第三十五話「白鷺陽一、現る」
月曜日の放課後。
校門を出たところで、声をかけられた。
「小日向颯くんですね」
振り向くと、男が立っていた。
三十代後半。きっちりしたスーツ。髪がきれいに整えられている。
笑顔が、自然だった。
不自然なくらい、自然だった。
「そうですが」
「少しお時間をいただけますか。お仕事の話です」
男が名刺を出した。
「白鷺投資顧問。代表の白鷺陽一と申します」
来た。
内心で、財前さんの言葉を反芻した。「未来視を使うな」。
使わなかった。
「どんな仕事ですか」
「颯くんの目利きの能力を、弊社のファンドに活かしていただきたいと思っています。今お付き合いの財前さんとは、規模が違います。百億規模の運用をお任せできます」
「百億」
「ご興味があれば」
白鷺が笑顔のまま言った。
俺は少し、白鷺を観察した。
目が笑っている。怒っていない。警戒もしていない。
財前さんが「笑顔が本物に見える」と言っていた意味が、今わかった。
この人間は、感情を持っていないのかもしれない。
いや、違う。
感情を——決して外に出さない人間だ。
何かを決断している気配が、全くない。話しながら、名刺を渡しながら、笑顔を見せながら——何も決めていない。
財前さんの仮説通りだった。
読む対象がない。
「財前さんのところで既に動いています」
「存じています。ただ、颯くんの能力は財前さんの規模では活かしきれないと思っていて」
「俺は今の規模で十分です」
「今は、ということですね」
白鷺が少し前のめりになった。笑顔のまま。
「颯くん、一つだけ聞いていいですか」
「どうぞ」
「財前さんは、長く無理をしてきた方です。あなたのそばにいる時間は、そう長くないかもしれない。その時に、あなたを支えてくれる組織が必要ではないですか」
俺の胸の中で、何かが静かに立った。
怒り、というより——警戒だった。
この人間は、俺の感情を揺さぶろうとしている。財前さんの健康問題を知っている。それを使ってきた。
計算して、やっている。
「お断りします」
「理由を聞かせてもらえますか」
「財前さんと動きます。それだけです」
白鷺が少し間を置いた。笑顔は変わらなかった。
「……そうですか。残念です」
名刺をしまいながら「いつでも、ご連絡ください」と言って、歩いていった。
その背中を見ながら、俺はすぐにスマホを取り出した。
財前さんに電話した。
「白鷺が来ました」
一拍置いて、財前さんの声が来た。
「……今どこだ」
「東明高校の正門前です」
「今すぐオフィスに来い。葛饅頭はいらない」
「……葛饅頭がいらない時は、本気の話の時ですよね」
「うるさい。来い」
電話が切れた。
俺は少し、空を見た。
五月の空が、高かった。
未来視を使わなかった。でも、わかったことがある。
白鷺は俺を、完全に計算して動いている。
感情を揺さぶるための材料として、財前さんの健康問題を使ってきた。
それを知っているということは——白鷺は財前さんのことを調べている。
颯爽とやっていくつもりだが、今日初めて「本物の敵」に会った気がした。
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