第21節 《魔導の申し子 笑顔と無邪気の裏に秘められた想い》 4/5
お久しぶりになります。今回は洞窟に入るシーンになりますが、前回で亡き者となった事が判明したエリンという女性の無念を晴らす為に、一同が洞窟内に潜む魔物を討伐するという話です。でも今回はまだ戦闘のシーンには入りません。道中の仲間達のやり取りがメインになるかと思います。
ガイウスとフィリニオンは、洞窟の近くに現れるという人攫いを行なう野盗の掃討の為に、皆の元を一時的に離れてしまっている。皆は洞窟の内部に潜む魔物の親分を討伐する為に暗闇の世界へと踏み込むのだが、人間と鳥人の男2人は外の世界にいる心の汚れた男集団と戦うのだ。
洞窟の入り口の前で、リーダーの代理なのだろうか、上半身しか存在しない特殊な身体構造を持つ赤黒い上半身の姿を持つマルーザは、同行する者達に注意を呼び掛けていた。
「と言う訳で、中にいるのは理性も知性も品格も無い魔物だ。単独で何とかしようとは一切考えないように。そして変わった事があったらすぐ皆に伝える事。いいか?」
洞窟の入り口に立ち塞がるように位置していたマルーザは、これから共に内部へと調査に入る者達に向かって注意を投げかけていた。
入口の前に陣取っているのは、勿論自分の注意を聞く前に入られる事を防ぐ為だ。
「分かりました! 約束しますね!」
紫の前髪を僅かに揺らしながら、リディアは力強い声と共に頷いた。
「あたしも約束します! まあいざって時はあたしの魔法で一気にぶちのめすけどね!」
危険地帯に入る上での注意を理解したシャルミラであったが、自分に自信があったからなのか、顔の横で空に向かって右の人差し指を立てた上で、指の天辺に小さな炎の塊を作り上げる。
「シャル……、だからそういう自信過剰は駄目だって言われてたよね?」
青を基準に白のアクセントを加えた毛並みを持った猫のような外観を持った浮遊生物のバルゴは、シャルミラの作り上げている指先の炎を呆れた目で見つめながら、前に注意を受けた事を思い出させる。
「バルゴ分かってるって! 自分に喝入れてただけ!」
シャルミラは話を聞いていなかった訳では無かったようだ。だからと言って怯えながらの探索も良い結果には結びつかないとも想像したのかもしれない。だからこそ敢えて目の前で自分の魔力を周囲に見せつけたのだろうか。
「あたしも……出来る限りの事はします」
マルーザ超しに洞窟の入り口をやや震えたような緑の瞳で見つめながら、メルヴィは両手を握り締めながら言い切った。
「メルヴィ、だったよね? あまり無理な戦いはしないでくれよ? 慣れてないなら慣れてないなりの振る舞いを忘れずに、ね?」
態度や構え方等の視覚で確認する事の出来る要素からマルーザは直感で察知したのか、無理に前に出て戦うような事だけは避けるようにと彼女には彼女独自の注意を投げかけた。
いざとなったら、マルーザ自身がメルヴィの前に飛び込むという事もあり得るかもしれないが。
「はい。約束します」
確かリディアも自分の事を守ってくれると約束してくれていたが、自分も自分自身を守る事をメルヴィは約束する。小さく縦に振られた頭がそれを証明している。
「メルちゃんは僕が守るし、誰も死なせないよ!」
メルヴィを護衛するという意識の強さでは、ジェイクが一番なのは言うまでも無い話かもしれない。しかし、今回は大切な女子の友達だけでは無く、ここにいる者達全員を守ると性別を誇示するかのように強く言い張る。
「確かジェイクだったっけ? 言うと思ったよその勇敢な台詞。あんたが唯一の男なんだから、わたしの期待、裏切らない事ね?」
マルーザはジェイクを今のメンバーの中で唯一の男性である事を知っている為か、何かしらの強い言葉が返ってくる事を望んでいたようである。
年齢的には少年で間違いは無いが、それでもマルーザとしては唯一の男性であるジェイクに過度な期待を敢えてしてやる事によって緊張感すら与えようとしていたのだ。
「任せてよ。寧ろ僕とシャルちゃんの魔法が合わさったらなんか面白い感じになるかも……」
赤いコート越しに両手を腰に据える。そして、シャルミラの戦闘スタイルを思い出し、自分と共通点があるかのような気持ちに浸ってしまう。青い双眸が笑みか何かで歪んだような形になる。
「ジェイ君一応だけど、その今の考えに下心は無いんだろうね?」
メルヴィは自分以外の女の子に対して妙なテンションになるジェイクを横目で睨むように見ながら、彼の本音を問い質そうとする。
自分以外の異性に興味を持とうとする行為を安易には認めたくないのだろう。
「いや、べ、べべ別にそんなのは無いよ! シャルちゃんとペア組めたら最高だとかそんな事は思ってないよ!」
メルヴィの目付きに慄いたジェイクは、顔を小さい角度でキョロキョロと揺らさせながら、自分の本音をそのまま吐露してしまう。否定のような言い方で締めようとしたが、もう手遅れである。
「なんで自分でそうやってバラしちゃうの?」
メルヴィは大体は理解していたからこそ、今のような言動を取られてもある程度は許容する事が出来たのかもしれない。緑色の瞳が呆れの形を作る。
「気持ちがあるなら充分だ。それぐらいの方が生き延びやすいだろうからね。じゃ、入るよ?」
少年であるのなら、異性の前でカッコ付けようと意識した上で普段以上の力を発揮するというのも悪くは無いのかもしれないと、マルーザは表情の把握しにくい独特の容姿の奥で笑みを作っていた可能性がある。
全員の意気込みを確かめたマルーザは、自分が塞いでいる洞窟の入り口に親指を突き立てながら、洞窟の入り口へと進み始める。
――青白い色合いを持った壁に包まれた通路を一同は進む――
「いきなり皆に聞きたいんだけど、皆って、魔物のせいで最期の人生迎えさせられそうになった事ってあるのかい?」
人間の十数倍以上の体格を持つ飛竜等でも入れそうであった洞窟の入り口の幅そのままの広さを持つ洞窟内の道を、マルーザが戦闘を歩いていた。元々下半身が存在していない為、正確には浮遊していた、と表現すべきなのかもしれないが。
前方に対する警戒を怠る事が出来ない立場だからか、背後を見る事をせずに突然皆に質問を投げかける。
「え? マルーザさんいきなり何ですか? そんな物騒な質問……」
マルーザのすぐ背後を歩いていたリディアだったが、魔物によって窮地に陥れられた事が無いかという質問に戸惑わずにはいられなかった。
これから魔物に会いに行くと言うのに、過去に命を奪われそうになった経験があったのかどうかを問われているのだから、それは戸惑うはずだ。
「これからそういう事をする魔物の所に行くって言うのに恐怖煽るんですか?」
シャルミラは何だかマルーザの性格が元々好戦的で、敵味方問わず死体となった身体を見て悦楽に浸るような者なのかとどこか神経を疑うかのように目を細めてしまった。
緑の魔導服から見えている腋に触れた風が妙に冷たい事に対しては強い意識を向けてはいなかった。
「そういうつもりは無かったけど、皆がそういう窮地を乗り切るだけの適応力があるかどうかを知りたくてね」
シャルミラの返答の時に感じた冷たさを何とか紛らわせる為に、前進を止めずにマルーザは背後を振り向き、シャルミラと視線を合わせる。やはりマルーザからすれば初対面が多い今のメンバーなのだから、どうしても戦う力を把握したかったのである。
言い方は確かに未成年の者達にとっては辛いものがあったのかもしれないが。
「私はちゃんと乗り切ってましたよ? 囲まれたり丸呑みとかされそうになったとしても対処する方法は用意してますからね」
リディアも聞けば非常に恐ろしい状況に追い詰められた事があったらしいが、本人が今ここにいる以上は、本人の発言の通り、無事に乗り越えていると見て疑う必要は無いだろう。リディアはエナジーリングの力を所有している為、寧ろ追い詰められた時はそれを極限まで発揮させなければ宝の持ち腐れである。
「えぇうっそぉ!? リディアもそんな事実際にあったんだぁ?」
シャルミラは聞いた事が無かったのだろうか。今のリディアの言葉から状況を想像したのかもしれないが、よくそれを突破したものだと心の中で感心もしていた事だろう。乗り越えられなかったのであれば、恐らくもうこの洞窟の道を歩いてはいなかったのだから。
「外にいたらそんな事もあるから対策は事前に用意しとかないと駄目じゃん? 所で今、『も』って言ったみたいだけど、シャルもあるの?」
リディアからすれば、外にいる魔物に狙われた際の対処法を身に付けておくのは当たり前の話だったようである。確かに襲われた時はピンチだったようであるが、今ここで返答をしている最中は笑みなんかを見せながら喋っている為、あの時も心の底から本当の最期だとは自覚していなかったのかもしれない。
そして、シャルミラの言葉の一部がどうしても引っかかったのか、真相を確かめようとする。
「あたしも何回かあるよ? 触手みたいなのに引きずり込まれそうになった時はバルゴに冷凍光線放ってもらいながら何とか生き延びたし、あたしが折角買った治療用の魔力の入った包帯店から出た瞬間にひったくられそうになったから無理矢理あたしも盗られないように離さないようにして抵抗したけど、相手の男ったらあたしの事殴りかかろうとしてきたからちょっと電撃で痺れさせてやったり、って感じかな。最近は。やっぱり自己防衛って大事よね?」
シャルミラも随分と話したい事が多かったようである。リディアに負けてたまるかとでも言わんばかりに、自慢のように長々と自分の話をして見せた。自分だってピンチを切り抜ける事ぐらいは簡単だと言いたかったのかもしれないが、やはりパートナーのバルゴがいてこそ助かっている状況も存在していた。
今は友達がいるからなのか、話している時の表情は非常に緩やかだ。
「熱の籠った説明だな。まあ外の旅はどういう連中がいるか分からないから、あんたみたいなパートナーがいて正解だっただろうね。おかげでその、シャルミラだったか? 何とか助かってるっていう寸法だろ?」
長かったシャルミラの話ではあったが、マルーザはそれを聞き逃してはいなかった。
恐らく、長い旅の中でシャルミラの事を守り続けてきたのであろう猫のような外見を持つバルゴを背後を振り向くように視界に入れながら、シャルミラのパートナーである事を褒めてやった。
「まあぼくはシャルの事を守るのが目的だから、ピンチになったら本気にならないと一緒にいる意味が無いからね」
バルゴには相棒のシャルミラを死守するという絶対的な役目を持っているらしく、シャルミラの視線と同じ高さで浮遊を維持しながら強く答える。身体だけは小さくても、先程のシャルミラの説明にもあったように強い魔力で応戦する事も出来るようである。
「所で、後ろのお2人さんは死に直面した事って無かったのかい?」
厳密には、マルーザの背後を歩いているのはリディアとシャルミラだったのだが、今はその更に後ろにいる2人の事を言ったのだろう。
マルーザの背後を振り向いた上で向けている視線も、リディアとシャルミラの間を通り抜けるかのように向けられていた。
「僕らは……あると言えばありますよ。魔物の経験はあまり無かったと思うんですけど、変な野盗的な奴らには襲われそうになった事はよくありました~かな?」
答えたのはジェイクだった。思い出す為に通路の岩の天井を眺めながら、自分達に襲い掛かってきたのであろうならず者の姿を思い出してしまったが、ジェイクの力であればそのような力任せに襲い掛かってくる連中を退けさせる事が出来るようである。
「多分あそこで切り抜けられなかったら違う意味でジェイ君は兎も角、あたしは死んでたと思いますね」
メルヴィは真面目な事だけを選択した上でそれを言葉に出した。気楽さ等の感じられない真剣な口調であり、そしてここでいう死ぬという言葉は、自分の命が尽きるという意味では無かっただろう。わざわざジェイクという男性を排除した上で出した言葉である為、尚更命を直接失うという意味では無い事を明確に表しているだろう。
「野盗……か。ある意味わたし達みたいな女性チームからしたら連中に捕まった途端にホントにゲームオーバーみたいなものだからね。バッドエンドとでも言うのかな。殺されなくても、奴らからこれからされる事を考えたら社会的に殺されるようなものだろうしね」
今までは何事にも怖気付かない事を示すかのような揺らぎの見せない口振りを見せていたマルーザだったが、野盗という存在を思い出した途端、僅かな時間ではあるが、弱々しい口調になってしまう。
それでもすぐに口調をいつものものに戻すと同時に視線を再び正面へと向ける。マルーザからしても、野盗という男集団は自分と異なる性別の者達を再起不能にさせてしまう連中という認識しかしていないらしく、そして捕らえられた時に具体的に何をされるのかも理解しているかのように、正面を凝視し続けていた。
「なんか……色々知り尽くしたかのような説明ですね……」
メルヴィも野盗が女性達に何をしてくるのかを理解しているからこそ、危険な存在として認識していると思われるが、きっとマルーザは自分以上に理解している事だろう。だが、メルヴィは奥まで追求しようという気持ちにはなれなかった。ただ感心するだけである。
「所で……マルーザさんも女の人、なんでしたっけ?」
野盗は女性達の敵であるという話をマルーザから聞かされたジェイクだが、自分も女性として説明したマルーザに違和感を感じたのか、突然マルーザ本人に対し、性別を問う。
ジェイクも外見は人間の姿をしているとは言いにくい不思議な姿をしているが、マルーザもジェイクよりも特異な肉体形状をしている為か、性別の断定に困ったのかもしれない。マルーザも声色だけはやや壮年を迎えた女性を思わせるものではあるが、外見の関係で本当の性別までは判断出来なかったのだろう。
「ってちょっとジェイ君……何失礼な事聞いてるの?」
外見で性別を疑う行為を、同じ女性であるメルヴィとしては無視出来なかったのだろう。ジェイクに対し、無礼にも近い質問を取り消させようとするが、ジェイクからの戸惑いの混ざった返答が渡される前に、マルーザの言葉がそれを遮る事になる。
「まあまあメルヴィ気にするな。こんな外見だったら性別の判断に困るのは当たり前だ。それと、わたしは一応女だから、妙な疑いはかけないでくれよ?」
マルーザは体色と同じである黒に限りなく近い赤に染まっている左腕を振りながら、自分は大して心に傷を受けてはいないと説明する。
性別は女性で間違いは無いらしいが、上半身しか存在しない特異な肉体や、人間の体色とはとても思えない黒に近い赤のそれや、そして人間のように口や鼻が見当たらず、深紅の双眸だけが顔に埋め込まれいる所も、やはり人間として考えればあまりにも特異であるとしか思えないだろう。
胴体には胸部を隠すかのようにプロテクターを装着しているが、それだけでは性別の判断を容易にする要素にはならないだろう。
「疑ったりしてすいません。それに外見どのこのだったら僕も人の事言えないですからね、はははは……」
気まずそうにジェイクは謝罪を投げかけるが、そもそも自分も人間とは違う姿をしているのだから、他者の事を偉そうに言う立場では無かったとわざとらしく、そして場の空気を誤魔化すかのように作り物の笑い声を出す。
「マルーザさんって人間の人達とは仲良しなんですか? なんかさっきも人間の女性の気持ちを理解してるかのような感じ、見せてましたけど。特に野盗の件の所ですけど」
シャルミラとしては、マルーザが人間世界とは隔離された場所で生きているような雰囲気を見せているとしか思えなかったようであるが、それでも今のように人間達とほぼ分け隔ても無しに関わりを持ってくれている為、人間達の事が好きなのかどうかを思わず聞いてしまう。
やはり野盗の話で見せてくれた、女性達の味方をするかのような様子が忘れられなかったのだろう。
「簡単に言えばその通りだね。まあ……本当ならわたしもこんな姿にならないで済んだんだけどね」
マルーザは人間とは友好関係を継続させるつもりでいるようだ。
だが、その後に話された内容は、まるで今の姿が産まれた時からのそれでは無かったかのような言い方であり、先程の野盗の話になった時と同じように表情が一瞬だけ暗くなる。
「あの……何か転生とか、そういうのをしたって事でしょうか?」
メルヴィはすぐに察知出来たらしい。今の姿が本当の姿では無いというのであれば、特殊な過程を踏んだのかと睨み、思わず聞いてみようと考えたのだろう。この世界ではよくある話なのかもしれないが。
「実はそうなんだよ。本当はわたしだって皆と同じ人間だったんだけど、今は見ての通りこんな怪物みたいな外見なんだよ」
なかなかの鋭さであると感心したのかもしれない。
マルーザは事実を明かすと同時にまるで自分の姿をアピールするかのように両腕を持ち上げる。
「いや怪物って……。ってかそれよりマルーザさんいいんですか? そういう重い話ここですぐ明かしちゃって」
リディアは自分自身を怪物として扱うマルーザの言い分をあまり快く受け入れたいとは思わなかったようである。
そしてリディアは経緯を聞いた事があるのか、まだ顔を合わせて日、というよりまだ1日すら共に過ごしていない他の者達の前で自分の話をしてしまっても良いのかと、戸惑ってしまう。
「リディア気にするなって。わたしの事はわたしが決めるから、リディアはいちいち気にしたり心配したりする必要なんか無いよ? それに仲間同士なら自分の身の上話に関しては共有しといた方がいいだろ?」
もしかすると自分の心情をリディアは気遣ってくれていたのかもしれない。
それでも心の弱さを意識していないマルーザからすれば、リディアのフォローは必要無かったのだろう。マルーザ本人からすれば、寧ろ仲間としての意識を固める為の大切な話にすらなるだろうと考えていた可能性すらある。
「ま、まあじゃあマルーザさん本人がそう言うんでしたらまあいいですけどね」
流石に本人が気にしていないと言う以上は逆に自分の気遣いが邪魔になる可能性もあると意識したリディアは、多少苦笑いを含めながらも、今は余計な口出しをしないという事を伝えた。
「それでいいよ。それに意外とわたしは今のこの姿、気に入ってるし、人間の時みたいな余計な色気で野盗みたいな汚物の塊レベルの連中を誘惑する必要も無くなったしね」
マルーザとしては過度に自分の心情を心配されるよりは、ある程度は放置されてしまっている方が気が楽だったのかもしれない。
今の姿に対しては一切の後悔が無い事を説明するが、やはり野盗の考え方には全く賛成は出来ないでいるようだ。野盗のせいで狙われる事になる女性達が1人でも減る事を常に願っているのかもしれない。
――ふと、マルーザの脳裏に浮かぶ何かがあった……――
ここは古びた宮殿だろうか。
薄暗い内部で、錆の見えた白の柱に直立姿勢の状態で、縄で縛り付けられ、尚且つ黒の布で目隠しまでされた人間の女性がいた。
戦いに敗れたから荒れている、とは言い難いもっと異なる事情で荒れたその容姿には殆ど生気が残っていない。
数日緊縛されていたからなのか、頬は窶れ、薄い紫のポニーテールの髪も激しく荒れていた。
所要箇所を守るように軽装として適度に装備された鎧も、今は女性を保護する機能を果たしていないかのように汚れている。
そして、緊縛された女性の周囲を飛び交う、臭気に誘われてやってきた無数の蠅。
ここで、脳裏に浮かんだ惨劇が消え失せた。
「――ザさん?」
リディアの声だろう。
人間とはかけ離れた赤黒い容姿の内部で、マルーザは本当は思い出すべきでは無かったのかもしれない過去を呼び起こしてしまい、それを後悔していたのかもしれない。リディアに反応する事も無く、何も意識していないかのように進路を真っ直ぐ見つめていた。
「マルーザさんってば!!」
少しだけ怒ったような感情も混ぜながら、リディアは洞窟内で声を張り上げた。
気が付けばリディアはマルーザの背後なのは事実だが、あまりにも距離が離れ過ぎていた。リディア達は理由があったが為に立ち止まったのかもしれないが、マルーザはただ前進を続けていたが為に皆を置いていってしまっていた事に気付いていなかったのだ。
「ん? あ、悪い! なんだ? どうした?」
気が付けばマルーザの近くに誰もいない状態であった。
本当であれば自分の背後にはリディア達人間グループ、厳密にはジェイクは人間ならざる者ではあるが、大半が人間で構成された者達がいるはずであったのに、声の発生源である背後を振り向いた時に気付いたのは、自分だけ一人で勝手に進み過ぎていた事である。
「もうぼけーっとしないでくださいよ? マルーザさんらしくなかったですよ?」
どうして自分だけが先に進もうとしていて、そしてリディア達が立ち止まっているのかという状況の把握をマルーザは出来ていなかったのである。
リディアは一体何があったのかと疑問を抱きながら、気持ちを緩めないようにと注意を言い渡す。
「悪かったな。ちょっと考え事してた」
一度マルーザは自分が進んでいた方向に対し、奥を見つめるなり、やはり奥が行き止まりになっている事に気が付く。
リディア達の元へ浮遊を継続させた状態で近寄りながら、小さな謝罪を伝えた。
「考え事ですか? それより、あっちは行き止まりで、こっちに道がありますからこっちが正しい道なんじゃないんですか?」
シャルミラには今のマルーザの行動が自分にとって心当たりのあるものとして見えたのかもしれない。何かを考えていれば周りが見えなくなり、結果的に皆と外れた道を進んでしまう事があるというのは、共感出来る行動だったのだろう。
本来マルーザが誤って行こうとしていた直線状の道を指差した後、分かれ道で尚且つ次の正しい道であろう隣に存在する道に指を差し直す。
「確かにそうだったね。あっちは行き止まりだね。悪かったね」
自分が誤って進みそうになった行き止まりの道を一瞬だけ振り向きながら、マルーザは自分が進もうとしていた道が間違っていた事を認め、謝罪をした。
「あの……やっぱりあたしのせいでやな事でも……思い出しちゃいましたか?」
マルーザの過去を掘り起こさせるような事を聞いてしまったのはメルヴィである。何も知らないのに安易に聞いたのは不味かったかと、恐る恐ると言わんばかりにマルーザに確認をする。
「いや、メルヴィのせいで思い出したんじゃなくて、わたしが勝手に思い浮かべただけだよ。そんな事より……やっぱりこの奥だね。最初の目的地は」
マルーザは決して人のせいにしようとせず、皆の間を抜けるように再び先頭へと戻るが、分かれ道の奥を凝視すると、何やら怪しい広い空洞がある事に気が付く。
分かれ道に辿り着くまでは湾曲状の一本道ではあったが、分かれ道の奥は直線状に続いており、そして奥が今いる場所以上に不思議に明るかった。明るさが何かの印になっているのかと悟ったマルーザは深紅の双眸を細めた。
「やっぱりマルーザさんならすぐ気付きますかぁ。あそこが……多分エリンさん達がやられちゃった場所、ですよね?」
シャルミラ達は分かれ道の存在だけでは無く、分かれ道の奥の事もいくらか把握した状態であったらしい。その上で間違った道を進んでいたマルーザを呼び止めたと思われるが、シャルミラからすればあの奥にある空間が運命の場所の1つだったのである。
「ま、まあとりあえずまずは行ってみようよ? ここまで来てやっぱり怖いからやめる、みたいな事なんてしちゃ不味いだろうし」
少しだけ怖がっていたように見えたと感じたリディアは、シャルミラの肩を組むように叩きながら、元気付けさせる。ここで引き返してしまえば、元々の任務を放棄する事になるのだから、ギルドの方からも苦情を飛ばされ兼ねないだろう。
尤も、ここでのリディアの励ましはギルドの事情を一切絡めないものであったとは思われるが。
「大丈夫! 別にあたし行かないなんて言ってないから! 寧ろ新しい犠牲者なんか出さないように食い止めないと駄目じゃん?」
リディアの腕をどこか邪魔であるかのように振り払いながら、自分は逃げる事を考えていた訳では無いと、やや不満そうに口には出すが、それを悟られにくくさせる為だったのか、表情には強気な笑みが浮かばれていた。
「折角正しい道教えてくれたんだったらさっさと行った方がいいだろ? それにあの空間がある意味本当のゴールじゃないんだし」
今はリディア達は立ち止まった状態で言葉のやり取りをしていた所である。
正しい場所を知った直後から足止めを喰らうのはマルーザとしては気分の良い事では無かったようだ。指を差したあの場所にまずは到着しなければ、更なる次の目的すら達成する事が出来ないのだ。
「確かにそうでしたね。とりあえず行ってみましょうか! ってかなんか風が冷たい気がしますけど……」
進む事自体が今の任務の内の1つである。リディアは先頭に立ちながら駆け足で進み始めるが、衣服等で覆われていない顔面にかかる風がまるで雪国等を思わせるような冷たさを帯びている事に気が付く。尤も、呟きのように口に出したその声が皆に伝わっていたのかどうかは分からないが。
――蒼く照らされる空間は、どこか冷たい風が流れていたが……――
「さてと……一応調査隊の話だとここに最深部の入り口が隠されてるみたいだけど、とりあえず皆注意しながら探してみて」
蜘蛛の魔物が暴れたと思われる広い空間に辿り着いたリディア達だが、マルーザはここでの纏め役でもあるからか、ここにいる者達全員に対し、常に身の危険を意識するように伝える。
すぐ隣に纏わり付いていた糸を何となく右手で掴んでみたマルーザだが、やはり独特の粘りの影響か、すぐに嫌な表情を浮かべながら糸を振り落とす。
「なんか……蜘蛛の巣だらけで気持ち悪いかも……」
初めから蜘蛛の魔物がいた場所へと赴くという話でここに来たというのに、シャルミラは今更であるかのように空間の気味悪さを直接口に出す。
やはりただ話だけで聞くよりも、実際に蜘蛛の糸を目の前で見た方がよりおぞましさを感じるというものなのだろうか。マルーザと異なり、触る必要が無いような糸には一切手を伸ばそうとはしなかった。
「そりゃそうだよ。ここって蜘蛛の魔物がいた所なんだから。でも……魔物も一緒に回収されてたっけ?」
リディアは蜘蛛の糸を気持ち悪がるシャルミラに声をかけるが、周辺をキョロキョロと見渡してから何か違和感を感じ始める。既に死亡していたはずの蜘蛛の魔物の姿が一切見当たらないのである。
「いや、確かそれは無かったはずだと思うけど、でもなんでここから無くなっちゃってるのかはなんか気になるかもしれないね」
バルゴがそれを答えたが、魔物の回収命令は無かったらしい為、本来であればこの場に放置されたままのはずであったらしい。しかし、やはりバルゴの視点で空間内を見渡しても、やはり死体らしき物体の姿が見当たらない。
「魔物ってたまに死んだりすると燃え尽きたりみたいな感じで消滅する事もあるけど、そんな感じで消えたとか?」
シャルミラは実際にそれを見た事があるのだろうか。
通常は魔物とは言っても、ただその場で命を奪っただけでは勝手には消滅するような事は無い。炎で焼かれた事によって死体すら焼き尽くされる事はあっても、死体が勝手に燃え上がり、そのまま消滅するという事は現実的では無いだろう。
「いや、それは本とかの話だと思うけど……。だけど、ぼくとしては何となく蜘蛛の巣の奥に入口があるような気がするね」
バルゴは死亡した生物は勝手に燃え尽きるという説に対し、反対の意見を唱える。小説等を読んだ事があるのかもしれないが、あくまでもあの消滅は演出上のものなのでは無いかと、何を言ってるのかとでも言わんばかりに目を細めていた。
シャルミラの架空の物語から得たであろう知識の事は一旦置いておくかのように、入り口がどのように隠されているのかを憶測で皆に伝えようとする。それでも、やはり直接蜘蛛の巣を掻き分けるような事は出来なかったようであるが。
「この感じを見たら確実にそうだろうね。糸の奥にあると思った方がいいだろうね。それに連中だって使う出入口になるだろうから、岩なんかで塞いでたら奴らだって困ると思うしね」
マルーザは薄々感じていたのだろうか。まるで壁の隙間を隠すかのように分厚く糸で覆い尽くされている場所が多く存在しており、出入り口である以上は元々ここに住む魔物達自身も利用するのは間違い無いだろう。
除去に困るような方法で塞いでいては魔物達すらも行動に著しい制限を受けてしまうはずだ。
「そう言われると……なんか全部入り口に見えてきますね……。静かなのもなんか気味悪いですし」
蜘蛛の糸が最深部への出入り口を塞いでいるという話を聞いて、リディアは今見えている壁全てに疑いを持ちたくなってしまったようだ。洞窟特有の風が壁を跳ね返る音だけが静かに響き続けるだけで、魔物と思われるような物々しい鳴き声等が一切聞こえない点も、謎の不気味さを引き立てているのかもしれない。
「ね……ねぇジェイ君、ここ怪しくない? なんかなんか奥に続いてるように見えるけど」
リディアからやや離れた場所で、メルヴィはジェイクと共に壁を伝うように怪しい場所を探っていたが、1つの場所を怪しく感じたのか、その場所を指差しながらジェイクを呼ぶ。
「ん? どれどれ……ん~、見ると……確かに続いてるように見えるね」
メルヴィの隣に付きながら、ジェイクは蜘蛛の糸の奥を覗き込むように凝視する。糸の隙間をよく見ると、光の無い真っ暗な空間が奥まで伸びている事が分かったようだ。
まだ蜘蛛の糸を引き裂く事はせず、ある行動をまずは開始する。
――皆を呼ぶ事。これが今すべき事である――
「皆! ちょっと来てくれる!? ここ怪しいと思うんだよ!」
ジェイクは右の指で目の前の壁に貼り付けられた蜘蛛の糸を指差し、そしてもう片方の手、即ち左手を振りながら皆を呼ぶ。
声を聞いた者達はすぐにジェイクの元へと寄ってくる。
「早速見つけたのかい? 手柄もんだよ」
マルーザは自分の目の前に存在した蜘蛛の糸を掻き分けていた最中だったが、呼ばれた際に手に絡まっていた糸を引き千切るようにして払い落とし、ジェイクの場所へと向かおうとする。
「なんかこの奥が……」
皆が自分達の元に集まろうとしている最中に、メルヴィは少しでも奥に見える情報を手にしようとしたのか、糸で作られた壁に触れない程度に近寄りながら、糸の隙間から壁の奥を凝視する。
「メルヴィ! ちょっとそんな迂闊に近づか――」
リディアは糸の壁の奥に危機が隠れていると思ったからか、不用意に糸の壁に近寄るメルヴィを離させようと声を荒げる。勿論足も速くなり、メルヴィの場へとすぐに到着出来るようにさせていた。
だが……
――糸の壁から突き出てきたのは、束ねられた白の糸であり……――
「!!」
メルヴィの左足首に白の糸が乱暴に絡まった。
糸はそのまま掴んだ人間を無理矢理引っ張り、背中から転ばせた。
これから先は蜘蛛とかの魔物との戦闘になると思いますが、蜘蛛って現実のであればそれなりに小さいけど、あの手のひらサイズですら毒とか牙とかで人間は凄く恐怖を抱くのに、ファンタジーの世界だと人間よりも大きなサイズの蜘蛛型の魔物が平然と出てきます。あんなのによく対抗出来ますよね、あの世界の戦士達は。
でも蜘蛛の場合はやっぱり糸に捕まると……、もし現実の人間があんな大量の糸で包まれてしまったらどうなっちゃうんでしょうか? やっぱりフィクションの登場人物みたいに絶叫を上げたりするんでしょうか?




