第十五話「隣に咲いた、きれいな花の話」
翌朝、銀杏通りに新しい看板が出ていた。
「パティスリー・ミヤシタ まもなくオープン」
看板の前で、少し立ち止まった。
来栖堂から歩いて三十秒の場所に、去年まで空き物件だった店がある。そこに、きれいなロゴの看板が貼り出されていた。白を基調にしたデザイン。ショーウィンドウには色とりどりの洋菓子のサンプルが並んでいる。
……タイミングがいいな。
未来視で「三ヶ月後」を確認した。
その店、盛況だ。若い女性が多く来ている。
でも——来栖堂の「三ヶ月後」も同時に見えた。
来栖堂にも、客が来ている。
「共存できる」
和菓子と洋菓子は競合しない。問題は、そのオーナーがどういう人間か、だ。
◆
来栖堂に着くと、七海が店の前で腕を組んでいた。
「見た? あの店」
「見た」
「なんか思った?」
「共存できると思った」
七海が少し驚いた顔をした。
「……敵にならないの?」
「お菓子の種類が違う。うちに来るお客さんと、向こうに来るお客さんは基本的に別だ」
「でも」
七海が少し言いにくそうにした。
「あの店のオーナーの人、昨日うちに挨拶に来たんだけど」
「どんな人だった」
「……なんか、感じが良すぎる人。笑顔がずっとそのままで、話してる途中でも全然変わらなくて。なんか、怖かった」
七海の観察眼は鋭い。
「なんて言ってた?」
「『お互い頑張りましょうね』って。あと、『和菓子と洋菓子、うまく棲み分けできるといいですよね』って」
「棲み分け」
「うん。でもなんか……棲み分けっていう言葉が上から目線な感じがして。うちが小さくしていれば邪魔しないよ、みたいな」
「オーナーの名前は?」
「宮下恵梨さん。三十四歳だって」
「帝都の店で修業してたって言ってた?」
「言ってた。よく知ってるじゃん」
「少し調べました」
「……いつ」
「看板を見てから、今朝」
七海がため息をついた。
「颯って、寝てるの?」
「四時間くらいは」
「それ寝てないじゃん」
「前からの習慣なので」
「前から? 中三が?」
「……なんでもないです」
七海がじとっとした目で俺を見たが、追及はしなかった。
◆
その日の午後、財前さんのオフィスへ向かった。
財前さんは珍しく、立ったまま俺を迎えた。
「篠崎の件、わかった」
「早かったですね」
「萩ノ宮開発の社長、うちのファンドに出資している。情報が取りやすかった」
俺は少し驚いた。
「それは……」
「利益相反じゃないかという顔をするな。出資者から情報を取っただけだ」
「わかりました。何が」
財前さんがホワイトボードを指した。
「萩ノ宮開発は、銀杏通り商店街一帯の再開発を計画している。三年以内に商店街の物件を順番に買い集めて、複合商業施設に建て替えるプランだ」
「それ自体は違法じゃない」
「そうだ。ただ——篠崎は、萩ノ宮開発の社長の義理の弟だ」
俺は少し黙った。
「……つながってる」
「ああ。来栖堂が資金難になって物件を手放せば、萩ノ宮開発が安値で買い取る。篠崎はその橋渡し役だ」
「来栖堂の土地は商店街の中心部にある。ここを抑えれば、残りの交渉が有利になる」
「そうだ。キーストーンだ」
俺が来栖堂を「商店街の核」と判断したのと、全く同じ理由で、向こうも来栖堂を狙っていた。
「逆に使えませんか」
財前さんが眉を上げた。
「来栖堂が商店街のキーストーンなら、来栖堂が元気になれば商店街全体の価値が上がります。萩ノ宮開発の社長に直接話せませんか。来栖堂を潰して安値で買うより、商店街全体が活性化した方が不動産の価値も上がる、と」
「……篠崎を飛ばして、社長に直接いく、ということか」
「はい。篠崎には関係ない話です」
財前さんがふっと笑った。
「お前、容赦ないな」
「来栖さんを脅したので」
「まあ、そうだな。——宮下の件は知ってるか」
「パティスリー・ミヤシタですよね。今日、看板が出ていました」
「宮下が出店した物件、萩ノ宮開発が持っている」
俺は頭の中を整理した。
篠崎が来栖堂を追い詰める。来栖堂が潰れれば、隣に洋菓子屋が入る。その洋菓子屋は萩ノ宮開発の物件を借りている。
全部つながっているかもしれない。それとも、たまたまかもしれない。
「宮下さんが篠崎と組んでいるかどうかは、まだわかりません」
「そうだな。七海のSNSが当たり始めた時に、宮下がどう動くかを見ろ」
財前さんがコーヒーを一口飲んだ。
「よし、動くぞ。萩ノ宮開発の社長へのアプローチは俺が担当する。お前は来栖堂のSNSを予定通り進めろ」
「はい」
「一つだけ言っておく。こういう時、焦るな。向こうが焦らせようとしてくる時ほど、こちらは落ち着いて動く」
「はい。来栖さんにも伝えます」
財前さんがドアに向かいかけて、止まった。
「葛饅頭、今日はないのか」
「……手ぶらで来ました、すみません」
「次は忘れるな。調査が必要なので」
「もちろんです」
◆
帰り道、七海からメッセージが来た。
「颯、見て。宮下さんのインスタ」
リンクを開くと、宮下恵梨のアカウントが表示された。
フォロワー、八千人。
昨日上げられた投稿に、職人が和菓子を作っている写真があった。
キャプション。「地元の老舗職人さんから、本物の手仕事を学んでいます。#萩ノ宮 #職人技 #手仕事」
俺は少し目を細めた。
「老舗職人さん」。来栖堂を指しているのは明らかだ。来栖堂の価値観を借りて、自分のブランドに乗せている。
「颯、これってうちのこと使ってるよね。許可なんて取ってないよ」
「そうだな」
「怒っていい?」
「七海が怒るのは自由だけど、今は動かない方がいい。向こうが先に動いた、ということは向こうも焦っている。焦っている相手は、必ずミスをする」
しばらく間があった。
「……颯ってさ」
「なに」
「なんか、大人だよね」
「そうでもないですよ」
「いや、絶対大人だよ」
「……まあ」
「ありがとう」
「何が」
「一緒に戦ってくれて」
俺は少し間を置いた。
「来栖堂の和菓子が本当に好きなので」
「それだけ?」
「それだけじゃないけど、それが一番でかい理由です」
七海が「なにそれ」と返してきた。
でも、笑っている気配がした。
都環線の窓の外に、夕焼けが広がっていた。
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