第13節 《地下世界で飛ばされる暴力の末に》
お久しぶりです。今回は普段から自分が常常描きたいと妄想してました、強い少女と、それを上回るであろう男との格闘戦です。強い女の子も好きですが、だけどあっさりと勝利してしまってはやはり面白いとは思えませんし、所々で少女の方には痛い思いをしてもらうというちょっとマゾい妄想も。因みに強い少女っていうのは、リディアの事ですね。
最近はモチベーションも上昇した頃ですので、これからも頑張らせて頂きます。
殴るっていうのは、あまりにも面白い究極の娯楽かもしれない
回数を重ねる毎に、相手の悲鳴はデカくなる
痛みが残る箇所が増えれば、次の一撃も更に重く感じるはずだ
痛みの度が強ければ、悲鳴も一層強くなる。声に出している時間も長くなる
あまりにも度が過ぎた場合、本人は意識を保つ事すらも難しいと言われるが、実際はどうなのかな?
「始まり始まりぃいいい!!!!!」
この愉悦も混ざり込んだような男の声と同時に飛ばされているのは、強く握られた拳である。拳の標的にしているのは、黒の儀礼服を纏った相手である。そして、その相手は、まだ未成年の少女であった。
――暴力の塊である拳を、少女は……――
「!!」
身体をしゃがませ、最初の一撃を咄嗟に回避するリディアであったが、突きの速度と、風を切る静かながらも鋭い音は、命中した時の甚大な被害を連想させてくれる。
しかし、男も一撃目を回避されてしまうのは分かっていたからか、次は脚を使い、リディアに次なる攻撃を仕掛けようとする。
――顔面を狙い、膝蹴りを飛ばすが……――
「おっと!」
屈んでいたリディアは、男の膝が自分目掛けて飛んでくる事を素早く察知した為、顔面に極大な打撃が入らぬよう、左へと飛び込んだ。身体を地面の上で転がらせ、右の膝だけを地面に付けた状態に立て直す。
次、また男が攻めてこようと、すぐに対応出来る体勢である。
――灰色の皮膚のその男は、突然動きを止め……――
「なるほど、なかなか面白れぇ奴じゃねえか。随分器用に避けて避けまくったか……」
距離を取った少女に対し、男は殴りかかるような体勢を崩してしまう。それは勿論リディアを解放する為では無いのは言うまでも無いが、攻撃が命中しなかったからと言って、それで男は戦意を喪失してしまったという訳でも無いだろう。
「そんな本気も出してない攻撃が私に当たるとでも思ってる?」
青い瞳には僅かに焦りを見せたかのように震えていたが、相手の攻撃が真剣なものでは無かった事はリディアでも理解出来ていた。自分を本当の弱者として扱ってくる男に対し、挑発でもするかのようにリディアは口に出した。
そして、この地下室で助けた女性は、今は隅に放置されていた木箱の裏に隠れていたが、男がそちらに目が行かないか、僅かに不安になっていた。
「アホだなお前は。そうやって相手に本気出させたらお前……」
男は目の色を変えながら、再び両手を握り締める。目の色は、表現法としての言い方では無く、本当に色そのものが変色を起こしていたのである。白い部分が黄色に染まり、そして本来の意味である目付きそのものもやはり変貌していたのだ。
(ヤバい……まさか本気で来る……とか?)
自分の今の発言を後悔しても、既に手遅れである。今すべき事は、本気で襲い掛かられた時にどうするかを考える事である。
当然、リディアにも本気で挑む権利はあるのだから、相手の実力に怯える前に、自分の実力で相手を怯えさせるぐらいはすべきなのだ。ここではそれしか生きる術は無いのだが。
――男にスイッチが入ったのか、数歩進むなり……――
「早死にしちまうぜぇ!!??」
男は真正面から拳をリディア目掛けて飛ばしてくるが、今度は単発では無かった。一発目は右の拳を、続いては左、再び右と、そして、その放たれた拳はどれも男のスイッチが入る前に放たれたあの速度の攻撃よりも明らかに速いものであった。
「誰が……!! 死ぬかっつの……!!」
速度の異常に速いパンチが次から次へとリディアへと飛ぶ。しかし、全てを回避する事は出来ておらず、両腕を自分の頭部を守る盾として、防御手段で使ってはいたが、身を捩って回避する手段と比較すると、やはり痛覚が本人を苦しめると言える。
――しゃがむ勢いで思い切り体勢を落とし……――
ほぼ上半身ばかりを狙ったパンチの連続であった為、リディアは相手の攻撃範囲から外れる為に、上半身をそのまま相手の攻撃範囲外へと逃がしたのである。
体勢を落としたままで次の行動に入ろうとしていたと思われるが、男は足元にいる少女に攻撃のチャンスを与えるような事はしない。
「何やってんだお前!?」
リディアの顔が丁度男の膝の高さにあった為、男は膝蹴りをリディアの顔面目掛けて飛ばす。
だが、ただ前方へと飛ばしただけのその膝は、リディアの横を過ぎるだけで終わってしまう。
「狙い甘いよ!!」
膝蹴りを仕掛けてくる事はリディアは分かっていたようである。横へとずれて回避し、そして男の横を通る形で男の背後へと付く。
男はまだ振り向き終わっておらず、ここでリディアは男に対し、初めての攻撃を飛ばす。
――引いていた右足を男の顔面へ!――
男が振り向いた頃には、もうリディアの後ろ蹴りが顔面へと迫っていた。男は反射的に首を倒す事でリディアの蹴りを避けようとしたが、その蹴りは男の顔を掠る。
「けっ……」
男は自分に入った多少の痛覚に苛立ちでも感じたかのように舌打ちをするが、その非常に僅かな時間で、リディアは一度攻撃に使った右足を引っ込め、自分の身体を右に向かって捻じ込む。続けて、回し蹴りで男の顔を横殴りにしようとしたのだ。
――攻撃体勢に入っていない男に更なる一撃!!――
「!!」
リディアは遠心力を上乗せさせながら、右足を男の顔目掛けて横から飛ばす。声になっていないような気合もマスクの裏で漏らしていた。
男は横目で攻撃が飛んでくる事を確認するが、残りコンマ数秒足らずで自分に命中する蹴りに動揺せず、自分自身が繰り出す攻撃だけに意識を集中させていたようだ。
「効くかよ!!」
男は蹴りを避ける事をせず、左から飛んでくるそれを自分の左腕で強引に防ぎながら、そして更に強引に右手を使い、蹴りの攻撃体勢に入っていたリディアの顔を殴り付ける。
――防御体勢の整っていないリディアに鋭い一撃が入り……――
「ぐっ!!」
一撃で体勢を滅茶苦茶にされるような威力に、リディアは地面へと倒れそうになるが、すぐに脚を後方へと引く事によって、体勢を立て直す。横殴りにされ、顔に重量のある物体でも押し付けられたような鈍痛が貼りついてくるが、寧ろそれはリディアにとっては価値のある情報の入手でもあったのかもしれない。
「もう1分ぐれぇじゃねえかよ? 耐えれんのか?」
男は痛がるリディアに対し、もう諦めるべきではと、回りくどい言い方をぶつける。リディアの蹴りすらも左腕を盾にする事によって、無理矢理に防ぎながら非常に重たい一撃を加えた後のリディアの様子が何だか怯えているように見えたのだろう。
――しかし、リディアはそうでも無く……――
「こんな程度で勝ったみたいな事が言えるなんて、おめでたい奴だね」
横殴りにされた鈍痛は本物ではあるが、リディアとしてはとても威張れるような威力では無かったようである。しかし、もう二度と受けたくないような激痛であった事には変わり無かったようであり、青い瞳には痛みを無理に堪えているかのような震えが見えていた。
両腕の構えは、いつでもまた戦いに入れるそれである。
「お前一応言っとくけどなぁ、2分経っても我慢こいてたらもうお前ん事マジで殺すつもりで殴り飛ばしてやっからな?」
そう言いながら、灰色の皮膚を持ったこの男はリディアへと歩み寄るが、力を込める準備に入っているとは思いにくいようなこの台詞の後に、リディアへ唐突に顔面へと拳を飛ばす。
――当然、リディアは回避の体勢に入るが……――
男はパンチをリディアへと当てる事はしなかった。当てなかったというよりは、途中で停止させたと言った方が正しかっただろう。寧ろ、直前で停止させ、即座に引っ込めたそのパンチは次なる本命の攻撃の為の準備だったのである。
本命として使った部位は、膝だった。
「さっさと死ねよ!」
短すぎる命令と同時に、腕力の数倍以上の破壊力は持つであろう膝の一撃をリディアの胴体へと飛ばす。
――リディアも何とか防御をするが……――
腹部を守る為には脚も使わなければと咄嗟に気付いたのか、リディアは両方の肘と左側だけの膝で上下から閉じるようにガードの体勢を作ったが、まるで棍棒等のような鈍器で殴られたような衝撃が身体を突き抜ける。
防御に使った部位であった肘と膝だが、膝に特に鋭く命中した為、一時的に左脚が麻痺するかのような激痛に襲われてしまう。
「誰が……死ぬかっつの……」
左脚に走る痺れがリディアの表情を歪ませてしまうが、たかが膝蹴り程度で死ぬようなリディアでは無い。仕返しと言わんばかりにリディアも反撃に走ろうと思考を働かせるが、男は膝以外の部位を使って脚を再び攻撃の武器として扱った。
――前蹴りで女を蹴り飛ばす――
蹴るというよりは、これは押し出したと表現した方が良かったかもしれない。真っ直ぐに伸ばされた右足はリディアを暴力的に突き飛ばす。本気で殺そうとまでは思っていないのか、攻撃の仕掛け方は確かに一撃一撃は重たいものの、攻撃を殆ど単発でしか飛ばしておらず、やる気を出していないとしか思えない。
勿論蹴りを実際に受けたリディアは、重たい一撃によって、そして左脚の麻痺が残っていた事が原因で床に倒れてしまう。
――尤も、ハンドスプリングの要領ですぐに立ち上がるが……――
前に向かって身体を押し出し、上手に足から着地するが、リディアはそこで再び反撃に行く前に、男へ1つ投げかけたかった言葉を飛ばした。
「さっき私の事殺すとか言ってたみたいだけど、そんなダラダラやってて出来ると思ってるの?」
左脚の痺れはもう消えてくれたのだろうか。リディアは余裕のある表情を目の前の男へと見せつけてやった。薄暗い地下ではあるが、男はリディアの今の表情を明確に認識している事だろう。
「お前後1分と30秒耐えりゃあ助かんのにわざと死ぬ方向に行きてぇってか?」
実際に残っている時間は、殆ど男の感覚でしか計測されていないと思われるが、リディアの挑発とも言えるような態度を見て、男は笑い出しそうになるのを堪えながら、問いかける。
「こっちはそうやってダラダラされるのが一番腹立つのよ!!」
叫ぶように言い切り、リディアは瞬発力を駆使するかの如く、男へと真正面から向かっていく。
「本気で来んのか? 3分耐えりゃ教えてやるっつってんのにこいつ」
相手は真正面から向かってきているのだ。男は計画性の低い突撃を迎え撃とうと、近寄る女の腹部を下から突き上げてやろうと右手に力を入れるが、相手も決して無暗な行動という訳では無かったようだ。
――リディアは思い切り体勢を崩し……――
勿論バランスを崩したという訳では無い。男が自分の身体に拳を入れてくる事を察知していたのか、その場に伏せるのかとでも思わせるくらいに体勢を低くし、男の視界から外れる。
男は一時的にリディアを見失うが、即座に男は一度身を後方へと逸らす。
逸らしたのは、それはリディアの蹴り上げが真下から突き破るように飛ばされたからである。顔を下から蹴り付けようと真っ直ぐと伸ばされたその足を、男は上体を逸らして回避する。
「これから私の本気見せてあげるから!!」
真下から伸ばした脚を一度引っ込めると、リディアは続いて男の顔面目掛けて再び足を飛ばす。直線状に伸ばされた足は男の左への逸らしによって回避されてしまうが、足を下ろす事無く再び男の顔面を狙い、そして、それは命中という成功を手にする。
「!!」
男は初めて受けたであろうリディアの一撃に僅かに怯むが、流石に一方的にやられているだけ、という訳にもいかないはずである。
足を引っ込めるリディアの身体に掴みかかった男は、力任せに頭上を通らせる形でリディアを地面へと投げ落とす。
――背中に走る強い鈍痛がリディアを麻痺させてしまう……――
麻痺した少女の腹部を狙い、男は持ち上げた足を力任せに落とす。
しかし、背中から落とされたリディアは気合で麻痺を払いのけたのか、腹部を踏み潰される前に男から離れるように横へと転がり、そして立ち上がる際に使用するであろう力を全て右足へと集中させる。
――声をまともに出さずに、真下から足技を飛ばす――
「!!」
リディアはほぼ真下の方向から、槍のように右足を突き出し、男の顎を狙う。いちいち言葉に出す余裕も残されていなかったのだろうが、やはり男にはその蹴りは回避されてしまう。
「アホか。今やったばっかだろそのやり方」
男は一度同じ戦法を見せられていた為、もう身体で回避手段を覚えてしまっていたのだろう。一瞬リディアのやる気を疑ってしまうが、リディアは決してやる気を捨てていた訳では無かった。
男の言い分をまともに受け入れず、立ち上がった状態から、まともに身体を守るような構えを取っていない男に、今回初めてであろうだろう手を使った攻撃を飛ばす。
――開いたコートから見える腹部を最初に狙い……――
鳩尾を的確に、3発のパンチを放つ。力に関しても、適当に入れている訳では無く、1発1発は並の男性ですらも一撃で怯ませるような、性別と年齢に似合わない威力であり、それを狙った通りの場所へと素早く放つ。
1秒とかけずに3発入れた後に、4発目は懇親の一撃を顔面へと飛ばそうとする。
「甘ぇよ!!」
男は左の手のひら1つで、リディアのパンチを受け止める。腹部に食い込む程の力のパンチを受けても男は弱る事が無く、寧ろ今は受け止める為に使っている左手の後ろで、怯む所かもう本気で殺してしまおうと考えているかのようなギラギラとした目付きを作り始めていた。
リディアも危機感を感じたからか、攻撃に使用した右腕を引っ込めようとするが、男の握る力は非常に強く、剥がす事は出来なかった。
だが、それで諦める訳が無く、その場で脚に力を込め始めた。
――掴まれた右手を軸に、男の頭上で逆立ちになり……――
左手は男の肩に乗せた上で、そして逆立ちの状態で身体を捩じり、同時にそのまま身体を上下に反転させるというとんでもなく器用な動作を見せつける。
捩じった際に男から右手を放させていたが、今の状態は男の頭部を足で踏みつける形である。リディアの計画していた攻撃手段とは、男に対し、全体重を乗せながら頭部及び顔面を踏みつける事であった。
「どっちが甘いの!?」
男へ言い返す言葉を気合にするかのように、そのまま2度、3度とブーツの裏で、上を向いていた男の顔面を力強く踏みつける。3度目の攻撃の際にバランスを維持する事が難しくなったからか、男の背中側へと降りるべく、軽やかに男の上で一度跳躍するが、簡単には降りさせてはくれなかったのだ。
――降下中に、男の後ろ蹴りが迫り……――
それでも、リディアは男が怯み続けている事を前提にはしていなかったから、自由な制御が効きにくい宙の間でも防御の体勢は作っており、左腕を何とか盾にした上で男からの蹴りをある程度は受け流していた。
リディア自身は無事に着地も成功し、男の次の攻撃に備えようとするが、何故か男はリディアに向き直すだけで、その時は襲っては来なかったのだ。ただ徐に、リディアへと言葉をぶつけるだけであった。
「ちょい様子見してたけどよぉ、お前それなりにまあまあやんじゃねえかよ。意外と口だけじゃねんだな、お前ってよ」
リディアに踏みつけられたからか、顔には多少なりの痣が残っていた男だが、真っ直ぐ背筋を伸ばしているその姿は、どう見ても弱っているようには見えず、リディアからもまだまだ緊張が抜ける様子が見られない。
「何? いきなり急に。誉められたって別に嬉しくは無いけど?」
攻撃の手を止めた男に対し、リディアはまた男が余計な口を挟んでくるのかと、それでも男のペースに飲まれぬよう、身体に入れていた力を決して抜かずに、男の意図を見抜こうとする。
「だけどなぁ、こっちゃあ人間じゃねんだよ。お前程度にやられたらなぁ、そんなもん笑いもんだって歴史に残っちまう訳よ」
男は灰色の皮膚を持っているからこそ、人間では無い種族であるとすぐに理解する事が出来るが、亜人は人間には負けてはいけないという信念でもあるのだろうか。ましてや、相手からすればリディアは敵であるのだから、尚更弱い存在だと思われる訳にもいかないのだろう。
「歴史、ねぇ。所で、何が言いたいの? 私より自分の方が強いって、ただそれだけを言いたかったの?」
リディアは目の前の男の活躍が歴史上に記録されたとしても何も感じないだろう。だが、リディアとしてはどうしても目の前の男がどこか強がっているのでは無いかと、疑わずにはいられなかったようだ。
今のリディアの目つきは、嫌っている相手にしか向けないような威圧的なものである。
「口で言うつもりはねえよ。めんどくせぇし。でもなぁ、オレは口で教えるより身体で教える方が大好きなんだよなぁ」
肉体的な苦痛で相手を黙らせる事が好きであろうこの男に相応しい言い分だが、それを言いながら、リディアへと真っ直ぐ歩み寄り始めたのである。そして同時に、指の関節も鳴らしていた。
「もうその教え方ってさっきからやってるでしょ? 何今頃になって今から始めるみたいな事……」
真っ直ぐと、そしてゆっくり迫ってくる男を見つめながら、リディアは今まで身体を痛めつける事で自分の意思を見せつける行為をしてきただろうと伝えるが、それを言い切る前に男がリディアの射程範囲に入ってきた為、最後まで言い切るその直前に、右腕を素早く引いた。
――顔面目掛けて右ストレート!――
「言ってるの!?」
言い切る言葉が気合に変換され、そして妙に狙いやすかった男の顔面へと直撃する。
しかし、直撃したはずなのに、鼻の中心へと非常に重たい一撃を飛ばしたはずなのに、男は怯んでおらず、殴る為に斜め下から放とうとしているであろう右腕は引かれたままである。
そして、その右腕を使った攻撃の準備であったと考えても、あまりにも隙を晒し過ぎだったと言える。
「お前、やっぱメッチャ弱ぇな。そんなんでよく主人公補正だのなんだのって言えたよな? マジで……」
リディアも拳を男へ接触させたままでいる訳にはいかないと思っていたのだろう。既に後方へと移動していたが、男は顔面に拳を受けていたのにも関わらず、その時の表情は呆れさえ感じさせるものを浮かべていた。
戦う前にリディアの発言していたあの恥ずかしい可能性のある内容を覚えていたらしいが、男はそれをリディアとは異なる解釈で捉えていた可能性もある。
――停止していたエンジンが急に動き出したかのように、引かれていた右腕が暴れ出し……――
「なぁ!!」
男は再びリディアに向かって真正面から突然接近を始める。接近だけであれば何度かされていた戦法であるが、右の拳をリディアへと命中させようとした所が、以前の戦法と比較して変化していた部分だったのかもしれない。
右手による殴打へと見せかけたそのやり方はあくまでも囮である。頭部のガードを誘い、男は左足でリディアの足元を狙う。
「!!」
リディアは足払いを受け、男から見て横向きになるような状態で倒されてしまう。床への衝突で身体へと走った鈍痛を堪え、男が持ち上げていた右足を回避する為に男から距離を取る形で転がった。
男は横転したリディアを上から踏みつけようとしたのだ。
「もう残り30秒なんか切ってっし、さっきほざいてた主人公補正っつうもんの意味教えてやるよマジでよぉ!?」
立ち上がるリディアの耳に入るのは、男の歓声が僅かに見え隠れする怒声である。
当然怒声だけで済ませてくる男では無く、今のリディアに飛んでくる攻撃は、肘や膝と言った、一撃が一点に集中する事によってより痛覚が敏感に反応するような部位を使ったそれである。息継ぎをしているのかも疑わしくなるぐらい、それを連続で飛ばしている。
「だったら……教えて……くれる……!?」
顔面へと飛んでくる肘の一撃や、胴体や足元を狙ってくる膝蹴りを何とか的確に受け流しながら、リディアは男にとっての補正がどういう意味なのかを言わせようとするが、男の攻撃が収まる事は無く、のんびりと聞き出すのはまず不可能である。
――今までも見てきた、右ストレートが飛ぶが……――
リディアも以前受けた攻撃をそのまま受ける程鈍くは無く、一時的なチャンスと見て、真っ直ぐ伸びてきた拳に対し、上体を下げる事で回避する。そのまま無防備である男の腹部へと狙いを定めようとするリディアだが、男も自分の攻撃を回避された後の事を学習していなかった訳では無かった。
――男の膝蹴りが真っ直ぐ、少女へと飛ぶ――
「だからそんな手食らうかっつの!!」
下に向かって回避した少女を狙い、男は膝を少女目掛けて飛ばす。狙いは正確には決定させていなかったが、胴体でも顔面でも、命中さえすれば相手はただでは済まない。
「!!!」
リディアは両腕で顔面を庇う。黒の長い袖で保護されている両腕が膝による非常に重たい一撃を防いでくれたが、痛みは顔面の代わりとでも言うべきか、腕に激しく残る事になる。痛みと反動でよろけるリディアに更なる攻撃を男は渡す。
――上から落とすような一撃が入り……――
「さっさとくたばっちまえよ!!」
黒のハットを貫いてリディアの頭へと重たい衝撃が走る。ガードに使っていた両腕を超えての一撃であり、両腕はまるで役目を果たせず、上からの一撃はリディアをいくらか地面へと抑え付けられるかのように、上体を倒されそうになる。
男はリディアの頭部を上から殴り付けた後も、再び攻撃を仕掛ける。斜め下から、左腕を使ってリディアの顔を狙う。
「!!」
よろけていたせいで、反応に遅れてしまったリディアは男の拳をろくに防御の体勢も取る事無く受けてしまう。視界が大きく揺らぎ、男が視界の外へと外れてしまう。
当然、それは男が大きくその場から移動をした訳では無く、あくまでもリディアの視界が揺れただけである。
「お前意外としぶとい奴だよなぁ?」
特に力んではいないような声で、ここまで耐え抜いているリディアを誉めたような言葉を飛ばすが、同時に伸ばされていたのはやはり右腕である。胴体に一撃を加え、呼吸の機能に障害でも出させてやろうと思っていたのかもしれない。
男の嬉しくない誉め言葉によって気力を復活させたのか、リディアは下からの突き上げを右にずれる事で回避し、まだまだ残っている身軽さと体力で男へと反撃を仕掛ける。
「悪かったねぇ!」
身を軽く捩じった上で右足で後ろ蹴りをお見舞いする。男の腕はとても顔を保護出来るような場所に位置させておらず、狙うチャンスだったのだ。
――男はそれを防ごうとはしなかった――
なんと、男の顔面にリディアの後ろ蹴りが命中するが、男はそれを首の力だけで受け止めていた。頭部と同じ太さである首の筋肉が、頭部が後ろへと傾くのを防いでいたのだ。
「だから意味ねってそんなやり方」
痛覚を持っているのかと疑いたくなるような光景だったが、男はリディアからの蹴りを受けたままの状態で、一瞬だけ振りかぶらせていた右腕を鋭く伸ばす。リディアの顔を横殴りにする。
「うう゛っ!」
もしかすると、今の一撃がリディアにとって最も重たかったものかもしれない。攻撃に意識が集中していたが為に、ガードが甘くなっていた顔に命中し、激しい鈍痛が顔全体に広がっていく。
――身体が無意識に後退してしまい、脚から力が抜けそうになるが……――
(ヤバッ……どうしよ……)
倒れるのだけは何とか回避する。持ち前の忍耐力と根性を最大限に引き出し、男には肉弾戦が通じないのかと、次の対策を考えようとするが、時間があまりにも短すぎた。
――またしても、右ストレート……――
「どうすりゃいいの……?」
自分の一撃にもまるで怯んでくれない男である。まずは拳を対処するのが先であり、真っ直ぐ飛んでくる軌道の分かりやすい攻撃を、左へと身を捩る事で回避するが、相手が簡単に避けられるような一撃を飛ばしてくれるのだろうか。
――リディアも右足で上段蹴りを与えるが……――
ロクに気合も口に出せなかったが、威力は本物だったはずである。尤も、この男が相手であればそれを発揮する事は出来ないのだが。
「おっと、いけないお足ちゃんじゃねえか? あぁ?」
蹴りそのものは、男の頭部を側面から的確に命中させていた。だが、男は自分の頭部と、そして左腕でそのままリディアの右足を固定させてしまい、リディアは右足を引き戻す事が出来なくなっていた。現在は左足だけで立っている状態である。
まるでならず者が一般人を脅迫する時のような定型文にも近い一言を飛ばすと同時に、男にとってのそのいけない足に非常に重たい殴打を加える。
――少女の太腿を下から突き上げ……――
「!!」
言葉にならないような鈍くも痛々しい低い悲鳴がマスクの下から漏れる。
男はリディアを解放しないまま、まるで相手の腹部を下から殴るかのように太腿に拳による打撃を加えたのだ。ほぼ鈍器で殴られるのと変わらないようなとんでもない痛みが太腿を激しく貫いてしまう。一撃だけでも地獄に近い威力だったそれを、もう一撃、与えたのである。同じ部分に。
「おいおいなんか反撃してこいよ? あぁそれともあれか? 主人公補正だからいくら殴っても平気……って来たな」
激痛で今にも崩れ落ちてしまいそうな状態であるリディアの心境も一切考えず、黄土色の髪のこの男は再びリディアの漏らしていた不思議な補正の話を飛ばしてやろうとしたが、男は既に息絶えている花の怪物の横で氷の塊が出現し、小規模に破裂すると同時に青い姿をした人型の兵士が現れた事に気付く。
――まるで氷の塊で形作られたような身体をしており……――
「バイオレットさん! あっちの回収活動が完了したので、そろそろ出発を!」
花の怪物の目の前に立ちながら、兵士は灰色の皮膚の男へと呼びかけた。この特徴的な皮膚の男が、丁度今リディアと争っていた乱暴者である。
「じゃ、オレのこんな面倒な時間稼ぎも終わりって事だな? あ、それとちょい面倒な遊び相手が出来ちまったから後数秒時間くれや」
まるで瞬間移動の如く現れた氷の兵士を見て、バイオレット自身が決定させていた制限時間が来てしまった事を、本人は察知する。だが、まだ中途半端な状態では帰還する訳にはいかないらしく、氷の兵士に礼儀の整っていない要求をする。
そして、この状態でも、未だにリディアの右足を拘束したままである。
「それは構いませんが?」
兵士が持つ黄色の眼光が捉えていたのは、右足首をバイオレットの顔の側面で押さえ付けられている少女の姿で、儀礼服とでも言うべきか、黒の戦闘服を着用しているが、一体何をやり残しているのかはいまいち把握する事が出来なかった。
それに、氷の肉体の兵士の方がバイオレットより恐らくは立場が低いと思われるのだから、拒否する権限は無かっただろう。
「じゃ、とりあえ――」
リディアを難敵として意識していなかったからか、リディアの足だけは押さえ付けたままで、兵士に視線を向けていたバイオレットだったが、視線を戻すなり、顔面に目掛けてリディアの拳が飛んでくる。
足を引く事で男から離れる事が出来なかったのだろうか。リディアの選択肢は、男に痛覚を感じさせる事で力を弱めさせようとする事だったが、それは叶わぬ願いだった。
「ってあのなぁお前のパンチなんか効くかっつの。パンチっつうのはな、こうやんだよ?」
鼻の中心に命中させたリディアの右の拳だったが、バイオレットはそれを馬鹿にするかのように目を細め、そして男が考えているであろう本物のパンチは、言葉が終わると同時にリディアへと渡される。
男と、そして惨劇の苦痛を受けたリディアの耳に入ったのは、骨と骨がぶつかり合う鈍い音である。
「うぐっ!」
右足を男の顔の側面で押さえ付けられたままでは、両腕で顔面を守ったとしても、衝撃の全てを受け止める事は難しかったようである。寧ろ、男の拳はリディアの両腕の間を突き抜け、横を僅かに向いていたリディアの顔へと直撃したのだ。
「もういいや。こんなもん放してやるわ。どうせまともに立ってらんねぇだろうしよぉ?」
バイオレットは目の前の少女の足を押さえ続ける事に飽きたのか、リディアのブーツの裏を乱暴に掴むなり、同じく乱暴に、まるで砲丸投げのように前方へ押し出すようにしてリディアに距離を取らせた。
ようやく身体が自由になったリディアだったが、右の脚へ与えられた非常に重たい鈍痛はまるで抜けておらず、右足を床へと付けた瞬間に痺れるような激痛が太腿を包み込んだ。右脚の激痛に怯んだ様子を、バイオレットは当然、放置する真似をしなかった。
「これで終わりだ!!」
右脚の激痛に意識を吸い取られていたリディアに最期とでも言わんばかりの追い打ちを男は実行する。
これと言った疲労も、深手も一切負っていないバイオレットの攻撃速度はまるで衰えておらず、リディアへの横殴りは遂にリディアの被っていた黒のハットを弾き飛ばし、更に数回続いた横殴り、そして下から顎を突き上げる殴打は黒のマスクも剥がしてしまう。
先の殴り合いで出来上がっていた顔の痣はマスクが残っていた状態でも見えていたが、マスクが剥がされるような殴打は、口の中で出血すらも発生させ、リディアの白の歯を赤く染めさせていた。
バイオレットはリディアの殴打や足技を受けてもまるで怯みすらしないような人間離れした肉体の亜人である。そして、両者の肉体的な強さは一致もしておらず、そして、バイオレットの殴打を連続で受けて、いくらリディアとは言え、そのような重たい殴打の連続に耐えられるはずが無かった。
口の中で広がる血の味を無理矢理押し付けられながら、リディアは男の殴打に押し出されるかのように背中から倒れ込んでしまう。
立ち上がる事も出来ず、男へ強がりの抵抗の声すらも飛ばせず、動かなくなってしまう。
「ぐわぁちょいやり過ぎたか? まあ多分死んではねぇだろうなぁ。主人公補正ってのがあるみてぇだしよ」
薄暗い地下の中で、バイオレットは倒れて一切の抵抗を見せなくなってしまったリディアを見下ろしながら、自分の今の殴り方を思い返す。
大の大人が、幼い子供を虐待しているような光景ではあったが、リディアの言っていた補正が本当に発動しているのであれば、まだ息は残っているのだと、ある意味ではリディアの症状を気遣うような事を口から出した。尤も、殺さないように手加減をしたというよりは、殺す必要も感じられなかったから途中でやめてやったと言った方が正しいのかもしれないが。
「それよりだ、もうあの遺跡での回収は済んだって訳だったなぁ?」
少し間を開けて、バイオレットは再び喋り出す。氷の兵士の元へとゆっくりと歩み出しながら、兵士達が請け負っていたであろう仕事の成果を聞こうとする。
「間違いありません。あの宝玉があれば確か、洗脳が出来るっていう話でしたよね」
小さく頷きながら、氷の兵士は黄色の眼光をバイオレットへと向けていた。どうやら宝玉を遺跡から回収する事がこの兵士の任務であったようだ。目的の物を使う目的は既に明確になっていたようでもある。
「そうだぜ。仲間増やすんだったらあれぐれぇこっちが管理しとかんきゃなんねぇし。ってかあそこに邪魔とかいただろ? そいつらどうしたよ?」
宝玉の存在は、バイオレットにとっても期待が大きかった代物であるらしく、自分達の任務をより遂行させやすくする為には存在不可欠のかもしれない。
しかし、遺跡にも衛兵等の何かしら遺跡を守る存在がいた事を思い出し、それに関しては問題が発生しなかったのかを訊ねる。
「ご安心を。あそこの衛兵達は始末してますよ。鬼族の傭兵を使いましたので」
バイオレット達が所属しているであろう組織は、事前の準備も怠らないのである。氷の兵士は、雇った鬼族の傭兵に遺跡の衛兵達を片付けさせたと説明する。雇った以上は賃金を律義に支払ったのだと見て間違いは無いと思われるが、元々傭兵は金で動く兵士である。きっとあの場では氷の兵士でさえも驚くような仕事ぶりを見せていた事である。
「使えるもんはバンバン使わねぇと、だよな。じゃあオレもここ出るか」
バイオレットはこの町を去ろうと、花の怪物の死体の向こうにある暗闇へと顔を向けた。灯りが無い為、乱暴に破壊されている煉瓦の壁の向こうは永遠の闇にも見える程に暗くなっていたが、恐らくそこからバイオレット、そしてこの花の怪物も侵入してきたのだろう。
その暗闇が、今はバイオレット達の出口でもあるようだ。
「あ、それとだ。お前ちょい話だけど……」
バイオレットが声をかけた相手は、氷の兵士では無く、通常の人間である筋肉質な裸の上半身の男であった。
先程まではバイオレットの戦いを壁際で黙って見ていただけだったこの盗賊団の男だが、突然呼ばれ、バイオレットの元へと進む。
「何でしょうか?」
一体何を話されるのか、男は検討も付かなかったかのような表情を作っている。男は盗賊団の人間であるから、恐らくバイオレットと同じ場所に帰る訳では無いだろう。
「あの女だけど、お前にやる。好きにしていいぜ? どうせ動かねぇだろうからやるならチャンスだぜ?」
バイオレットは先程殴り倒した少女を指差し、盗賊団の男にくれてやると言い出した。
指の先に映っていたのは、顔に激しい痣や出血の痕を残した上で仰向けに倒れているリディアの姿であった。派手に倒れたからか、もう既に本来の役目すらまるで果たせていない乱れた白のスカートからは茶色の短パンが見えているが、本人はそれを意識する余裕を持ってはいなかっただろう。
「ホントですか? 何やっても、いんですか?」
無抵抗にも近い動かないリディアを見て何を妄想でもしたのだろうか。盗賊団の男はまるで確かめるかのようにバイオレットを真っ直ぐ見つめる。
「別にあいつがどうなろうがオレの知ったこっちゃねぇし、勝手にすりゃいいだろ? 何やったって別にオレ文句言わねぇよ」
バイオレットはリディアがまだ死んでいるとは思っていなかったようである。それでも、生きていて欲しいという願望も無いのだから、他の者がどのような形で手を出した所で、それはバイオレットの実害や損害になる事も無い。
寧ろ、盗賊団のこの男が、倒れている少女に何をしようとしているのかを想像する事が楽しみの1つとなっていたのかもしれない。
「それは感謝ですね。じゃ、とりあえずこっちは少し遊んだら撤収しますわ。丁度あそこにもう1人いい感じの奴がいますしね」
男は盗賊団の男は下卑た笑みを浮かべるが、今倒れて動かなくなっているリディアと、そしてこの地下へ一緒に引きずり込まれてしまった別の少女、今は木箱の裏で震えていたのだが、男の視界に入ってしまったらしい。
どのような手段を使ってやろうか、激しい妄想を巡らせているのかもしれない。
「お前の趣味なんてどうでもいいや。それより、お前の方でまだやる事あるって言ってたよな?」
バイオレットはうっすらと理解する事が出来ていたのかもしれないが、そこまで盗賊団の男とは縁がある訳では無かったからか、それ以上の時間を使おうとはしなかった。
氷の兵士へと視線を戻すなり、次の任務を聞こうとする。
「そうです。エボニー海岸の方で貧民達の受け取りがあります。明後日が予定日となってますね」
兵士は淡々と、そして明確に自分の予定を説明する。尖った鼻の下から突き出した、髭にも見える突起が薄暗い空間で僅かに閃く。氷で作られた容姿であるからか、表情に変化が見られない。
「あいつら別に生きてる価値もねぇから、実験台にゃあ丁度いんだもんな。結構数もあったもんな?」
海岸と言えば海であるが、恐らくは船か何かで貧民達が運ばれてくるのだろう。バイオレットは貧民というその絶対的な低い立場の者達の人権さえも考慮しないかのような言い方で、口元をにやけさせる。人数の数え方も、それは人としてでは無く、物体として見ているようにしか見えなかった。
まるで代わりはいくらでもいるだろうと言わんばかりに、実験の成功や進捗を思い浮かべる。
「はい、人数は充分に。所で、1つ宜しいでしょうか?」
実験に使う人間には余裕がある事を氷の兵士は言うが、何かに気付いたのか、バイオレットに訊ねようとする。
「なんだ? あの連中が可哀想に感じ始めたのか?」
バイオレットの事だから、氷の兵士が貧民達に同情したとは思っていない事を分かった上で、わざとそのような聞き方をしたのだろう。からかうような目つきが氷の兵士に突き刺さっている。
「いえ、そうでは無いですが、あそこの者達はこのまま放置して大丈夫なのでしょうか?」
冷静にそれは違うという事を説明する氷の兵士だが、気になったのは、2人の少女である。
「あぁほっといていいあんなの。あそこの女はまずオレらの喋ってっ事なんか理解出来てねぇだろうし、そこのさっきオレに歯向かってきたガキは……まあオレのノルマに耐え抜いたから殺さねぇでやってるってだけだ。それにあいつ寝たフリして今の話聞いてんだろうし」
バイオレットはだるそうに腕を組みながら、最初はリディアでは無い方の少女を視界に入れた。木箱の影で震えているが、バイオレットとしては、震えている少女に情報を知られたからと言って、何も不利になる事は無いと感じているのだろう。
そして、バイオレットから残酷にも非常に重たい殴打を受けてしまい、踏ん張る事も出来ずに倒れてしまったリディアに関しては、ある意味では特別な見方をしていたようである。戦う前に提示した、3分耐えれば利益となる情報を渡してやるという約束をただ守ってやっているだけであるから、この場で話した内容を聞かれた所で、それを恐れる必要は無いのだと思われる。
尤も、力の差があり過ぎる大の男のパンチを顔に受けても、話を聞くだけの意識を保つ事自体が疑わしい話なのだが。リディアは本当に話を吸収しているのだろうか。
「聞かれたら不味くは無いのでしょうか?」
意図しない相手に情報を提供してしまう事の恐ろしさを氷の兵士は理解しているのである。とは言え、ここではバイオレットが主導権を握っている以上は迂闊には過剰な否定は出来ないのだ。
「いんだって。オレに殴られて耐えたらいい事教えてやるって約束しちまってたしな。この話はそいつに対するプレゼントだ」
しかし、バイオレットはそれで怖気付く程弱くは無いと誇っているのだろうか。寧ろ、わざと聞かせているかのような様子でもあり、今の話を贈り物のような存在として考えている辺り、やはりリディアを死んだ存在としてまだ認識はしていないようでもある。だが、男の目に映るのは、どう考えても立ち上がる様子も見えない口の端から血を流している弱った少女の姿だ。
「あの者が戦ってる様子、自分も見たかったですね。次は自分が戦ってみたいですね」
氷の兵士はバイオレットの本当の戦闘能力を理解しているのだと思われる。それを耐え抜いたリディアの力量に一種の期待を持ったのかもしれないこの兵士は、出来れば自分もその場に居合わせたかったと、後悔すらも抱いていた様子でもあった。
そして、この兵士が実際にリディアと手を合わせる日は案外そう遠くは無いのかもしれない。
「機会があったらお前に譲ってやるぜ。さてと、オレはまた次のやる事があるし、お前はあいつとどうやって遊ぶか考えとけよ?」
バイオレットはまずは氷の兵士に、リディアとの戦闘の権利を与え、そして次に、盗賊団の男と目を合わせた。
リディアをどのように攻めるのかを頭の中で構築させるよう施す。
「了解です」
盗賊団の男は、リディアの身体を舐め回すように見つめながら、バイオレットとは目を合わせずに返事をする。
崩れていた煉瓦の奥に存在した暗闇からいつの間にか姿を現していた、緑色の体色を持った大蛇の上に、バイオレットと氷の兵士は、蛇の首元に装着されたサドルに跨った。
人――尤も、2人は人間では無いのだが――2人分を乗せられる体躯を持った大蛇は、身体をくねらせながら暗闇の奥へと高速で進み出す。
――大蛇に跨り、2人は暗闇の奥へと消えていく……――
一人だけ残された盗賊団の男は、黙りながらリディアの姿を、頭から足元までなぞるように見つめるが、足首まで視線を走らせると同時にゆっくりと進み出す。
しかし、動き出したのはこの下卑た髭の男だけでは無かった。
リディアに助けられた赤い服の少女であるが、倒れて一切動かなくなってしまっているリディアの傍らへと走り寄り、男がリディアに触れる事を拒む。
「あぁ? お前なんか用か?」
意識があるのかどうかさえも分からないリディアの傍らで立ち塞がる少女に向かって、男は舌打ちを混ぜ合わせながら低い声を浴びせかける。
「……来ないで!」
明らかに怯えた瞳をしていた少女だが、リディアを守れるのは自分しかいないからか、声だけには必死な強がりが写り込んでいる。
「何お前そいつ庇ってんだよ? どけよ? お前なんか後回しなんだからよぉ?」
盗賊団の男は、その赤い服の少女はリディアとは異なり、全く戦う力等を持っていない事を簡単に知る事が出来ていた。誰かから情報を得なくても、理解するのは簡単だ。だからこそ、殴ろうとする素振りすらも見せず、ただ威圧感のある声を浴びせるだけで離させようとした。
「……やめて」
叶うかどうかと言われれば、それは宝籤でもう一生働く必要が無くなる程の金銭が手に入る確率と同じだと言っても良い程の絶望的に低い確率である事を分かっていたが、それでも少女は絶対にその場から離れようとしなかった。
寧ろ、自分を犠牲にしてでも、まだ立ち上がってくれないリディアを守ろうとしているようにも見える。
「ビビってるくせに強がってんじゃねえよ? じゃあお前から襲ってやるよ!!」
短い言葉しか反発せず、外見的にも強そうには見えない少女の様子を面白がるように、文字通りの上から目線で見つめていたが、男は少女の身体の方にも興味を持ち始めたようである。赤い服からうっすらと浮かび上がっていたのは、出る部分は出ており、細くなければいけない部分は細くなっている胴体で、そして、血が流れている脚にも興奮を感じたのだろうか。
男は力に任せてしまえば思い通りに事が始められると思い込んでいたからか、一切の躊躇いも持たずに少女を乱暴に、壁へと押し付けた。
「っ!! いやっ!!」
背中に走る鈍痛よりも、身体を乱暴に掴まれたり撫で回されたりされる事の方が数倍も激痛に感じた事だろう。少女は男には一切通じないであろう悲鳴を飛ばすが、男はこれから飽きるまで少女の身体を触り続けるのだろう。
――倒れていたリディアの右手が僅かに動き……――
*** ***
「随分手強い奴だったぜ……。時間無駄にさせやがって」
地下の外では、忍者のような装束を纏った男性こと、ガイウスの姿があった。足元には氷が散らばっており、そのどれもが大型の塊である。
恐らくそれは、ガイウスに襲い掛かっていた氷の肉体を持った兵士の成れの果てだと思われるが、氷の身体であった為、身体が砕けたとしても散らばるのは氷だけだったのだろうか。
ガイウスは敵対していた者を倒して終わりという訳では無い。心に残っている者の安否を知る為に、隣に存在する建造物へと足を走らせる。触手に引きずり込まれた女性を助ける為に、一緒にその後を追いかけた別の少女の事を忘れている訳が無かった。自分の目で直接確かめるべく、床に開いた穴に飛び込んだ。
(ってかリディア大丈夫なんだろうなぁ? 確かバイオレットとか言ってたけど、あいつで勝てる訳ねぇだろ……)
下っている穴は真下を向いているのでは無く、傾斜が延々と続く形状になっていた。足で滑るように下り降りるガイウスだが、名前だけを聞いたバイオレットという者の戦闘力がとてもリディアと張り合うとは思えなかったのだ。
当然、それはリディアよりも弱いという事では無く、その逆である。リディアの命を奪われているのでは無いかという不安さえ過り続けている。
様々な不安が頭の中を走るが、思ったよりも地下への距離は短く、強制的に着地の準備へと入らせられる。
「おいリディア!! リディアいるか!? 無事か!?」
戸惑う事無く余裕で着地を決めたガイウスは、すぐに地下に広がる空間の中で仲間の少女の名前を叫ぶ。
目の前では、巨大な花の怪物がまるで踏みつけられたかのように折れ曲がったまま動かなくなっていた。花弁や茎が何か刃物で斬られたような痕が残っていたが、傷を付けた者を想定する前に、真横から突然声をかけられる。
「あ、あの……もしかして、この方のお仲間さんでしょうか?」
ガイウスは声が聞こえた場所へ、忍者のマスクを装着した顔を向けたが、そこにいたのは、怯えたような声を出すにある意味で相応しいのかもしれない戦いの世界にはまるで向かないような外見の少女だった。
赤い服の身体の下で何やら震えたような身振りを見せているが、後にガイウスはもう1つの大事な部分に気付く事になる。
「ん? 君はさっきの女……ってリディアお前どうしたんだよ?」
引きずり込まれる時の僅かな時間をガイウスは見逃していなかったようであり、赤い服の少女を見て、それを初対面の相手としては認識しなかったようだ。
しかし、少女の足元で黒の儀礼服に似た戦闘服を纏った別の少女が、右脚を押さえながら横を向いて倒れていたのである。
それがガイウスの視界に入ると同時に、ガイウスは足を進ませる。目的は勿論、リディアの安否を至近距離で確かめる為だ。
「……」
右の太腿を両手で押さえながら丸くなっているリディアは、ガイウスの声に気付いたのか、顔を何とか向けるが、激痛に堪える事で精いっぱいだったのか、返事を直接する事は出来なかった。
「実は……この方、えっと、リディアさん、でしょうか? わたしを助けてくれたんです」
ガイウスが呼んだ際に黒の服の少女こと、リディアの名前を思い出したのだろうか、赤い服の少女は開いた左手をリディアへと差し出す。
それはある意味では指を差す行為のようなものだったのかもしれないが、本当に指を使うと、リディアを見下した扱いになってしまうと少女なりに思ったのかもしれない。
「なんかそこでぶっ倒れてるおっさんいるけど、まさかリディアの奴そいつに脚でもやられたのか? それと、そこのおっさんがもしかしてバイオレットか?」
リディアと赤い服の少女より離れた場所にいる、今少女達の側にある壁に対して水平に伸びている別の壁に凭れ掛かっている上半身が裸の男の事も気になってしまったガイウスだが、地上でも聞いたバイオレットという名前の者の主が今目の前で伸びている男なのではと、赤い服の少女に聞こうとする。
リディアに聞いたとしても、今の状態ではまともに答えを聞き出せない。
「いや……えっと、脚の怪我は……あの人がやったんじゃなくて……それと……あの人は……バイオレット、じゃないです」
この空間での事実を知っているのは、リディアとこの赤い服の少女である。ガイウスの憶測が間違っている事を伝えるが、彼が来るまでの間の状況による震えがまだ抜け切っていないのだろう。話し方も非常にぎこちなく、伝わっているのかどうかも分からないような形であった。
それでも、上半身が裸の男、盗賊の一員であるが、その男を見る時の少女の目はどこか嫌そうではあったが。嫌悪感だけは素直に出せる程の余裕はあるらしい。
「なんかいまいち話が掴めねえんだけどな。とりあえずこんな場所なんて気味悪いから、一旦出るしかねえだろ」
言葉そのものは聞き取っていたのだから、ぎこちない喋り方であるにしても、ガイウスはリディアの怪我の原因を作った相手が壁に凭れ掛かっている男では無くて、尚且つその倒れている男がバイオレットでは無いという事も知ったのは間違い無い。
自分が今滑り降りてきた道の事を想像すると、一種の面倒事が思い浮かんでしまう。
赤い服の少女は脚から血を流してはいるが、自力で登れるといくらか信じる事は出来た。ただ、リディアの場合は脚を怪我しているのか、自力で歩くのは難しいように見えるし、そしてもし怪我が無かったとしても、体力の過度な消耗のせいでまともに動けるとは思えなかったのだ。
「いよっと。じゃ、おれはこいつ運ぶから、あんたは自分で歩けるよな?」
ガイウスは体力的には軽々と、そして態度の方は面倒そうにしながらリディアを軽々と抱き上げる。リディアも自分の身体が持ち上がる感覚に気付き、持ち上げた正体がガイウスである事を確認するが、マスクが取れている事で露になっているその少女の顔には痣や血の痕が見えていた。また、表情もやはり弱々しかった。
「わたしは……自分で歩けます。でもあそこに登るのは……ちょっと難しいと思います」
赤い服の少女はガイウスの問いに静かに答える。
リディアの所持品である黒のハットとマスクをそれぞれ両手に持ったまま、高所に見える地下室へ伸びた通路を不安そうに見つめた。
「確かにあんたじゃあ無理だろうなあ。じゃ、とりあえずおれの背中にしがみ付いてくんねえか?」
ガイウスは一度主観では無く、客観的にあの高い場所に見える通路への穴を見上げる事にする。一般人であれば跳躍程度ではまず届かないし、登るのも恐らくは不可能だろう。
忍者を模したマスクから光る眼光がそれを捉えた後、赤い服の少女に1つの指示をガイウスは渡す。
「あ、はい。こうでいいですか?」
おんぶをしてもらう時のように、赤い服の少女はガイウスの首に両腕を引っかける。勿論ガイウスの方はリディアを抱き上げている為、少女はガイウスの腕に支えてもらう事は不可能である。
どのようにして高所にある通路へと登るのか、検討は付いていたからか、少女は自分の腕がガイウスから離れてしまわないよう、覚悟も一緒に決めるかのように力を込めた。
「充分だぜ。じゃ、跳ぶからちゃんと掴まっとけよ?」
少女が掴まった事を改めて確認すると、ガイウスは一度軽く屈み込んだ後に、通路目掛けて跳躍する。
地上に出て、仲間達と合流をする為、そしてまだ地下で倒れている盗賊団の男から事情を聞き出す為に、今は地下世界から出なければいけない。
意外と格闘戦っていうのは、その場その場のシーンを描写しないといけないので、ある意味では小説ではそういうのは向いてないという話も聞きます。だけどやっぱり描写してみたいという願望がある以上は、頑張るしか無いかと。
とりあえずリディアにはある意味では負けてもらいましたけど、仲間達の登場でこれからどうなるか、かもしれません。