第十話「二千万の重さと、職人の意地」
来栖堂の奥の応接間。テーブルが一つ、椅子が四つ。棚に和菓子の型が並んでいる。使い込まれた型だ。
俺と父さんと財前さんが座ると、来栖さんが向かいに座った。
その隣に——女の子が一人いた。
黒髪を一つに結んでいる。私服だ。目が大きい。
そして最初から俺を、品定めしている。
「娘の七海です。家のことなので同席させてもらいました」
「七海といいます」
はっきりした声だった。敬語だけど、下手に出ていない。
「小日向颯です。中三です。こちらが父の哲二です。それとこちらは財前さんです」
父さんが名刺を出した。財前さんは名刺を出さなかった。
七海さんが父さんの名刺をちらりと見て、また俺を見た。
「同い年くらいかと思ったら、中三なんだ」
「七海さんは高一ですか」
「そう。一個上」
「じゃあ先輩ですね」
「……なんか急に下手に出た」
「事実を言っただけです」
七海さんが少し眉を上げた。「変なやつ」として再分類された顔だ。
◆
来栖さんが話してくれた。
年商、約六百万円。固定費、約五百万円。人件費ゼロ——来栖さん一人でやっているから。
そして——借入金が、二千百万円。
来栖さんが帳簿をテーブルに置いた。手が少し震えていた。
俺の胃の奥に、何かが重くのしかかった。
二千百万。思っていたより、でかい。
「毎月の返済が十五万ほどで……手元に残るものが、ほとんどなくて」
「銀行に相談しましたか」
父さんが穏やかな声で聞いた。
「追加の融資をお願いしたんですが、難しいと言われました」
父さんが黙って頷いた。余計なことを言わない。ちゃんと聞いている。
「もうダメかな、と思い始めて……ただ」
来栖さんがちらりと七海さんを見た。
七海さんは正面を向いたまま動かなかった。でも手がテーブルの上でわずかに握られていた。
「……七海が、続けてほしいと言うので。まだ諦めちゃいけないと思って」
俺は七海さんを見た。
「続けてほしい、と言ったんですね」
「……なんで私に言うの」
「来栖さんが諦めずにいられる理由を確認したかったので」
「……好きだから、でしょ。お父さんの店が」
「それだけで十分です。好きだから続けたいという人間を支援するのが、俺たちの仕事です」
七海さんが俺をじっと見た。
「それと、七海さん、個人のSNSアカウントを持っていますよね。フォロワーが三千人ほど」
七海さんの顔色が変わった。
「……なんで知ってるの」
「調べました。来栖堂の商品を投稿してもらえれば、認知が広がります」
「ちょっと待って。今の話、納得してないから」
「後でいくらでも話します。まず来栖さんの話を続けましょう」
「……うん」
◆
一時間ほど話した。
返済期限まで、三ヶ月を切っている。動けるのは実質二ヶ月だ。
「颯くん」
来栖さんが俺を見た。
「なんでうちみたいな店に関わってくれるんですか」
「花びらが毎回揃っていたので。それが伝わっていないだけです。伝われば、人は来ます」
来栖さんが静かに俯いた。
七海さんが俺を見ていた。さっきとは少し違う目だった。
「……わかりました。颯くんを信じます」
父さんと財前さんが頭を下げた。俺も頭を下げた。
帰り道、父さんが「二千百万か」と呟いた。
「でかいな」
「でかいです」
「でもやるのか」
「やります」
「颯、来栖さんの五年後、見えるか」
「来栖さんの手が動いています」
父さんが黙った。
「……それだけで十分だ」
都環線のホームで電車を待った。
二千百万の壁と、来栖さんの手と、七海さんの「ちょっと待って」という声が、頭の中に残っていた。
でかい。
でも、でかいということは、それだけやる意味がある。
颯爽と、やってやろうじゃないか。
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