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第八話「銀杏通りと、本物の職人の話」

土曜日の昼、萩ノ宮駅を降りた。


財前さんが先に歩き始めた。俺はその後をついていった。


商店街のアーチをくぐった。「銀杏通り商店街」と書いてある。


「さびれてるな」


財前さんが言った。


「はい」


シャッターが目立つ。お年寄りが二人、惣菜屋の前で話している。猫が一匹、日向で丸まっていた。土曜の昼でこれだ。


財前さんが黙って歩いている。


観察している顔だ。俺も黙っていた。


「葛饅頭の店はどこだ」


「あそこです」


商店街の奥に、来栖堂の暖簾が見えた。


「来栖堂か」


「はい。先週俺が買いに来た店です」


「お前の目で確かめてほしいことがある、と言ったのを覚えているか」


「はい」


「入るぞ」



暖簾をくぐった瞬間、俺は少し息を呑んだ。


ガラスケースの中に、和菓子が並んでいた。


水羊羹。葛饅頭。今日は桃の練り切りが出ていた。


先週は紫陽花だった。今日は桃。でも——


花びらが五枚。全部揃っていた。


「いらっしゃい」


奥から声がした。来栖さんが出てきた。


俺の顔を見て、一瞬だけ目が止まった。先週も来た子だ、と思ったかもしれない。でも何も言わなかった。


「水羊羹を二つと、葛饅頭を二つください」


財前さんが注文した。


来栖さんが「はい」と言って包み始めた。


その手が、丁寧に動いていた。


財前さんがケースをじっと見ていた。俺も見た。


「一つ聞いていいですか」


「どうぞ」


「この辺りで、有名なんですか」


「昔はそれなりに……今はねえ」


「お客さん、最近減りましたか」


来栖さんの手が一瞬だけ止まった。


「……そうですねえ。だいぶ」


「なんでだと思いますか」


「若い人が、こういうものを食べなくなったんですかねえ。それか……私の腕が落ちたか」


「腕じゃないと思いますよ」


来栖さんが顔を上げた。


「……見ただけでわかるの? 坊や」


「あの練り切りの花びら、全部五枚揃ってます。先週の紫陽花も揃っていた。急いで作ったらブレます。毎朝ちゃんと作ってますよね」


「……当たり前のことだよ」


「当たり前のことを、毎日続けられる人が、どれだけいますか」


来栖さんが、ゆっくりと目を細めた。


「問題は腕じゃないと思います。来栖堂を知っている人は絶対また来ます。でも、知らない人が多すぎる。伝わっていないだけなんです」


「……そうかもしれないねえ」


「来栖さん、少し聞いていいですか」


「どうぞ」


「売上、最近どのくらいですか」


来栖さんが少し間を置いた。


「……どうして?」


「俺、こういう店の経営を手伝うことをやっています。来栖堂みたいに、本物なのに伝わっていない店を」


来栖さんが俺を見た。学生が何を言っているんだ、という顔だ。


「学生さんでしょ」


「中学三年生です」


「……中学校3年生が、経営の手伝いを」


「父が会社の代表をやっています。俺が実務を担当していて」


「お父さんの会社」


「はい。来栖堂のことを、もう少し詳しく聞かせてもらえませんか。一度、父と一緒に来させてほしいんですが」


来栖さんがしばらく俺を見た。


それから財前さんを見た。


財前さんは黙って葛饅頭を持ったまま立っていた。「俺に振るな」という顔だ。


「……この方は」


「父の知り合いです。投資の仕事をしています」


「投資」


「来栖堂のことを一緒に考えてくれます」


来栖さんがまた俺を見た。中学生と、その隣に立つスーツの男。


「……面白いねえ、あなたは」


「よく言われます」


「一度、話は聞きますよ。颯くん、でいいですか」


「はい」


「連絡先を教えてもらえますか」


父さんの連絡先を書いたメモを差し出した。


来栖さんがそれを受け取って、「覚えておくよ」と言った。



来栖堂を出て、商店街のベンチに座った。


財前さんが水羊羹の包みを開けて、一口食べた。


しばらく黙っていた。


「……うまい」


「葛饅頭は何回も食べましたが、水羊羹は初めてでしたよね」


「ああ。全部うまいな」


財前さんが葛饅頭も開けた。一口食べた。また黙った。


俺は黙って待った。


「あの職人は本物だ」


「はい」


「来栖さんの目が少し疲れていた。お金の心配がある時の疲れ方だ」


「財前さんにもわかりますか、そういうのが」


「俺も人を見る仕事をしてる。——お前の花びらの話、良かったぞ」


「え」


「俺ならあそこまで踏み込めない」


俺は少し驚いた。財前さんがそういうことを言う人だとは思っていなかった。


「たまたまです」


「たまたまじゃない」


財前さんが包みを畳んだ。


「……この店、俺も関わる」


「いいんですか」


「来栖さんの経営、相当苦しそうだ。来栖さんへの紹介は、颯の父親の知り合いでいい。来週、来栖さんに連絡を入れろ」


「わかりました」


財前さんが立ち上がって、来栖堂の方を向いた。


少し間があった。


「……もう一個買ってくる」


「調査ですか」


「そうだ」


財前さんが歩き始めた。


俺は笑いをこらえながら後をついていった。


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