Scarlet Crow~魔女狩りの章~
「けっ、また拷問中に人が死にやがったぜ。おい、さっさと片付けておけ」
手当がいいからと言って死体の処理なんて嫌な仕事だ……。
俺の仕事は雑用と処刑・拷問で亡くなった遺体の処理をすることである。
世は江戸時代。島原の乱が起きた後で耶蘇教摘発の真っ最中であった。
耶蘇は西洋の宗教、基督教のことである。日本では耶蘇教と呼んでいる。
耶蘇にかけられた罪は反逆罪。この日本に対しての反逆は死罪となる。
しかも、今流行っている病の原因も耶蘇とされているくらいだ。もう、耶蘇に対して人間と言う立場は存在しないのだろう。
正直、いとも簡単に人の命が消えていくのを見ていると、かなり気分が悪い。
死体を持ち上げ、戸板で運んでいく。
「おい、さっさと歩け」
今日もまた、耶蘇とされる人々が連れてこられてきたようだ。
俺はとても冷ややかな目をしているだろう。
だけど、それが現実だ。もちろん、同じ人間として彼らを助けてあげたいが、耶蘇の抱えている問題は金銀なんかで解決はできない。
脱走させても異端狩りが終わらない限り、耶蘇は平穏を取り戻すことはない。そう思いながら耶蘇の人たちを見ていると、誰かが俺にぶつかり、足を止める。
ぶつかったほうの相手を見ると、灰色の長い髪が特徴の幼い西洋の少女であった。俺は初めて会った西洋の少女に思わず唖然とする。
少女はすぐさま無理やり立ち上がらされ、牢のほうへと連れて行かれた。
「西洋人?」
「お前! なにぼさっとしている。さっさと運べ」
俺は「はい」頷き、仕事を進める。
その後、囚人である耶蘇教の人らに食事を運んでいき、再び異国の少女と出会うことになる。
異国の少女は他の囚人と違って別の牢、身分のお高い方を幽閉する際に使われる隠し牢のほうに収容されている。もちろん用意されている食べる物でさえ決定的に違う。他の人たちはわずかな粟や稗なのに対し、少女の食事は白米に味噌汁、おかずまでも付いている。
どうしてこの少女に対してここまで待遇の良いのかわからないが、少なくとも下っ端である俺の問いに答える奴は誰もいない。
「よぅ、飯だぞ」
俺の声が聞こえたからか、少女は俺のほうを見る。
少女は小動物みたいに小さく震えていた。
「そんなに怖がらなくていいぞ。俺はただ飯を持ってきただけだ」
牢の中に少女の食事を入れる。
「それにしても異端狩りとは言え、こんな小さい子にも容赦ないな」
「……仕方ありません。私がキリシタンである限り、きっと解放してくれないでしょう」
俺は驚いた顔をしているだろう。
異国の少女が日本語をしゃべるとは思わなかった。
「お前、日本語しゃべれるのか?」
少女は小さく頷く。
「こいつは驚いた。もしかして和蘭人か?」
日本と唯一欧羅巴と交流を持つ国は和蘭だけ。
けど、その問いに少女は黙秘する。
「……違うみたいだな」
黙秘をすると言う事は、どうやら日本と交易のない国から来たみたいだ。
国のことをもう少し聞いてみようか。
いや、おそらく下手に口には出せないのであろう。ここは鎖国政策を執っている国だ。日本の内情を調べに来た間者と思われてしまうからか、実際に間者であって口を割ることができない。そのどちらかが理由なのであろう。
それなら、この少女は嘘を付いて『私は和蘭人』とでも言えばいいと思うかもしれないが、この少女に関してはそうはいかない。なぜなら、この少女は耶蘇。確か、耶蘇は嘘を付いてはいけない。そんな決まりがあったはず。
「なら、名前は? それくらいなら口を開いても大丈夫だろ?」
少女は首を縦に振る。
「アーニャと言います」
「アーニャね。じゃあ…………」
話を続けようとしたとき、入り口から足音が近づいてくる。
どうやらここが潮時みたいだ。これ以上、話を続けると変な疑いをかけられそうだ。
「悪い。そろそろ時間だ」
この場を去ろうとしたとき、少女が「待ってください」俺を呼び止めた。
「あなたはいったい?」
「この奉行所で働いているただの雑用だ」
そう言いながらこの場を後にした。
さてと、仕事のほうへと戻らせていただくとするか。……ん?
俺は一旦足を止め、後ろを振りかえる。
尾けられている? いや、まさかな。後ろを振り返っても誰もいないし……気のせいか?
再び足を進めてみると、やはり誰かに後ろから尾けられているような感覚がある。
ため息を付き、気味が悪いと心の中で思う。
翌日、昨日と同様、俺はアーニャの食事を運び、隠し牢の中へと入る。
「よぅ」
と、俺は挨拶を交わすが、アーニャからの返事はなかった。
「ん?」
俺はアーニャの食事を置こうとすると、どうやら昨日の食事には手をつけてはいなかった。
「口に合わなかったか?」
「いえ、そういうわけではありません」
「……もしかして宗教上のあれか?」
仏教でも食べ物に決まりがあるように、耶蘇でも食べ物に決まりがあるのか?
「はい。その……今、断食期なのです」
「断食って、捕まっていてもするものなのか?」
「これも修行の1つです」
「いくら修行と言っても何か食べないと身体壊すぞ。せめて飲み物くらいは飲んでおけ」
「お気遣いありがとうございます。ですが、父の教えに背くわけにはいきませんので」
神の教えね……。本当に神なんて物がいればいいけどね。
「ま、いいさ。考え方なんて人の自由だし。けど、本当に無理だけはするなよ。無理して倒れたら神も仏もあったもんじゃないからな」
「はい。ですから、その……この食事を私に出すくらいなら他の信者の方に与えてはくれませんか?」
と、アーニャは今日の分の食事を他の信者に渡すように懇願する。
「悪いな。それはできない相談だ」
「どうしてもですか?」
「言っただろ。何も食べないと身体を壊すって。だから、もし次の配膳の時に食べ残しがあったら、それを渡してやる。ちなみにこれも渡す予定でいるぞ」
と、昨日アーニャが手をつけなかった食べ物を見せる。
「あ、ありがとうございます。このご恩は忘れません」
「別に感謝されるようなことはしていないさ。あと、個人的に握り飯とかを信者たちに与えている人もいるから。たぶん、飢えとは大丈夫だと思うぞ」
「そうですか。それを聞いて少し安心しました」
少し、気持ちが楽になったのかアーニャは安堵した表情を見せてくれた。
「あなた様はお優しいお方なのですね」
「別に……そこまで褒められる人間じゃないさ」
「いえ、あなた様のおかげで私はとても安心しています。そういえば、まだ、あなた様のお名前をお伺いしておりません」
名前……か。まだアーニャに俺の名前を教えてはなかったな。それにしても誰かに名前を尋ねられるなんて初めてだ。
「紅だ。まぁ、ここではただの雑用だから名前を呼ばれることはそうないけどな」
アーニャと話して少し気持ちが楽になったからであろうか。久々に笑みを浮かべた気がする。
「では、クレナイ様。あなたに神のご加護を」
と、祈るアーニャ。
神のご加護ね。今更、耶蘇の神様にすがり付くつもりはないけど、気持ちだけは受け取ってやるか。
背中を向けながら手を振り、俺はこの場を後にし、牢屋へと入る。
「よぅ、これはアーニャからの差し入れだ」
握り飯とアーニャの残した食事を囚人たちに渡した。
「あぁ、アーニャ様。ありがとうございます」
人々がアーニャに感謝の祈りを捧げていく。
「ところで御侍様。アーニャ様はご無事なのですか? 酷い目にはあっていませんか?」
たぶん、御侍様と言うのは俺のことだろう。別に侍ではないのだけど。
「安心しろ。アーニャは無事だ。それよりそれを食べて力を蓄えておけ、お前たちの元気のない姿を見たらきっとアーニャは悲しい顔をするぞ」
「あぁ、ありがてぇ。それだけ訊いただけでも安心しますだ。ここまでおいらたちの心配してくれるだは御侍様だけだ」
「別に感謝されるようなことはしていない。俺にはこれくらいしかできないからな」
「いえ、そんなことありません。あなたの優しさは我らが父のようです」
つまり、俺が神見たいって事か。
むしろ、俺は神ではなく鬼や獣に近いかもしれないな。
「別に俺は耶蘇に入っているわけでもないし、神と呼ばれるほど綺麗な人間じゃないさ」
俺はそれだけ言い残し、一旦外へと出ていく。
やっぱり……。昨日の夜もそうであったように今日も誰かが俺を尾行している。けど、後ろを見ても付けてくる奴は1人もいなかった。尾けられている感覚があるのに、振り向いても誰もいないか……もしかすると忍か? だけど、何のために…………。しかし、これ以上付きまとわれてもしつこいだけだ。そろそろこの辺でご対面とさせていただくか。
角を曲がり、俺はその辺に落ちていた枝を拾い、屋根の上へと飛び上がる。
すると予想通り、俺が屋根に上がってからわずかであった。
若い女がこの人気のないこの場所へと入っていき、辺りを見回し始めた。
どうやら俺を探しているようである。
歳の頃は一七~一八の美貌の少女。
二重瞼に切れ長の目。肩まで伸ばした黒髪。
着ている物からしてこの城で働いている侍女だと思わせるのだが、この城に居て彼女を見かけたことは一度もない。
俺はすぐさま下へと降りる。
後ろから相手の首に腕を回し、木の枝の尖った先を目の近くへとやる。
首を回した際、金木犀の香りがしたが、それとはまた別の匂いもする。
「よぅ、俺を付けているようだが、この俺にいったいなんのようだ?」
「な、何をおっしゃいます。私はただこの辺にようがありました故」
「ほぅ、忍がこんな人気ないところで何の用だ」
「!!」
女は身体を少しビクつかせた。
反応からしてどうやら当たりのようだ。
女の袖口に手を入れると、中から手裏剣も出てきた。
十字型の手裏剣。どうやらこの女は伊賀の忍だ。
「伊賀忍が何のために俺を尾行していた?」
「…………」
この城では忍に尾けられるようなことはしていないと思うが、内容次第では彼女を気絶させてここから逃げなくてはならない。
さらに腕に力が篭る。
すると、女は身体を思いっきり捻り、俺からの拘束を抜け出し、着ていた着物を脱ぎ捨て、俺から視界を奪った。
俺は思いっきり後ろへ跳ぶ。
視界を遮っていた着物は引き裂かれ、目の前には狐の面を被り、黒く丈の短い忍装束を着た忍がそこにいた。
これが彼女の本来の姿。
後ろに下がらなければ、あの着物と同様に斬られていた。
俺は少しだけ肝を冷やした。
どうやら、あちらはかなり殺る気のようだ。
どうして尾けられていたのか知りたいだけだったのだが、どうやら命に関わる状況を作り出してしまった。
おそらくあの忍からは逃げることはできない。
なら、この戦いに挑むしか道はなさそうだ。
砂埃を払い、直立に立つ。
数秒、お互い睨みあった後、塀を飛び越えていき、舞台を森へと移した。
速い。猿みたいに木々に移っても、相手も同じようにして追ってくる。
「はっ」
数多の飛び道具を俺に向けて投げていく。
森の中ゆえ、木が障害になって当たらないと思いきや、寸分狂いなく、木々の間をすり抜けて、的たる俺に当てようとしていく。
俺が動かぬ的であったなら間違いなくすべて突き刺さっている。
飛び道具を避ける際に頬を掠めたが問題ない。ただのかすり傷程度だ。
けど、これほどの実力を持った忍は数少ない。
その数少ない忍に目を付けられてしまうと言うことは運の尽きなのであろうか。
動きに無駄がなさ過ぎる、忍刀が俺の髪を掠め、髪の毛が何本か落ちていく。
「はっ!」
俺も逃げ回るだけではない。
こちらも徒手空拳ではあるが、攻撃はする。
忍の脇差を避けると同時に身体を捻り、その反動で忍の顔目掛けて裏拳をだす。
忍は避けるが、追撃を止めない。
裏拳からの連撃。人から見れば俺の動きは舞にも見えるであろう。
舞いながら突き刺さっているくないを手に取り、忍の首元へ。
忍も脇差を俺の首元へと近づける。
どちらも少しでも動かせば首に刃が突き刺さる状態。
わずかであるがお互いにらみ合い、身体を後ろへ1回転して下がる。
ここまではお互い同じ動きをしていたが、先に動いたのは忍のほうだ。
数多の飛び道具を俺に向けて投げた。
難なく俺は避けたが、どうやらあの数多の飛び道具は囮。
俺が避けた先に鎖を投げ、俺の左腕を絡める。
左腕に気を取られている隙に右腕までも鎖で絡められた。どうやらこの鎖は忍が持っている鎌と繋がっている。
このまま俺を鎖で捕まえたままその鎌で仕留めるのかと思ったが、それも違うようだ。
忍は鎌を木に突き刺し、忍刀を手にする。
どうやらこの鎖は俺の動きを封じるためのものらしい。
この鎖は力いっぱい引っ張ろうが取れる気配すらない。
身動きが取れなくなった俺は忍の刀を避けることは不可である。
だからと言ってここで易々と首をやるわけにはいかない。
忍がこちらへと走り出す。
迫り来る瞬間を狙い、身体を反転させ、忍刀を蹴り上げる。
「!」
まだ終わらない。忍の腹部を蹴り飛ばし、忍は木に激突する。
俺は一息つき、鎖を解く。
「まったく酷い目にあった」
「くっ!」
忍はよろけながらも狐の面を拾い上げる。
これ以上の交戦をしようとはせず、腹部を押さえながらこの場を立ち去る。
ようやく立ち去ってくれたか。
思っていた以上に時間を食ってしまったため、早く仕事に戻らなければ。
しかし、あの忍。何のために俺を尾けていたんだ。
忍を逃がしてしまった以上、再び相見えることはあるかもしれないが、それ以上に再び戦闘になるのは御免である。
「よぅ、お祈り中だったか?」
いつも通り、アーニャの食事を運びに行った。
「クレナイ様。お顔の傷はどうされました?」
「ん、あぁ、これね」
紅は忍との戦いで受けた傷を触る。
「凶暴な野良犬にやられた傷だ」
「まぁ、大丈夫ですか?」
「大したことない。ただのかすり傷だ」
今朝の食事を見てみるとやはり手を付けられてはいなかった。
「お腹減らないのか?」
「これも父の与えた試練ですので」
「父の与えた試練ね……。その父も随分酷な事をするもんだな」
「これは心を清めるために必要なのです。心が清らかであればこの身が朽ちても父のもとへ行けるのです」
「父のもと?」
「この国の意味で父は神、創造主のことを言います。父のもとへ行ければ来世の命を与えられるんです」
「つまり輪廻転生のことか?」
あの世に魂が逝っても、この世に何度も生まれ変わっていくこと。宗派とかは忘れたけど、仏教の中にも輪廻転生の考えはあったはず。
でも、本当にあるのかわからないまやかし事は正直好きではない。
「よくわかんないですけど、たぶんクレナイ様の考えている通りだと思います」
「そうか……。つまり来世に行きたいってことはこの世に未練とかはないのか?」
「えっと、他の方々はどうかわかりませんが、私は来世に行きたいと思っています」
するとアーニャは沈んだ表情になっていく。
どうやらアーニャにはやり直したい過ちとかがあるみたいだ。
ここはあえて触れないでおこう。
あまり人に自分の嫌な過去の話はしたくないからな。
別の話題に変えてやるか。
「今日は十五夜だから、きれいな月が見られるぞ」
「月ですか?」
唐突に話が変わり、アーニャは少し呆気に取られている。
「あぁ、今日は空も雲一つなく晴れ渡っている。これなら一段ときれいに見れるはずだ」
「月なら私の故郷で何回も見ていますけど」
「たまには違う国で見る月でも見てみろ。少しは違った気分になれるかもしれないぜ」
「違った気分……」
「あぁ、今夜もここに来るぜ。ちゃんと飯を食べて起きていろよ」
アーニャは戸惑いながらもうなずいた。
俺は残した食事を今朝と同じように他の牢にいる耶蘇たちに渡しにいき、夜になってから再びアーニャの居る牢へ向かった。
夜のため辺りは暗いが、これくらいなら俺にとって問題なかった。
「よぅ、起きているか?」
「クレナイ様?」
「ちょっと待ってな」
俺は針金を取出し、錠の中に入れ、数分しないうちに牢の鍵を開ける。
鍵を持って来れば早いのだろうが、鍵がないことのを気が付かれれば少し面倒なことになるため、鍵を持ち出さなかった。
「ほら、行くぞ」
アーニャに手を差し伸べる。
「こんなことしていいのですか?」
「後で戻れば問題ないだろ」
アーニャの手を握り、牢から出した。
「よし、ならしっかり掴まっていろ」
アーニャを背負う。
「その場所まで連れてってやるから。目を瞑って楽しみにしていろよ」
牢番や見回りに見つからないように奉行所を出て、ある場所へと連れて行く。
「いいぜ。目を開けな」
アーニャはゆっくりと目を開けていく。
「これは……!」
アーニャは山から見た風景を見て、目を大きく見開いた。
「とてもきれいです」
月もきれいだが、月光から照らされる青白い光が城下町を照らし、幻想的に見せてくれている。
「普段、ここから見る城下の風景もいいが、今日はまた一段と綺麗に見えるな」
「でも、なんでクレナイ様は私なんかのためにここまでしてくださるのですか?」
「別に大した理由じゃないさ。十五夜だから誰か誘って月見でもしようかと思っただけだ」
「なら、別に私じゃなくても良かったんじゃ」
「生憎、この城じゃ俺の立場は1番下だ。俺と一緒に月見をしようとする奴なんて誰もいないし、捕まっているあいつらにもこの日くらいはゆっくりと広いところで月を見せてあげたかったけど、俺の力ではお前を連れ出すだけで精一杯だ」
「そうですか…………」
アーニャは月を見ながら、だんだんと沈んだ表情となっていく。
「アーニャ。手、出しな」
と、アーニャは俺の言われたとおり手を差し出す。
俺はアーニャの手に握り飯を置いた。
「これは……」
「月見酒や団子とまではいかないけど、これを食べながらゆっくりと眺めていようぜ」
「でも、私は……」
「それにしてもいい月だな」
「えっ……はい。そうですね」
「こういう日に酒とかを振り撒いたいのだが、生憎俺の作った形悪い握り飯しか用意できなくてすまないな」
「いえ、そんなことありません。これはありがたくいただきます」
「そうか。じゃあ一緒に食べるか」
と、俺は先に握り飯を口の中に入れる。
アーニャも少し躊躇うが握り飯を1口だけ食べた。
「おいしいです」
少しだけどアーニャの表情が豊かになってくれた。
「お、そう言ってくれると作ったかいがあるよ。どうだ、俺の分も食べるか?」
「そんな。クレナイ様の分まで」
「昨日から何も食べてないんだろ? 今日くらい遠慮するな」
アーニャに握り飯を渡した。
「ほら、遠慮するな」
アーニャの髪がぐしゃぐしゃになるくらい思いっきり頭を撫でた。
「あ、……クレナイ様」
「お前に沈んだ顔は似合わん。もっと笑っていたほうがもっと似合う」
俺はアーニャの頬を横に引っ張る。
「う、くれにゃいしゃま」
アーニャの頬を引っ張られた顔に思わずこちらが笑ってしまった。久々だ。人とこうして阿呆みたいに笑えるのは。
俺はアーニャの頬から手を放す。
「もう、クレナイ様!」
「悪い悪い」
笑うどころか怒らせてしまったようだ。でも、そのほうがあいつの心を縛っている鎖から少しだけだが和らげるだろう。人は喜び、怒り、哀しみ、楽しむ。これらが欠けてしまえばただの道具に過ぎない。
昨日から様子を見てみたが、アーニャは自分の心を閉ざし、神の妄言で感情も押し殺そうとしているようであった。
少なくとも今日の十五夜でアーニャの誠の心が少し見えた気がする。
「クレナイ様。あなたの心遣いに感謝いたします」
どうやら握り飯を食べ終わったようだ。
「あなたに神のご加護を」
十字を切り、両手を組んで祈りの格好をする。
「身体が冷えてきたところだろう。そろそろ中に戻るか」
秋と言っても、夜は身体が冷える。
「ありがとうございます。私なんかのために」
「別にお礼を言われるようなことじゃない。また、行きたかったら連れていってやるよ」
と、言いながらアーニャを背負って隠し牢へと戻る。
「いつの間にか寝ちゃったみたいだな」
床に付かせ、布を被せてやった。
「結構我が強いところあるが、こうして見てみると、まだまだ子供だな」
頭を優しく撫で、針金で牢の鍵を閉める。
俺は塀を飛び越えて城外へ出る。
昼とは違い、いくら月が出てようが辺りは真っ暗。けれど、おそらくあの忍は間違いなく現われる。
そう身構えていると、闇夜の中から手裏剣が飛んできた。
俺は首を少し動かして避ける。
様子を伺っているのか手裏剣は先ほどのやつだけで、後から投げては来なかった。
「俺に用があるから尾けてきたんだろ? 姿を現せよ」
闇の中から昼の忍が面を被ったまま姿を現した。
「面、外したらどうだ? すでに顔が割れてるんだから意味ないだろ」
「…………そうね」
忍は面を外した。
「あたしは伊賀忍烈華。あなたは何者?」
「俺は紅。ここでは下働きをしているが、しがない流れ者だ」
「そのしがない流れ者が何故伊賀の忍術を?」
「さて、何のことか?」
少しドキッとしたが、俺は平然さを装っている。
「誤魔化しても無駄よ。昼時でのあなたの戦い方は伊賀の体術そのもの、伊賀者でないあなたがどうして使えるわけ?」
「さぁな。たまたまじゃないか?」
「とぼけたって無駄よ。あなたの動きはすでに人の域を逸脱している。動きだけならば私と同じ忍よ」
「へぇ、俺が忍ね……」
「動きだけはね。けど、忍は人であってはいけない」
忍は感情、忠義、仁義。すべての人らしさを削ぎ落とした傭兵集団。
「あなたは情が深すぎて、とてもじゃないけど忍とは呼べないわ」
「まぁ、そんなもんになる気もないけどな…………。それで俺を殺すか?」
「そうね。伊賀の術は門外不出のもの。それを知っているあなたは総力挙げても殺さなくてはいけなくなるわね」
「…………」
俺はため息を吐く。
かなり面倒なことになったぜ。
「それで今からやりあうってことか?」
「別にあたしも構わないけど、少しだけあんたに忠告しておくよ」
「忠告だと?」
「あの西洋人の子供に関わるのは止しなさい。あんたも耶蘇の仲間になるわよ」
「……別に他国の神に縋り付くつもりはないぜ」
こちらから仕掛けようかと思ったが、先にあっちからくないを投げ、思いのほかくないの速度が速く、俺の頬を掠めた。
「さっきの手裏剣であんたの動きはだいだい把握したよ。これ以上、あの子に深入りしないほうが身のためだよ」
次は心臓を狙うという目で俺を見る。
「あたしはあたしの仕事があるからね。また後で聞かせてもらうよ。あんたの正体を」
烈華は立ち去る。
俺は頬から流れる血を拭い去る。
翌日。
結局、答えが見つからないまま朝を迎えていつも通り隠し牢に向かっていた。
「よぅ、今日もお祈り中だったか?」
「クレナイ様。昨日はありがとうございました」
「別に昨日は月が見たかったから、誘っただけだ。そう礼を言われることじゃないさ」
「いえ、それだけでも大変うれしいです。クレナイ様、昨日より傷が増えていますけど、どうされました?」
「あぁ、前に話した凶暴な野良犬が仕返しに来たんだ」
「大丈夫ですか?」
「まぁ、一応大丈夫だけど、用心しなくちゃな」
俺は苦笑いとなる。
「ほら、今日の食事だ」
「…………クレナイ様。他の信者たちもこのようなお食事なのでしょうか?」
「いや、…………でも、安心しろ。飢えだけさせてない」
「いずれ、私も彼らも拷問を受けなくちゃいけないのですね」
まだ、嘘のように奉行所の奴らは大人しいがいずれ御取調べが入るのは間違いない。
「やっぱ知っていたのか?」
「捕まる前に他の信者の方々から聞いたことあるのです。私たち異国の宗教は捕まったらひどい拷問を受けると」
まったくその通りだ。あいつらは耶蘇を人とは思っていない。取調べとは所詮口だけで、耶蘇を使って人を痛めつけるのを楽しんでいるだけだ。
「すまない。俺の力ではどうすることもできない」
例え、拷問を乗り越えられても最後に待っているのは処刑。
耶蘇は死ぬことから逃れないのだろう。
「悪い。そろそろ行くよ」
そろそろ牢番が様子見に来そうだし。
そう思ってここから出ようかと思うと、どうやら牢番が…………いや、牢番じゃない。
牢番がわざわざ足音を殺してまで様子を見に来るとは思えない。
俺は息を飲む。
すると、姿を現したのは小袖姿の烈華であった。
「烈華……」
何でこいつがここに!?
俺は拳を握りながら。後ろ目でアーニャを見る。
下手したらアーニャまで戦いに巻き込んでしまう。
息を呑みながら烈華のほうに視線を向けなおす。
「食事を渡すのに随分と時間が掛かっているのね」
「まぁ、ちょっと世間話をしていただけだ。お前こそこんなところまで何のようだ?」
「そうね。耶蘇と関わっているあなたを殺しにとか?」
烈華の笑顔が恐ろしく感じる。
「ちなみに下にいる牢番は立ったまま気絶させたからそれなりにゆっくりと殺れるわよ」
立ったまま気絶か。助けを呼ぼうとしてもそいつらは来ないわけか。助けを呼んだところで邪魔なだけだし、本気でやり合えない。
どっちにしてもアーニャがいるからここで戦うことはできない。
「場所を移そう。もっと、殺りやすいところへ」
「ここで結構よ。ここならあなたは動かないで済むでしょ」
やはり、動こうとはしない。烈華を敵に回してしまったのは俺の唯一の失敗なのかもしれない。
「大人しく俺に捕まれと言うのか?」
「まぁ、それがあたしの仕事だし」
お互いにらみ合い、周りの空気がとても重たく感じる。
両者引くこともしないし、どちらかが1歩でも手を出せば、ここは殺戮と化する。
「や、やめてください!」
と、重たい空気を切り裂いたのはアーニャであった。
「クレナイ様は私たちとは関係ありません。ただ、1人で寂しそうにしていた私の話し相手になってくれただけです」
そんな説得が烈華に通じるわけないと思っていたのだが。
「ふぅん。やっぱ、そうよね」
なぜかアーニャの説得が通じてしまい、さっきまでの重々しい空気がどこかへ行ってしまった。
「おい、そんな簡単に納得していいのか?」
「まぁ、あんたの言い訳なんて聞きたくもないけど、少なくとも耶蘇のこの子に嘘はなさそうと思っただけよ」
「………………」
俺はため息を付く。
さっきまでの命の張り合いがアーニャの一言で片付くなんて。
「ほら、そんな呆れた顔しれるんじゃないよ。だけど、あたしの忠告にはちゃんと従いな。じゃないと本当に命の保障はないからね」
それだけ言い残し、烈華は立ち去る。
「ごめんなさい。私のせいで」
と落ち込むアーニャ。
「お前のせいじゃないよ。もともとあいつとは犬猿の仲さ」
「クレナイ様は優しい方です。私の寂しいという気持ちを癒してくれます」
「そうか……。俺にはそれくらいしかできないからな」
優しさだけでは何も救うことはできない。だからと言って、今の俺には人を救う力なんて持っていない。
「そろそろ。俺も仕事のほうに戻らないといけないな」
「クレナイ様。あなたにどんな過去を持とうとも父はきっとあなたを許してくれます」
俺は少しだけ笑み浮かべて手を振った。
奉行所を出て、俺は人気のない山の中へと入っていく。
ここなら派手に暴れても問題ないはず。
「出て来いよ。後ろにいるのはわかってる」
木の陰からら烈華が姿を現す。
「やっぱ、これくらいじゃあ。気付いちゃうわね」
と言っているが、烈華は気付かれても構わなかったのだろう。
「どういうつもりだ?」
「どういうつもり? そうね。忠告だけならもっと楽な方法を使ったんだけど。それじゃあ納得しなさそうだし、これは警告でもあるのよ」
「警告だと?」
「簡単な話。魔女との付き合いは極力避けなってこと」
「魔女だと?」
聞いたことがある。確か西洋の国で人に呪いや病などの害悪を与える女性を意味していたはず。まさか、アーニャがその魔女だと言うのか?
「その反応からして。彼女が魔女と言う話は知らなそうね」
「どういうことだ? なぜアーニャが魔女なんだ?」
「別に、そんなのあたしが知ったことじゃないし。ただ、御上から『この国の乱れは他国から来た魔女とその耶蘇の仕業で有り候。耶蘇に組みするものは即刻排除すべしの事』と言う御達しがあるのよ。だから、あんたも極力あの子と付き合いは避けなさい。彼らみたいになりたくなければ」
「彼ら? 耶蘇の連中のことか?」
「あなたは拷問には一切関わりがないから知らないのは仕方なさそうね」
そう言い残し、立ち去ろうとする烈華。
「おい、待てよ」
「気になるなら自分で調べてみたら? あたしが言えるのはここまでだし」
そう言い、烈華は立ち去っていく。
「自分で調べろか…………」
仕方ない。この手の話を一番知ってそうなのはお代官だろう。
奉行所へと戻るとしよう。
奉行所に戻ると与力や同心が川原で何か準備していたがそんなことは気には止めず俺はお代官がいる部屋に向かった。
どうやらお代官の部屋には先客がいるようだった。
俺は床下へと入り、二人の会話を盗み訊きする。
「お代官様のおかげで我が風六屋は大繁盛です。どうぞ、これが今日の分でございます」
風六屋。あまり海運業を営んでいるところだけど、裏家業に手を出しているとかであまり良い噂は聞かない。
どうして風六屋がここに?
「今日は何時に増してなかなかの量ではないか」
「これもお代官様のおかげでございます。この耶蘇狩りのおかげで多くの人間を売ることができるんですから」
要するにお代官と風六屋は人身売買に関わっているわけか。
なるほど、耶蘇狩りを強行しているのもそのため。使える人間は身売りに使えない人間は気分晴らしの拷問に合うわけか。
惨いことする奴らだ。
「それよりお代官様。川原でいろいろ準備していますが今日はどんな催しがあるのでしょうか?」
「うむ。今日、あそこで魔女の処刑を執行する」
なっ!? まさか魔女と言うのはアーニャのことか?
「ほぅ。あの魔女ですか。あれならばかなりいい値が付いたでしょうに」
「何分こんな世の中だ。この流行病の原因を魔女のせいにし、その魔女を処刑すればわしの株がかなり上がるだけではなく、国の貢献人として称えられるであろう。がーはっはっはっはっは――――」
馬鹿笑いするお代官。
なるほど。アーニャを隠し牢のほうに幽閉して、栄養価が届いた食事を届けさせたのはすべてこの処刑のため。しかも、魔女話の大元がこのお代官だったのか。
「さすがはお代官様。なかなかの知恵者でございます」
欲に塗れて腐ってやがるぜ。こんな話を聞いたらこっちの耳も腐っちまう。
俺は急いで隠し牢へと向かった。
処刑準備で少々慌しいが、これなら目を盗んで中に入ることができる。
隠し牢にはまだアーニャがいた。
よかった。まだ連れて行かれていない。
牢の中ではアーニャは祈りを捧げている最中であった。
「アーニャ、俺だ」
俺の声にアーニャは気付き、まっすぐこちらを見た。
「クレナイ様? どうかいたしましたか」
「アーニャここから逃げるぞ」
「え? いったい何が?」
どうやらアーニャは自分が今日、処刑されることは知らされていないみたいだ。
たぶん、はぐらかしてもアーニャは納得して出てきてはくれないだろう。なら一層正直全部話して来てもらうしかない。
「今日、お前は魔女として処刑されるんだ」
それを聞いた瞬間、アーニャの顔が青ざめていった。
「もうすぐお前を処刑場に連れて行く奴が来る。それまでにお前をここから何としても逃がしてやる」
針金を取り出し、鍵穴の中へと入れる。
「ありがとうございます。クレナイ様。ですが、そんなことをしたらあなたにまで火の粉が降りかかります」
「ずっと昔から火の粉だけじゃなくて泥まみれにもなっているさ。今すぐ、ここから――」
「私には、もう構わないでください」
アーニャは俺の話を遮り、思わずアーニャのほうへ視線が動いた。
「クレナイ様の心遣いには感謝致します。ですが、これ以上、私には関わらないでください。これ以上、私と居てもあなたを不幸にしてしまうだけです」
「不幸って……お前何を言ってるんだ?」
顔を伏せ、手を震わせながらアーニャは語り始めた。
「私のせいで家族が亡くなって、私が日本に来たせいで戦いが始まってしまいました。私がいるからこの国に疫病が広まったんです。そう、私はここにいてはいけない。私は人を不幸にする魔女。魔女はこの世から消えなくてはいけないのです」
「おい……馬鹿なことを言うな!」
俺は思わず怒鳴ってしまった。けど、言わずにはいられない。
「誰かにそんな風に言われたのか? それともそれが神の教えだと言うのか? アーニャ!」
気持ちの表れか牢を思いっきり叩いてしまう。
「………………」
アーニャはこれ以上、何も答えようとはしなかった。
「そんなのすべて偶然だ! お前のせいなんかじゃない。だから悲観的に考えるんじゃねえ。何か答えろよ。アーニャ! アーニャ!」
その時、バタバタと足音が聞こえた。
まずい!
俺はとっさに跳び上がり天井に張り付き、息を潜める。
「なんだ? ここで声が聞こえたのだが」
辺りを見回す与力一同。
しまった。俺としたことがしくじってしまった。相手は3人。殺ろうと思えば殺れる人数だが、どうする? ここで動くか?
「ここにはあなた方以外、誰も来ていません」
俺は思わず驚いてしまった。目を大きく見開き、アーニャの居る牢のほうへと目を向けた。
「ふむ、辺りを見回しても何もないようだし……。気のせいか」
どうやら相手方は納得してくれたようだ。
「よし、ならこいつを下まで連れていくぞ」
っ! くそ! 間に合わなかった。
アーニャは牢から出され、処刑場まで引っ張られていった。
俺はただ、それを上から見送ることしかできなかった。
誰もいなくなり、俺は壁を思いっきり殴りつけた。
「くそ!」
なんで、あいつの抱えている問題に気付いてやれなかったんだ。しかも、あいつは自分の信じている神の教えを反してまで俺を助けようとしたんだぞ。それを俺が救えないってどういうことだ。あいつを救ってはいけないっていうのかよ。なら、俺はどうすればいいんだ。あいつの命が火で燃やされるところを黙って眺めておけとでも言うのかよ。こんなとき、親父が居たらなんて言うか。親父だったら……。
俺は懐から仮面を取り出した。
これは親父が遺した唯一の形見の品。
俺の親父は義賊。昔、大盗賊と呼ばれていた。
なぜ、親父が大盗賊なんかになったのか今ならわかる。
俺は義賊の仮面を被る。
処刑場へ急ぐとアーニャは耶蘇の神みたいに十字架ではなく、丸太に縛られて磔にされていた。足下には火を焚くための油が染み渡った薪がひかれており、さらに牢屋に居たすべての耶蘇がアーニャの目の前で座らされていた。
お代官は耶蘇から少し離れたところで高みの見物。隣には風六屋もいた。
周りは魔女の処刑を見たさに町の民衆が集まったのではないかと思われるほどの人数で、処刑されようとしているアーニャを見ながらざわざわと彼女に聞こえないように言いたい放題罵っていた。
まずいな……。こんなに人がいたのでは容易にくぐり抜けれそうにない。
人ごみで先へと進めなく苦戦していると、ついにアーニャの処刑が開始され、松明に火が点された。
もうすぐ、その火がアーニャに点火されようとしていた。
くっ、もう時間がない。
地面に落ちている小石を拾い、俺は処刑を見に来た民衆の頭を道代わりにして走り、処刑場に入ると同時に拾った小石を火付け役の人の手に当て、松明を弾き飛ばした。
今の行動でかなり目立ってしまったため、周りの目は全部、俺に向かってきた。
仮面を被って顔はわからないようにはしている。けど、今ので反逆者もしくは耶蘇の仲間と見られたようだ。
周りの与力や同心は俺に刀や棒を一斉に向け始めた。
まったく血の気の多い奴らばっかりだ。
あいつらが襲ってくる前に俺は俺のすべきことをやる。
「よぅ。どうだ? もうすぐ焼かれて死ぬって気分は?」
「…………怖くはありません。私はもうすぐ父のところにいくのです。だから、何も怖くはないのです」
「父のところか……。嘘つきなお前を果たして神はお前を受け入れてくれるか?」
「私が嘘つき!?」
アーニャは目を大きく見開く。
「あぁ、怖くないなんて言ったがそれはまったくの嘘だ。ん? 手、震えてるぞ」
「!!」
アーニャが自分の手が震えていることにようやく気付く。
本当のことを言えば手が震えだしたのは俺が『嘘つき―――』と脅した辺りからだ。だけど、これでいい。アーニャの本心がようやく見え始めだしたところだから。
「アーニャ、これだけはお前に言っておいてやる。だから、これを聞いてから―――」
俺の話を遮るように周りを囲んでいた与力や同心たちが俺に刀や棒を振り下ろしてきた。
これからだと言うのに人の話の邪魔をしやがって。
舌打ちをし、刀を振ってくる同心たちを殴り倒していく。
「生きろ! それがどんなに無様で辛くても。生き抜くんだ! それがお前の友からの言伝だ」
右手をアーニャのほうに伸ばす。
「さぁ、聞かせろ。お前はどうするんだ?」
「…………本当に望んでいいなら私は生きたい。でも、私は人を不幸にする魔女。これ以上、大事なものは失いたくない。だから、あなたも私に構わないでください」
ぼろぼろ大粒の涙を流すアーニャ。ようやく自分の心の内を明かしてくれた。
「お前は魔女なんかじゃない。それは俺がよく知ってる。だから、死ぬなんて考えるのは止めろ。生きることを止めたらそれで終わりだ。生きたいと思うならとことん足掻けよ」
「けど、もう遅い。私はもう……」
「遅くなんかない。この俺を誰だと思う?」
後ろから振り下ろされる刀を避け、相手を蹴り飛ばした。
「俺は大盗賊石川五右衛門様だ。今日のお宝であるお前を奪いに来たんだ」
すると、周りがさらにざわつき始めた。
誰もが耳にしたあの大盗賊の名前がここで叫ばれ、そして目の前にいるのだから。
「この俺に盗めないお宝は存在しない。さぁて、そのお宝いただくぜ」
俺はアーニャのほうへ一直線に向かっていく。
それを阻もうと侍たちが一斉に俺を捕らえようと必死に取り囲もうとするが、俺はそれを物ともせずに身軽な動きで避けていき、あっという間にアーニャのところまで辿り着いた。また、避ける際に相手が携えていた小刀を抜き取った。
「よぅ、待ってろよ。今、この縄を切ってやる」
小刀でアーニャを縛っていた縄を切り、磔から解放した。
「大丈夫か? 怪我とかはないか?」
「うん……でも…………。どうして私なんかのためここまでしてくれるの?」
「なぁに、簡単な話だ。俺が助けたいと思った。たったそれだけのことだ」
入り口は人と門で完全封鎖。たぶん、外からも兵を用意しているところを見ても跳ぶことも許してはくれないだろう。思った以上にあちらの対応が早い。
紅は耶蘇たちの縄を切っていく。
「あの柵を壊して逃げな」
逃げ道に指をさす。
「ここは俺が食い止めてやる」
「わかりました。アーニャ様。こちらです」
「駄目です。私は彼と一緒に残ります。あなたたちだけ先に逃げてください」
「しかし、アーニャ様」
「私は大丈夫です。彼が私を守ってくれます」
俺は軽くため息を付く。
「わかった。こいつは俺が何とかしてやるから。さっさと逃げな」
「わかりました。どうか、アーニャ様ご無事で居てください」
耶蘇たちは指したほうへ向かっていく。
「さてと。アーニャ、ちょっとここで待ってろ」
指をならし、与力や同心らに拳を向ける。
「さぁて、派手に行こうか」
まずは耶蘇たちの逃げる時間を作る。
数十人いる与力・同心らに殴りこんでいく。
「お前らの相手はこっちだぜ」
耶蘇たちを追いかけようとする同心を挑発する。
「仕方ない! この大盗賊を捕らえるぞ」
「捕らえれるものなら捕らえてみな」
相手の猛攻を避けながらも、拳や蹴りを入れていき、相手を気絶させていき、耶蘇たちの様子を伺っていく。
さぁて、そろそろ頃合だな。
耶蘇たちは逃げ切った。
後はこちらも逃げるだけかと思ったが、どうやら援軍が来てしまったようだ。
「……援軍か」
俺はアーニャのところへ戻る。
さっき壊した柵を援軍によって封鎖されてしまった。
「完全に俺を逃がす気はないみたいだな」
捕まったら死罪確定だろう。
「こんなにいてはもう逃げ場が」
「別に逃げ場とか俺には関係ないけどな」
俺はアーニャを抱える。
「しっかりと掴まっていろよ」
アーニャを抱えながら敵陣の中を駆け巡っていく。
「早い! そっちに行ったぞ!!」
敵陣をすり抜け、お代官と風六屋がいるところまで辿り着く。
「これはお代官様に風六屋じゃないですか」
「無礼者! このわしを誰と存じてのことか」
お代官は刀を抜く。
「悪徳代官と人身売買の本元だ。お前ら、ちょっと歯を食いしばれ!」
お代官と風六屋を殴り飛ばし、二人は気絶する。
「さてと…………」
風六屋の懐に手を入れ、取り出したのは鍵の束である。
鍵の束を自分の懐にしまい、柵を飛び越え、山の奥へと逃げていく。
追っ手を撒き、アーニャを下ろす。
「ここまで来れば大丈夫そうだな」
「ありがとうございます。……クレナイ様。私なんかのために」
紅と聞こえた瞬間、俺は思わずドキッとした。
「面を外しても大丈夫です。声とかでだいたいわかりましたが、信者以外で私の名前を知っているのはあなた様だけですから」
「ふっ、まさか正体がばれてしまうとは」
面を外し、アーニャに素顔を晒す。
「よぅ、怖かったか?」
アーニャは首を横に振る。
「むしろ、クレナイ様にお礼を言わなくてはいけません」
「いや、俺は俺のやりたいようにやっただけだ。別にお礼とか言われるようなことじゃない」
そして俺は後ろを向き、その辺にあった小石を手にする。
「追っ手の奴らは振り払ったみたいだが、お前だけは付いて来たみたいだな。早く出て来い」
小石を遊ばせながら待っていると狐の面を被った忍者。烈華が出てきた。
「俺と殺りに来たのか? 烈華」
「まぁ、あなたを殺る理由はいっぱいあるけど。まさか、あなたの正体があの大盗賊とはね」
「まぁ、別に継ぐつもりはなかったんだけど。そうだ、お前に渡すものがある」
懐から風六屋から奪った鍵を烈華に渡す。
「これは風六屋の鍵よね」
「あぁ、そこかもしくは別の場所に人身売買されそうになっている耶蘇の連中がいるはずだ」
「そういうことね。わかったわ。この件に関しては上様に報告しておくわ」
「ま、頼んだぜ。烈華……いや、服部半蔵とでも言うべきかな」
烈華は顔には出してはいないが内心驚いているだろう。
「!! いつから気付いたの?」
「うすうすは思っていたが確信を持ったのはついさっきだ。上様と直接関係を持てる忍と言ったら、服部半蔵以外いないだろ」
「あたしとしたことがとんだ失態だね」
服部半蔵。伊賀国の頭首にて戦国の世で徳川家康の手足となり、世に名を馳せた忍。その代がおそらく烈華へと引き継がれたのであろう。
「今回の件で少なくとも耶蘇の取り締まりは少し緩くなるかもね」
「本当ですか?」
「そうよ。あなたたちの汚名は消すことはできないけど、少なくとも無駄に散る命は無くなったわ」
アーニャは安堵した表情を浮かべた。
「ちなみに悪い知らせもあるんだけど聞きたい?」
「もしかして俺がお尋ね者になったか?」
と、冗談染みた口調で言う。
けど、烈華の反応からしてどうやら本当にそうなってしまったようだ。
「……えぇ、顔は割れてはいなかったけど、石川五右衛門が再びお尋ね者になったわ」
予想はしていたけど、ものすごい手回しの早さだ。
「ごめんなさい。私の―――」
アーニャに額を小突いて、話を遮らせた。
「お前のせいなんかじゃない。俺が決めたことだ。だから、そんな悲観的な考えはやめておけ」
「まだ、正式な決定じゃないから手配書もまだだし、捕縛の任も貰ってないわ。けど、じきに決定は下ると思うけど。それより、あなたたちはこれからどうするの?」
「そうだな……。こいつを故郷に戻してまた旅でもしようかと考えていたけど…………アーニャ、お前はどうするんだ?」
「私は…………故郷に帰っても誰もいない。だからクレナイ様と一緒にいたい」
俺と……!? まさかアーニャが俺と一緒にいたいって言うなんて思いもしなかった。
「おいおい、自分の故郷に戻ってお前のところの神様を拝むんじゃないのか?」
「私は自分のせいでみんなを不幸にしてしまったと思いました。でも、クレナイ様はそんな私に生きろとおっしゃってくださいました。どんなに辛くても生き抜けと。うれしかった、異国から来た私を、こんな不幸を呼ぶ魔女でしかない私に手を差し伸べてくれました。だから、私を助けてくれたクレナイ様のいるこの地にいたいのです」
「いいのか? 故郷へ帰れるかもしれないのに」
「決めました。私はクレナイ様と一緒に旅をして、クレナイ様のように強くなりたい」
真剣な眼差しで俺を見据える。どうやら、アーニャは腹を括っているようだ。
「わかった。決めたなら何も言わないさ」
「どうやら、そっちの問題は解決したみたいね。じゃあ、そろそろあたしもお暇させていただきますか」
烈華は俺たちに向けて手を振る。
「じゃあね、またどこかで会えたら会いましょう」
烈華は自分の主人のもとへ戻っていった。
「クレナイ様……」
「俺とお前は友達だ。だから、様なんて付けなくていいぞ。普通に紅で充分だ」
「はい。ではクレナイ」
少しぎこちないが、きっと徐々に慣れていくだろう。
「そろそろ俺たちもどこか行くか」
さて、次は薩摩あたりにでも目指してみるか。
仮面を少し眺め、再び懐へと入れた。
なぜ、親父が義賊の道を選んだのか今ならわかる。
助けたい。きっと、たったそれだけのことだったんだ。罪を犯してでも助ける価値がこの国にはあるって親父は知っていたんだ。
閉幕