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無知の実

作者: むち
掲載日:2026/04/21

「聖書」神はアダムとイブに「善悪の知識の実を食べてはならない」と命じました、しかし蛇にそそのかされ両者とも食べてしまいます。 そして「善悪」を知ることになる。

知恵の実のお話、つまり旧約聖書は、私たち人間を人間たらしめる話です。この「知恵の実」の反対、「無知の実」は存在しなかったのでしょうか...

 【失った】

 無知とは何なのか、旧約聖書では最初人間は善悪も裸も死も恥も知らない。純粋で幸福な動物とされていました。その後、人間は知恵の実を食べたことにより楽園を追い出されこの下界ともいえるこの世界、例えるなら【罪の領域】に追い出されます。この罪の領域では天界とすべてが反対で「知識のないものは【罰】」が与えられ、死、自由、無知が与えられます。

ある人は言います「無知が幸福なのであれば早く罰を受けて無知になればいいじゃないか。」と、残念ながらここは天界ではありません。下界は生きていくのには知識が必要でその知識を剥奪されれば死んだも同然と言えるでしょう。ここ罪の領域では無知こそが悪、知識こそが善だと知恵の実を食べてしまった以上理解するしかないのです。 ですが一概に知識は善とも限りません。知ってしまったことによる罪も存在します。例えば貪欲。際限なく金、物などを欲しがるとされ七つの大罪の一つとされています。知らなければ欲しがらないというわけで、天界での知識が罪とされた理由の一つではないでしょうか。無知とは自由をしらないため扱いやすく比較的安全です。でも私は、無知とは停滞と同じと考えることができると思います。

【無知の都】

天界はすなわち無知の都、停滞の都市

皆さんは、無知の都と言われどんなところだと思いますか?色味はどんな感じで、建築はそんな時代のものなのでしょうか

毎日が停滞していますが毎日笑える日々、楽しくも思えますが「毎日」と言われると面白味が足りません。私たちは毎日文句を言いつつも毎日違った日々を過ごしています。喜怒哀楽ありますが毎日違った日々、それがないといわれると少し寂しい気分です。もちろん新しいものも作られないので同じものを身にまとう日常になります。考えていると無知とは罪なのか...と思ってしまいます。皆さんは自分の考える無知の都に暮らしたいですか?人それぞれだと思いますが無知とは厳密には罪ではないと考えます。

 【無知の(ソクラテス)

無知の知とは自分が本当は何も知らないことを自覚しているという自分の無知についての知を指す。

知らないということは知るための最大の障害とも言え、知ることの前準備として別のことを知っておかなければなりません。小数の掛け算を行うにはまず掛け算という工程を覚えるべきで無知を解消するにはまず知らない知識と、必要な知識に付属した知識を、知らないと自覚しなければなりません。学校では知らない知識を、自覚するために教科書を使いますが、教科書のない子供はどうやって自分の身に着けるべき知識を自覚するのでしょうか。知識とは知る工程ではなく、「知る工程に必要な知識を自覚する」ことが大切だとソクラテスの無知の知から知ることができます。だとするなら無知とは知識と同義なのではないでしょうか?無知であることを理解することこそが知識になる。これが私たちが知恵の実を食べたことによって芽生えた【無知の実】です。

【始まり】 

 話は変わりますが、日本での自殺数はおおよそ19097人、減少傾向ではあるみたいですがかなり多い水準です。自殺を図る理由としては健康面の問題、家庭環境、人間関係と色々あります。皆それそれぞれありますがその人が考える一番楽になる方法を選んだのではないかと思います。自殺とは楽になるために苦痛を伴います、死とは苦痛と楽が混じる混沌の象徴といえます。死はもともと知識の実にあったもので無知と知識と死この三つが人間に科された三大罰、無知の実です。人生とはもともと知識の実にあった種を人間が育てることだと思います。大きな木になる無知の実もあれば、小さい実になるものもある、その人間だけが創造できる形も匂いも大きさも違う、ただ一つの無知の実。これを実らせることこそが私たち人間が背負った罰。

知識を植えるための住処、知識を蓄えるための道具、無知を開花させるための知識を集め、最後には寿命が来る、つまり無知の実が完成する時が来るのです。それは不完全で情けなく、それでもたくましく育った、人間が見様見真似で作った知恵の実のコピー無知の実。到底神様には届かないですが、一つ自分という無知そのものが入っています。私の考えでは、完成された無知の実は自分をかたどった無知の都へのカギであり、不完全であれば輪廻の海に潜り、もう一度罪の領域へ、無知の実が完成していれば無知の都へ行くことができます。無知が知識であれば無もまた有に属する、不可能とは不可能を可能にする前工程であり、なければ作ればいいのです、無知の実を育て、無知を知識に、知識をまた無知に、その知識欲がまたあなたの無知の実を成長させるとともに無知の都を作り上げていけます。

【無知こそが本当の幸福だったのに、人間は知識を背負わされた罰として生きている】

ある者は夢を見た、彼女の名前は「セト」アダムとイブの遠い血を引く者として、彼女は生まれた瞬間から「知りすぎている」苦しみを背負っていた。彼女は知識に飢えていた、大学で学び、SNSで情報を浴び、知れば知るほど心は渇いていった。彼女はつぶやく「もし私が無知であれば幸福だったのかな」

ある日彼女は自殺を考えた。日々の疲れと人間関係に嫌気がさしたからだ。薬を握りしめベランダに立った瞬間、目の前に門が現れた。色がわからない形もわからないただ、門と分かるものが目の前に立ちはだかった。そこは無知の都...

そこでは人々が毎日同じ笑顔で、同じ服をまとい、同じ一日を繰り返していた。変化はなく、発見もなく、ただ純粋な幸福だけがあった。「ここに戻りたい。あの停滞した楽園に。あの無知に。」

門は固く閉ざされていた、なにかが話しかけてくる「無知の実が未熟な者は入れぬ。知恵の実を食べた罰として、お前は罪の領域でその実を育てよ。不完全なままでは、輪廻の海に還るだけだ」と、そこからセトは無知の都に戻る決心をした。

そこから、セトの無知の実を育てる日々が始まった。

まずは自分が何を知らないのかを自覚する、そこから失敗、裏切り、喜び、喪失を繰り返し、毎日違う日々を過ごす中で、形も匂いも違う「自分だけの無知の実」が、少しずつ育っていく。死に近づくにつれ、実が色づき始める。情けなく不完全でも、たくましく、彼女という「無知そのもの」が詰まった実。

セトは静かに息を引き取った、完成したのかもわからない彼女そのものを象った無知の実を抱きながら...

「これが、私が背負った罰。そして、私が育てた唯一の答えだ。」

夢から覚めた私は、彼女の人生が、私たち全員のアダムとイブの末裔の物語だと悟った。

あえて、もう一度問います、あなたの思う無知の都とはどのようなものでしょうか

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