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第十五話「隣に咲いた、きれいな花の話」

翌朝、銀杏通りに新しい看板が出ていた。


「パティスリー・ミヤシタ まもなくオープン」


看板の前で、少し立ち止まった。


来栖堂から歩いて三十秒の場所に、去年まで空き物件だった店がある。そこに、きれいなロゴの看板が貼り出されていた。白を基調にしたデザイン。ショーウィンドウには色とりどりの洋菓子のサンプルが並んでいる。


……タイミングがいいな。


未来視で「三ヶ月後」を確認した。


その店、盛況だ。若い女性が多く来ている。


でも——来栖堂の「三ヶ月後」も同時に見えた。


来栖堂にも、客が来ている。


「共存できる」


和菓子と洋菓子は競合しない。問題は、そのオーナーがどういう人間か、だ。



来栖堂に着くと、七海が店の前で腕を組んでいた。


「見た? あの店」


「見た」


「なんか思った?」


「共存できると思った」


七海が少し驚いた顔をした。


「……敵にならないの?」


「お菓子の種類が違う。うちに来るお客さんと、向こうに来るお客さんは基本的に別だ」


「でも」


七海が少し言いにくそうにした。


「あの店のオーナーの人、昨日うちに挨拶に来たんだけど」


「どんな人だった」


「……なんか、感じが良すぎる人。笑顔がずっとそのままで、話してる途中でも全然変わらなくて。なんか、怖かった」


七海の観察眼は鋭い。


「なんて言ってた?」


「『お互い頑張りましょうね』って。あと、『和菓子と洋菓子、うまく棲み分けできるといいですよね』って」


「棲み分け」


「うん。でもなんか……棲み分けっていう言葉が上から目線な感じがして。うちが小さくしていれば邪魔しないよ、みたいな」


「オーナーの名前は?」


「宮下恵梨さん。三十四歳だって」


「帝都の店で修業してたって言ってた?」


「言ってた。よく知ってるじゃん」


「少し調べました」


「……いつ」


「看板を見てから、今朝」


七海がため息をついた。


「颯って、寝てるの?」


「四時間くらいは」


「それ寝てないじゃん」


「前からの習慣なので」


「前から? 中三が?」


「……なんでもないです」


七海がじとっとした目で俺を見たが、追及はしなかった。



その日の午後、財前さんのオフィスへ向かった。


財前さんは珍しく、立ったまま俺を迎えた。


「篠崎の件、わかった」


「早かったですね」


「萩ノ宮開発の社長、うちのファンドに出資している。情報が取りやすかった」


俺は少し驚いた。


「それは……」


「利益相反じゃないかという顔をするな。出資者から情報を取っただけだ」


「わかりました。何が」


財前さんがホワイトボードを指した。


「萩ノ宮開発は、銀杏通り商店街一帯の再開発を計画している。三年以内に商店街の物件を順番に買い集めて、複合商業施設に建て替えるプランだ」


「それ自体は違法じゃない」


「そうだ。ただ——篠崎は、萩ノ宮開発の社長の義理の弟だ」


俺は少し黙った。


「……つながってる」


「ああ。来栖堂が資金難になって物件を手放せば、萩ノ宮開発が安値で買い取る。篠崎はその橋渡し役だ」


「来栖堂の土地は商店街の中心部にある。ここを抑えれば、残りの交渉が有利になる」


「そうだ。キーストーンだ」


俺が来栖堂を「商店街の核」と判断したのと、全く同じ理由で、向こうも来栖堂を狙っていた。


「逆に使えませんか」


財前さんが眉を上げた。


「来栖堂が商店街のキーストーンなら、来栖堂が元気になれば商店街全体の価値が上がります。萩ノ宮開発の社長に直接話せませんか。来栖堂を潰して安値で買うより、商店街全体が活性化した方が不動産の価値も上がる、と」


「……篠崎を飛ばして、社長に直接いく、ということか」


「はい。篠崎には関係ない話です」


財前さんがふっと笑った。


「お前、容赦ないな」


「来栖さんを脅したので」


「まあ、そうだな。——宮下の件は知ってるか」


「パティスリー・ミヤシタですよね。今日、看板が出ていました」


「宮下が出店した物件、萩ノ宮開発が持っている」


俺は頭の中を整理した。


篠崎が来栖堂を追い詰める。来栖堂が潰れれば、隣に洋菓子屋が入る。その洋菓子屋は萩ノ宮開発の物件を借りている。


全部つながっているかもしれない。それとも、たまたまかもしれない。


「宮下さんが篠崎と組んでいるかどうかは、まだわかりません」


「そうだな。七海のSNSが当たり始めた時に、宮下がどう動くかを見ろ」


財前さんがコーヒーを一口飲んだ。


「よし、動くぞ。萩ノ宮開発の社長へのアプローチは俺が担当する。お前は来栖堂のSNSを予定通り進めろ」


「はい」


「一つだけ言っておく。こういう時、焦るな。向こうが焦らせようとしてくる時ほど、こちらは落ち着いて動く」


「はい。来栖さんにも伝えます」


財前さんがドアに向かいかけて、止まった。


「葛饅頭、今日はないのか」


「……手ぶらで来ました、すみません」


「次は忘れるな。調査が必要なので」


「もちろんです」



帰り道、七海からメッセージが来た。


「颯、見て。宮下さんのインスタ」


リンクを開くと、宮下恵梨のアカウントが表示された。


フォロワー、八千人。


昨日上げられた投稿に、職人が和菓子を作っている写真があった。


キャプション。「地元の老舗職人さんから、本物の手仕事を学んでいます。#萩ノ宮 #職人技 #手仕事」


俺は少し目を細めた。


「老舗職人さん」。来栖堂を指しているのは明らかだ。来栖堂の価値観を借りて、自分のブランドに乗せている。


「颯、これってうちのこと使ってるよね。許可なんて取ってないよ」


「そうだな」


「怒っていい?」


「七海が怒るのは自由だけど、今は動かない方がいい。向こうが先に動いた、ということは向こうも焦っている。焦っている相手は、必ずミスをする」


しばらく間があった。


「……颯ってさ」


「なに」


「なんか、大人だよね」


「そうでもないですよ」


「いや、絶対大人だよ」


「……まあ」


「ありがとう」


「何が」


「一緒に戦ってくれて」


俺は少し間を置いた。


「来栖堂の和菓子が本当に好きなので」


「それだけ?」


「それだけじゃないけど、それが一番でかい理由です」


七海が「なにそれ」と返してきた。


でも、笑っている気配がした。


都環線の窓の外に、夕焼けが広がっていた。


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