第八話「銀杏通りと、本物の職人の話」
土曜日の昼、萩ノ宮駅を降りた。
財前さんが先に歩き始めた。俺はその後をついていった。
商店街のアーチをくぐった。「銀杏通り商店街」と書いてある。
「さびれてるな」
財前さんが言った。
「はい」
シャッターが目立つ。お年寄りが二人、惣菜屋の前で話している。猫が一匹、日向で丸まっていた。土曜の昼でこれだ。
財前さんが黙って歩いている。
観察している顔だ。俺も黙っていた。
「葛饅頭の店はどこだ」
「あそこです」
商店街の奥に、来栖堂の暖簾が見えた。
「来栖堂か」
「はい。先週俺が買いに来た店です」
「お前の目で確かめてほしいことがある、と言ったのを覚えているか」
「はい」
「入るぞ」
◆
暖簾をくぐった瞬間、俺は少し息を呑んだ。
ガラスケースの中に、和菓子が並んでいた。
水羊羹。葛饅頭。今日は桃の練り切りが出ていた。
先週は紫陽花だった。今日は桃。でも——
花びらが五枚。全部揃っていた。
「いらっしゃい」
奥から声がした。来栖さんが出てきた。
俺の顔を見て、一瞬だけ目が止まった。先週も来た子だ、と思ったかもしれない。でも何も言わなかった。
「水羊羹を二つと、葛饅頭を二つください」
財前さんが注文した。
来栖さんが「はい」と言って包み始めた。
その手が、丁寧に動いていた。
財前さんがケースをじっと見ていた。俺も見た。
「一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「この辺りで、有名なんですか」
「昔はそれなりに……今はねえ」
「お客さん、最近減りましたか」
来栖さんの手が一瞬だけ止まった。
「……そうですねえ。だいぶ」
「なんでだと思いますか」
「若い人が、こういうものを食べなくなったんですかねえ。それか……私の腕が落ちたか」
「腕じゃないと思いますよ」
来栖さんが顔を上げた。
「……見ただけでわかるの? 坊や」
「あの練り切りの花びら、全部五枚揃ってます。先週の紫陽花も揃っていた。急いで作ったらブレます。毎朝ちゃんと作ってますよね」
「……当たり前のことだよ」
「当たり前のことを、毎日続けられる人が、どれだけいますか」
来栖さんが、ゆっくりと目を細めた。
「問題は腕じゃないと思います。来栖堂を知っている人は絶対また来ます。でも、知らない人が多すぎる。伝わっていないだけなんです」
「……そうかもしれないねえ」
「来栖さん、少し聞いていいですか」
「どうぞ」
「売上、最近どのくらいですか」
来栖さんが少し間を置いた。
「……どうして?」
「俺、こういう店の経営を手伝うことをやっています。来栖堂みたいに、本物なのに伝わっていない店を」
来栖さんが俺を見た。学生が何を言っているんだ、という顔だ。
「学生さんでしょ」
「中学三年生です」
「……中学校3年生が、経営の手伝いを」
「父が会社の代表をやっています。俺が実務を担当していて」
「お父さんの会社」
「はい。来栖堂のことを、もう少し詳しく聞かせてもらえませんか。一度、父と一緒に来させてほしいんですが」
来栖さんがしばらく俺を見た。
それから財前さんを見た。
財前さんは黙って葛饅頭を持ったまま立っていた。「俺に振るな」という顔だ。
「……この方は」
「父の知り合いです。投資の仕事をしています」
「投資」
「来栖堂のことを一緒に考えてくれます」
来栖さんがまた俺を見た。中学生と、その隣に立つスーツの男。
「……面白いねえ、あなたは」
「よく言われます」
「一度、話は聞きますよ。颯くん、でいいですか」
「はい」
「連絡先を教えてもらえますか」
父さんの連絡先を書いたメモを差し出した。
来栖さんがそれを受け取って、「覚えておくよ」と言った。
◆
来栖堂を出て、商店街のベンチに座った。
財前さんが水羊羹の包みを開けて、一口食べた。
しばらく黙っていた。
「……うまい」
「葛饅頭は何回も食べましたが、水羊羹は初めてでしたよね」
「ああ。全部うまいな」
財前さんが葛饅頭も開けた。一口食べた。また黙った。
俺は黙って待った。
「あの職人は本物だ」
「はい」
「来栖さんの目が少し疲れていた。お金の心配がある時の疲れ方だ」
「財前さんにもわかりますか、そういうのが」
「俺も人を見る仕事をしてる。——お前の花びらの話、良かったぞ」
「え」
「俺ならあそこまで踏み込めない」
俺は少し驚いた。財前さんがそういうことを言う人だとは思っていなかった。
「たまたまです」
「たまたまじゃない」
財前さんが包みを畳んだ。
「……この店、俺も関わる」
「いいんですか」
「来栖さんの経営、相当苦しそうだ。来栖さんへの紹介は、颯の父親の知り合いでいい。来週、来栖さんに連絡を入れろ」
「わかりました」
財前さんが立ち上がって、来栖堂の方を向いた。
少し間があった。
「……もう一個買ってくる」
「調査ですか」
「そうだ」
財前さんが歩き始めた。
俺は笑いをこらえながら後をついていった。
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