第十四話「信用金庫の男と、笑顔の罠」
木曜日の昼過ぎ、七海からメッセージが来た。
「颯、ちょっとまずいかも」
教室の自席でこっそりスマホを確認した。授業中だったが、担任は黒板に向かっていた。
「何があった」
「信用金庫の人が来た。お父さんと話してる」
「今も話してるの?」
「たぶん。声が聞こえてくる」
「どんな内容か聞こえる?」
しばらく間があった。
「……『このままでは差し押さえの手続きに入らざるを得ない』って言ってる。返済期限の前倒しを求めてるっぽい」
内心で、舌打ちした。
篠崎だ。
未来視でこの展開は見えていた。でも、こんなに早く来るとは思っていなかった。
「七海、今日の放課後、来栖堂に行っていいか」
「来れるの?」
「授業終わったらすぐ行く」
「……わかった。待ってる」
スマホをしまって、黒板を見た。先生が二次方程式の解き方を説明していた。
来栖さんを脅しに来た。
信用金庫が「差し押さえ」という言葉を使うのは、本来最終手段だ。返済期限はまだ三ヶ月ある。それなのに今から「差し押さえ」を匂わせるのは、相手を焦らせるための脅しだ。
なぜそんなことをする必要がある?
未来視で見えていた映像が頭の中で重なった。
来栖堂の向かいの空き地。そこに「萩ノ宮開発・計画地」という看板が立っている未来。
来栖堂の土地と建物が、安値で買い叩かれた後の未来。
「……なるほど」
先生が「小日向くん、何か言いましたか?」と振り向いた。
「いえ、なんでもないです」
「ちゃんと聞いてなさい」
「はい」
黒板に目を向けながら、頭の中では別の計算を始めていた。
◆
放課後、来栖堂に着いたのは四時過ぎだった。
店の前に、見慣れない自転車が停まっていた。信用金庫のロゴが入ったステッカーが貼ってある。
まだいる。
暖簾をくぐった。
来栖さんがカウンターの前に立っていた。向かいに、スーツ姿の男が座っていた。
四十代くらい。小太り。髪を七三に分けている。笑顔が貼り付いたような顔だ。
俺を見て、「あら、お客さんですか」と言った。笑顔のまま言った。
「颯くん」
来栖さんが少し安堵したような声を出した。
「こんにちは、来栖さん。お邪魔します」
「いらっしゃい。……こちらは、信用金庫の篠崎さんです」
篠崎さんが立ち上がって名刺を差し出した。
「小日向颯です」
「颯くん、ね。来栖さんの、お知り合いですか」
「はい。商売のお手伝いをさせてもらっています」
篠崎さんが一瞬、目を細めた。でもすぐに笑顔に戻った。
「ああ、そうですか。まだ学生さんですよね?」
「中学三年生です」
「若いのに頼もしいですね」
褒めているが、目が全然笑っていなかった。
「お話し中でしたか?」
「ちょうど終わるところですよ。ね、来栖さん」
来栖さんが、少し視線を落とした。
「……はい」
「来栖さん、今週中にご回答をお待ちしています」
篠崎さんが鞄を持って立ち上がった。
「では、失礼します。颯くんも、来栖さんのことをよろしくお願いしますね」
また笑顔で言って、出ていった。
暖簾が揺れて、静かになった。
来栖さんがゆっくり椅子に腰を下ろした。肩が、少し落ちていた。
「来栖さん、何を言われましたか」
「……返済期限を、一ヶ月前倒ししてほしいと。このままでは担保の処分を検討しなければならない、と」
「担保って、この建物と土地ですか」
「はい」
「今日が初めてですか、その話」
来栖さんが少し顔を上げた。
「……いいえ。二ヶ月前にも、同じような話をされました」
「二ヶ月前から前倒しを」
「はい」
俺は頭の中で整理した。
返済期限まで三ヶ月。それなのに二ヶ月前から「前倒し」を迫っている。来栖さんを追い詰めて、早く手放させたい。土地と建物を、安値で。
「奥から、聞いてたよ」
七海が出てきた。少し顔が強ばっていた。
「あの人、前にも来たことある。お父さんと二人の時に話してて、終わった後のお父さん、しばらく元気なかった」
「七海」
「お父さん、あの人のこと、信用してる?」
来栖さんが少し困った顔をした。
「信用というか……お付き合いが長いから」
「長いからって信用できるとは限らないじゃん」
「七海、そういうことを言うもんじゃ……」
「でも」
七海が俺を見た。
「颯、あの人、変じゃなかった?」
俺は正直に言った。
「変でした」
「やっぱり」
「ただ、今は証拠がありません。なので今日のところは一つお願いがあります」
来栖さんが顔を上げた。
「篠崎さんへの返事を、もう一週間待ってもらえますか。少し調べたいことがあります」
「でも、向こうは今週中にと……」
「『検討中』という形で返事をするだけです。断りじゃなく、検討中。それは来栖さんの権利です」
来栖さんが少し迷った顔をした。
「……颯くん、何か知ってるんですか」
「知っているわけじゃありません。でも確かめたいことがあります」
「確かめて、どうなるんですか」
「最悪のケースを回避できるかもしれません」
来栖さんはしばらく俺を見ていた。
「……わかりました。一週間、待ってもらえるよう連絡します」
「ありがとうございます」
「颯くん」
「はい」
「七海を、不安にさせないでください」
俺は七海を見た。
七海は少しムッとした顔をしていた。「不安じゃない」という顔だ。でも手が微妙に握られていた。
「わかりました」
俺は立ち上がった。
「財前さんに連絡します。今夜中に」
七海が俺を見た。
「颯、何するつもり」
「篠崎さんのことを調べます。信用金庫の担当者が、なぜ返済期限前にこんな動きをするのか」
「頼んだよ」
俺は頷いた。
店を出て、すぐにスマホを取り出した。
「篠崎隆二、帝都中央信用金庫萩ノ宮支店、融資担当。萩ノ宮開発との関係を調べてもらえますか」
三分で返信が来た。
「萩ノ宮開発か。心当たりがある。明日、話す」
スマホをしまって、都環線の駅に向かった。
夕暮れの萩ノ宮に、商店街のアーチが見えた。
銀杏通りの看板の下で、猫が一匹、丸まっていた。この猫はいつもここにいる。
「……絶対に、守る」
猫が片目を開けて、俺を見た。
興味なさそうにまた目を閉じた。
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