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○と十  作者: 心野 想
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【一○○×eye】






 ボクは真っ暗な世界のまん中に立っているのでした。

 どこまでもどこまでも黒く、まるで∞のようでした。それがたった今ボクが立っている世界の風景なのでした。

 足を前に出しました。目に見えない床の硬い、でも内部にやわらかさのある、例えば爪を指で押したような感触が足の裏にありました。

 左右に手を伸ばしました。何も触るものがありません。先に進むことができます。

 背後にも壁はないようです。先に進むことができます。

 ∞にある選択肢の中から一つの道、正面に広がる∞を選んで、ボクは歩きはじめました。


 しばらく歩いて思ったのは、何も変化がないということでした。歩いても歩いても歩いても歩いても世界は相変わらず闇のまま、どこまでもどこまでもどこまでもどこまでも同じ風景で、まるで進んでいる感覚がありませんでした。まるで床がボクと逆方向に動いているようでした。

 でも立ち止まる気はありませんでした。振り返ったりもしません。ボクはただ無心に、歩き続けました。


 どれだけ時間が経過したでしょうか。歩いていると向こう側に一つ、小さな光の粒が見えはじめました。まるでボクを呼ぶ信号のように光が付いたり消えたりしています。ただ、その点滅のリズムには規則性がなく、どちらかというと切れかけた街灯の光のように見えました。

 近づくにつれ、光を放つものの正体が明らかになってきました。自分よりもはるかに大きなものだと分かるようになって間もなく、それが実際に街灯なのだと分かりました。曲げたスプーンのように首をもたげて光を点滅させています。

 街灯の放つ光の真下には青い標識が立っていました。あと三十歩というぐらいまで距離が縮まると、標識に書かれている表示がはっきり見えてきました。白く矢印が書かれていて、途中で分岐しています。この先に直進する道と左折する道がある、という意味だと分かりました。


 標識の真下で、ボクは立ち止まりました。

 左を向きます。真っ暗です。

 直進方向を向きます。こちらも真っ暗です。


 立ち止まりはしましたが、だからといって進む方向を迷っているわけではありませんでした。まっすぐ進む。答えは最初から出ていました。立ち止まったのは、ずっと歩いてきたからです。ずっと歩いてきて、光があったのでちょっと立ち止まってみようと思い立ち止まった、それ以上の深い意味はありませんでした。


 フゥ……ふと矢印のない右方向を向いてみました。当たり前ですが、やはり真っ暗です。そうか、こっちには道がないんだな……


 ポン。


 その時、ふとヘンテコなことを考えました。もしこっちに進んだらどうなるんだろう……そんな疑問を抱くと、なぜでしょうか。さっきまでは考えもしなかったのに、何となくこっちを歩いてみたいと思いはじめるのでした。

いやいや、ダメだろう。理性が思い付きを否定しました。だってこれまでずっとまっすぐ歩いてきたんだぞ。そしてその選択はきっと間違っていなかったはずだ。だからこれからもまっすぐ歩いていけば間違いはないはずだ。だからまっすぐ歩いた方がいい。

 理性の理論は完璧で、反論の仕様がありませんでした。

 でも、なぜでしょう? これ以上ないと思える根拠があるのに、ボクはもうまっすぐを選ぶ気が全くないのでした。まっすぐを選びたいのに、気持ちが全く向かないのです。

 ボクはもう一度よく考えてみようと思い、強く目を閉じました。そしてゆっくりと五つ数えてから目を開けました。

 二つの道を比べました。


 一つはずっと歩いてきた道の延長線上にある道。

 もう一つは立ち止まるまで全く存在すら知らなかった、道ですらない道。

 ……どっちに行こう? 


 ボクは胸に手を当ててみました。胸の奥でハートがドキドキしています。それは右方向に何が待っているんだろうというドキドキでした。そして標識に表示されていない方向へ進んでいくことに対する不安のドキドキでした。

 ハートは何も考えず、何の根拠も持っていないのに、右に行くことしか考えていませんでした。

 ハートに従っていけばいい。ボクはXの言葉を再び思いだしました。

 ボクはドキドキしながら、ドキドキする道を選んで、歩きはじめました。


 歩いていると、向こう側で街灯の光がパッと付きました。光の真下には標識があり、左に曲がるようにうながしています。左に曲がれば最初の分かれ道でまっすぐ行ったのと同じ方向です。たぶん辿りつく場所も同じでしょう。

 残念だけれど、ボクは【B】を探しているんだ。ボクは当然のように、街灯をそのまま通り過ぎました。

 すると、また少し向こうにパッと光が付きました。それを通り過ぎてもしつこくパッ、パッ、パッ。


 ポン。もしかして曲がった方がいいのかな?


 あまりに何度も現れるので、さすがに気持ちが揺れはじめました。こんなにも左に曲がらせようとするのはどうしてだろう。何か理由でもあるのだろうか? 左に曲がった方がいい理由、もしくはこのまままっすぐ行かない方がいい理由……

 パッ。次の街灯が付くと、標識が二つ同時に現れました。一つはさっきと同じ左折をうながす青丸の標識でした。それに加えて現れたのは、黄色のひし形に【!】を表示した標識でした。

 黄色いのはいったいどういう意味だろう? まあどうせ左に曲がれとかそういうことだろうな……そう思って通り過ぎると、次の街灯では標識は更に倍に増え、四つの標識が現れたのでした。その次のパッでは更に倍の八つ、その次のパッでは十六の標識が現れ、その次から先は数えるのをやめました。

 増加するのも構わず、通り過ぎているうち、ついに標識たちは密集して一枚の壁となりボクの行く手を阻むようになりました。曲がる気がないなら物理的に左に行かせようということでしょうか。

 

 …………なんだかムカムカしてきたぞ。


 不思議でした。さっきはたくさんの標識を見て迷いが生じたのに、あまりにも数が多い標識を前にすると、迷いは逆におさまってきます。そして強制的にされると、ボクの中ですっかり迷いは消し去られ、むしろ絶対に曲がってなるものかという強い意志が生まれるのでした。その意志の固さは、もはや歩いている理由がハートに従ったものなのか、標識に対する反発なのかが分からなくなるほどでした。

 標識の壁をかいくぐっていくと、やがて標識は一切現れなくなりました。きっとあきらめたのでしょう。フゥ。面倒が去って、思わずホッとしました。胸のムカムカはまだ取れませんが、気持ちが少しずつ穏やかになっていくのを感じます。


 それにしてもイヤな標識だったな。ボクは何にもしていないのに……


 太ももを叩きながら歩いていると、ある時白く小さな物体を上空にとらえました。いつの間に現れたのだろう、闇の中でほのかな光を放ちながらこっちに飛んでいます。まるで蛍だとか星みたいでした。

 ですが実際はそんなものではありませんでした。やってきたのは浮遊する一個の人間の目玉なのでした。



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