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コロちゃんと捨てる神

作者: 高橋峻

 コロちゃんは商店街のアイドルだ。

 犬の殺処分がニュースで問題になるたびに、ぼくはコロちゃんのことを思い出すのだった。大型スーパーのマスコットキャラクターに負けじと戦っていたコロちゃん。コロちゃんと出会ったのは十二歳のぼくで、別れたのは十四歳のぼくだ。

 十四歳のぼくには夢があった。大きな一軒家を買って、大きな庭を作って、大きな犬を飼って暮らす。そういうありがちな暮らしを夢見ていた。

 三十四歳になった今、大きな一軒家は買ったし、大きな庭も作ったけど、大きな犬は飼っていない。それはやはり、ぼくに犬を飼う資格がないということなのだろう。

「動物を捨てる人は、動物を飼うべきじゃないんですよ。ちゃんと、生き物を飼うという自覚を持って接することができる人じゃないと」

「そうですよね。昨今の犬の保護件数の多さには、生き物に対して若者がゲーム感覚になってしまっていることが考えられますよね。飽きたら捨てる。大変だから捨てる。嫌な世の中になって来ましたね」

 白髪のアナウンサーがわけ知り顔で話していた。まったくだと思った。人は動物の気持ちを考えない。飽きたら捨てて、次のものを探す。その繰り返しで、いくつものものが捨てられて行く。捨てる神は嫌というほどいて、拾う神は嫌になるほどいない。ひどいと思って、ぼくは捨てる神たちを憎んだ。

 憎むたびに、ぼくの夢が削れて行くのを感じた。削れる前の夢には、必ずコロちゃんの姿があった。テレビを消したぼくの目に、三人で撮った記念写真が映った。記念写真のぼくには、ぼくやアナウンサーにはない何かがあった。そんな気がするのに、何も思い出せはしなかった。


 「コロコロしてるから、コロちゃん」。そう名付けたのは八百屋の加藤さんで、当時、加藤さんは52歳の独身女性だった。コロちゃんは名前の通り体の小さい柴犬で、「お腹が空いたんかねえ」と加藤さんが呟いた時、これでもかと言うほど尻尾を振るところがチャームポイントなのだった。

 ぼくとコロちゃんが出会ったのは、小学六年生の冬だ。商店街の奥の空き地にある、小さいダンボールがコロちゃんの住処だった。まだ幼犬だったコロちゃんが風邪を引かないように、暖かいミルクを毎日届けに行っていた。ほどなくして加藤さんがミルク配達員のぼくに気が付いて、一緒にコロちゃんを見守るようになった。

 それから半年経った頃。元気になったコロちゃんは、商店街にその元気を振りまいていた。「今日も元気ねえ」と道ゆく人が言うたびに、尻尾を振って笑顔を見せる。そうして付いたアダ名が、商店街のアイドルだったのだ。この街の有名人となったコロちゃんは地元紙にも掲載されて、ぼくと加藤さんは娘のようなコロちゃんの晴れ姿に、とても喜んだのだった。

 飼い主が現れたのもちょうどその頃だ。飼い主が突然迎えに来た理由も、加藤さんがその人に怒っていた理由も、当時のぼくにはよく分からなかった。その理由を分かることができたのは高校生になってからだった。高校生一年生の冬、十六歳になったぼくは、すっかり寂れた商店街の奥の空き地で、縮こまっているコロちゃんを見つけた。その時初めてぼくは気が付いたのだ。あの人は飼い主でもなんでもなかった、ということに。いや、もしかしたら本当にコロちゃんの飼い主なのかもしれないけど、ぼくにとって、あの人は飼い主ではなかった。

 再会したばかりのコロちゃんは弱っていて、でも、ぼくの家ではコロちゃんを飼うことはできなくて、ご飯をあげて喜ばせている自分が大好きで、それだけで良かった。けれど高校生のぼくは色々なことに夢中で、コロちゃんと会う時間は次第に減って行ったのだった。

 大学生になって、商店街はショッピングモールになって。コロちゃんが保健所に引き取られたことを知ったのは、加藤さんの葬式だった。すぐに保健所へ向かったぼくは、コロちゃんが既に殺処分されてしまった後だということを知った。

 犬が好きだったぼく。品種改良とか、そういうものに納得していたわけではないけど、それでも犬が幸せならと思っていたぼく。二十歳の誕生日、ぼくはプロフィールページにあった、「犬が好きです」の文字を消した。その時から、ぼくの夢は削れて行った。

 ぼくは捨てる神たちを責めた。犬の気持ちを分かっていない捨てる神たちを。けれどぼくは、コロちゃんの気持ちを分かっていただろうか。この期に及んで、ぼくは拾う神でありたかったのだ。

 あの時は加藤さんが拾う神だった。その加藤さんも今はいない。捨てる神に捨てられてしまった。捨てる神は拾う神よりも強いのだ。ぼくもいずれは捨てる神になってしまうだろう。そして、生き物の気持ちが分からない人に成り下がるだろう。そうなった時ぼくは、コロちゃんにミルクを届けていた十二歳のぼくさえも失ってしまう。だから、せめて捨てる神にならないようにしよう。そう心に決めて、ぼくは記念写真に火をつけた。

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