はリディアで合ってるけど、所であん……じゃ、じゃなかった、貴方の事はなんて呼べばいいの?」
尤も、リディアにとっても下着の話ばかりをされては気分は良くなかっただろう。心の中ではまあいいかと、半ば強制的に話を変えた行為を認め、まず自分の名前には間違いが無いと説明をするが、リディアの方は亜人の名前を一度も聞いた事が無かった為、ここでしっかりと名前を覚えようと決めたのだ。
「今おれの事あんたって言おうとしやがったな? まあどうでもいいや。おれはディマイオだ。普通にそのまま呼べ。以上」
言動の雰囲気から察知すると、人間に換算してもリディアよりは年上であろうこの亜人は、やや乱雑な呼び方が気になってしまったが、一応そこは目を瞑ってやったようである。
ディマイオと言う名を持つその亜人は、名前を明かすなり、目の前に広がる本来の目的地へと走り去ってしまう。
その広がっている光景は、炎が原因であろう焼かれた建造物の数々が無残に映った村で、自然に消火されたのか、今は炎は立ち上がっておらず、風に乗りながら、焼け焦げた臭気が村の周囲に飛び散っている。
「ディマイオ……だね。分かった! ってちょっと待ってよ!」
リディアに心の準備をさせるつもりも無いのだろうか。ディマイオはやや風化しつつある外見を見せつける木造の塀の上を身軽によじ登り、そのまま村の内部へと降りていく。
リディアも続くように、ディマイオと同じく塀を跳躍でよじ登る。コーチネルも内部に入っているようであるが、塀の隣には入り口らしき扉が無造作に開かれてあった為、コーチネルはきっとそこから入ったと思われる。だが、ディマイオもリディアもそこまではあまり意識していなかったのかもしれない。
*** ***
「この村荒らした連中の姿は見えねぇみてぇだなぁ……。っつうかコーチネルの奴どこ行ったよ?」
焼けた建物が点在するこのレイルの村を2人で歩くディマイオとリディアであるが、ディマイオは周囲を見渡しながら歩いているのにも関わらず、探している女の子の姿は見えない。
影になるような場所も少ない為、見渡していれば必ずどこにいるか発見出来るはずである。
「言われてみれば……そうだよね。一応村に入った……はず、だよね?」
リディアは視力は悪くは無いはずである。寧ろ、常人よりも優れているであろうその瞳でもやはり見つけるには至らないようである。もしかしたらまだ村の外にいるのかと想像が横切ったが、それは無いだろうと理由を無しにそう決めつける。
「こんな見晴らしいいとこで見失うような場所なんてあんのかよ? あぁほんっとマジメンドくせぇ女だぜあいつは」
黄色の複眼のような眼で周囲を見渡し続けるディマイオであるが、途中から探すのが面倒になったのか、或いはこの場所以外での行動の時から同じような事を繰り返されていたからか、マスクのような口元から溜息らしき音が漏れる。
顔に直接感情が出てこないというだけで、感情表現自体は人間と殆ど変わらないようである。
「そんな事言ったらコーチネルさんに悪いんじゃないの? 折角の仲間なのに」
口ではコーチネルのフォローに回るリディアであるが、それでも心の奥ではリディアも同じように不満を抱いているようではある。ディマイオよりはまだ小さいとは言え、瞳にどこか負の感情を浮かべている為、直接見られれば見破られてしまうだろう。
「あいつしょっちゅうなんだよ。なんか怪しい場所とか見つけたらおれに一言も入れたりしねぇで勝手に行きやがんだよ。面倒な奴だぜあいつは意外とよ?」
やはり今までの同行でもディマイオを呆れさせるような行動を取っていたらしい。それでも今日まで同行を継続しているのは、きっと何か他の魅力があるからなのかもしれない。
「怪しい場所? って事はもうコーチネルさんはその怪しいっていう場所を見つけたって事になるの?」
いなくなる原因が今回も同じなのだとしたら、今コーチネルのいる場所にすぐに向かわなければいけないという事になるだろう。村を焼き払われた後である以上、危険という言葉を忘れてはならないし、その場所に1人だけでいさせるのもやはり危険である。
「だけどどこにいるか分かんねえと話になんねぇだろ?」
コーチネルを見失ってしまえば、例え重要な情報を発見したとしても、それはディマイオには伝わらない。一緒にいる状態で重要な情報の場所を見つけてくれればいいが、コーチネルの場合は勝手に単独で移動してしまう為、どうしてもディマイオと情報を共有しにくいようである。
「だったら……ちょっと私探知してみるね。ディマイオ、ちょっと静かにしててね」
それだけを言うと、リディアは立ち止まり、右の人差し指と中指を伸ばしながら、そのまま自分の額に当てる。瞳を閉じるなり、そのまま無言になる。
「あぁ? 何すんだよ?」
探知という言葉自体が妙な興味を注いでくれたかもしれない。だが、それを実際にどのように扱うのかまでは理解の範囲外だったのだろう。唐突に行動に入ったリディアの隣で尋ねようとするが、リディアは一切口を開いてはくれなかった。
「……」
リディアの目の前に広がっているのは暗闇である。瞼によって外からの光を遮られているが、徐々に能力を扱う者にしか見えないし、理解も出来ないような光景が目の前に広がり出している。それを分析出来るのは、リディア本人だけである。
(コーチネルさん……。どこにいるの?)
徐々に形が瞼の裏で作られていく。しかし、今の状況では場所を特定する事は出来ないようである。もう少し、頭の中で探知の為に力を使い続けなければいけないらしい。
心で呟きながら、念じ続けるが、瞼が開かれる様子はまだ無かった。
(地上には……いない……? 地中から……。え? 地中?)
リディアにしか分からない事である。どうやら地面の上には気配が感じられなかったようであるが、逆に、地面の下から気配を感じ取る事に成功したようである。しかし、それが本当に目的の人物かどうかはまだ分からないのかもしれない。
(あれ? 誰かが……来る……? コーチネル……さん?)
気配の方が、地中から地上へと上がってくるのを察知したようである。リディアにとっては今探している人物がコーチネルに限定している状態である為、直接姿が確認出来なくても、どうしてもコーチネルであると決めつけたい気持ちもあるらしい。
「っておい! お前ちょっと待て! ここの生き残りか!?」
瞼を閉じていたリディアであったが、それでも聴覚が麻痺している訳では無い為、ディマイオの相手を呼び止める声はしっかりと届いたようだ。
ディマイオの異変を確認する為、目を開いたリディアに移り込んだのは、あの台詞から飛ばされる雰囲気の通り、まるで誰かを追いかけるかのように数歩踏み込んだディマイオの姿だった。
「ん? あれ? コーチネルさん……じゃなかったか、やっぱり」
ディマイオが呼び止めようとしていたのはやや中年に差し掛かったような男性で、リディアは目的の人物では無かった事に多少残念な気持ちに支配されようとするが、だが、村に生き残りがいた事が確認出来た為、すぐに気持ちを切り替える。
「あ、あぁ……さっきちょっと……助けてもらって……」
ディマイオは既にその男の隣へと走り寄っていたが、男性は気が動転しているからか、具体的な返事や説明が出来ずにいた。
「そんな曖昧な言い方じゃ状況分かんねえよ! 助けてもらったって、誰にだよ?」
救助をされたというのはディマイオでも理解する事は出来たようである。ただ、誰にどのように助けてもらったのか、までを聞きたかったのかもしれない。まるで金品でも脅し取る暴漢のように、ディマイオは無理矢理接近して詳しく聞こうとする。
「えっと……なんか……人が助けて……くれて……」
やはりどうしても口が言う事を聞いてくれなかったのだろうか。男性は一番答えなければいけない部分を答える事をしなかった。いや、出来なかったのだ。
「だから誰だよそいつは! 人がって言われても分かんねえよ!」
ディマイオも期待をしていたのだろう。しかし、まるで期待に応えようとしなかった返答に、ディマイオは怒りを隠す事が出来ず、呼吸マスクを取り付けたような容姿の裏で、それを直接感情として表へと出す。
「ってちょっと待ってよディマイオ! この人なんか凄い怯えてるから、それでちゃんと説明出来なくなってるんだと思うの! あの、もしかしてその人って、女の人で、髪は銀髪じゃなかったですか?」
少し距離を置いていた場所でディマイオの様子を見ていたリディアだったが、ディマイオの声を荒げている姿に耐えられなくなり、男性とディマイオの間に割って入る。
ディマイオを強引に後方へと押し出した後に、リディアはディマイオに向けていた荒さが混ざった声色を正し、女子特有の優しい声色で、動揺している男性に聞き直す。リディアはその男性が誰と出会ったのかを大体把握していたからか、性別と外見的な特徴を聞く事にした。
「言われてみたら……そうだったと思う……確か」
人を威圧する雰囲気を捨てたような優しい声色は、徐々に男性の精神を安心させていったようだ。冷静さを少しずつ取り戻した男性は、リディアの問いかけにゆっくりと答えた。きっと、その特徴で間違いは無いはずである。
「じゃあなんでコーチネルの奴がいねぇか気になるけど、お前ちょい逃げてきた場所に案内しろ。いいな?」
リディアの隣で話を聞いていたディマイオはその男性が見た女性がコーチネルであると半ば勝手に決めつけるなり、今度は一度はコーチネルと元いた場所で出会っていたであろうその男性に道案内をするように強引に役目を果たさせようとする。
「ってその前にディマイオ、ちょっと待って。あ、あの、ちょっとすいません!」
状況を考えるならば、すぐにその男性に道案内をさせるのが正しい選択である。しかし、リディアはディマイオの行動を止めてしまい、そして男性に一言謝罪を言い渡すなり、男性の両肩にそれぞれの手を乗せ、自分の顔を男性の顔の至近距離に接近させる。
「ってリディアお前何やってんだよ? 顔なんか近づけてお前オヤジ趣味でもあったのか?」
傍から見れば、歳若い女の子が中年に達しそうな年齢の男性に対して、顔と顔を近づけてる行為が妙に見えてしまうのかもしれない。ディマイオはリディアが中年の男性に妙な興味を持っているのかと疑い、そんな言葉を隣から投げかけるが、リディアは冷静であった。
「ちょっとディマイオ黙ってて」
ディマイオには一切振り向きもせず、リディアは邪魔をしないようにディマイオにきつめな口調で言い放つ。視線は完全に男性の目を捉えている為、男性からすればまるで自分に言われているような気分を感じたかもしれない。だが、名前は男性のものでは無かった為、自分に言われていない事だけは把握出来たようだ。
しかし、リディアの青い瞳は非常に近い距離で男性の細い目を捉えたまま、放そうとはしない。
「なんだよ? 生意気言いやがって。そんなにオヤジ趣味に集中してぇってか?」
リディアの能力をよく理解していないディマイオからすれば、やっぱりリディアの行為は中年に近い年齢の男性を至近距離で鑑賞しているようにしか見えなかったようである。黙っててくれとやや乱暴に突き放すぐらいだから、余程行為に力を注いでいるのかと、ディマイオは半ば呆れかけている。
「ごめんね。ちょっとディマイオいちいち煩いから静かにして! それと……大丈夫! この人の言ってる事はホントだよ! 私の事騙してるとか、そういうのは無いみたい!」
横から常にリディアの行動にいちゃもんを付けてくるディマイオを言葉で払い除ける事に多少は罪悪感を覚えながらも、やっぱり実際に黙っていて欲しいという気持ちが強かったからか、少しだけ乱暴な言い方でディマイオを黙らせた後、ようやく目の前の男性から答えを見つけ出せたようである。
相手が自分達を罠に嵌めようという企みを持っていなかった事を知ったからか、リディアの表情に笑顔が走る。同時にそれは安心したという感情表現にもなったのはきっと間違い無い。
「なんだよ騙すって……。こんな奴がそんな姑息な事考える余裕なんてある訳ねぇだろ」
ディマイオからすれば、この中年に近い年齢の男性が自分達を騙すだけの知力を持っているとは考えられなかったようである。妙に警戒心の強いリディアの性格を少しだけ妙に思ってしまったらしい。
「いや、私前回さあ、ちょっと変な連中に騙されて危うく殺されかけてたんだよね。まあ逆にほぼ全員ぶちのめしてやったんだけどさ。それとえっと、ごめんなさい! 疑ったりして。じゃ、えっと、とりあえずその助けて下さったって言ってた人の元に案内――」
「リディア! もう案内なんかしてもらう必要なんて無いわよ! あたしが全員片付けといたからさ!」
リディアとしては、振る舞いだけが優しそうだったり弱そうだったりする相手に先日、実際に騙されていた為、今回は警戒したのである。いくら今回は他にも仲間がいるとは言え、自分以外の者にまで危険な目に遭わせたくなかった為、多少時間を犠牲にしてでも相手を確かめたかったのである。
だが、その確かめた男性に謝罪をした後に目的の女性を探そうとすると、聞き慣れているであろう女の子の声、勿論リディアとは別のそれがリディアの耳に入る。
「ん? ってあれ? コーチネルさん!? もうどこ行ってたんですか!?」
背後を振り向くと、そこにはやっぱりコーチネルの姿があり、そしてリディアが心で思った事としては、まるで殴られたような痕が顔に付いていたのと、そして同じく先程までは付いていなかった脚の傷が、一体どんな目に遭わされたのか、心配した内容であったが、それを直接口には出さなかった。というよりは、どこに行っていたのかを聞くのを優先にしたが為に、言う時間を作れなかったようである。
「片付けたってお前、随分お前早すぎんじゃねえのか?」
自信満々と言った状態で戻ってきたコーチネルであるが、ディマイオからすると、いなくなってから戻って来るまでの時間が妙に短く感じた為、本当に単独で事を解決してきたのかと、疑ってしまう。
「あたしの事甘く見ないでっつの。これでも一人前の剣士やってんだから、あんな連中ぐらいどうって事無いって!」
殴打を受けてしまったり、脚に擦り傷を作られたりするような戦いの後だったからか、コーチネルの呼吸はお世辞にも正常とは言いにくく、言葉だけは非常に強がったものが見えているが、やはり呼吸はどこか乱れている。
しかし、その言い分からすると、この村を焼き払った者達はもう既にコーチネルに殲滅されたという事になるだろう。
これでこの村での任務は一応は完了したという事にもなる為、きっと、ここにいる者達も重荷が消えてくれたという錯覚を覚えさせてくれる事である。
更新が非常に遅れてしまいましたが、何とか6節も投稿を完了しました。仕事の合間の作業になるので、非常に大変ではありますが、作品自体はこれからも完結に向けて頑張るつもりであります。
短い後書きではありますが、これからも宜しくお願い致します。