第五話「財前光」
中学三年生、十四歳。
その日は図書室で、半導体業界の産業レポートを読んでいた。
今、俺が注目しているのは製造装置の分野だ。半導体の需要増→製造装置メーカーへの恩恵→その下請けへの波及——この連鎖を先読みして、どの銘柄に、いつ入るかを考えていた。
父さん名義の口座の残高は、今二千四百万を超えている。
九歳から五年かけて、三十五万円から積み上げた。
「君、小日向颯くんか?」
顔を上げると、スーツの男が立っていた。
四十代。細身。目が細くて鋭い。でも怖い感じがしない。
値踏みじゃない。「確かめている」目だ。
——この人の気配を、俺は知っていた。
未来視の映像の端に、何度か映り込んでいた人物だ。「いつかこの人と関わる」という感触がずっとあった。だから調べていた。
財前光。元大手証券マン。三十歳で独立。現在、三本のファンドを運営するベンチャー投資家。四十二歳。
「そうですが」
「財前光だ。少し話せるか」
「はい」
財前さんが向かいに座った。
「お前のことは、業界で少し話題になっている」
「……どういう話ですか」
「父親名義の口座で、九歳から五年かけて三十五万を二千四百万にした中学生がいる、という話だ。運用の動きを見ると、明らかに一人の人間が判断している」
「……よく調べましたね」
「これが俺の仕事だ」
財前さんが少し前のめりになった。
「根拠を聞いていいか。なぜそれだけの精度で動かせる」
俺は少し考えた。
どこまで話すか。
まだ、この人を信用しきれているわけじゃない。実績が出る前に全部話すのは早い。
「調べているからです。業界動向、財務状況、経営者の発言の変化——数字に出る前に、言葉や行動に兆候が出ます。そこを読む」
「それだけか」
「……今は、それだけです」
財前さんがしばらく俺を見た。
「一つ聞く。俺が今、出資を検討している会社の中で、やめた方がいい案件があると思うか」
ここで試されている、と感じた。
俺は財前さんのファンドについて、公開情報の範囲で調べていた。三本のファンドのうち一本に、最近不自然な動きをしている銘柄があった。
「ファルコンテクノロジーですか」
財前さんの目が、鋭くなった。
「……なんで知ってる」
「CFOの動きが不自然です。先月、個人の資産管理会社へ大きな資金移動があった。公開情報とSNSの発言の変化から、何かを隠している可能性が高い。近いうちに何かが出ると思います」
「確証は」
「今はないです。でも調べてみてください。外れたなら、その時は信用しなくていいです」
長い沈黙があった。
財前さんが立ち上がった。
「今週末、うちのオフィスに来い。桐ヶ丘の雑居ビルだ」
名刺を出した。「財前光投資事務所」とだけ書いてある。
「来栖堂の葛饅頭を持ってこい」
「……葛饅頭ですか」
「萩ノ宮の商店街にある和菓子屋だ。そこの葛饅頭を買ってきてくれ」
「なぜ葛饅頭を」
「うまいかどうか確かめたい。それだけだ」
「……わかりました」
財前さんが図書室を出ていった。
俺は本を閉じた。
窓の外の空が、夕暮れに変わり始めていた。
「来栖堂」という名前が、頭に残った。
未来視でその名前を意識してみた。
霞がかかっている。具体的には何も見えない。
でも——何かがある、という気配だけははっきりしていた。
これがでかい話になる。
そういう確信が、じわりとあった。
颯爽と、やってやろうじゃないか。
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