第二十九話「桐島奏という存在」
投資研究部に入って二週間後。
放課後の部室に、見知らぬ女子が来た。
ノックをして、すっと入ってきた。落ち着いた動きだ。表情が読みにくい。
「颯くん、ですよね」
「そうですが」
「桐島奏といいます。三組です」
俺は少し、頭の中でその名前を照合した。
桐島。財前ファンドの出資者リストに「桐島建設」という名前があった。
「颯くんが、財前さんのパートナーだと聞いていて」
「誰から聞きましたか」
「父から。財前さんのファンドに出資しているので」
「そうですか」
奏が部室を見回した。大地がパソコンを開いていた。凛が窓際に座って本を読んでいた。
「見学、してもいいですか」
「どうぞ」
奏が椅子を引いて座った。
俺は机の上に置いていた川上染工の資料を広げていた。先週、川上義春さんと二度目の面談をした。後継者候補の一人が来月工房を見学に来ることになっている。
でも、一つ引っかかっていることがある。
川上染工の財務状況だ。表面上は問題ないが、なんとなく見えにくい部分がある。颯の未来視では「五年後に若い職人が工房にいる」という映像が見えている。でも、そこに至るまでの道筋が霞がかかっている。
「それ、川上染工の資料ですよね」
奏が俺の手元を見ながら言った。
「知っていますか」
「帝都の染物屋ですよね。父が昔、取引したと聞いています」
「少し見てもらえますか」
俺は決算書のコピーを奏に渡した。
奏が受け取って、ざっと見た。
三十秒くらいだった。
「颯くん」
「はい」
「この会社、売掛の回収がかなりまずいです。取引先の一社が、去年から支払いを遅延させています」
「どこですか」
「三ページ目の取引先リスト、上から四番目。ここです」
見た。確かに、よく見れば支払いサイトが他と比べて長い。でも決算書を普通に読んでいたら見落とすレベルだ。
「なぜわかったんですか」
奏が少し黙った。
「……なんとなく、です。数字の並びが、嘘をついている感じがして」
「嘘をついている感じ」
「変な言い方ですけど。この数字の配列、崩れそうな感じがするんです。言語化できないんですが」
俺は少し間を置いた。
「奏さん」
「はい」
「それ、普通の感覚じゃないですよ」
奏がじっと俺を見た。
「……颯くん、あなたも何か、普通じゃないものを持っていますよね」
「なぜそう思いますか」
「わかります。崩れそうなものを見分けるのが私の感覚なら、あなたには別の何かがある。でもあなたは隠している。隠している人間の感じが、する」
大地がパソコンから顔を上げた。
「……颯、この子も?」
「後で話します」
「またそれ」
「今回はすぐ話します。三人に、まとめて」
奏が少し驚いた顔をした。
「……三人?」
「大地と凛さんも、普通じゃないものを持っています。俺も同じです。四人で、少し話しませんか」
凛が本を閉じた。
大地がパソコンを閉じた。
奏が俺を見たまま、静かに頷いた。
◆
その日の放課後、四人で部室に残った。
俺が口火を切った。
「俺には、未来視という能力があります。相手の顔と名前を知っている状態で集中すると、数年後の映像が断片的に見えます。今はLv2で、四〜五年後まで見えます。一日二回が限界で、超えると翌日まで頭痛が続きます」
静かになった。
「……Lvって何」と大地が言った。
「使えば使うほど精度が上がります。その段階を自分でそう呼んでいます」
「Lv3になったら」
「もっと鮮明に、もっと先まで見えるようになります。でも、コストも上がります」
凛が「私は」と言った。
「私は、感情の安定化ができます。たぶん。誰かのそばにいると、その人が落ち着く方向に動くことが多くて。逆に、コントロールできない時は感情を揺さぶってしまうこともあります。まだよくわかっていないです」
大地が「それって意図的にできるの?」と聞いた。
「できていません。今は、ただ起きるだけです」
奏が「私は」と言った。
「構造の崩壊を感知できます。数字でも、組織でも、人間関係でも。どこが腐っているかが、なんとなくわかる」
「今日の川上染工の話は、それですか」と俺が聞いた。
「そうです。決算書を見た瞬間、あそこが崩れると感じました」
「証言として使えます」
「証言?」
「俺が未来視で『五年後に川上染工は若い職人で満ちている』という映像を見ています。でも、どこが問題でその問題をどう解決するかは見えていない。奏さんの感知が、その理由を指せる」
奏が少し間を置いた。
「……颯くんが未来を見て、私が原因を見つける」
「そうです。二つが組み合わさって、初めて完全な絵が見えます」
大地が手を挙げた。
「俺は?」
「大地は、見えたものを全部覚えていますよね」
「……まあ、そうだけど」
「IR資料でも決算書でも、一度見たら全部記憶できる。俺と奏さんが方向性を決めたあと、大地が数字を全部頭に入れてシステム化する。三人が揃って初めて、俺の未来視が本当の武器になります」
大地がしばらく黙った。
「……俺、記憶力がいいだけだと思ってたんだけど」
「違います」
「どのくらい違うの」
「俺が二十分かかる作業が、大地には三十秒でできる。それは記憶力じゃなくて、異能です」
大地がコーラを飲んだ。
「……そっか」
「今、どう感じていますか」
「なんか、腑に落ちた感じがする。ずっと『俺なんで覚えられるんだろ』って思ってたから」
凛が「私も同じです」と小さく言った。
「ずっと、なんで見えるんだろって。怖かったし、疲れた」
奏が「私も」と言った。
「崩れそうな感じがするって言っても、誰もわかってくれなかった。変な子だと思われてた」
四人で少し、黙っていた。
「颯くん」と奏が言った。
「はい」
「なんで、私たちに話したんですか」
「一人で動ける限界があるので」
「それだけですか」
俺は少し間を置いた。
「それだけじゃないですが、今すぐ全部は言えないです」
奏が少し笑った。
初めて見る、力の抜けた顔だった。
「……颯くんって、変な人ですね」
「よく言われます」
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