朱印一つで首が繋がる
夜明けは、焚き火の匂いを薄める代わりに、人の顔をはっきりさせる。寝不足の目、苛立ち、疑い。そういうのが輪郭を持つ。
番所は街道脇の木造で、半分は役所、半分は牢屋みたいな場所だった。机の上に帳簿、朱印、縄、墨。ここに入った瞬間、揉め事は「言った言わない」じゃなく「記録と手続き」になり、「確定」する。
担架代わりの板に載せられた死体が運び込まれ、旅人は縄で縛られたまま引っ立てられた。俺は剣を腰に下げて歩く。武器を持ってるのに、こっちが自由って感じはしない。巡察の視線が、ずっと鬱陶しい。
執務室に入る。机の向こうの役人は、表情が薄い。悪い奴じゃない。ただ、面倒を増やしたくない顔だ。
「身元確認。通行札は」
硬い声。分かりやすい。こういうのは嫌いじゃない。
「ない。前のは日付切れだ」
俺は肩をすくめて言う。役人は淡々と帳簿に書いた。
「日付切れ……無効。名前」
「カイ」
「記録した」
役人は視線を上げずに言う。
「札がない者は原則、次の関所を通れない。例外は番所の判断でのみ認める」
要するに、ここで詰ませることもできるってことだ。役所は、そういう力を持ってる。
巡察の隊長が布包みを机に置いた。中から、ガラス瓶に入った黒い粉。
「街道で押収した禁制品だ。」
役人の目が瓶に吸い寄せられる。興味じゃない。厄介事の大きさを測る目だ。
「所持者は」
隊長が顎で旅人を示した。
「違う! 俺は――」
旅人が叫びかけたが、役人が遮る。
「発言は後だ。今から事情聴取をする」
旅人の喉が鳴って、言葉が引っ込む。目だけが動いて、俺を刺すが――助けられた相手を見る目じゃない。……まあ、そういう人生なんだろうな。
濡れ衣は嫌いだが、嫌いなのは誤解じゃない。「都合よく押し付けられること」だ。
「先に言っとく」
「こいつだけが関係者じゃない。昨夜、こいつを消しに来た奴がいる。口封じだ」
俺は言った。軽口は挟まない。役人が顔を上げた。
「根拠は」
隊長が死体の方を示した。
「これがその実行役だ。弓で追い込んで、短剣で仕留めに来た」
「死体があるだけでは、口封じとは断定できない……推測は記録しない」
役人は硬く言う。
ああ、来た。役所が“動かない”やつだ。面倒ごとは無かったことになる。
俺は死体の手を顎で示す。
「推測じゃない……指先に、爪の間に粉が残ってる。火打ち石の煤じゃない」
役人は一拍置いて、短く言った。
「検分する」
死体の覆いが少しめくられ、役人が布越しに指先を確かめる。表情は変わらないが、視線が一段だけ鋭くなった。
「禁制品に関与していた可能性はあるな。だが、それでも――現時点で確定できるのは、禁制品が押収されていること、運搬・所持の疑いがあること、死体が出ていること。そこまでだ」
つまり、ここで話を畳むなら畳めるってことだ。旅人に罪を被せて、死体は“よくある街道の揉め事”で処理して、終わりにできる。逃げた“本命”は笑って次へ行く。そういう閉め方だ。普段なら文句なんて言いやしないが、今回は別だ。
「待て。焚き火の輪に、見張り役がいた」
「薪をいじってた男だ。巡察の交代をずっと見て、合図みたいな目線を送った。今は消えてる」
俺は淡々と続ける。隊長が頷く。
「こちらも確認した。野営地から一名消えている」
役人は机を指で叩いた。
「街道で“消える”のは罪ではない。容疑者ではあるが、記録に残せない」
はい来た。要するに「捕まえるだけの決定打がない」ってことだ。
「なら、その場で取り押さえればいい」
役人の眉がわずかに動く。
「番所の中に誘い込む」
「押収品を盗ませれば言い逃れできない。こっちは“犯人が自分で踏む地雷”を用意するだけだ」
言い切った俺の言葉に、隊長が低い声で言う。
「番所を使う気か」
「使うのは、番所のルールだ。押収品に手を出したら終わり、っていう、な。一番分かりやすいだろ?」
俺は肩をすくめる。役人が少し考えてから言う。
「押収品は番所の管理物だ……触れた時点で窃盗。目撃があれば拘束できよう。持ち出されるまで待たずとも良い」
硬く短いが、分かりやすい。
いいね……それが欲しかった。俺は頷く。
「決まりだ。見張り役は、証拠と口を消しに来る。欲があるなら銀にも手が伸びる。その首を縄で締める」
「罠か」
巡察の一人が小声で言った。俺は軽く笑う。
「罠じゃない。これは犯罪を止める段取りだ。向こうが手を出さなきゃ何も起きない」
隊長が役人を見る。
「許可はできるか?」
役人は一拍だけ黙り、それから結論だけ述べた。
「午前中だけ許可する。番所の業務に支障を出すな」
「悪くない。……面倒だけどな」
◇
準備は単純だった。押収したガラス瓶と銀貨袋を、窓際の机に置く。外から見えるようにし、手を伸ばせば届く距離だ。袋の紐に輪縄を絡めておく。袋を引けば、輪が手首を締める仕掛けだ。
旅人は奥の小部屋に入れられ、扉は閉められた。俺はその前に座る。
扉の向こうで、旅人が震える声を出す。
「……俺、喋ったら殺される」
扉の向こうで、歯が鳴った。
息が浅い。吐くたびに、どこかで引っかかる音がする。
「黙ってても終わるな」
俺はわざと、あくび混じりに言う。怖がってる相手に怖い顔を返すと、口は余計に固くなる。
「ここは番所だ。喋れば“記録”になる。記録になれば、向こうは雑に消しづらい」
「……それでも来る」
「来るさ。だから今、歓迎会の準備をしてる」
俺は軽く笑った。
「安心しろ。俺が欲しいのは“俺の首の値札”が下がる証言だ。お前の勇気を買ってやるほど金持ちじゃないが、協力はできる」
扉の向こうで、旅人が息を呑む。
「……俺は、どうすりゃいい」
「簡単だ。喋るなら生き残る道は残る。黙るなら……刑が重くなるだけさ」
沈黙。旅人の呼吸が少し落ち着く。決断はまだだが、逃げ道の位置を測り始めた音がした。
外壁を擦る乾いた音。木に触れる指。ゆっくりと、慣れた手つき。
窓がほんの少しだけ開き、手が滑り込んだ。
その指先は妙にきれいで、薪の煤じゃない黒が爪の間に薄く残っていた。
手が銀貨袋を掴む。
――きゅっ。
縄が締まる。手首に巻き付いた縄をどうにかしようと、男は無理やり引っ張るが、縄は解けそうにない。こうなると、中に入って解くしかなかった。
男が窓を押し広げ、肩をねじ込んだ瞬間、隊長が扉を蹴り開けた。
「動くな」
槍の穂先が男の喉元で止まる。男の目がぎらつく。薪いじりの男――見張り役だ。
男が舌打ちし、腰に手を伸ばす。短剣――。
「武器!」
その声と同時に槍が男の腕を打つ。短剣が床を転がった。巡察が二人がかりで腕をねじ上げ、縄を増やす。逃げ道が消えていく。
隊長がてきぱきと指示を出す。
「……安全確認。窓、押さえろ。短剣、回収」
男が笑った。
「俺を捕まえても、回収は止まらねえ。街道は繋がってる」
「黙れ」隊長の声は低い。
「指図したのは誰だ」
男は答えない。守る相手がいる黙り方だ。
そこでようやく、役人が部屋に入ってきた。足音が落ち着いている。巡察が“仕事を終えた”のを見てから来る足音だ。
役人は机の上の銀貨袋と窓枠の縄を一瞥し、帳簿を開くと硬い声で言った。
「番所の押収品に手を出した。窃盗として拘束する。目撃者は巡察隊。今から記録する」
ここから先は、言い分じゃ覆らない。
役人は小部屋の扉へ視線を向けた。
「運搬の容疑者。あなたは禁制品の所持・運搬で処罰対象だ。しかし協力すれば軽くなる可能性がある。誰に命じられたか話せ」
旅人の肩が震える。俺は壁に背をもたれさせたまま言った。
「……後はお前が選ぶんだな」
長い沈黙。やがて、歯を食いしばる音。旅人が絞り出すようにポツリと零す。
「借金だ」
「……借金を消すって言われた。宿場の裏で……組合の印を見せられて……」
隊長が手を上げた。
「待て。続きは別室で。ここは耳が多い」
役人が頷き、帳簿に線を引く。
「記録した。今の供述は撤回できないぞ」
旅人の顔から、ほんの少しだけ血の気が戻った。怖いはずなのに、安心が混じっていた。
◇
処理は早かった。見張り役は縄で縛られ、押収品と死体は番所の奥へ回される。巡察は外で荷車の列の動きを見ていた。今日の面倒ごとも街道では、些細な、ありふれた日常だ。
役人が俺を見る。
「あなたは札がない。原則、通れない」
「へぇ。じゃあ俺はここで働くのかい」
俺が肩をすくめると、隊長が淡々と言った。
「コイツは協力者だ。次の宿場までの札を出すんだな」
役人は一拍だけ置き、帳簿に線を引いた。
「一枚だけ……次の宿場までだ。有効期限を過ぎれば無効。問題を起こせば拘束する。以上」
そして、机の端の札束から一枚を抜き、朱印が押されたそれを差し出した。
……最初から用意してたな、これ。
俺は受け取って、指で弾く。
「話が早いのは嫌いじゃない。——役所にしちゃ珍しい」
隊長が短く言う。
「行け。列が動く」
番所を出ると光が眩しい。
背中で、旅人の声が小さく届く。
「……カイ」
俺は手を振った。
「礼はいい。ツケは生きて返せ。——それが一番安い」
街道は続く。面倒も続く。だが今日は、悪くない。




