街道で拾った濡れ衣の値段
街道は、濡れた土と血と、焚き火の煙でできている。
山の陰から冷たい風が降り、草が一斉に寝返る。轍は浅い川みたいに光っていた。
俺――カイは、荷紐を肩に掛け直す。
腹が鳴る。嫌な鳴り方だ。空腹は判断を雑にする。
この辺りは、単独行動=餌だ。
だから俺は荷車の列の後ろに貼り付いてる。護衛じゃない、客でもない。――ただの“ついで”だ。
前を行く一団が、急に止まった。
「下だ、下に人がいるぞ!」
崩れた石混じりの斜面。そこに、旅人が半分埋まっていた。脚は土に埋まっていて、唇は紫だ。
革の外套を着た男達が駆けつけると、周囲を見渡ししゃがみ込む。短い弓を持ち、腰には鉈を差す。街道の案内役――道守り達だ。
背負い袋からロープを取り出すと、あっという間に降りていく。手際が、職人みたいに無駄がない。
旅人が引きずり上げられ、咳き込む。
周囲の誰かが水筒を差し出す。
「助かった……」
旅人は震えながら道守りを見上げた。
「礼はする。ただ……金は……今は、ない」
道守りは顔色ひとつ変えない。
「街道の救いは、情けじゃない。次の事故を減らすためだ」
「……金が無いならどうする? もう一度落ちるか?」
旅人は何かを言い淀み、目を泳がせた。
「金はないんだ。だが、これなら……」
旅人が取り出したのは小さなガラス瓶だった。中で黒い粉がさらさら揺れる。焚き火の光が当たると、粉が油みたいに艶を返す。
道守りの男が、目だけ動かした。
「……それは何だ」
「薬だよ。眠れない夜に、ほんの少しだけ。燃やして煙を吸うんだ。」
旅人の笑いが薄い。何かを誤魔化している顔だ。
俺の喉が勝手に鳴った。――知ってる匂いだ。甘い。鉄臭い。鼻の奥に、ひっかかる……嫌な臭い。
――黒睡粉。
吸えば、疲れも痛みも遠ざかる。代わりに、心が軽くなる。軽くなりすぎて、踏み外す。次の朝に残るのは、空っぽの胃袋と、もう一度欲しいって渇きだけ。
禁制品だ……街道の関所で見つかれば、まずしょっ引かれる。
「受け取れない」
道守りが即答する。
旅人は、焦った顔をする。
「いや、少しだけだ! 売るつもりじゃない、ただ、礼を――」
「ここは街道だ。街じゃない。でもそれは免罪符にならない」
道守りの男が、瓶から手を引かせようとした――その瞬間だった。
馬の鈴が鳴り、集団の外から声がかかった。
「巡察だ。全員、その場から動くな!」
黒い外套に、白い腕章。槍を持った二人と、弓を背負った一人。獣人でも巨躯でもない、人間の巡察隊だ。顔つきが固いのは、正義のためというより――この道で死にたくないからだ。
巡察の隊長が、全員を見渡し――ガラス瓶を見た。
「……何だ、それは」
道守りの男が、すぐ答える。
「旅人が礼にと差し出したんだ。禁制の疑いがある……受け取っていない」
隊長の視線が旅人へ、そして俺へ滑った。滑り方が嫌だ。
俺は外にいたのに、視線の端で“関わりそうな顔”だと判断されてる。
巡察は街道を回る。盗賊から守るために、定期的に。月に二度――このあたりは、特に荷の往来が多い。
たまたま鉢合わせた? そういう偶然は、街道では“いつか起きる当然”だ。
「押収する。誰が持っていた」
旅人が口を開きかけ、躊躇して。
結局――俺の方を見た。
「……そいつだ」
道守りの男が眉をひそめる。
「おい」
旅人は早口で続けた。
「そいつが! さっきから俺に“礼は粉でいい”って……道守りの連中も聞いてただろ!?」
聞いてねえよ……だが、嘘は“言い切った奴”が一瞬強い。辺境ではなおさらだ。
嘘の前で真実が勝つとは限らない。
隊長が俺を見る。
「そうか。……なら、お前が説明しろ」
俺は両手を見せ、ゆっくりと上げた。武器には触れない。ここで抜いたら、疑いが確信に変わってしまう。
「……なるほどな」
自分の口から言葉は、思った以上に冷たい音だった。
「俺は知らない。道守りも拒んだ。ソイツが一方的に差し出して、一方的に俺に押し付けただけだ」
隊長が首を傾げる。
「知らないなら、なぜコレが“黒睡粉”と分かる」
……疑うロジックとしては筋が通ってる。禁制品の名前を知るのは、売る者か、取り締まる者か、使う奴だ。
俺は肩をすくめる。
「街道で生きてりゃ、匂いで分かるさ。危険な臭いはパンの香りより先に鼻が覚える。俺は何でも屋だ。嫌でもな」
隊長はすぐには頷かなかった。疑わしいものは徹底的に疑う……だが、疑わしいだけで罰せよとは言えない。あまりにも無法が過ぎるとどうなるか知っているからだ。街道には巡察より強い連中が山ほどいる。
隊長が言う。
「これは押収はする。今夜はこの先の野営地で留まれ。逃げたら、疑いが濃くなるぞ。分かったな」
旅人が小さく息を吐いた。安心した顔――違う、笑いだ。ほんの一瞬、“通った”って顔だ。
俺の腹の底が冷えた。
道守りの男が、巡察に言った。
「この男(俺)を縛る必要はない、何もしていない。」
「道守りがギルドから街道警護を請け負っているのは知っている。だが街道の慣習だけで裁くわけにはいかん」
ギルドと巡察。慣習と法。どっちも正しい……だから割れる。
隊長は俺と旅人に目を向けると言った。
「夜明けに事情を聞く。逃げるなよ」
俺は笑わずに頷いた。
……納得はする。巡察の言い分も、道守りの言い分も。
だが、違法品を押し付けられて、犯罪者にされかけたツケは――払わせないとな。
野営地に移動し、簡単に食事を済ませる。
夜が深まると、焚き火の輪は小さくなった。巡察は少し離れた場所で交代で見張るようだ。
その中に、やけに静かに薪をいじっている男がいた。
誰にも混ざらず、誰の荷にも近づかず――それでも、目だけは巡察の交代を追っている。
妙に「待っている」目だ。
道守りは荷車の内側で眠り、旅人は――毛布にくるまり、寝たふりをしていた。
そして、案の定。
しばらくして、焚き火が一度だけ、ぱちんと弾けた。
薪いじりの男の目線が、ちらりと暗がりに向かう。合図みたいに。
その瞬間、旅人が起きた。足音を消し、荷車の影を抜ける。巡察の視界の薄い、暗がりへ。
俺は立ち上がった。追う。
殺すかどうかは、話を聞いてから決める。
街道の外れ、低い薮に入ったところで、旅人は走り出した。
逃げ足は悪くない。だが、逃げ慣れていない速さだ。
その背に、風を裂く音。
――弓矢。
矢が旅人の肩をかすめ、布が裂けた。旅人が転げる。次の矢が喉を狙う。
薮の向こうに、黒い影。弓を引く腕が見えた。
頭によぎる――口封じ。粉の回収……そういう仕事。
俺は旅人に覆いかぶさり、地面を転がった。矢が土に刺さる。
「何だ、てめえ……!」
旅人が叫ぶ。俺に向けてだ。
助けられてるのに、俺を疑う目。
――面倒だ。要するに、面倒ごとってわけだ。
胸の奥が熱くなる。濡れ衣が一番嫌いだ。
俺は息を吐き、薮へ向けて声を投げた。
「粉はもう無いぞ。巡察が押収した」
影が止まる。ほんの一拍。
そして、低い舌打ち。
「……なら、口を塞ぐだけだ」
次の瞬間、影がこちらへ詰めてきた。弓を捨て、短剣。近接で仕留めるつもりだ。
俺は直剣に手をかけた。抜くのは最小限。
殺し合いにしたくない――じゃない。今ここで暴れたら、巡察が来る。それは俺が面倒だ。
剣を抜く。光は出ない。月が雲に隠れて丁度いい。
影が踏み込んだ瞬間、俺は一歩引き、刃で短剣を弾いた。
影が舌打ちし、二撃目――。
俺は避けながら、刃を滑らせた。
喉が潰れる音。影の身体が崩れ、短剣が草を噛む。
俺は腕を踏み、短剣を蹴り飛ばす。
耳を澄ます。もう一人いるかもしれない。
――いない。
影のフードがずれ、顔が見えた。
知らない顔だ。焚き火の輪にはいなかった。こいつは“回収役”で、誘導したのは別の奴だろう……
指先に、黒い粉が薄く残っている。爪の間にも。
火打ち石の煤じゃない。
腰の革袋――口の縫い目にも、同じ黒が噛んでいた。
……黒睡粉の仕事だ。
旅人が、震える声で言った。
「……助けたのか?」
「ツケのためだ」
俺は旅人の胸倉を掴まない。距離を保って言った。
「お前が俺に濡れ衣を着せた。あれで俺がどうなるか、分かってたか」
旅人は唇を噛み、目を逸らした。
「……俺だって、死にたくなかった。でも、粉を運べば、借金が消えるって……」
「誰に言われた」
旅人が答えるより先に、背後で草が鳴った。
巡察だ。争いの音は小さくても、夜の街道は静かすぎるのだ。
隊長が槍を構え、俺と旅人と、倒れた男を見た。
隊長の目は、剣よりも――死体に固定されている。
「……説明しろ」
俺は両手を上げ、剣を地面に置いた。
そして、死体の指先を顎で示す。
「黒睡粉の回収役だな」
隊長が眉を動かす。
「回収役?」
「ああ。旅人は運び屋で、俺に濡れ衣を着せて逃げた。そこをこいつが仕留めに来た――口封じだな」
旅人が叫びかける。
「違う! 俺は――」
「黙れ」
隊長が遮った。声は怒っていない。冷たいだけだ。正義の声だ。
隊長は俺を見る。
「お前は、なぜ旅人を助けた」
「こいつが死んだら、俺のツケが消えるからだ」
俺の答えに、隊長は一瞬だけ分からない顔をした。
そこへ道守りが追いついてきて、鼻で笑う。
「筋は通ってるな。厄介だが」
隊長は短く息を吐くと、部下に顎をしゃくった。
「死体を運べ。番所で検分する。……証拠になる」
それから旅人の手を縛った。
「夜明けに番所へ連行する。お前は大人しくしていろ、逃げるなよ」
俺は頷いた。
旅人が縛られたまま俺を睨む。
「お前、俺を売る気だろ」
「売らねえよ」
俺は軽く言って、旅人の荷に手を伸ばした。
巡察が止めるより先に、隊長へ視線を投げる。
「いいか?」
「……何をする」
「清算だ。濡れ衣の慰謝料と、命拾いの礼」
道守りが肩を揺らして笑った。
「クックック……言い方が商人だね」
「何でも屋なんでね」
肩をすくめると、俺は紐をほどき、荷袋の口を開けた。
中から出てきたのは、乾いた干し肉、硬いパン、塩の包み、小さな酒――それから、銅貨の袋。
銀が数枚、混じって鳴った。
旅人が顔を青くする。
「待て! それは――」
「なるほど。……で、どこが清算なんだ?」
俺は干し肉を一本つまみ、ぐいと道守りの男へ投げた。受け取った手が、反射みたいに動く。
「まずはこっちだ。落ちかけたのを引き上げたのは、お前らだろ」
続けてパン三つと酒を、道守りへ。
「礼を踏み倒すなら、また落ちる」
旅人に向けて言うと、道守りが吹き出した。
隊長が咳払いをする。
「……お前、勝手に――」
「禁制品じゃない。街道の取り分だ」
俺は隊長の目をまっすぐ見た。
袋の中から銀貨を取り出すと、隊長へ投げ渡す。
「銀は……そっちで預かれ。こいつは口を塞ぐのにも、逃げるのにも使える。今ここで転がしておくのは一番損だろ?」
隊長が短く頷いた。
「預かろう。証拠と一緒に管理する」
俺は銅貨数枚と残りの食料を自分の袋に放り込んだ。干し肉一本、パンひとつ、塩ひとつ。腹の足しになる程度。
旅人が歯噛みする。
「返せ……!」
「返さねえ」
俺は笑わずに言った。
「濡れ衣の分。あと、助けた分――“俺だけじゃない”。これで半分だ」
「半分だと……!?」
「残りは生きて返せ。逃げるなよ――」
「お前のツケは、俺じゃなくて巡察が取り立てるんだからな」
隊長が旅人の背を押し、列へ戻す。
旅人が引きずられながら、最後に吐き捨てた。
「お前……!」
「じゃあな」
俺は手を振った。乾いたパンの重みが、妙に現実的だった。
面が割れているあいつを、殺してでも口を塞ぎたい連中がいるはずだ。そんな街道で、巡察の「正しさ」だけで守り切れるのか。
巡察の一人が、焚き火の輪を一瞥して言った。
「……一人、減ってる」
焚き火の方角に目をやる。……薪いじりの男がいない。
巡察は一拍だけ黙って、死体の運ばれていく方向に顎を向けた。
「回収班は誰かの使いっ走りだろうな」
合図を送った奴がいる。だが追わない。
今夜は列が先だ。列を割れば、盗賊に笑われる。
そう割り切った背中で、巡察は戻っていった。
俺は闇に目を凝らす。逃げた“本命”は、まだどこかで笑っている。
――次に見かけたら、このツケは払わせる。
夜明けは近い。




