第二十一話「バズった朝と、篠崎の焦り」
金曜日の夜、九時過ぎ。
七海からメッセージが来た。
「颯、見て」
リンクだった。
開くと、七海のアカウント。
先週上げた投稿——来栖さんの手元と、紫陽花の練り切りを朝の光の中で撮った一枚。
いいね数:2万4千。
俺は画面を三度見した。
三日前は四千だった。
コメント欄を確認した。フォロワー十八万人の食べ物系アカウントが引用していた。そこから一気に広がっていた。
「見た」と返した。
「やばくない!?」
「すごいです」
「『やばい』って言ってよ」
「語彙が足りないので」
「もう! でも颯に褒めてもらうのが一番嬉しいんだけど!」
少し間があった。
「あ、なんか変なこと言った、忘れて」
俺は少し笑いながら「おめでとうございます」とだけ返した。
忘れない。
でもそれは言わなかった。
◆
翌朝、土曜日。
来栖堂の前を通ると、列ができていた。
九時半で七人。全員スマホを持っている。
七海がエプロン姿で暖簾の前に立っていた。
「おはよう、颯」
「来客数、今日何人になると思いますか」
「いきなりそんな話するの颯だけだよ」
「大事なことです」
「……三十人は来ると思う。お父さん、朝五時から仕込んでる」
俺は少し胸が締まる感じがした。
来栖さんが朝五時から仕込んでいる。七海が暖簾の前に立っている。この光景を、三ヶ月前は想像できなかった。
「今日の来店数、記録しておいてください。これが今後の基準になります」
「わかった」
十時になった。
来栖さんが暖簾を出した瞬間、お客さんたちの顔が明るくなった。
「練り切り、ありますか」
「葛饅頭もほしいんですが」
「写真撮っていいですか?」
来栖さんが一人一人に丁寧に応じていた。
その目が、少し潤んでいた。
俺は入り口から少し離れた場所で見ていた。
これが見えていた未来だ。
でも未来視で見るのと、実際に目の前で見るのは、全然違う。
「来栖さん、嬉しそうだな」
財前さんが横に来た。
「いつ来たんですか」
「今しがた。葛饅頭、買った」
「調査ですか」
「そうだ」
財前さんが列を見た。目が細くなっていた。財前さんにしては、珍しい顔だった。
「颯、来店数を整理しているか」
「七海に記録を頼みました」
「いいね数じゃなく来店数を指標にするのは正しい。SNSの数字は虚栄心を満たすが、来店数は現実を教える」
「はい。いいね数はきっかけ。来店数が本当の成果です」
財前さんがもう一口、葛饅頭を食べた。
「……うまいな」
「葛饅頭も350円になりました」
「知っている」
「値上げ後、客足は落ちていません」
「わかっている」
二人で黙って、列を見ていた。
「財前さん」
「なんだ」
「来てよかったです、この商店街に」
財前さんが少し間を置いた。
「……葛饅頭のせいだ」
「そうですね」
「調査目的だ」
「もちろんです」
◆
その夜、篠崎が動いた。
七海からメッセージが来た。
「颯、なんか隣のパティスリーのオーナーが、うちの前を通りながら行列をずっと見てた」
「宮下さんですか」
「そう。なんか怖い目で見てた気がして」
「今日のところはそのままで大丈夫です」
スマホを置いて、頭の中を整理した。
来栖堂に行列ができた。SNSが爆発的に広がった。
これは篠崎にとって最悪の展開だ。
来栖堂が元気になれば「回収困難」という口実が完全に消える。不正スキームの帳簿の穴を埋める計算が崩れる。
篠崎は今、本当の意味で追い詰められた。
追い詰められた人間は、必ず焦る。
焦った人間は、必ず手を打つ。
そしてその手は、往々にして汚い。
財前さんにメッセージを送った。
「篠崎が動いてくると思います。早ければ来週中に」
返信が来た。
「証拠の整理を急がせる。弁護士に明日連絡する」
「記者への連絡も、そろそろ段取りを」
「わかった」
スマホを閉じた。
次は篠崎の動きを待つ。
焦るな。相手が焦った時ほど、こちらは落ち着いて動く。
でも——俺は今、少し怒っていた。
来栖さんの厨房を思い出した。毎朝五時から始まる仕込みと、揃った花びらと、あの手。
それを潰そうとしている人間がいる。
感情を見せても意味はない。
でも、終わらせる。それだけは、決めていた。
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