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祈雨の娘  作者: 紫藤市
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 フェリアは滝というものを初めて見た。

 霧のように立ち上る水飛沫と音を立てて勢いよく崖下に落ちていく大量の水は、月明かりでいっそう輝いている。

 ヒュエトス神殿の目の前のメガロ滝は、プラシノ山の頂の湧き水が源流だ。山頂から地下を流れてきた水が、切り立った崖の一角から噴き出して滝となっている。水は山の渓流を下り、近隣の集落を潤していた。

 用意された白い麻の装束を纏い、巫女に導かれて滝までやってきたフェリアは、その雄大さに圧倒され、足を竦ませた。

 神殿の神官長である壮年の男が、フェリアの後方にある祭壇の前で金の錫杖を振り上げ祝詞を唱える。

 祭壇に供物を供えたペトラ村の長老たち一行は、神官長の後ろで神妙な顔付きをして祈祷の進行を見守っている。

「滝の中央に飛び込んでくださいね」

 巫女がフェリアの耳元で囁いたが、その声は水音に掻き消されてフェリアにはほとんど聞き取れていなかった。

「巫女として神に仕えることを定められた娘よ。ヒュエトス神の懐へ参れ!」

 神官長が甲高い声で叫ぶ。

 フェリアの隣に立つ巫女が、フェリアの背中を軽く押した。

 途端に、フェリアの細い身体は大きく傾き、滝に身を躍らせる格好となった。

 ぶわりと冷水が全身を包んだかと思うと、強い水の力で口と耳は塞がれた。流水に自由を奪われ、水とともに身体は垂直に落下する。

 きつく目を瞑ったフェリアは、谷底の滝壺に叩き付けられる瞬間を待った。

 が、突然、滝の流れに逆らうように、それまで肌にまとわりついていた水が全身を打ち据えてくる。

 あまりの痛みにフェリアが悲鳴を上げかけると、水が口に入ってきてむせ返った。

「フェリア、大丈夫か?」

 強い力で腕を引っ張られると同時に、頭上から聞き覚えのある男の声が降ってきた。

「……イアニス?」

 激しく咳き込みつつも顔を上げると、すぐそばで焚かれている篝火が視界に入った。

 自分の声が辺りに反響することから、洞窟のような場所にいるようだと推測できた。

「怪我はないか? 痛いところは?」

 目の前には、フェリアと同じように全身ずぶ濡れのイアニスの姿があった。

「ここは……黄泉の国?」

「違う。神殿の下の、滝の裏にある(がん)(くつ)だ」

「生きて……いるの?」

 声を震わせながらイアニスに手を伸ばしてみるが、冷たい滝に打たれたせいか指先の感覚が失われていた。

「大丈夫だ。お前は生きている」

「そうじゃなくて……イアニスは生きているの? 山道で土砂崩れに遭ったって……」

 もどかしげにフェリアは尋ねた。

「これが死んでいるように見えるか?」

 フェリアの顔を覗き込むと、イアニスは(なだ)めるようにフェリアの頬を撫でた。

「あぁ、良かった。あなたは無事に儀式を乗り越えることができましたか」

 イアニスの背後で中年の男の声が響いたかと思うと、松明を持った神官が現れた。

「儀式……って、なんですか?」

 まだ状況が把握できていないフェリアは、緩慢な動作で首を傾げる。

「神殿に入るための(みそぎ)の儀式ですよ。滝に打たれて俗世の(けが)れを洗い流すのが目的です」

 通常はその網の上に座って滝の水を浴びるのですけどね、と神官が説明する。

 よくよく目を凝らすと、岩窟の先には網が張ってある。フェリアはこの上に落ちたのだ。

「わたしは、巫女ではなく生贄としてここに連れてこられたのですが……」

「ヒュエトス神は供物として生き物の命を捧げられることを好まれないので、この神殿では以前から生贄は受け付けておりません」

 苦笑いを浮かべた神官は、さらに続けた。

「ただ、集落によっては、神に生贄を捧げなければ自分たちの祈りが神に届かないと考えるところもあるので、神に捧げるために連れてこられたあなたのような娘さんたちには、神殿の祭壇から滝に飛び込んで禊をしてもらっています。神殿では、あくまでも巫女として受け入れているだけなのですけどね」

「でも、それじゃあ、村に雨は……」

「心配いりません。神があなたたちの村に雨を降らせてくれるよう、神官たちが祈祷をおこなっています。明日にはあなたの村にも神がお渡りになり、雨を降らせることでしょう」

 地面に座り込んでいたフェリアは、神官の言葉を噛み締め、大きく胸を撫で下ろした。

「俺は、お前たちを追って神殿に向かう途中、その神官に呼び止められて、無理矢理ここに連れてこられたんだ」

 事情は一切説明されなかった、とイアニスは不満げに告げた。

「雨の匂いがする先に彼がいたので、お連れしたまでです。神のお導きですよ」

 涼しい顔で神官は(うそぶ)く。

「あなたがたは、今日からこの神殿で神に奉仕することが定められています。村が水で潤うよう祈り、務めに励んでくださいね」

 どうやら本当に自分は、生贄ではなく、巫女としてこの神殿に迎えられるらしいとフェリアは状況が漠然とだがのみ込めてきた。

 同時に、ひとつの希望が湧いてくる。

「ねぇ、イアニス。もしかして、あなたのお姉さんもここで巫女として生きているんじゃないかしら」

「俺も、そんな気がしてきた」

 イアニスが大きく頷く。

 よかった、とフェリアは微笑んだつもりだったが、双眸からは大粒の涙が溢れた。

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