「彼岸花咲いた」
空気はキンとはりつめていた。
雪景色の平野は太陽の光を銀色に反射して、遠くに見える森の入口あたりまでキラキラと光っていた。
昨日つもった、綿毛のような新雪はふわりとしていて、しかし非情に冷たく、手の中で溶けていく。
誰も踏み入らない、森を隔てた平野は、時が止まったように物静かでいて、生命の動きがまったくない。
時が止まってしまっているようであった。
私は雪の上にうつ伏せ、銃身を森の方角へと向けていた。
白い息を吐く。口のちかくの雪がほこりを吹くように散った。
すうと空気をすうと、雪のにおいがした。
ズッと鼻を吸った拍子に、鼻孔が凍りつき、奥の方が痛くなる。
鉄の引き金を指に触れると、氷に触れているよりも冷たく感じた。
遠くに二匹のウサギが、ころころと遊んでいるのが眼に入った。
森の中は薄暗い。森の外は泣きたくなるような青い空に、小さな太陽が輝いていた。
今しがた森から出てきたウサギも、せっかくの晴天に外に遊びに来たのだろう。
私はウサギに気付かれないように、息をひそめた。吐く白い息も色がつかないほど、薄くゆっくりと呼吸する。
私は降り積もった雪になる。
つめたく、無機質な水の結晶になる。
ウサギの動きを観察する。動きに小さな周期性を見つける。
銃床を右肩に固定して、一点に照準を定める。
風はない。しかし、空気の抵抗と重力、火縄のクセは銃弾が直線に進むことを許さないだろう。
定めた点の小指の幅ひとつ分だけ上に、銃口をずらす。
もう動かさない。
凍えないように握っていた人差し指を開いて、引き金をなでるように触れた。
ウサギはころころあそぶ。
依然、世界は音もなく。時間は止まっているようであった。
ウサギはころころあそぶ。
その瞬間、私の定めた照準の一点に、ウサギが通りかかるのがしっかりと想像できた。
ウサギが跳躍しようと体を縮め、前傾姿勢で倒れこむ瞬間。
前足を突き出して、跳躍する直前。
じゃれて追いかける一方のウサギをかわして、はしゃいで逃げる、その瞬間。
引き金を引いた。
しゅっという火薬が燃える音が、耳当て越しに聞こえて。
刹那ほど後に、ぱあんという乾いた轟音がひびいた。
視界の向こうで、ウサギは雪に血をまき散らして絶命した。
もう一方のウサギは轟音を聞くや否や、森の方へ飛んで逃げて行った。
私はひざをついて立ち上がる。
指と眼にすべての神経を集めていたために、腕や足の筋肉は弛緩しきっていた。
体中の筋肉に血液が送り込まれ、伸びをしたいようなこそばゆさを感じる。
負い紐を肩にかけ火縄を下げ、獲物を捕りに行く。
膝で雪をかき分けながらたどりついたその先で、完全に絶命したウサギを見た。
銃弾は首筋に命中し、白い毛の隙間から流れ出た血は太陽に照りついていた。
飛び散った血は薄く雪を溶かし、赤い花を咲かせていた。
初めに連想したのは江戸でみた花火。
花火そのものではない。花火が打ち終わった後に、眼の裏に焼きついた光の線。
私はそれが好きだった。
「たまや」「かぎや」の喧騒が過ぎ去った河原の寂寥。私は眼をつむって、まぶたに焼き付いた自分だけの花火に思いをはせる。
眼の裏には妖艶な花が咲いたようだった。
次に想像したのは、冬虫夏草。
ウサギから命を吸うように生えた赤い樹形が、蝉に寄生した菌糸に見えた。
土の中で七年もの間待ち続ける蝉の命が吸われる姿と
森から出でて、晴天にはしゃいでじゃれあう幸せが刈り取られる皮肉が
どこか重なって見えた。
私は、雪で毛皮についた血を軽くぬぐい、耳を束ねるようにしてウサギをつかんだ。
薄暗い森の奥に、つがいの一方のウサギが赤い目で見つめていた。
私はウサギをみつめ、火縄で狙うふりをした。
鉄のつぶては入っていない。火薬は入っていない。
私は、ウサギが人間のように撃たれると思い逃げるのではないかと思ったのだ。
ウサギはただ、こちらを見つめていた。
私は興が覚め、火縄を降ろして帰路に就く。
薄暗い森の奥に、つがいの一方のウサギが赤い目で見つめていた