第十八話「田村社長と、商店街の値段」
木曜日の午後、制服のまま財前さんのオフィスに来た。
「スーツじゃないのか」
「制服の方が印象に残ります」
「……まあいい」
十四時ちょうどに、萩ノ宮開発の田村社長が来た。
五十代後半。がっしりした体格で、目が鋭い。財前さんと似た種類の目だが、少し違う。財前さんは「確かめる目」で、田村社長は「計算する目」だ。
「財前さん、お久しぶりです」
「ええ。今日はわざわざ」
田村社長が俺を見た。
「こちらは?」
「小日向颯くんです。私のビジネスパートナーです」
「……中学生ですよね」
「はい。三年生です」
田村社長がなんとも言えない顔をした。
席についてから、財前さんが切り出した。
「田村さん、萩ノ宮の件です。颯くんから話してもらいます」
俺はノートを開いた。
「田村さん、商店街を再開発して複合施設を建てるご計画ですよね。少し数字を見ていただいてもいいですか」
「どうぞ」
「再開発した場合です。商店街全体の土地取得費、建設費、テナント誘致費を合わせると初期投資は概算で八十億円です。萩ノ宮の立地と商圏人口から試算すると、黒字化までに十五年かかります」
田村社長が少し表情を変えた。
「一方、商店街を再生した場合。初期投資はほぼゼロです。そして」
俺はスマホを取り出した。
「来栖堂のSNS投稿です。先週、二千いいねを超えました。コメント欄に『萩ノ宮に行きたい』が四十件以上あります」
「……SNSか」
「これは始まりです。来栖堂が核になって商店街に人が来るようになれば、田村さんが萩ノ宮に持っている不動産の価値は三年で一・五倍になります。再開発より早く、コストゼロで、資産価値が上がります」
田村社長がしばらく黙っていた。
財前さんが静かに言った。
「田村さん、篠崎さんの動き方は少し強引でした。今ならまだ修正できます」
田村社長が深く息を吐いた。
「……わかりました。篠崎の件は私から話します」
「ありがとうございます」
「ただし」
田村社長が俺を見た。
「その商店街再生、本当に形になるのか。見届けさせてもらえますか」
「もちろんです。来栖堂の数字は毎月報告します」
田村社長が少し遠い目をした。
「私、萩ノ宮育ちなんです。子供の頃、来栖堂の和菓子を食べて育ちました」
俺は少し驚いた。
「……そうでしたか」
「商店街が死んでいくのは、正直見たくない。でも止める方法がわからなかった。あなたたちが動いてくれるなら、私もできることをします」
田村社長が立ち上がった。
「来栖さんに、よろしくお伝えください」
「はい」
「来栖堂の和菓子、また食べたいと思っています」
「ぜひ来てください」
田村社長が初めて笑った。握手をして、帰っていった。
◆
オフィスに静寂が戻った。
財前さんがコーヒーを飲みながら言った。
「田村を動かした。でも颯、これで終わりじゃないな」
「篠崎が止まるとは思っていません。田村さんが止めても、篠崎には別の理由がある。次は池田さんへのアプローチが来ると思います」
「文房具屋の」
「後継者がいなくて閉める予定の店です。先回りします。今週末、来栖さんと一緒に行きたいです」
「俺も行く」
その夜、来栖堂に寄って今日の話を報告した。
来栖さんは黙って聞いていた。
田村社長が萩ノ宮育ちだったこと。来栖堂の和菓子を食べて育ったと言ったこと。
「……田村さんが、そんなことを」
「はい。もしかすると、奥様がお元気だった頃から来ていたかもしれません」
来栖さんが、少し遠い目をした。
「……そうかもしれないですね」
しばらく沈黙があった。
「颯くん」
「はい」
「一つ、話してもいいですか。七海には、まだ話していないことです」
俺は少し背筋を正した。
「聞きます」
「この借金、設備の更新代だけじゃないんです」
来栖さんの声が、少し低くなった。
「女房が十年前に入院しまして。二年近く、癌でした。治療費と入院費で当時の蓄えがほぼなくなって。設備の更新とも重なって、借り入れが膨らんだんです」
「……そうでしたか」
「七海には、設備の費用だとしか言っていない。心配させたくなかったから」
「財前さんにこの話を伝えてもいいですか。資金の組み直しに関わってくるので」
「颯くんと財前さんだけに」
「約束します」
来栖さんが、ゆっくり頷いた。
「颯くん、一つ聞いていいですか。数字ばかり見ていて、疲れませんか」
俺は少し考えた。
「疲れます。でも今夜、気づいたことがあって」
「なんですか」
「損益分岐点は計算できます。でも来栖さんが話してくれた借金の理由は、計算できない。俺はまだ、数字しか見ていなかったと思いました」
来栖さんが、静かに笑った。
「颯くんは、ちゃんと見えていますよ」
来栖さんが奥から葛饅頭を一個出してきた。
「帰り道に食べなさい」
「ありがとうございます」
甘くて、静かな味がした。
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