幸運の乗合馬車と花入りべっこう飴の謎
「お前には、もう用はないから出ておいき!」
わたしはその日、勤め先の男爵家から追い出された。
全財産は、着古した一張羅と小さな鞄一つだけ。
「これから、どうしよう」
このまま呆然と裏門の前で立っているわけにもいかない。
仕方なく、とぼとぼと歩き出したのである。
わたしは親の顔を知らない。
乳飲み子のうちに捨てられ、孤児院で育った。
孤児院では最長でも十五歳までしか置いてもらえない規則だ。
身体が丈夫で力が強い男の子は鍛冶屋の見習いとして、手先が器用な女の子はお針子の見習いとして、みんなここから出て行ってしまった後でも、特技が何もないわたしには、なかなか行く先が見つからなかった。
十五歳を目前にした時、これまで世話になってきたシスターに思い切って相談した。
「わたしも修道女として修業をしたら、孤児院で働いて行けますか?」
「マリサ、修道女は大変だけれど尊い道です。
けれど、世の中を何も知らずに選ぶべき道ではないのですよ」
シスターは少し困った顔で答えた。
それからしばらくして遠方の男爵家から、メイドとして女の子を一人雇いたいと言ってきた。
特に条件もなかったので、やっとわたしの番が来たのだ。
男爵家では、とにかくこき使われた。
仕事はメイド見習いの下働きとして、なんでも言いつけられる。
掃除、洗濯、食材の下ごしらえ、目の回るような忙しさだったが、給金はもらえたし食事も寝床もきちんとしていた。
見習いを終えれば給金も上がるはず。
その日を楽しみに日々を過ごした。
一年が経ったその日、わたしは男爵夫妻に呼び出された。
「お前が来てから今日で一年だな。
一年間、飯も食わせてやったし、仕事も覚えさせてやった。
感謝するんだな」
「ありがとうございます」
わたしがお辞儀をして頭を上げると、男爵夫人がにやりと笑う。
「お前には、もう用はないから出ておいき!」
「え?」
出て行けと言われても、行く場所が無い。
「どうして、出ていかなければならないのでしょう?」
「可哀そうな孤児を雇ってやれと、寄り親の伯爵家から命じられてな。
それでお前を一年間面倒見てやったんだ。
これで面目が立ったから、お前はお払い箱なんだよ」
「せめて紹介状を……」
「見習いに紹介状など出してどうするんだい?
文句を言わずにさっさと出て行くんだよ!」
これも人生経験の一つなのだろうか?
たった一年で世の中を知った、と胸を張れるはずもなく、孤児院には戻れない。
仮に戻ったとしても、新しい就職先があるわけでもないのだ。
わたしはとりあえず停車場に停まっていた馬車に乗った。
行く先など確認せず切符を買って空いた席に収まると、小さな荷物をしっかりと抱えなおす。
「お嬢さん、飴ちゃん食べるかい?」
隣に座っていたお婆さんが、花びらの入ったべっこう色の飴を一つくれた。
「ありがとうございます。
わあ、綺麗ですね、宝石みたい。
甘ぁい……なんだかホッとします」
その飴はキラキラと光って、とても美しかった。
口に入れれば甘さが広がって、気分を軽くしてくれる。
ありのまま口から出た言葉を聞いて、お婆さんはニッコリと笑った。
「ブエンディア伯爵領に用があるのかい?」
「この乗合馬車は、ブエンディア伯爵領行きでしたか」
「おや、行き先も確認しないで乗ったのかい」
「ええ、仕事をクビになってしまったので、とりあえず、自分にとって運の悪そうな場所から離れようと思いました」
「そうかい、伯爵領があんたにとって運のいい場所だといいねえ」
「そう言っていただけると、なんだかそうなるような気がします」
「ああ、きっとそうさ。悪い運は続かないし、悪いやつらもいつまでも笑ってはいられないものさ」
「悪いやつら?」
「こっちの話だ。
伯爵領で仕事を探すなら、商業ギルドに行くといい。
紹介状はもらってきたかい?」
「いいえ、見習いを一年しただけでは出せないと言われました」
「使い捨てとは呆れたね。
じゃあ、これを持っておいき」
お婆さんは花びら入りのべっこう飴をもう一つくれた。
「これ、珍しいものではないのですか?」
「まあそうさね。
商業ギルドのカウンターで、これを預かって来たと渡せば悪いようにはならないよ」
「ご親切にありがとうございます。
あの、お名前をうかがってもよろしいでしょうか?」
「なに、乗合馬車で隣に座っただけの婆さ。
名乗るほどのものじゃない」
と言う人に限って、なんかすごい人なのは物語の中のお約束だ。
シスターも読み聞かせをしながら、言っていた。
『魔法使いや神様などは、滅多に会えるものではありませんが、身分を隠した凄い方や偉い方というのは結構いらっしゃるものです。
世の中に出た時は、相手を見た目で判断しないようにしましょうね』
リスペクトも大事だけど処世術も忘れずに。
大事な教えである。
伯爵領に着いた時、わたしはお婆さんにもう一度丁寧にお礼を言って別れた。
伯爵領都の一等地にある商業ギルドに向かい、受付カウンターでべっこう飴を出すと『奥へどうぞ』と受付の綺麗なお姉さんに言われた。
案内された個室には調査員だという男女がいて、少々物々しい雰囲気だ。
「わたし、何か怪しいのでしょうか?」
つい不安になって訊いてしまう。
「いえいえ、あなたは花入りべっこう飴をお持ちになったので、詳しいお話を聞くべき方なのですよ」
「べっこう飴は、乗合馬車で一緒になったお婆さんからいただいたのですが」
「ええ、その方の話はまた今度。
まずは、あなたのお困りごとをお聞きしましょう」
わたしは馬車の中でお婆さんにしたのと同じ話を繰り返す。
ふんふんなるほど、と二人の調査員の方たちはじっくり聞いてくれた。
「サルシド男爵家はまたやらかしましたね」
「遠くの孤児院から人を雇えば、足がつかないとでも思ったのでしょうか」
「男爵家のことは早く忘れたいくらいなのですが、紹介状をいただけなかったので次の仕事をどう探せばいいのかわからないのです」
「そうですね、嫌なことは忘れて後はギルドにお任せを。
仕事は、ここでいくらでも紹介できますが、まずはあなたの技量を確かめねばなりません。
そのためのお仕事を紹介しましょう」
「ありがとうございます」
そうして馬車で連れていかれたのは、この領の主である伯爵様のお屋敷だった。
サルシド男爵家とは雲泥の差の、広大で立派で品の良い構えである。
これこれこういうわけで、こうこうこうしていただけますか、と調査員の人が門番さんに告げるとすぐに屋敷の中に案内され、メイド長さんに引き渡された。
「話は聞きました。
この一年、見習いとしてどんな働き方をしてきたのか、見せていただきましょう」
「はい、よろしくお願いします」
三日かけて一通りの仕事をして見せると、メイド長さんがいぶかし気な顔をして言った。
「サルシド男爵家では、たった一年で見習いのまま追い出したわりには、きちんと教育ができていますね。
ここで三年分の経験があるメイドと比べても、引けを取りませんよ」
「いえ、あれしろこれしろと命令はされましたけれど、何も教えてはもらえませんでした。
他にもメイドはいたのですが人数が足りず、新人教育をしている暇はなかったみたいです」
「では、どこで仕事を覚えたのですか?」
「育ててもらった孤児院です。
わたしは引き取り手がなくて、期限いっぱいの十五歳まで置いていただいたので、その分シスターからすべての仕事を教わりました」
わたしが特別にメイド仕事が得意なわけではなく、あの孤児院で育った子供は生活に関する基本的な仕事に困らぬように躾けられていた。
「そのシスターは素晴らしい教育者のようですね。
あなたが男爵家で一年間務まったのは、その家事スキルのおかげでしょう。
男爵夫妻は使えない見習いが来たら、すぐに放り出していたかもしれませんよ」
「そんな恐ろしい」
「次の就職先を探していると聞いていますが、ここも現在少々人手不足です。
よければ、このまま伯爵家のメイドとして働きませんか?」
「本当ですか! ぜひ、よろしくお願いします」
現在、伯爵ご夫妻は王都にご滞在で、この家の後継者であるセルヒオ様は仕事で領内を飛び回っているとか。
留守を預かる執事長にも承認され、わたしはすぐに働き始めた。
男爵家と違い、使用人同士の会話の機会は多い。
メイド仲間からこの屋敷特有のルールを教わったり、休憩中に雑談したりするのは、とても楽しかった。
そうして二週間ほどが過ぎた。
「君が新しいメイド? 可愛いな、よろしくね」
ある日、お帰りになった御嫡男を紹介された。
「セルヒオ様、仕事の評価をするならともかく、使用人をむやみに褒めるのは感心致しません」
「いいじゃないか、本当に可愛いんだから。
ところで君、ダンスの心得は?」
「だ、ダンス?」
「無さそうだね。メイド長、彼女にダンスを教えておいてくれ」
「ダンスだけでよろしいのですか?」
「令嬢を装うために必要な、一通りのことも一緒にね」
「かしこまりました」
「え? ダンス? 令嬢を装う?」
混乱しているわたしはメイド長になだめられつつ、彼女の執務室に連れていかれた。
「あのように、セルヒオ様が使用人たちに本来の業務以外の仕事を割り振るものだから、常に人手不足なのですよ」
使用人休憩室で出されるのより数段高級なお茶をいただきつつ、メイド長の愚痴交じりの説明を聞く。
「それでも私どもが協力しなければ、セルヒオ様はお一人で頑張ってしまわれるのです。
以前、それで寝込んでしまわれたので執事長さんたちと相談いたしました。
今は労働時間と給金を調整して、本来の業務外の仕事もお手伝いすることにしています」
「はあ、大変そうですね」
「ええ、あなたもパートナー役を仰せつかったからには覚悟してくださいね」
「パートナー?」
「セルヒオ様はまだ婚約者をお決めになっていらっしゃいません。
伯爵家の跡取りという身分もありますし、釣り書きはそれなりに来ているのですが、貴族らしいご令嬢ではおそらくここではやっていけないでしょう。
おまけにセルヒオ様に釣り合う年齢の使用人は、今ここにいないのですよ。
というわけで今回のパートナーにあなたが指名されたのです」
「わたしに務まりますか?」
「あなたに出ていただきたい夜会は、この屋敷で寄り子の貴族家を集めて行うものですから、さほど格式の高いものではありません。
令嬢の行動として見過ごせないような奇抜なことをしない限り大丈夫でしょう」
「わかりました。よろしくご指導お願いします」
執事長とメイド長のスケジュール調整のもと、ダンスと令嬢の振り教育が始まった。
特に執事長とメイド長がお手本に踊ってくれるダンスは息もピッタリなので、お似合いですねと褒めると二人して顔を赤くしていた。
なんとか教育も間に合って、衣装も伯爵夫人のお古のドレスをリメイクさせていただいた。
メイド長が手紙でお伺いを立てて、使っていいと許可を得たのだ。
夜会の数日前には王都から伯爵夫妻もお帰りになった。
出来上がったドレスを試着して見せると夫人が「とても可愛いけれど、少し物足りないわね」とおっしゃって素敵なジュエリーまで貸してくださった。
せっかくなので、とセルヒオ様も当日の衣装で横に並ぶ。
「ジュエリーを落として破損させたら弁償ですよね」
「そんなことになっても僕がなんとかするから大丈夫」
「じゃあ、万一の時は立て替えていただくこととして、その後ここで一生働いてお返します」
「あ、それいいねえ。是非、落として。
すかさず僕が踏みつけよう」
「何をおっしゃっているのでしょうか」
セルヒオ様は不思議なことをおっしゃる。
「あなたたちお似合いよ」
夫人の言葉は衣装合わせのことに違いないのに、なぜか頬が熱くなった。
夜会当日、大広間ではシャンデリアが輝き、磨き上げられた銀器は眩しく光を反射していた。
わたしが磨いたフォークもピカピカだ。
うっかりビュッフェテーブルの小さな乱れを直そうと手を伸ばしかけて、近くにいたメイド仲間に咳ばらいをされた。
そうだった、今日はセルヒオ様のパートナー役なのだ。
ダンスは少し自信がなかったけれど、セルヒオ様のリードが巧みで楽しく踊れた。
お上品にビュッフェの軽食を摘まんでは「美味しい!」と大声で言いそうになるのを堪えては、セルヒオ様に笑われること数回。
それでも、こんな幸せな経験はなかなか出来るものではない。
宴もたけなわの頃合い、セルヒオ様が壇上に立った。
給仕係がさりげなく招待客の誘導を始める。
「さて、今日は楽しい交流のための夜会だけれど、少々時間をいただくよ。
以前、伯爵家から寄り子の皆さんに向けて、余裕があれば孤児院からも使用人を雇うようにお願いしたよね。
ご協力いただいて、たくさんの子供たちが働き口を得た。
どうもありがとう。
けれど、中には使い捨てのような雇い方をした家もあるようだ。
噂の真偽を調査したり、直接被害に遭った者から聞き取りをしたりして、どの家が何をやったか把握させてもらったよ」
いつの間にか壇の真ん前に移動させられていた何組かの招待客たち。
彼らの顔色は、どんどん悪くなっていく。
そんな中で真っ先に口を開いたのはサルシド男爵だった。
「セルヒオ様、孤児院あがりの見習いの言うことなど、眉唾に決まっております。
長年お仕えしている我々より、そんな者たちの話を信用するのですか?」
「サルシド男爵、もちろん、君たちの忠誠には感謝しているよ。
だから、念入りに裏を取った。
なかなか骨の折れる仕事だったよ」
そう言いながら、セルヒオ様は隣に立つわたしを引き寄せて一歩前に出た。
「このご令嬢の顔に見覚えはあるかな?」
「こんなお綺麗な方は存じ上げませんが」
男爵は本当に気づかないようだったが、隣にいた夫人が反応した。
「あなた、この娘はうちで雇っていたメイド見習いのマリサでは?」
「まさか! あんなみすぼらしい娘が伯爵令息のパートナーを務められるわけがなかろう」
セルヒオ様がわたしを見て頷いた。発言していいということだ。
「ご無沙汰しております、サルシド男爵ご夫妻。
その節はまことにお世話になりました」
メイド長仕込みのカーテシーを決めると、男爵も驚愕の表情になる。
「お、お前はマリサ。伯爵家のスパイだったのか?」
「おや、スパイとはどういう意味だろうか?
何か探られて困ることが他にも?」
「い、いえ、何も……」
「あなた!」
夫人が金切り声を上げる。
「ここでは善良な寄り子の皆の迷惑になる。
サルシド男爵家他、調査で疑念の拭えなかった家については聞き取りをさせてもらおう。
別室へどうぞ」
いつの間にか給仕は騎士と入れ替わっており、彼らは連行されていく。
すぐに会場は落ち着きを取り戻し、夜会はつつがなく終了した。
「わたしがパートナーに選ばれたのは、そういうことだったのですね」
夜会の後、家族用の談話室にわたしも席をいただいた。
メイドならばあり得ない。
今日のお仕事の役得である。
「最初はああいう場面になったとき、君が側にいればうまく運びやすいかなと思ってたんだけど、今は違う」
「それはどういう意味でしょう?」
「単刀直入に言おう。
次は僕の婚約者をやってみないかい?」
「それも、お仕事でしょうか?」
「うーん? 通じてないかな?」
わたしはシスターに言われた通り、なんでも経験としてやってみたほうがいいのかなと考えていた。
「セルヒオ様、マリサをもてあそぶ気なら容赦いたしませんよ」
その時、メイド長が割って入った。
「本気だったらいいんだろう?」
「初めてセルヒオ様が婚約という言葉を口にされたので、本気を疑うわけではないのですが、メイドの経験しかないこの娘には少々荷が重いのではないかと」
「あら、わたくしは構わなくてよ。
今夜のマリサの振る舞いを見た限りでは、なんとかなるのではないかしら。
本人が諦めない限り、しっかり伯爵夫人としての教育を施しますわ」
なんと、伯爵夫人が参戦なさった。
「おやおや、今夜も賑やかだね」
その時、扉から新たな人物が入って来た。
その顔には、わたしも見覚えがある。
「お祖母様! 来てくださったんですね」
「たまには家族の顔も見ないとね」
「あなたは乗合馬車で花入りべっこう飴をくださった上に、商業ギルドを教えてくださった親切なお婆さん!
その節はお世話になりました」
「いやいや、私は大したことはしていないよ。
それより、お嬢さんはメイドの仕事を探していたはずなのに、どうしてうちの孫のパートナーをやっているんだい?」
同じソファに座るセルヒオ様はわたしの腰に腕を回し、しっかりと抱え込んでいた。
「今、彼女を口説いている最中なのですが、どうやら出来るメイドを手放したくないメイド長との戦いになりそうです」
「なにを言ってるんだい? うちの孫は」
「セルヒオ様は働き過ぎで頭が回らなくなってらっしゃるのですよ」
「メイド長、それは言い過ぎじゃないだろうか?」
放っておけば、本当に戦いだしそうな二人である。
「あの、メイドの仕事をしながら婚約者も務めれば、お二人が戦わなくてもいいのではないでしょうか?」
「そんなことが可能だろうか?」
「働き過ぎのセルヒオ様の意見とも思えませんね。
マリサはメイド仕事をしながら令嬢の振り教育にも全力で取り組んでおりました。
彼女なら可能でしょう」
「どっちにしても人材不足だね。
私は明日からまた、乗合馬車で人材確保の旅に出るよ」
「人材確保の旅?」
すかさずメイド長が説明してくれる。
「大奥様は人を見る目が確かですから、あちこち小旅行をしては人材やら情報やらを集めていらっしゃるのです。
ところが、目利きが過ぎて有用な人材が集まるうえ、重大な情報も拾ってきてしまわれるので逆に仕事が増え、いつまで経っても人手不足なのですわ」
「でしたらまず、セルヒオ様の側近になる方を探されたらいいのではないでしょうか?
セルヒオ様が最終的な判断をなさるべきでしょうけれど、その前に必要な情報を集めて整理する方が何人かいてくだされば、お仕事がしやすくなるのでは?」
「おや、お嬢さん、本当に孤児院育ちでメイド見習いの経験しかないのかい?」
大奥様がお訊ねになる。
「シスターが絵本の読み聞かせで教えてくれました。
王子様の周りに側近が何人もいるのは、それだけ仕事がたくさんあって一人ではこなしきれないからだと」
「それが本当の教育ってものだ。
お嬢さんの育った孤児院も、一度訪ねてみなければならないよ。
忙しくなりそうだ」
「あら、お義母様、少しは屋敷でゆっくりなさってください。
たまには旅のお話も聞きたいわ」
「そうだね、とりあえず飛び出してしまうのは、この家の人間の悪いところだね。
嫁の言うことも聞かないといけないよ」
「まあ、嬉しいわ」
嫁姑は微笑み合う。
「というわけで、メイドと婚約者、本当に兼業でもいいのかな?」
「ええきっと、窓拭きをしながらでもデートは出来るでしょうから」
「マリサ、せめて市場への買い出しにしなさい。
セルヒオ様が嬉々として雑巾を絞る様子は見たくありませんから」
「買い出しなら、喜んで荷物持ちをするよ。
父上、彼女と婚約したいのですが、よろしいでしょうか?」
それまで黙って成り行きを見ていた伯爵様が、笑顔で応えてくれた。
「お前も妻も我が母までもが気に入って、おまけにメイド長のお墨付きとあれば反対する理由もないだろう」
「ありがとうございます、父上」
「身分ローンダリングは任せておけ。
マリサ、君を一人前に育てた出自を引け目に感じる必要はないが、つまらぬことを気にする貴族はまだ多いからな。
勝手で済まないが、我が家の知り合いの貴族家の養女となってもらうことになる」
「お手数をおかけします。
不束者ですが、一生懸命努めますのでよろしくお願いいたします」
「ああ、なんでも相談してほしいが、もしも家の中で相談できないときは遠慮なく商業ギルドに相談しなさい。
あそこは伯爵家が出資しているが、調査員は公正だ。
君が正直である限り、悪いようにはならない」
「ありがとうございます」
それからしばらく経ったある日、セルヒオ様とわたしは街のカフェにいた。
「そういえば、花入りべっこう飴は謎のままです」
「花入りべっこう飴?」
「乗合馬車で大奥様にいただいたおかげで、商業ギルドですぐに取り次いでもらえました」
「ああ、あの飴はね、我が家代々の秘伝なんだ。
後継者の嫁にしか教えてもらえない製法がある。
普通の作り方では、あんなに綺麗に花びらが残らないそうだ。
うちでもお祖母様と母上しか作り方を知らない」
「そうなんですね」
「だから、あの飴は伯爵家に特別に認められたという証拠になるのさ。
めったなことでは手に入らないからね」
「それは、幸運でした」
「僕も幸運だった。お祖母様が見つけた出来るメイドが、僕の婚約者にもなってくれるなんて」
「そのうち、ボロが出るかもしれません」
「ボロごと愛せるから大丈夫」
あんなに飛び回っていたセルヒオ様だが、最近はほとんど屋敷にいる。
大奥様の見つけてきた側近の皆さんとよく話し合いながら仕事をこなしているのだが、一日一回はわたしの仕事の様子を見にやってくるのだ。
今日は街へ買い出しに行く頃合いで顔を出したので、メイド長は一度渡しかけたメモを引っ込めて、別のものをくれた。
いつもは一人で持てるくらいの急ぎの買い物を頼まれるのだけれど、今日は店に注文だけして後から直接配達してもらうようなものばかり。
「少しゆっくりしてらっしゃい」とまで言われたので、用が済んだ後は、セルヒオ様とカフェでお茶をしている。
「メイド長にもずいぶん気を使わせているな」
「執事長さんとおしゃべりする暇がないのは困りものです」
「執事長とおしゃべり?」
「ええ、あのお二人仲良しなのですよ。
ダンスを教えていただいた時も、お手本で息もピッタリに踊ってくださって」
「そういえば子供の頃に彼らを見ていて、仲がいいなと思ったことがあった。
二人とも、もう三十代半ばだよな」
使用人同士が恋をしたり婚姻をしたりすることは不自然ではないし、仕事に支障がない限りは問題ない。
セルヒオ様は使用人の仕事を増やしたせいで、叶わぬ思いもあったかもしれないことに気づいたようだ。
「……二人が望むなら一緒になればいいと思うけど、二人一緒に休まれたら大変だ」
「一人で考えないで、側近の皆さんや他の使用人の方と相談なさってください」
「ああ、そうしよう」
わたしは今、仕事のかたわら振りじゃない淑女教育を受けている。
メイド長に合格がもらえたら、次は伯爵夫人による教育を受ける予定だ。
皆の幸せを邪魔しないように、わたしも頑張らなくちゃ。
「教育が全て終わったら、お祖母様が直々に花入りべっこう飴の作り方を教えてくれるだろう」
「それは楽しみです」
「本当に?」
「もちろん」
忙しい中でも毎日愛をささやきに来てくれるセルヒオ様。
わたしは彼のことを、世界にたった一人の特別な人だと思うようになっていた。




